25年も会社員(わからず屋のBP)が「わかりやすさ」にこだわる理由(ユニバーサルデザインの強化書 299)
これは、ある会社員の回想録である。
(私ではないですが…重なる所があります)

1. 若かったころの「わからず屋」
最初に入社したのは、まだ手書き文書が主流の時代だった。
社内の文書も、報告書も、そしてプレゼン資料でさえ
「読む人の努力ありき」が当たり前。
自分も例外ではなく、妙に専門用語を多用し、蘊蓄をしたためては、
「わかる人だけわかればいい」と思っていた。
ある先輩が会議のあとでぽつりと言った。
「お前の説明、立派だけど結局よくわからんかったな。」
そのときはむっとした。
「わかる人にはわかるのに」と言い返しそうになったが、先輩の顔には責める色はなかった。
その一言が、25年かけて自分の価値観を変えていく最初の一石になった。
2. 「伝える」と「届く」は違う
最初の転機は、あるクレーム対応のときだった。
納品書の記載ミス、それもこちらの表現が曖昧だったせいで、相手先に余計な在庫を抱えさせてしまった。
担当者の方が怒るでもなく、静かな口調でこう言った。
「説明はされてました。でも、理解はできませんでした。」
その言葉に、体の奥がじんと重くなった。
「説明した」という自己満足と、「伝わった」という結果は、まったく別ものだ。
それ以来、資料を書くときには「読み手が理解できるか」を最初に考えるようになった。
たとえば数値を示すとき、「前年比+8.5%」だけではなく、「去年より約1割増えています」と書く。
専門語のあとに、
あえて中学生でもわかる言葉をつける。
そんな小さな工夫が、相手の顔を少しやわらげてくれる。
3. 悔しさが芽に変わる
30代になり、後輩を指導する立場になったとき、もっとも戸惑ったのは「伝わらない苛立ち」だった。
後輩は真面目に話を聞いているのに、結果が思うように出ない。
ある日の面談で、ひとりの部下が涙をこぼした。
「言われることは全部メモしています。でも、どう直せばいいかがわからなくて。」
その瞬間、自分が若いころの“わからず屋”と重なって見えた。
「なぜわからないんだ」と嘆く前に、
「どうすれば伝わるか」
に目を向けなければならない。
それが、自分の中で“教える”という行為の意味を変えた瞬間だった。

4. 「誰にでも伝わる」は幻想か
ユニバーサルデザインという言葉を初めて知ったのは、40代手前のころ。
仕事で関わった自治体のセミナーだった。
当時の自分は、「わかりやすさなんてセンスの問題」くらいに考えていた。
講師はこう言った。
「ユニバーサルデザインとは、“誰もが理解できるように設計する”ことです。」
けれど、その“誰もが”という言葉を聞いた瞬間、少し疑った。
「そんなの、無理じゃないか?」
実際、年齢も背景も知識量も違う人たち全員に伝えるなんて、理屈としては成り立たない。
だがその後、講師が続けた言葉に心を奪われた。
「完全に“誰にでも”は無理。でも、“できるだけ多くの人に届くようにする努力”こそがデザインです。」
この考えは、自分がずっと探していた「わかりやすさ」の核心に近かった。
“万能”ではなく、“誠実な試行錯誤”。
そこに、長年抱えていたもやもやが整理された気がした。
5. 見える化の先にある「わかる化」
わかりやすさの追求は、結局“目に見える工夫”だけでは済まない。
デザインや文章を整えることは入り口にすぎず、その先には読み手が「情報の意味をどうわかるか」という世界がある。
プレゼンで一番反響があったのは、グラフを減らした資料だった。
数字を山ほど並べたスライドより、
1枚のシンプルな折れ線に、短い説明を添えただけ。
それでも聴衆の反応は格段に良くなった。
理由を聞くと、多くの人がこう答えた。
「データじゃなく、“意味”が見えました。」
伝えるとは、“意味が伝わる”こと。
この気づきは、企画書にも社内報にも、メールの文面にも応用できる。
6. 痛感した「わかる側」の盲点
50代になってから、自分自身が理解に苦しむ経験をよくするようになった。
新しいツールやDX関連の用語、若手の使う略語やチャット文化――まるで異国語だ。
「これの意味、教えてもらえる?」と聞くたび、かつての自分の高慢さが身にしみる。
若い人たちは、こちらを「理解できない側」として扱わない。
代わりに、「どう説明すれば伝わるか」を一緒に考えてくれる。
その姿勢に、25年前の“説明したつもりマン”だった自分が、静かに頭を下げる。
人は誰もが、いつか「わからない側」になる。
だからこそ、「意味がわかるように伝える=伝わる」努力を怠ってはいけないのだと思う。

7. 「わかりやすさ」は、やさしさの別名
ユニバーサルデザインという言葉を、今では“やさしさの設計”と解釈している。
バリアフリーが「物理的に壁をなくす」ことなら、ユニバーサルデザインは「心理的な壁をなくす」ことだ。
その壁の多くは、
「伝え方の小さなすれ違い」
から生まれている。
たとえば社内メールでは、専門部署向けの略称を無意識に使ってしまう。
報告書では、前提知識を知らない相手に向けた説明が抜ける。
こうした“わかりにくさ”は、悪気なく生まれるものだ。
それを減らしていけるのは、「相手への想像力」だけ。
相手がどんな状況で読むのか、どんな知識レベルなのかを一瞬でも思い浮かべる。
その手間こそが、やさしさのはじまりだと思う。
8. 今も続く「わからず屋」の道
25年経っても、“わかりやすさ”を完全にものにしたとは言えない。
むしろ、追えば追うほど、難しさが際立ってくる。
だが不思議と、もう苦にはならない。
どんな人にも、得意不得意の情報の形がある。
文字で理解する人もいれば、図で納得する人もいる。
だから資料づくりのたび、自分に問う。
この形でしか、伝えられないと思い込んでいないか?
今も時折、プレゼン後のアンケートで「わかりにくかったところ」を指摘される。
昔なら落ち込んで終わった。
今は違う。
そうか、
「まだ伝わる余地がある」
と、素直にうれしくなる。
9. これからの「わかりやすさ」を信じて
ユニバーサルデザインは特別な専門領域ではなく、日常の中にある選択だ。
誰にどう伝えるか、どう感じてほしいか――その小さな配慮の積み重ねこそが文化を変えていく。
社会が複雑になり、情報が多様化するいまこそ、
「わかりやすさ」の価値
は増している。
それは、
弱者のためだけでなく、忙しいすべての人への支えになる。
効率と温度を両立させるメッセージ、それがこれからの時代の
「伝わる力」
だ。
25年前の自分にもし出会えるなら、こう言いたい。
「わかりにくさで武装するより、わかりやすさで仲間を増やせ」
と。
そして、わからず屋だった自分を、恥じるより誇りに思いたい。
迷い続けることこそ、伝える者の本懐だから。


Think Universality.
Think Difference.
