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人のカタチ 一部 第三話

 昨夜の男は江津衆の番屋で保護されていた。
「ありゃ、ひでぇ女だ。俺が貸した四十両を知らねぇといいやがる」と回復した男は、元気な様子で、唇を噛むように云ったが、小間は興醒めた様子だ。
「御頭」伊木が戻ってきた事に、気がついた小間は、静かに頭を下げる。一回り以上も歳が違うというのに、小間は十八の伊木に対して忠実だ。それは、伊木種冬に対する態度と同じである。
「なんでぇ、その若造が『おかしら』だって?」
「黙れ。エセ坊主」神経質な語調で、小間が願人坊に釘を刺す。
「かぁ。お侍さんってのは、訳が解からないねぇ。ガキに頭下げねぇといけねぇのかよ」
「だから、黙れと言っているだろ?」足元を震わすような低い音で小間が言う。願人坊は、今度は軽い口を叩かなかった。
「それで、傷は?」伊木は男に視線を合わせずに、小間に問う。
「こいつの傷など大したことありませんよ。蚊が刺した程度です。腹切る度胸などないんです」傷口を見ると同時に、願人坊が人形ではない事を、小間は確認していたようだ。
「へっ。ほんとは死にてぇんです」男は上目遣いで伊木を見て、小馬鹿にした笑みを浮かべた。本人が言うには、女郎若松屋の板頭、豊菊に金を騙し取られ、絶望して腹を切ろうとしたらしい。
「今、手下の目付が、若松屋で裏を取っている。お前が言っている事が本当なら、お前は帰れ」
「なんでぇ。豊菊が本当の事なんて言わねぇよ」
「文句あるなら、町奉行所に行け。生き人形の事に関係なければ、我々はお前に用はない」
「ひでぇな」男の腹の血は止まっていたが、衣には黒いシミができている。縄で腕を縛られ、筵で胡坐をかいている男の顔色は悪くない。
「お侍さんってのは、やっぱ、人を斬る事に躊躇いはねぇんですかい?」自分とは関係のない木か石ででもあるように、冷然と男を尻目にかけ、小間は無視をした。
 江津衆は、堀田が言うには先鋭を集めたそうで、反乱分子を討伐する為の部隊。その対象は、ほとんどの場合人形という事になる。
「俺は人を斬った事がない」
「御頭。こんな奴の相手なんてしなくていいんですよ」伊木が願人坊に答えるのを聞いて、小間は口を挟む。
「ハハッ。若いお侍さんってのは正直だねぇ」願人坊は鼻で笑いながら「けどよ、あっし達だって命張ってんだぜ。その点、お侍さんってのは馬鹿ばっかだな」と言った。
「何の話だ?」小間は血相を変えて大きな声を上げる。雷のような激しい声だったが、男は全く怯んでいない。
「大変です! 若松屋の豊菊は死んでいました」目付の若者が番屋に帰ってきた。
「なんだと?」小間の怒気は、別の方角に向き、若者に目を向ける。
「首を切られて死んでいました。体しかありません。奉行所の者と確認しました」
「へっ」願人坊は薄ら笑いを浮かべる。
「お前、何か企んでいるな?」小間は声を荒げた。
「あっしの事、なんだと思っていました? あんな時間にあんな場所。可笑しいでしょうよ」男は手を縛られたまま、ゆっくりと立ち上がる。小間よりも背が高く、胸板も厚い。
「まさか……」いつの間にか、男は腕の縄を解いていた。その顔からは厭らしい微笑が、あとかたもなく消え失せていて、真黒い瞳を小間に据えたまま、小間の顔を睨みつけていた。男は深い溜息を一つする。
「くそ」小間は刀を抜くと同時に斬りつけたが、その動きは願人坊に予測されていた。素早く後方に下がった願人坊の動きは、敏捷な魚のようで、見るものに劣等感を与えるぐらい速かった。
「へへっ。お侍さんってのは、斬る事に躊躇いはねぇんだな。そうだ、人幻形ってぇ言葉を知っていますか? あっしはそうなんです。それに、そこに居る若いお侍さんもね」
「なにを……?」小間は刀を構え直したが、願人坊は小間と視線を合わせなかった。
「お侍さん。可笑しいと思いませんでしたか? 試しにあっしを斬ってみませんか?」願人坊は、小間を挑発するように、下卑た笑みを浮かべた。小間は怒りを押し殺して、刀を構える。
「小間」伊木の声が小間に届いた時には、小間は刀を上段に構え、願人坊に突進していた。
「馬鹿だねぇ」願人坊はそう呟き、刃が届く前に、横に飛び避けた。小間の刀は空を切り、願人坊が放った蹴りは、小間の脇腹に入った。小間は吹き飛ばされ、番屋の壁に体をぶつける。
「やっぱり、お侍さんってえのは馬鹿ですねぇ」
小間は苦痛に歪めた表情で立ち上がり、再び刀を構えた。
「馬鹿だねぇ」
「何の話だ?」
「今頃は大老のところも襲撃されてるだろな」
「だから、何の話をしているのだ?」小間はふらふらと立ち上がりながら、咽喉から憤りの声を煙のように吐き出した。願人坊は取りあいもせず鼻であしらい、今度は拳を入れ、小間はまた、壁に打ち付けられる。
「やめろ!」伊木は声を出すが、詰問するような迫力はない。
「へっ。種冬さんの坊ちゃんは、自分が人形だって事、わかってねぇんだ。眼木札入ってねぇもんな」願人坊は、歩みの方向を伊木に向けた。その瞬間、江津衆の若者が、願人坊に斬りかかる。しかし、身をひるがえして避けられ、小間と同じように蹴り飛ばされる。
「貴様っ」小間は願人坊の方に一歩踏み出す。
「もういい。小間」伊木が鞘から刀を引き抜いた。彼の体は、ぞくぞくとわけのわからない身ぶるいをしている。見窮められない真実を呑み込んで、一歩目を踏み出そうと彼はしているのかもしれない。
「こりゃいい。見せて貰おうか。忠三郎の傑作の性能とやらを」
 忠三郎と言う名前を彼は口にした。願人坊は、両手を広げて、伊木の出方を待った。伊木が踏み出した時、願人坊も前に詰める。その動きは、まるで獲物の呼吸を読んでいる肉食獣ように滑らかで無駄がない。しかし、次の刹那、願人坊は後ろに弾き飛んだ。
「へぇ。やるじゃねぇか。坊ちゃん、やるよ」
 空中で一回転し、天井に手をあて、両足で着地した願人坊は感嘆の声を上げた。どうやら、伊木は刀を振り下ろした後、体を入れて願人坊を背中で吹き飛ばしたようだ。彼の顔には冷笑がある。それは、彼が自分が強い事を確信した表情だった。
「へっ。本当はあんたを取り戻せと言われていたんだが、こりゃ加減が難しいようだ」願人坊は、ゆっくりと立ち上がる。
「俺がこいつの相手をする。お前は堀田様のところへ行け」
「御頭。一体どうするつもりですか?」
「こいつから色々と聞き出す」
「無茶ですよ」
「いいから、他の者も連れて早く行け」昨夜の意気地のない、臆病な態度とは全く違う伊木の覇気に、小間はそれ以上の言葉をかけなかった。抜刀していた刀を鞘に戻し、彼は言われた通り番屋を後にしようとした。
「お侍さん達よぉ。それで良いのかよ? あっしとこのガキがグルかもしれねぇよ?」願人坊は嘲笑うように言う。
「こんなヤツは出鱈目しか言わない」小間は伊木の実力を知らない。深い処にある、本当の力というのは、本人に気付かれないままに、常住不断の活躍をするという。根強く支配している、守一の深層の力が解き放たれようとしているのかもしれない。「わかりました」小間は一端の優柔を表情に見せたが、足早に番屋を出た。
「さぁ。始めようか」伊木は願人坊に向かって歩き始める。
「へっ。お手並み拝見ってか」願人坊は薄笑いを浮かべながら、猛禽のような眼で伊木を見ると、手前に距離を詰めた。そうして、辺りの空気を圧縮して、手から放つような動作をする。見えない何かの力で、伊木の体が後方へ下がる。願人坊は、すかさず追撃の拳を伊木の顔面に伸ばす。しかし、伊木は上半身を反らせて避け、体を反転させて体勢を整える。
「何だ今のは?」
「教えねぇよ」余裕を演じる事が困難になったのか、願人坊は性急になっている。深刻さや切迫した状況を、表に出して、全く遊びのない、破壊を目的にした攻撃を願人坊は繰り出す。伊木は、願人坊の攻撃に刀を使って受け流すが、彼の攻撃は止まらない。まるで、相手の息の根を止めるまで、殴る事を止めないとでもいうように。
「それは……」伊木が言いかけたのは、願人坊の拳の事だった。次々に繰り出す拳の攻撃を、伊木が刀で防いでいると、願人坊の皮が剥がれて、金属的な質感が露わになる。
「あっしの拳は、幻鋼で出来てるんだよ」願人坊は、一瞬で後方に飛び退いた。
「なんだそれは?」伊木はそう呟くと、刀を下段に構えた。
「知りたけりゃ、あっしを斬ってみな」願人坊は、腰を低くして構える。「そうだな。そうしてみるか」伊木は一歩踏み出し、一直線に刀を突いた。その動きは、願人坊が予想していたよりも速かったのだろう。
「がぁつ」伊木が突いた刀は、願人坊の左肩に当たっていた。血飛沫が舞い上がり、伊木の顔にも付着したが、彼はそれを拭おうともせず、願人坊の首元まで刀を運ぶ。
「ぐぅっ」願人坊は痛みを堪えているのか、歯を食い縛っている。
「忠三郎の傑作は二体だけさ。一体は、あんただ。もう一体は種冬さんだ。へへへ。坊ちゃんの方が強いなこりゃ」願人坊は笑い出した。伊木は願人坊の首筋に刃を当てた。
「聞きたい事がある」
「聞いてどうする?  あんた、あっしを殺すんだろうが」
「俺は……人を斬った事がない」張りのない言葉で歯がゆい台詞を口にする。願人坊は、口のあたりに軽蔑をまざまざと浮かび上げて、伊木を見下ろす。
「馬鹿じゃねぇのか?  あんた」
「なんとでも言え。それより聞きたい事があるんだ」
「またかい。まぁいいや。答えねぇけど、言ってみな」
「父上は何処にいる?」
「今にわかるよ。あっしは、人形遣いに言われて、あんたを攫いに来ただけだ」願人坊は、伊木を睨みつけ、敵わないと思ったのか逃走の準備を始めた。
「それじゃな。あんた、これ見た事ねぇだろ?」
願人坊は、笑ってそう言うと右足の爪先をトントンと二回地面につけて、姿を消した。

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中島亮 一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!