Tinderが「ジェンダーの壁」を語るたび、私は3年前のあの男を思い出す
深夜0時過ぎ、Tinderの新しいキャンペーン記事をスマホでスクロールしていた。ベッドの上で、湯冷めしたまま。
「ジェンダー意識の壁をなくし、安心で新しい出会いの世界を目指す」というコピーが目に入った瞬間、私の指が止まった。
画面を閉じて、天井を3秒ほど見つめた。
3年前、私はTinderを使い始めたばかりだった。当時29歳。友人に「気軽でいいよ」と勧められて、半分ノリで登録した。
マッチングして最初の週は楽しかった。通知が来るたびにちょっとだけ息が弾んだ。
ある夜、Kさんという34歳の男性とメッセージのやりとりが続いた。会話が途切れなかったので、そのまま電話に移った。声は落ち着いていて、話を聞くのが上手い人だった。
1時間ほど話したあと、彼が言った。
「やっぱり女の人って、結婚したら仕事辞めたいって思うよね?」
私は「そうとも限らないですよ」と返した。
「でも最終的には家に入りたくなるんじゃない? そっちのほうが楽だし」
スマホを持つ手が、じわっと熱くなった。返事を打ちかけて、消した。また打ちかけて、また消した。
結局「そういう考え方もありますね」とだけ送って、私はそのトークを既読のまま閉じた。翌日も、その翌日も、開かなかった。
あの夜のことが、なぜか鮮明に残っている。
Kさんは悪い人ではなかったと思う。少なくとも、悪意はなかった。ただ、彼の中では「女性とはこういうもの」という地図が最初から描かれていた。
私がどんな仕事をしていて、何を大切にしているか。そういうことを聞く前に、その地図に私を当てはめようとしていた。
Tinderのようなマッチングアプリは、プロフィールを見て、スワイプして、話す。その速さが魅力でもあって、怖さでもある。
浅い情報で瞬時に判断するツールだから、「女はこう」「男はこう」という固定された型が、ふとした会話に滲み出やすい。私はPairsを使っていた時期もあったけれど、あちらは結婚を前提にした質問項目が多い分、かえって価値観の地雷が早めに見えた。Tinderはもっと入口が広くて、だからこそ、相手の素の思い込みが会話の中で突然顔を出してくる。
あのキャンペーンを見て、私が素直に喜べなかった理由
「ジェンダーの壁をなくす」という言葉は、正しいと思う。
でも、アプリが「安心な場所」を宣言したとしても、実際に言葉を投げてくるのは、アルゴリズムではなく人間だ。
Kさんとのやりとりのあと、私はプロフィールを少し変えた。職種をもう少し具体的に書いた。「仕事が好きです」という一言を追加した。小さな防衛線みたいなものだった。
それでフィルタリングできるかどうかは、正直わからなかった。でも、何もしないよりは自分の輪郭をはっきり示したかった。
気づいたのは、「安心」というのはプラットフォームが与えるものじゃないということだ。
ジェンダーに関する意識の話は、最終的には個人の会話の中でしか試されない。アプリがどんなに「多様性を大切にします」と言っても、Kさんのような一言は、深夜の電話の中で何の予告もなく飛んでくる。
私はその後、Tinderをいったん消した。しばらくして、また入れた。また消した。
何度か繰り返した末に、アプリそのものへの期待値を下げることで、逆に使いやすくなった。「ここが全てじゃない」と思いながら使うほうが、変な一言をもらってもスマホを裏向きに置く回数が減った。
もうひとつ気になったのが、関連するニュースのなかにあった「Z世代はアプリより直接会いたい」という話だ。
Match GroupのCEOが決算説明会でそう語ったらしい。スワイプよりもリアルで、という流れ。
私はそれを読んで、少し複雑な気持ちになった。
「直接会う」ほうがフラットかというと、そうでもない。バーで話しかけられる文脈にも、居酒屋の合コンにも、それぞれの型がある。Kさんのような一言は、アプリ以前の出会いの場でも普通に飛んでくる。場所が変わっても、人の中の地図は変わらない。
私が3年かけてじわじわ学んだのは、「どこで出会うか」よりも「最初の数回の会話で何を話すか」のほうが、ずっと大事だということだ。職業、将来のこと、お金の話。早めに触れるのが怖かった時期もあったけれど、むしろ先に話したほうが、長い時間を無駄にしなかった。
ウォーカープラスのTinderのキャンペーン記事には、きれいな写真が13枚あった。
インクルーシブで、多様で、明るい。見ていると少しだけ世界がそういう方向に動いている気もした。
でも私は天井を見た3秒間のことを、まだ忘れていない。
Kさんのことを恨んでいるわけじゃない。ただ、あの一言が飛んでくる瞬間は、アプリがどれだけ理念を掲げても、今もたぶん、誰かのスマホの中で起きていると思う。
プロフィールやメッセージのやり取りなど、マッチングアプリでつまずきやすい場面を具体的に扱った実用書。手応えが出ないときに読むと、どこを直すかがはっきりします。
