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《小説》妖魔狩り 月光が君に降り注ぐ3

割引あり

プロローグ 

 ねんねんころりよ、おころりよ。

 どこからか優しい、温かい、そんな歌が静かに聞こえる。

 いないいないばあ。
 悪い子は外に、いい子はここに。
 おやすみねんねこ、おころりよ。
 私の可愛い子は腕の中。

 ゆっくりお眠り。
 悪い子にはおしおきを。
 いい子にはお菓子をあげよう。

 とても優しい、温かい声だった。
 今まで聞いたことがないくらいのものだ。
 だから迷わずに彼女はそこに向かった。
 そこには光があったから。
 心から求める温かさがそこにはあったのだ。

 ああ、とってもいい子ね。

 彼女の耳にはそう聞こえた。
 自分のいる場所はとても狭くて汚いところなのに、どうしてこんなふうに広い場所に出たのだろう?
 いつも泣いてばかりだったのに、どうしてこんなにも安心するのだろう。
 不思議で、不思議でしょうがない。
 彼女が必死に光の方へ向かうと、その中から腕がそっと差し出されてきた。
 それは間違いなく彼女のために伸ばされたもの。
 それは紛れもなく心から求めていたもの。
 だから迷わずにその腕を掴んだ。
 そうしたらすぐさま抱き締められた。
 とても温かかった。

 ああ、なんて優しいんだろう。
 ああ、なんて素敵なんだろう。

 ねんねんころりよ、おころりよ。
 いい子はここに。
 よくお眠りよ。
 いい子はここに。
 いい夢を。

 再び柔らかい歌声が聞こえてくる。
 何だかとても眠くなってきた。
 目を必死に擦ってみるが、どうしても眠気には抗えない。
 でも、今はきっとそれでいいのだと感じた。
 だから、彼女はその声に心から安堵して、瞳を静かに閉じた――もう恐くないんだと喜びながら。

1 

「それ、気に入ったの?」
 のんびりした午後に紅茶を飲みながら航はそう聞いた。
 幸いなるかな、依頼も来ていないので珍しく午後のティータイムと洒落込んでいたのだ。
 勿論、デザートは妖紅のお気に入りであるパンケーキ。
 今日はストロベリーソースをかけてみたが、お気に召したらしく実に旨そうに食べている。
 妖魔ってこんなに食べるの好きだったっけね。
 そんなことを考えてみるが、実際にこうして目の前にいるのだからそういう妖魔もいるのだろう。
 それにしても妖紅は人懐っこいところが多いとは思う。
 個体差かな?
「何がだ?」
 パンケーキを食べる手を止めずに妖紅は答えた。
 聞くまでもなくパンケーキの方が遥かに大事らしい。
「カチューシャ」
 航が彼女の頭を軽く指し示しながら答えを待った。
 航の仕草でようやく何について尋ねられていたのかを理解した彼女は自分の髪飾りについて少し考え、そうして言葉を紡ぐ。
「ああ、これか。そうだな、気に入ってるのかもしれない」
 誰からの贈り物自体初めてと言っていいし、事件で出会った少女たちとの約束もまだ終わっていない。
 何となくではあるが、妖紅にとってはこのカチューシャを大事に感じるものではあった。
「それに友里香たちと一緒に写真を撮るという約束をしている」
「気に入ってくれてるのなら何より。約束か、妖紅はかなり律儀だね」
 別に通りすがりに近しい相手との他愛もない約束だ。
 絶対に守らなければならないものでもない。
 しかし彼女にとっては守るべきものと考えているようだ。
 つまりはそのくらい楽しかったのかな?
 うん、なるほど、その辺はやっぱり女の子というやつなのかあ。
 妙に感心していると妖紅が訝しんで航を軽く睨んだ。
「何か変か?」
「いや、律儀だなと。それに買った甲斐があったってもんだって思ったのさ」
 そうしてパンケーキをものの見事に平らげた後で妖紅は航に尋ね返した。
「そういえばこの模様の効果はずっと続くのか?」
 カチューシャに刻まれている文様は最初からあったものではなく、航が施した術によるものだ。
 それを付けているものを術者である彼自身が追跡ができるようになっている。
「うん、僕が解呪するまでは続くね」
 逆を言えば解呪しないのであれば術は途切れることはないということだ。
「ふむ、つまりは解呪予定は無いと?」
「今後も考えてもあった方がお互い、都合がいいだろうしね。何分、思念波は使える場所が限定されるからね」
「確かに思念波は距離が稼げない。それにしてもお前は器用だな」
 妖紅が感心したように褒めると、航は苦笑いを浮かべた。
「どうだろうね。単なる器用貧乏なんだよ」
「きようびんぼう?」
「そつなくある程度は出来るけど、特別、秀でたものもないってことさ」
「航はそんなことないだろう?」
 妖紅にしてみれば航は何でも出来るようにしか見えない。
 何しろ、彼といて不便を感じたことはないからだ。
「誉め言葉は有り難いけどね」
 実際、航としてはそんな言葉を受ける資格があるかも分からない。
 妖紅には取るに足らない話だろうし、何気無い会話の一つに過ぎないことも理解している。
「皿を洗うか?」
 食べ終わったからと妖紅がそう言ったが、航は首を振った。
「いや、僕がやるから置いておいて」
「何故? いつもお前は遠慮する」
 根本的に遠慮ではないのだが、それは否定しないでおく。
 妖紅に洗われては食器たちがいくらあっても足りなくなるだけのこと。
 何というか、妖紅の場合、真剣にやるだけに始末が悪い……
「私はお前の家にいるのだから手伝うのは当たり前だ」
 不満を隠さずに妖紅はそう言い、航は苦笑いしかできない。
「気持ちは有り難いんだけどねえ」
「それならば」
「じゃあ、言うけどね、君が洗った後に残った食器ある?」
「……」
 そう、妖紅は全てに於いて加減が分からない上に、そもそも道具たちの役割を理解しきれないなどなどが重なり、それらの齟齬によって起きる結果は言葉にするまでもなかった。
 何しろ、素材がプラスチックでも容赦ないからな。
 以前に試しに頼んでみた時を思い出すが、それは無残な姿になったものだ。
 念のため、どうでもいい食器にしておいてよかった。
 航は心からそう思う。
 それでも彼女なりにこの生活に馴染もうとしているのだから喜ばしいことではあった。
 誇り高い妖貴であるにもかかわらず、だ。
 彼の知る限り、家事の真似事までしようとするものは知らない。
 微笑ましい、んだろうな。
 こんな時間は悪くないな。
 航がそんなことを考えながら皿を片付けていると、ふいにインターフォンが鳴った。
「客?」
「ここに来る客なんて一人しかいないねえ」
 小煩い勧誘がおいそれとは入れるようなセキュリティではなく、航たちにとって来訪者など言うまでもなく分かりきっている。
「あいつが来た、それだけだ」
「開けるか?」
「どうせ勝手に入って来るよ」
「なるほど」
 妖紅がそう頷くと、ほぼ同時に黒い影がぬっと現れた。
 航はため息を吐いて、そちらに視線を送る。
 そこにいたのは予想に違わず、相変わらずの全身黒尽くめの男だった。
「邪魔するよ」
 抑揚のない声で男は言い、無遠慮に部屋の中まで入って来る。
「まったく、あんたは待つってことが出来ないね」
 嫌味交じりに航が言えば、男は部屋の主に了承もなくソファに腰掛け、気にもしない様子で答えた。
「さてね、時間は有限だ。お前たちも早く終わったほうがいいだろう?」
「前から思っていたが、二人は仲が悪いのか?」
 妖紅は空気を読むこともなく、そう尋ねた。
 最初からそれは感じていたのだが、こう何度も続けば聞かずにはいられない。
 同じ人間同士なのだろう? それならどうして?
「いいと思う? 妖紅?」
「いや、そうは見えないが」
「その通りだよ」
 航はそれだけを答え、後は黙り込む。
 妖紅としてはこれ以上、聞くことはしないほうがいいと判断した。
 この男を相手にしている場合、普段の様子とはまるで違う航を感じたからだ。
 妖貴である彼女にすら優しさがあるのに、目前の男に対してはまるでない。
 何かしらの因縁があるのだろう。
 それだけは分かった。
「そんなことはどうでもいい。話をしよう。依頼だ」
 男は表情すら変えずそう言ってのける。
「OK、さっさとしてくれ。皿も洗えない」
 どうでもいいことを航は言い、男を促した。
 一刻も早く男に去ってほしい、全身でそう語っている。
「妖紅、大分馴染んでるようだな。いいこととは言える」
「航がいるからな。助けてくれる」
「ほお、それはそれは」
 男にとっては妖紅に纏わる出来事は感心のあることらしい。
 滅多に仕事以外のことについて言わないというのに。
「あんたには関係ないことだろ。早くしろ」
 男の物言いに何処か揶揄やゆを含んだのを感じたのだろう、航は更に機嫌が悪くなった。
「確認しただけだ。大人げないぞ」
「あんた相手にそんなもんいらないね」
 航としては話すことすら、本来はしたくない。
 もっともそれが無理なことくらいは彼が一番知っている。
「今回は何だ?」
 航が諦めてそう切り出せば、男は資料を渡してきた。
 航はそれを斜め読みしていき、妖紅もそれを覗き込んでくる。
「事件としては単純だ。数人の子どもが行方不明になり、その親たちも不明――とはなっているが実際には喰われている」
 そう言って現場写真を数枚見せてくる。
 明らかに夥しい血痕の中に血に塗れた肉塊が見えた。
 普通の人間が見たのなら顔を顰めるどころか、そのおぞましさに吐くだろう。
 乱暴に散らかった骨、それに付いている肉片などなどおよそ殺人という範囲を超えた光景だ。
 どう見ても人間を食い散らかしている、そんな印象である。
「ふうん、親はとっくに死んでいるのは明白で、つまり、今回は子ども捜しをしろと?」
「依頼人がそう頼むからな。なに、金は持っているらしい」
じ込んできたってことか」
「何処にでも体裁を整えたい輩がいるものさ」
 それは珍しく男が感情を見せた瞬間だった。
 いつもならそんなことは言わない。
 つまりは男にとってもあまり面白い依頼ではないらしい。
「なるほど、子どもの生き死にはどうでもいいってわけね」
 どういう形にせよ、肉親として何かしらの行動をしておけば問題ない、そんな依頼なのだ。
「人間はよく分からないな」
 妖紅が素直な感想を言うが、航としてもその通りとしか答えられない。
「解決はお前たちに任せる。これ以上、被害が増えねばよいとお方様も仰せだ」
「どうでも終わればいい、か」
 任せると言えば聞こえはいいが、裁量を任せるということは今後の彼らの活動に支障を来すことも有り得る依頼だ。
「そういうことだ。資料は多いが、内容は重複が多い。特に家庭環境などはな」
 男の言うとおり、渡された資料の量は多かったが、斜め読みしただけでも共通点は見えた。
「あんたにしちゃお喋りだな」
 男はいつでも最低限の会話しかしないのが当たり前だ。
 それなのに今回はかなり依頼についてのこだわりを感じる。
「お前がそんなに喋るのは初めて聞いた」
 妖紅もそう言い、男を見遣った。
「依頼を説明するのは役目だからな」
「……だから珍しく玄関から来たわけね」
 男なりの矜持がある。それは理解した。
 今回は子どもが関わっているから何かしらの因縁があるのだろう。
 案外、子ども好きなのか?
 そんなことを考えてはみたが、今はそんなことはどうでもいい。
「とりあえず現場まで向かう」
「そうしてくれ。迅速に終わらせろ」
 被害を増やすな、そう言いたいらしいが、それは本来、航や妖紅の範疇ではない。
「妖魔が相手なのは確実なのか」
「熊か、野犬でもいるか? この都会に?」
 この付近だけでも人の多い街である。
 それだけ人の目がある証拠だ。
 そんなところで大の大人を食い散らかせるような猛獣はいるはずもない。
「愚問だった」
「――分かればいい」
 男はそう言い、来た時と同じようにして玄関から出て行った。
 何故か扉の閉まる音は鳴らなかったが。
「資料を確認しよう、妖紅」
「ああ、分かった」
 妖紅も二人の雰囲気を感じ取ったのだろう、何も聞かずに彼とともに資料を読み込むことに異を唱えなかった。
 それが今はとても有り難いと感じた。
 資料によれば男の言うとおり、子どもは行方知れずだが、血痕などは見当たらない。
 逆に大人に関してはいたぶり尽くしてから喰らっている様子が窺えた。
「通報されてるか」
「それはどういう意味だ?」
「子どもに関して何かしら問題行動を起こしていた親ってことだね。ただ僕たちは警察に聞くとかは出来ないから当て推量になる」
「そういうものなのか? 尋ねても教えてくれないと?」
「もともと僕らの仕事自体、合法とは言い難いからね」
「そうか」
「とにかく、一番新しい現場から覗いていこうか。結局、それからしか僕らは動けない」
「分かった」
 そうして二人は再び任務に向かうことになる――彼らの平穏な時間は終わったのだ。

2 

「なかなかだね」
「そうだな」
 航と妖紅は人知れず、そこに侵入していた。
 正攻法ではまず入れることはないので、当然不法侵入だ。
 今回の現場はこれまでのような外ではなく、家という閉鎖空間で起きていた。
 つまり以前は人間たちが普通に住んでいた場所である。
「確かにこれは人外にしか出来ないか」
 家中はかなり荒らされてはいるが、それは被害者が必死に逃げ回ったからだろう。
 部屋のあちこちに血飛沫の跡が見られ、その凄惨さを物語っていた。
 物取りの仕業ではないのは価値のありそうなものはすべて残されていたためである。
 たとえば、撒き散らされた金銭、たとえば、この場には不似合いなブランドのバッグは血塗れてはいても、手は付けられてはいなかった。
 航たちが来たのはかなり古いアパートであり、柱や扉は最早その役割を放棄しているようなものだ。
 この部屋にあるのは皆、折れていたり、拉げていたりしており、お陰でこの建物はあわや半壊の危機にある。
 故に少し動けばミシミシと嫌な音が鳴っているが、航も妖紅もそれには構わない。
 別段、ここが倒壊しようがしまいが、関係はないからだ。
 折良く住んでいた住民はすべて避難しているし、外には当たり前のように立ち入り禁止とされているから、航たちには都合がいい。
 ただ奇妙なことは破壊の凄まじさのわりに誰も音を聞いていないという可笑しさだ。
 これは報告書にあったことであり、彼らが直接知ったことではないが、このアパートに住んでいる住人たちは事件にまったく気が付かなかったのだ。
 それは非常におかしい事態である。
 この激しさなら相当の音を生み出しただろう。
 それが誰もその異常音を聞いていないし、そもそもおおかたの住人がその部屋に子どもがいたことすら知らなかったくらいだった。
 都会の一角、しかも安アパートなのも手伝って、互いの関わりはかなり少なかったようだ。
 だからこそ、この異常事態に誰も気が付かなかった――そう考える方が自然だろう。
「なるほど、現場としては報告書どおりってわけだ。まだ、あちこち、肉片が残ってるくらいだしね。相当な力の持ち主の上に、かなり乱暴に喰い尽くしているな」
 破壊の仕方も喰らい方もかなり乱暴だ。
 だが、そこには同時に狙った獲物だけを蹂躙するという残忍な知性も見て取れた。

 だから違和感が強い。
「臭いも間違いないのか」
 彼の鼻の良さを知っている妖紅はそう尋ねた。
 そして航は当たり前のように頷く。
「そうだね、臭いは確かに人間のもあるけど、それは大半が死臭だ。それ以外で強いのは妖魔のものだね。うん、この仕業は少なくとも人間や獣ではない」
「そうだな、人間には難しいだろうな。特に音を消し去るなんて真似は」
「……もしかしたらそいつは結界を張れるのかもしれない」
「結界? それは厄介だぞ」
「妖紅の言うとおりだ。でも多分、予想は当たっていると思うよ」
 不自然に一カ所だけ無事な場所がある。
 それは押し入れ付近だ。
 そこは壊れてすらいない。
 ただひどく不潔であり、流石の妖紅ですら顔を顰めるくらいひどいものだった。
「血塗れではないが、ここも異様に思う」
「うん、何かがここにはいたんだろう。残り香からして子どもかな?」
「子ども? こんなところに住むのが人間は普通なのか?」
「いや、普通じゃないよ」
 そこはきっぱりと否定する。
 こんな状況下で過ごすのが当たり前なんて、とんでもないことだからだ。
「ただ報告書には子どもは行方不明とあるからね」
「その子どもがここにいたはずとなるか」
「そう、その通り」
「それを探すのが今回の依頼でいいのか?」
「うん、それも込みだ。本来、人助けは僕らの仕事の範疇じゃないんだけどね。要するに妖魔倒すついでによろしくという胸くそ悪い依頼ってことさ」
 そこに子どもの生き死には関係ないと言っているようなものだ。
 伝手と金はあるのだろうが、考えなくてもロクな依頼主ではないだろう。
「お前は時々、口が悪いな」
 感心したように妖紅が言うので、航は軽く頭を掻いた。
「ぼやくくらいは許して欲しいなあ」
「ぼやく……」
 今ひとつ意味を掴みかねているらしい妖紅に航は苦笑する。
「うーん、そうだね、たまには愚痴を言わせてってこと」
「愚痴? なるほど、そういう言い方もあるのか」
「まあ、覚えなくていいけどね」
「いや、興味深い」
「面白くもないだろうに」
「そうでもない。知らないことを知るのはいいことだ」
 妖紅は真剣な面持ちでそう言い、航を見遣った。
「そうだね、知ることは悪いことじゃないか。妖紅が正しいな」
「……知るべきことを知らずにいる方が罪だ」
 彼女はそれだけを言って、口をつぐんでしまう。
 これ以上は話したくはないという仕草だ。
 だから彼も何について語っているのかとはあえて問わなかった。
 どう考えても明らかに彼女自身についての言及だろうと踏んだからだ。
 確か最初に会った時、罪人だと言っていたな。
 その遠因が何かを知らずにいたことだというのなら、妖紅にとっては聞かれたいことではないはずだ。
 いつか話してもらえる日が来るのなら? 僕はどうする?
 それは期待しているということか?
 期待? 何に?
 航は己に問うてみるが、すぐに止めた。
 どうやら相棒となった彼女に自分で思う以上に情を持っているのかもしれない。
 そんなことを感じた。
「さて、場所はここだけじゃないし、行くとしようか」
「もうか?」
「いつ崩れるか分からないしね。これ以上の情報はないだろう」
「……航が言うのなら分かった」
 妖紅はその物言いに何か感じているらしいことを察し、航は聞いてみる。
「何か引っかかる? なら言って」
「いや、結界を使った理由が分からない。外界を遮断できるほどの結界を張れる力を持っているのならこんなに破壊したのは何故だ?」
 妖紅が疑問を持つのは当然のことだ。
 結界が作れるのであればその中でだけ獲物をいたぶればいい。
 こんなにも足のつきやすい方法をわざわざとっていることが分からない、そう言っているのだ。
「まあ、そうだね。不可解だ」
 それは航も気になっていた。
 結界の中で獲物を喰らっているくせに、わざわざ建物を破壊している。
 あまりにもそれはちぐはぐだ。
「ふむ、言われてみれば、他の場所も大なり小なり似たようなものだけど」
「ここが一番新しい現場と言っていたな」
「そ、一番新しくて、一番ひどい。ま、どんぐりの背比べだけどね」
「どんぐる?」
「どんぐり。有生界にある木の実の一種ね。意味はね、何処も似たようなものってこと」
 スマホで軽く検索して、どんぐりの画像やことわざの意味の書かれた画面を見せる。
 妖紅はまじまじとそれを眺め、感心したように頷いた。
「なるほど、航のたとえ話は面白い」
「いや、こんなのは普通だよ。ああ、でも、妖紅には新鮮なのかな」
「そうだな、人間と長く話すのは航が初めてだから当然なのかもしれない」
「あいつとは話さなかった?」
「必要最低限のみ。名前も知らない」
「あいつの名前ね。知っちゃいるけど、知らないでいいよ。確かに必要ない」
 できれば関わりたくもないのだ。
 尤もそれが叶わないのは航自身がよく知っている。
「もしかして名前あるのか?」
「あるねえ」
「航は何故、呼ばないんだ?」
「お互い様ってヤツ」
 向こうも航のことを名前で呼ぶことは滅多にない。
 ただ、この先、それでは通じないのも理解していた――航たちと阿黒との関わりが減ることなど有り得ないからだ。
「知りたいの?」
「そうだな。一応、顔見知りだろう? 必要かもしれない」
「まあ、そうだね。そのうち呼ぶことになるかもなら、今、伝えても同じかな」
「あの男の名前は何て言うんだ?」
ぐろりゅうだい。大層な名前だろ」
「あぐろりゅうだい」
 何処までが名字で名前なのだろう?
 人の名前は難しいと妖紅は思う。
「阿黒でいいさ」
 航がそう助け船を出してやると、妖紅はなるほどと得心のいった顔で見返してきた。
「ふうん、それがあいつの名字か?」
「そうなるね」
「それにしても人間同士なのに、お前たちは何故そんなに素っ気ないんだ?」
「妖魔も相性悪い相手とは話さないだろう?」
「妖鬼は分からないが、妖貴たちは相反するものとはそもそも関わらないな。妖貴王様がそもそも妖族同士の争い事を好まないのもある」
「なるほど、いたってシンプルで理に適ってる」
 妖貴たちにとって妖貴王は絶対の存在だと聞いている。
 その王が嫌いなことをしないのは誇り高い妖貴たちにとっては当然だろう。
 確か女王だったか。
 当然、彼女には会ったこともない。
 そもそも航が妖貴と関わるようになったのは妖紅がはじめてであったし、その他ならば彼が知るのはベラドンナくらいだ。
 そのくらい本来は会う確率が低いのだ。
 だからこそ実際に会ったことで妖貴と妖鬼では明らかに格が違うのは実感している。
 そう、本当に違うのだ。
 端的に分かりやすく言えば、彼らの間には大人と子どもというくらい差異があると航は考えている。
 知能としても能力にしても流石だと妖紅を見て強く感じていた。
 基本的に妖鬼は欲望を抑えることが難しく、自らを満たすために動くと認識している。 それゆえ、人に徒為す妖魔となることが多くなるわけだ。
 だから人間にある意味では近く、ぎこちないながらも有生界で紛れ暮らしていけるものも多い。
 逆に妖貴は誇り高く、安易に他種族との迎合を選ばないから、わざわざ有生界にまで来る必要性がなかった。
 つまりここにいるのは訳ありものだけだ。
「人間は違う?」
「単純に好き嫌いで全部が語れれば、楽なんだけどね」
「そうもいかないか」
 有生界を短いながらそれなりに見てきたので、妖紅にも少しは理解ができる部分もある。
「ふむ、阿黒と関わらないで済む方法は今の私では浮かばない」
 航のために真剣に考えてくれているらしく、その仕草がどこか愛らしい。
 ただの戯れ言なのに、こうして真っ向から対応してくれるのは有り難さを感じた。
 恐らくは彼女の性格によるものだが、傾向としてはお人好しだと航は思う。
 だが、それは決して悪い意味ではない。
「僕もだよ」
 だからそう答えた。
 彼なりに敬意を込めて。
 それが通じるのかどうかは分からないが、妖紅は理解したように少し口角を上げてそれに同意してきた。
「まあ、結局のところ、僕らは依頼をこなすしかないってこと」
「それだけは確かなことだな」
 そうして、二人はその現場を後にした――手がかりを求めるために何をすべきかを考えながら。

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