昭和百年十月十日に初めての受賞作「昭和七十三年七月三日」を振り返る
お知らせ。このnoteに登場する映画『パコダテ人』衣装デザインの小川久美子さんに密着した「ザ・ライフ」NHKプラスにて10/24(金)19:55まで見逃し配信中。『国宝』も『セーラー服と機関銃』も小川さん。カッコいい仕事ぶりと映画の中の色の考え方にワクワク。『パコダテ人』の前田監督も出演。
今年2025年の10月10日は「昭和100年10月10日」だった。
漢数字で表すと、「昭和百年十月十日」。この字面から連想するタイトルがある。
「昭和七十三年七月三日」
脚本コンクールに応募を始め、最初に受賞したタイトル。
函館の映画祭のシナリオコンクール
「昭和七十三年七月三日」は、函館山ロープウェイ映画祭(翌年から函館港イルミナシオン映画祭に)の第3回シナリオ大賞準グランプリを受賞した。
公募関係の書類をまとめたファイル(デジタルではなく紙を収納するポケット式)を引っ張り出してみたところ、応募要項の切り抜きを保管していた。当時愛読していた「月刊公募ガイド」の誌面だと思われる。

賞は「グランプリ1編 30万円 準グランプリ2編 5万円」とある。
受賞者は函館での授賞式に招待され、交通費と宿泊費と映画祭のパスを支給された。準グランプリのわたしには、賞金より大きなご褒美となった。
当時1998年、平成10年。昭和で数えると73年。大人になってからの再会を約束する初恋のふたりの話を書いた。「昭和73年の7と3を足すと、平成10年になる!」と発見した。
日記で振り返る「昭和七十三年七月三日」
受賞から四半世紀余り。当時の記憶がかなりあやふやになっているので、「昭和七十三年七月三日」について書いた日記を掘り起こした。日記は脳味噌の外付けハードディスク。
2002年4月24日(水)の日記 天才息子・西尾真人(にしお・なおと)
わたしを「おかん」と呼ぶ会社の後輩デザイナー西尾真人が今日のわたしのカッコ(白い半袖ハイネック、シルバーのふんわりスカート、水色ラメのハイソックス、シルバーのバレエシューズ)を見て、「年食った妖精」と名づけた。
暴言だが、言い得て妙なので、笑ってしまう。この口の悪いドラ息子、親バカかもしれないけれどデザイナーとしての才能は目を見張るものがあり、近いうちに日本中に名を轟かせるのではないかと思う。『パコダテ人』の小物(函館スクープのロゴ、ウルトラ○○○のロゴとパッケージデザイン、pakodatailのロゴ)デザインではずいぶん親孝行してくれた。ノーギャラなのに直しの連続だったので、反抗期の中学生のように暴れながらやっていたけれど。
「真人」と書いて「なおと」と読むのが面白く、函館山ロープウェイ映画祭の脚本コンクールに応募し、初めての受賞作となった『昭和七十三年七月三日』の主人公、田村真人の名前に使わせてもらった。田村の初恋の人、美津子との三十年ぶりの再会場所に現れた女性は「美津子とは別人」と言うが、受け取った名刺を見て「たむらなおと」と読んでしまう。
【2025年10月20日追記】主人公の名前も命名の由来も忘れていた。名前のモデルになってくれた西尾真人君、映画『パコダテ人』でもお世話になっていました。しっぽ美少女を追いかける「函館スクープ」の「ハコスク」ロゴは劇中に登場する新聞でも使われています。
2002年7月7日(日)の日記 昭和七十七年七月七日
ロマンチックなものが好きなので、もちろん七夕が好きだ。短冊に願いごとを書いたりはしなくなったけれど、「無事二人が天の川を渡って会えますように」と星空を見上げる気持ちが好きだったりする。一年に一度しか逢えない、雲の上の遠距離恋愛。織姫と彦星の世界には、いつまで経っても携帯電話やメールのような便利なものはなくて、時間と距離を埋めるのは、気持ちしかない。二人は、痛いぐらい純粋な恋をしている。(中略)
はじめてシナリオで賞を取った作品は『昭和七十三年七月三日』。昭和七十三年は平成十年でとっくに終わってしまったので、『昭和七十七年七月七日』にリメイクして、今年の七夕に放送できたらと企んでいたが、その日も終わってしまった。初恋の二人が三十年ぶりに函館で再会する話なので、内容的には七夕にぴったりなんだけど。(後略)
2010年7月24日(土)の日記 初めての受賞脚本『昭和七十三年七月三日』執筆メモ
新聞の整理をしていたら、フランスで40万部売れたという『シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう』という本の広告に「シンプル主義37カ条」なるものが挙げられていた。「洗面所に香水サンプルのコレクションを置かない」など、どのオキテにも自分がことごとく反していることを痛感させられる。なかでも、場所を移動しただけで「片付けた」と思わないというオキテには、ううむ、まさにわたしの問題点を言い当てていると唸った。(中略)
部屋のあちこちからオリエンテーリングの札のごとくメモが発掘される。バインダー式手帳の中身がばらばらに散らばったもの。日付が入っているページはいつのものだかわかるけれど、無印良品の無地のページのものも多数ある。(中略)
もともとは複数枚にわたっていたと思われる『昭和七十三年七月三日』の脚本執筆メモも、最初の一枚だけ見つかった。月刊シナリオを見よう見まねで脚本を書き、コンクールに応募するようになって二本目、函館山ロープウェイ映画祭シナリオコンクールで準グランプリを射止めた作品。
プロットやハコ書きが何であるか、そういうものがあることすら知らなかった時代で、思いつきが思いついた順につらつらと書かれている。脚本にする段階で落としたアイデアもあるけれど、最初に湧いて出たものに自分の書きたいものや自分らしさがいちばん出ると今も思う。
家の事情で引き裂かれた初恋の男女が30年後に会うという設定は物語を思いついたときから揺るがず、二人が約束した再会の日がタイトルになった。
函館 大正湯 男にとっても久しぶり 函館を歩くと彼女を思い出す 30年後に会う約束←大正湯へ向かう道で回想 手に手紙 フラッシュバック
大阪からツアーで来た女 団体行動になじめず 地図を見て「あった」 遠くから見て「いた」
女は別人と主張 男はそれでも信じられない 別人ということにして
中華会館の中庭に屋根 新しい建物 大正湯のあたりは変わっていない もしやなくなっているのでは ほっとする男
女は風呂屋に入っていく
名刺を渡す男 「小さいけれど事務所やっているんだ、建築の」
「ちょうどよかった、案内してくれません?」
快活で歯に衣きせないさっぱりした性格は昔のまま。
ツアーなので7時の夕食までには戻らないと。その前にロープウェイで山に登って夜景を見よう。おりたところでイヤリングをプレゼント。「男の人に贈りものされるの、何年ぶりやろ」
二人が待ち合わせた大正湯は、初恋時代の思い出のが場所。家が離れた二人にとって、お湯をもらいにいく行き帰りがデートの時間だった。たまたま直前に友人の結婚式で函館を訪ねた折りに見た大正湯の佇まいが気に入り、舞台に採用した。
映像化されるときはもちろんあの可愛いピンクの洋館で、タイトルと同じ昭和七十三年(平成十年)に公開できたらという夢は叶わず、代わりに翌年の同じコンクール(映画祭の名は函館港イルミナシオン映画祭に)で受賞した『ぱこだて人』が映画『パコダテ人』に。
主人公一家の家が大正湯になったのは、何かの縁。当初は薬局という設定だったのだけど、絵になるロケーションが見つからず、「大正湯っていうかわいい銭湯があるんやけど、お風呂屋さんでどうやろ?」と前田哲監督から電話があった。
『昭和七十三年七月三日』が『パコダテ人』につながり、そのデビュー作が今のわたしに続いている。その原点のメモ。
2009年5月28日(木)の日記 水瓶座は12年に1度の幸運期らしい
山田詠美さんのインタビュー記事を読んでいたら、「水瓶座は今年、12年に一度の幸運期」だとあった。(中略)
「1997年10月 はじめてのテレビドラマシナリオ『月のなる木』 を日テレ登龍門に応募、2次選考まで残る」とある。3000篇を越える応募数から160篇ほどに絞られた中に入っているのを見つけて(審査結果が載っている「月刊ドラマ」を立ち読みした)、「才能があるのかも」と思い込んだことが、書き続ける自信をくれた。翌年3月に初めて賞を取った映画脚本『昭和七十三年七月三日』は、97年秋の函館旅行が活かされたから、やはり幸運の年だったのだろう。
大正湯つながりで『パコダテ人』へ
「昭和七十三年七月三日」が受賞した翌年、名称は函館港イルミナシオン映画祭に変わったが、シナリオ大賞は引き続き開催され、「ぱこだて人」で2度目の準グランプリを受賞した。
その脚本から映画『パコダテ人』が生まれ、2002年に公開された。
主人公日野ひかるの家はお風呂屋さん。一家が暮らすのは大正湯。「昭和七十三年七月三日」の待ち合わせ場所。

大正湯は2022年8月に閉業。撮影時は営業中で、撮影に全面協力して、映画のためにお湯を沸かしてくれた。
作品にとっての故郷、函館港イルミナシオン映画祭が20周年を迎えたとき、「ハッピーが生えてきた」と題して文を寄せた。
2024年が30回目の開催だったそうなので、20周年は11年前だろうか。わたしが第3回、第4回に準グランプリを受賞したシナリオ大賞は2025年で第29回を迎えるという。そんなに経ったのか。時の流れが速すぎる。
「ハッピーが生えてきた」今井雅子
物語の誕生はカクテルの誕生に似ている。ラム酒をたまたまライムで割ったらとんでもなくおいしいダイキリが生まれてしまったように、偶然ときまぐれの組み合わせから思いがけないストーリーが生まれる。
シナリオ『ぱこだて人』が生まれた夜、わたしは函館山のてっぺんで祝い酒に酔っていた。『昭和七十三年七月三日』が函館山ロープウェイ映画祭(函館港イルミナシオン映画祭になる前の名称)第3回シナリオ大賞の準グランプリをいただき、その授賞式に招かれたのだ。脚本監督作品『一番列車に乗る前に』をひっさげて来ていた斉藤理香さんという女の子と意気投合し、イエーイと盛り上がっていた。
どういう流れからか、「はひふへほをパピプペポにするとかわいいんだよ」という話をしたら、「そういやパコ函館ってホテルあったよ」と斉藤さんが言った。「パコ函館? かわいーい。じゃあ、ここはパコダテ?」。わたしたちは上機嫌になって「パコ!パコ!」と騒ぎだした。「なんかパコダテってポップでいいなあ。パコダテ語の話を書こうかなあ」と言うと、「来年も賞を取って来ればいいじゃん」と斉藤さん。
そうだ、賞を取れば、また函館に来て、お酒が飲める! 今回は中年が主人公だったから次は若い子の話にしよう。はひふへほにオマケの○がついてパピプペポだから、名前は……そこで記憶の引き出しが開いて、思い出した。何年か前の新聞のコラムに「近い将来、しっぽが流行る」と大胆な予測があったことを。「人々は話すのが億劫になり、しっぽをアンテナにしてコミュニケーションを取るようになる」といった内容だった。 「パコダテ→おまけ→しっぽ」と連想して「突然生えてきたしっぽをオマケとして受け止め、パコダテ語を流行らせる女子高生の話」をひらめいた。ホテルの部屋に備え付けの便せんにあらすじを一気に書いた。函館山ハイの勢いとしか言いようがない。
シナリオ『ぱこだて人』は、翌年の第4回シナリオ大賞で準グランプリをいただいた。さらに、審査員じんのひろあき氏の家で前田哲監督に見つけられる幸運があり、ご縁のしっぽがつながって映画『パコダテ人』が生まれた。公開時のキャッチコピーは「ハッピーが生えてきた」。映画が生えてくるほど楽しい映画祭が続いているのは、故郷が元気でいるようなうれしさがある。
函°館港イルミナシオン映画祭、二°十歳二°十歳おめでとう!
今日は昭和100年10月10日だそう。
— 脚本家・今井雅子 (@masakoimai) October 10, 2025
脚本コンクールに応募を始め、最初に受賞したタイトルが
「昭和七十三年七月三日」
当時1998年。昭和73年の7と3を足して平成10年。
昭和百年十月十日は、あれから27年。
翌年の同じコンクールで受賞した「ぱこだて人」から映画「パコダテ人」が生まれた。 pic.twitter.com/p3fleKf1Vo
「昭和七十三年七月三日」が受賞してなかったら授賞式で函館に行っていないし、函館山のてっぺんで酔っ払ってないし、「ぱこだて」を連呼することもなかったし、脚本「ぱこだて人」も映画『パコダテ人』も生まれていない。
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目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。