ほんとうのほんとうのことは言えない、だけど、それは隠せない
ほんとうのほんとうのことは言えない、だけど、それは隠せない、
そう最近、思うようになった。
例えば、誰かの話を聴いていて、ああ、ほんとに素敵だな、と思う。
でも、それをいちいち、本人には伝えない。
逆に、誰かの話を聴いていて、自分とは違うな、とか、なんか嫌だな、とか思う。
もちろん、そういうことは、言わざるをえない状況に置かれない限り、言わない。
そして、同時に、同じように、自分も、きっと言われていないのだろうな、とも思う。
たけど、時々、「ほんとうのこと」を言うこともある。良いことも、あまり良くないことも。
でも、それは、あくまでも「言えるほんとうのこと」であり、「ほんとうのほんとうのこと」ではない。
実は、ちょっぴり苦手とか、逆に、ちょっぴり好意を抱いているとか、そういうことは、やっぱり言えないし、言わない。
もし仮に、「ほんとうのほんとうのこと」を言えたような気がしても、
かつて、哲学者のウィトゲンシュタインが、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と言ったように、
言葉に変換している時点で、「ほんとう」からはきっと離れている。
だから、「ほんとうのこと」を伝えるのは、難しい。
だけど、不思議なことに、
言おうと思っても言えないことが、あるいは、絶対に言わまいと隠そうと思っていたことが、
むしろ、それを言われないために、一挙に伝わってしまう、ということも起こる。
もちろん、いつもではない。
でも、時々、ああ、きっと、そういうことなんだろうな、と悟ってしまうことがある。
(もちろん、それが大きな勘違いということもよくある)
身振りや仕草、佇まいや間、動きや呼吸や語彙に、その人の生き方・在り方は、既に滲み出ている。
だから、隠せない。
だから、そこに、人と直接に会って、対話をする恐さと喜びがあるのだと思う。
「ほんとうは何を思われているか、わからない」から、恐いのであり、
何も言わずとも、敬意や感謝や配慮や優しさや好意が伝わるからこそ、嬉しい。
恐くて、嬉しい。
嬉しくて、恐い。
両方あるなぁ、と思う。
だから、ほんとうのほんとうのことは言えない、だけど、それは隠せない、
そう最近、思うようになったのでした。
(※このnoteは、一切AIを使用していません)
