側はいらない
私の食の好みは、少し変わっている。
例えば、
ソフトクリームのコーンはいらない。
餃子は中身の肉だけ食べたい。
鯛焼きはあんこだけ食べたい。
手巻き寿司も、ご飯はいらない。
要するに、私は“中身だけ”食べたいのだ。
とはいえ、私も大人である。
そんな食べ方をしたらどうなるかくらい、わかっている。
なので、できる範囲でそうしている。
ソフトクリームはカップに。
餃子なら肉団子を。
鯛焼きではなく餡子そのものを。
手巻き寿司は、海苔に具だけ。
さすがに外ではやらないが、許される場所では自由に食べさせてもらっている。
なぜ私は“側”を食べたくないのだろう。
以前、夫に
「一緒に食べた方が美味しいじゃん!」
と言われたことがある。
たしかに、そういう考えもわかる。
でも私は、側がない方が好きなのだ。
美味しい中身だけを、いっぱい食べたい。
中身そのものを、味わいたい。
そう考えると、理由は昔の自分にある気がする。
私はもともと小食だった。
たくさん食べられないなら、“美味しいところだけ”食べたい。
限られた容量なら、好きなものを全力で味わいたい。
そんな浅はかな考えから始まった気がする。
そして今では、ただ我が儘な食べ方をする大人が完成した。
でも、後悔はしていない。
残りの人生も、やっぱり美味しいところを食べて、お腹いっぱいになりたい。
最近、理想の羊羹に出会った。
羊羹なのに寒天っぽさが少なく、まるで餡子そのものを食べているみたいな羊羹。
「これだ!」と思った私は、わざわざ湯布院から取り寄せてしまった。
しかし夫は、
「寒天みがなくて、あんこを食べてるみたいで苦手」
と言う。
本当に、食の好みは人それぞれだ。
