共生の黎明 #66 第16章 第9節:仕組みじゃないということ 連続小説
縁側に座った女性職員は、手帳もペンも持っていなかった。
かわりに、手の中には端末と、少し戸惑ったような表情だけがあった。
「……実は、ここに来る前、いろんな資料を読んできたんです。ユラのことも。
地域通貨のようでもあり、評価経済のようでもあり……けれど、実際に来てみたら、どれとも違う。
この“空気”を、どう言葉にしたらいいのか、わからなくて……」
年配の男性が、湯のみを口に運びながら、静かに答える。
「それでいいんだよ。わからないままで。
わからないからこそ、ちゃんと人と向き合える。
わかったつもりになると、大事なもんを見落とす」
別の女性が笑って言う。
「私らも、最初は“ユラ”って何なのかさっぱりわからなかったよ。
でもね、だんだんと、ありがとうを言うと、心が軽くなるってことに気づいて……
ああ、これが“循環”なんだって」
「仕組み」ではなく、「流れ」。
「制度」ではなく、「響き合い」。
それは数値やフローでは表せない、人と人のあいだに生まれる“あわい”のようなものだった。
沈黙の中、職員の端末が小さく光った。
通知ではない、ただの待機中の光。
けれどその光に、ふと彼女は、目を細めた。
「……この端末の中にも、何かが宿ることって、あるんでしょうか」
誰かが、はっきりと答えることはなかった。
けれど、誰も否定もしなかった。
そのとき、夜風がふわりと吹いて、
どこからか漂ってきた焚き火の匂いが、縁側の空気をやわらかく包んだ。
人とAI、そして人と人。
その境界が、静かにほぐれてゆくような夜だった。
⬇️続き
