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風邪をひいても秋刀魚がある。四季の「希少部位」を、今年も骨の髄までしゃぶりつくす

秋は短いからこそいい。希少部位だ。 日本には四季がある。恵まれた環境に生きていると心底思う。年を重ねる毎に風情というものが少しずつ分かるようになってきた。春には生命を感じ、夏には太陽を崇め、秋には食材を堪能して、冬は夜空を眺める。その中でも特に秋は素晴らしい。温暖化の影響なのか私が子どものころより秋と呼べる期間は短くなった気がする。ただ、その希少部位だからこそ堪能したいという気持ちも強くなるものだ。肉でもポケモンカードでも希少なものには価値を感じるものだ。ロンティーで過ごせる数週間をただただ愛でたいのだ。

秋雨前線とともに秋はやってくる。空気の香りが変わってどこか懐かしく寂しい気持ちにもなる。日没が早くなり、夜が長くなる。きっと1年で最も短い季節なのだろう。暦ではなく体感での話だ。1年に少しだけ訪れる心地のいい気候を日本人なら誰もが好んでいると信じている。

サンマがたまらなく好き。朝晩の涼しさも、祭りもある

秋は楽しみが数えきれないほどある。短い期間にどれだけ効率よく堪能できるかが鍵を握っている。食材はそのトップに君臨するのではないだろうか。秋刀魚にキノコ、栗に芋など様々なものが旬を迎える。夏で疲れ気味の胃腸とは違い、ぐいぐいと消化されていくのを感じられる。

特に秋刀魚には目がない。他の魚とは違う美味さがあるのだ。幼少期から秋刀魚を待ち焦がれたものだ。秋になり秋刀魚の焼ける匂いがすると興奮した。大根おろしは私の仕事だった。秋刀魚が焼けるのを待ちながらすりおろす大根は美しい雪に見えた。塩焼きの秋刀魚に大根おろしと酢橘と醤油、それだけでごちそうの出来上がりだ。箸でほぐす一刀目は感動がこみあげてくる。まるでサンタさんにプレゼントをもらった子供のようだ。白ご飯も勢いが止まらず、みるみる減っていく。一口の大きさもいつもの倍になってしまう。骨の取り方も年々上達して、小学3年生の頃にはすっかり骨以外完食できるようになっていた。

秋の散歩も趣がある。同じ公園を歩いていても日に日に葉が色づき落ちていく。どんぐりを拾って遊んだあの頃を思い出したりもする。どんぐりには虫がたくさんいると知ってからあまり触らなくなってしまった。いつもよりゆっくりとした散歩で景色の移ろいを感じられるのは秋の醍醐味だろう。朝夕の涼しさを感じながら妻とたわいのない事を話しながら歩く、それだけで世界中が平和になったのかと錯覚するほどだ。秋の散歩は他の季節とは違ったエモさがある。

大阪では秋祭りも盛んに開催されている。だんじり祭りやふとん太鼓など各地で太鼓の音が鳴り響いている。私の地域も秋祭りがあり、子どものころから遊びに行ったものだ。太鼓の音とテキ屋の賑やかさは今でも変わらない。親と一緒に行ってくじ引きをねだってはハズレで拗ねるなんて流れを今では我が子がやっている。子どもたちはいつしか友だちと行くようになり、私は妻と二人で回ったりするのだろう。世代が変わっても同じ風景を見られることは嬉しいものだ。小学生の頃金魚すくいで連れて帰った金魚は6年ほど生きた。もっとも父親が世話をしていたのだが。私にはその自信がないので子どもたちには金魚すくいはやめとけと釘をさしている。

そうはいっても秋にも欠点はある。寒暖差だ。昼間は暑い日も少なくない。しかし、朝晩は冷え込む。もれなく風邪をひく。毎年わかっていても風呂上り窓を開けっぱなしで寝てしまうことがある。夜風に撫でられ眠るときの幸せは何事にも変えがたい。その代償も大きい事を忘れさせるほどだ。喉がやられ咳がでて治るころには冬が来るなんてのが秋のラストの定番と言っても過言ではないだろう。今年は気を付けたい。

天気にしても雨が多い。せっかく外で遊びやすい季節なのに雨で予定が崩れるなんてものはざらである。公園や動物園など秋にぴったりだが、計画倒れで半分はなしになってしまう。雨は嫌いではないし、天気に腹を立てても仕方がない。だが、もう少し天気がよければと煩悩が湧いて出てくるものだ。外出予定がなくなった時の子供の機嫌取りも大変だ。だから、事前に知らせず晴れたら行こうと夫婦で決めたりもする。それだけ秋の天気は読めない。

そうはいっても、総合的に秋はほんとに素晴らしい。1年の希少部位を今年も骨の髄までしゃぶりついてやろうと思う。

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