長崎原爆投下の日の頭の中
8月9日は、6日の広島への原爆投下に次ぐ人類史上二番目の原爆投下の日であり、あらから81年になる2026年の8月9日である。広島でその残酷さは証明されたにもかかわらず長崎に再度の原爆投下の必要があったはずはないが、アメリカは敢えて、とどめを刺すがごとくに再度の原爆投下と、歴史の判断は微妙になるが、すべてが戦争の責任であると安易な結論を導く以外にはないようである。核兵器廃絶は現在の人類にとって最大の問題であり、それが分かっている国際社会は被団協にノーベル平和賞も送って応援しているはずだが、核兵器保有国には何の抑制力にもならないようで、未だに核保有数合戦が続いたいるのが現実である。でも、核兵器は絶の国際社会の取り組みは、広島長崎の原爆投下地の被害状況、真実の状況を知り、人類の滅亡に繋がると判断しての、核兵器廃絶のために、広島長崎の被爆地への期待は膨らむばかりだが、悲しいか日本の国庫は核兵器廃絶の言葉さえ語れない。それは当然アメリカの核の傘に守られる安全保障があるからなどの、幻想的な安全保障などの迷いごとに捉われ続け、パールハーバの悲劇などの言葉がアメリカ大統領から言われても、長崎広島の悲劇はとさえ言い返せないのが日本の政治的な現実である。そんな中で、広島長崎の被爆都市は世界に核兵器廃絶のための真実のメッセージを出し続けてきた。そして、被団協は被害者の実態を、瞬間多岐な他風の犠牲者だけではなく、被爆二世や三世と続く被害の永続性さえ、当事者として苦しみ続ける被爆者の言葉と行動に対して、ノーベル賞が贈られたことは、新たな反核運動の力になるだろうと、世論は判断しているから、さらに、広島長崎の被爆地への核兵器廃絶へのメッセージの発信を願い期待している。
広島も長崎も、毎年の投下記念式典において、優れた感動的なメッセージを世界に発している。特の子どもたちの平和へのメッセージは、沖縄の慰霊祭から広島長崎の原爆投下記念式典と実に見事なものである。そのメッセージが大きく報じられることを期待しする。そして、世界の人々が核兵器廃絶のためには広島長崎の力が必要だと、国際社会でもっともっと、大きく取り上げてほしいともう。ロシアもアメリカも、中国もそのほかの核兵器保有国の指導者は、毎年広島長崎訪問が義務付けられるような強力な国際ルールの誕生を期待するが、それは不可能だろうと承知の儚い夢である。儚さを助長するのは日本の政治とも大きく関係していると宣言した、8月9日長崎原爆投下81年の日である。
兎に角平和でなければ何も進まない。
兎に角平和のために法があり、そしてさらに憲法のある日本は世界に誇れる国であるはずだが、その誇りのために、沖縄があり広島があり長崎があると国民は十分承知であり、トランプやプーチンに憧れる政治家が生まれないことを祈る、生きていることも奇跡と思っている老いたクリスチャンである。
ただ、ただ、平和であることを祈ります。
