感情的な病を持ちつつ、ゲーム開発に打ち込んだ、42年でした^^
今になって思う。ぼくは、何故、noteを書くのだろうか?
この2年7か月間、その分野の専門家に丁寧に支援され、ぼくもできないかなと思い、
感じたことを文章化する訓練を、精神科の訓練で(全員じゃありません)、したい人がやると言う、
人を選ぶ訓練でした。
約27年の通院でも、ぼくはアダルトチルドレン^^
ぼくは、アダルトチルドレンであり、双極性障害を寛かいし、ぶり返しがあるので、今でも、嫌だなと思いながら、
カウンセリングは受けるのが楽しみなので、それで相殺。後は、精神科医のA先生の、鋭い指摘を得に行きます。
基本優しいですが、電子カルテを打つ時の表情は、笑顔だったり、きつく睨まれることもあります。
素人のぼくではわからない世界があるのでしょうね^^これからもお願いします。
医師は、ゲーム開発販売と、自分らしさを持ってねと言う
こんな指示は全くの初めてかな?それに近いのは自分の好きなことをしてねと言うことでした。
ぼくはまだ恵まれていた方で、14歳の時点でゲームがスキで、天体観測がスキで、勉強もスキで、中学での定期試験は、同じ部活(卓球部)の、
N村と、試験の順位を競っていました。で、あいつは進研ゼミを始め、ぼくも母が入れてくれて、競っていましたが、彼の京大へ行きたいとの願望の前に、思い切り差をつけられて、負けました。ぼくが60位(357人中)、彼は、6位。勝てないよ。負けたよ。卓球も。
でもぼくには、ゲームと言うものがあったんだ。ゲームプログラミングも乙じゃない。自分の動きたいキャラを創り、昔は、キャラの設計が、
1980年代の、ゲーム製作(ドット絵編)))
グラフ用紙で書いて(8色で色塗り)、そのドット絵の元を、全部計算してから、💻のX1Fに移す。そして表示プログラムにお願いし、やったーとなる^^
ゲーム開発の難所、ドット絵でキャラを描く、データー化する

14歳から16歳になり、MAXマシーンから、X1Fに移行し、そこで強調されていたのが、8色でPCG(自分で文字を創ることが出来る機能)で、
背景を8ドットスクロール。キャラはグラフィックスで、面倒で、
キャラのグラフィックスも、EDITERがいるなあと思い、PCGエディタ―を改造し、PCGを創る感じで、グラフィックスを創り、そのデーターをマシンのメモリーへと移すのにマシン語で創った、ルーティンで可能にし、
作業の負担が思い切り減り、弟は見ていても、話を聴いても、ちんぷんかんぷん。ぼくしか理解できませんでした。
今でも、ネットで、X1turboで、あの名作STGである、PC88シルフィードを、X1turboのFM音源(OPM)で、鳴らすシステムを創った人がいて、すごく尊敬しています。
(これです)))
この記事は大変難解な内容になっています。それは、X1を愛する人にしか理解できないと思います。ごめんさい。でもね、この曲の良さは理解できるんじゃないかな???

以上です。
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