アインシュタインも永久機関と唸らせた「水飲み鳥」
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歴史あるおもちゃのなかで、アインシュタインも唸らせたという「水飲み鳥」がある。
この玩具が生まれた時期で有名なのは平田化学で作られ増産された「平和鳥」がはじめて日本の玩具として認知されたようだ。
これは、日本製で当時実用新案(昭和27[1952]年5月14日公示)も取得されていることから元祖とも言われている。

平和鳥の3つの故郷
昭和の時代、どこの家にも1羽の平和鳥がいると言われるぐらい流行したので、日本由来の玩具という感覚ですが、少し深掘りすると色々な文献や当時の状況が見えてきます。
ペレリマン著「おもしろい物理」に記載された中国から・・・
ペレリマン著「おもしろい物理」のなかに「水飲み鳥」の項目があり版を重ねること15版~16版(昭和24年~昭和35年)の間で書かれているとすると衝撃的な事実が見つかります。
”子供のおもちゃのなかに、中国から渡ってきたもので・・・水を入れた茶わんの前におかれた鳥は、くちばしを茶わんの中に入れ、そして<水をのんで>からまっすぐになる。・・・(無料・・・原文ママ)機関の典型的なものである”
と書かれた一文が残っているので、中国由来のおもちゃの可能性もでてきました。
確認の為に第20版を基に翻訳された「おもしろい物理・続 おもしろい物理(共に第一版)」の2冊には水飲み鳥の項目はありませんでした。
続 おもしろい物理学という社会思想社から出ていたペレリマンの著書に、孤独なライフワークに書かれていた「中国から・・・」という一文を発見した。

昭和45年4月30日が初版第一版であり、昭和48年には初版第十版でもこの記述が残っていた。
ページ内容の一部を残しておく。しかしながら、出版社は変わってはいるが版を重ねたものは、その記述がなくなってもいる。

世界のなかで、同じようなものが生まれてもおかしくはないが、イラストも日本生まれのものと違わないのと、平和鳥が水飲み鳥として海外へ輸出も盛んにされていたことを考えるとどうなのだろう。
サリヴァンによる「水飲み鳥」の特許(US2402463)
しかしながら、戦前の昭和16年、当時のアメリカ最先端半導体企業「ベル研究所(現在ノキア)」のメンバー(マイルズ・V・サリヴァン(Miles V. Sullivan))という科学者が大学の物理化学の学生だったころ、水飲み鳥の原型を発明したと、同研究所発行のレポーター誌(『Bell Laboratories Record』)に書かれていたようだ。
※『Bell Laboratories Record』は研究所内のユニークな開発物、応用技術、そして「所員の人物紹介や功績」を広くレポートする性質を持っていました。
彼の特許や「水飲み鳥の風変わりな発明者」としてのエピソードは1974年の『Bell Laboratories Record』(Volume 52)などの誌面で詳しく紹介・記録されています。
そのため、おもちゃの「水飲み鳥(Drinking Bird)」を発明したことでも非常に有名になりました。
サリヴァンによる「水飲み鳥(特許上の名称はNovelty Device)」の特許(US2402463)が登録(取得)されたのは1946(昭和21年)年6月18日
そうすると、アメリカ生まれの可能性も出てきた。
おもちゃを作る発想者は、そのギミックを具体化する。
ただし、その他の文献を見ても日本生まれのおもちゃとして量産されたのは事実らしい。
やはり、日本生まれという発想は科学的な英知ではなく、おもちゃとしての不思議な動きを追求し、この永久機関のような仕組みに興味をもったのは、反復運動化学玩具として発売した平田化学という玩具屋だったということかと。
現在の特許・実用新案なら微妙ですが・・・
それから、2000年代に突然現れた日本製「平和鳥」
この平田化学が水飲み鳥を発明?したのは、フラスコ部分を手のひらで握ると管を通って上に昇る、をヒントにしていたと言われています。

このことからも、科学の原理ではなく見たものを具現化した商品という位置づけです。
Sciencetoys blogで考察しています。
ハンドボイラーはラブメーターやフランクリン沸騰器とも言われます
これは現在でも、おもちゃらしい名称のラブメーターやハンドボイラーという名で販売されています。
それ故に、薄いガラス製品を作れる会社が、この生産に関わっていたと言えるのではないでしょうか。
新潟の製造業のひとつ「電球」と「砂時計」。この共通点はフラスコ部分のガラス製造技術の応用で、再び平和鳥が生産されていきます。
筐体のインクの色は、お馴染みの赤・青、さらに緑と黄の4色カラーで展開されていました。

こちらの説明書には「幸福鳥(ハッピーバード)」と書かれ、日本製造の最後の生産品となっていました。

今は無き「錦澤硝子工業所」は、その10年弱の生産を支えていました。
復活までの過程をみると、流行していた昭和40年代、海外にも輸出し生産量も多く、各部品の生産ロットも完成品に必要な数量に見合っていました。
残っていた部品である程度の数量は生産できると再開を決めたのだろうと当時の雰囲気を感じます。
再ブームが到来したため、思った以上に各部品がそれぞれ無くなってしまったこと、生産者が高齢になったという日本製おもちゃが抱える理由で2007年末頃ロット対応での受注を終了しました。(その後も問屋経由の在庫などが市中で販売されていたが)
最後の方は、帽子を被っていない製品もあり、販売ルートに載っていたのが痛ましく感じられます。
現在の水飲み鳥は、中国製となっている。
中国の玩具事情は、アメリカ向けに生産され、その一部が日本向けに作られている。そのロットは、日本向けだけのオーダーでは、数量が少なすぎるようだ。
日本生まれの「平和鳥(水飲み鳥)」は、復活させるなら日本市場から海外へと販路を求めるしかないと思うけど中国製のクオリティが高い上、コスト競争もあるので現実的でないことがわかります。
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