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通常学級にも支援はあると思っていた──制度の“前提”を知って驚いた話



次女の学習のつまずきを通して、わたしはひとつの“思い込み”に気づかされました。


それは、「通常学級でも特性のある子どもには支援があるはずだ」というもの。

保育園や幼稚園、そしてわたし自身が関わる高等教育の場でも、個別最適化は当たり前のように実践されています。


けれど、小学校の通常学級には「支援の必要がない子ども」が通うという制度上の前提がありました。

支援の必要性に気づかれないまま、取り残されていく子がいる──。

今回は、わたしがその事実に直面したときのこと、そして親として・教育支援者として何を考え、どう動いたのかを記録しておきたいと思います。




多様性の中で学ぶのが当たり前だった


教育支援の仕事をしているわたしにとって、「学習や発達にはグラデーションがある」というのは自然な認識でした。

学生たちはそれぞれ異なるペースや理解の仕方を持っていて、それに応じた支援や関わりが必要だというのは、現場で日々実感していることです。


そして、わたし自身の子育ての中でも、そうした感覚が育っていきました。

長女には診断はありませんがADHD傾向があり、環境の整い方によって力を発揮できたりできなかったりします。

だからこそ、「誰しもが違って当たり前」「その違いに合わせるのが支援である」という視点を、当たり前のように持っていたのです。




幼児教育では、それが“当たり前”だった


思い返せば、保育園や幼稚園では、気になる子には加配の保育士さんがつき、周囲と同じように活動に参加できるような配慮がごく自然に行われていました。


どの園児にも「その子なりのやり方」が尊重され、無理なく日々を過ごせるよう支援されていました。

特別視するのではなく、自然に。

だからこそ、「小学校に入ってもその延長線上で支援がある」と思い込んでいたのです。




通常学級という制度の“前提”を知って驚いた


しかし、次女の学習のつまずきについて学校に相談を始めたことで、制度の根本的な“前提”に直面しました。


それは、「通常学級は“特に支援の必要のない子ども”が学ぶ場として位置づけられている」ということ。

特別な支援が必要ならば、通級指導教室や特別支援学級・特別支援学校に場を移す、という制度の構造です。


「通常学級の中に支援を組み込む」ことは、制度の想定外であることもある。

それは、わたしにとって衝撃でした。




静かに困っている子が見えなくなる構造


もちろん、通常学級では学習指導要領に基づいて限られた時間の中で授業を進めていく必要があります。

行動特性のある子どもへの対応が必要な場面も多く、教員が学級全体を整えることに集中するのも理解できます。


教科書を準備できない、席に座っていられないといった“目に見える困りごと”にはすぐ対応がなされます。

しかし、「静かに困っている子」は目立ちにくく、迷惑をかけるわけでもないため、どうしても支援の優先度が下がってしまう。


そうした構造の中で、わが子の“見えにくい困難さ”が取りこぼされてしまうのではないかという不安が、日に日に大きくなっていきました。




親の気づきが“支援の入口”になる


子どものそばにいると、小さな変化に気づくことができます。

宿題に取り組むときの表情や、読み上げのときのつまずき、提出物を忘れる傾向。

そういった“ささいだけど確かなサイン”を、わたしは見逃しませんでした。


だからこそ、先生に伝えたときに、それが重要な情報として受け取られなかったことが少しショックでした。

「認知特性は迷惑をかけないから、後回しになるのかもしれない」

そう感じたとき、正直なところ、ちょっとひがんだ気持ちも芽生えました。


でも、そこでわたしははっきりと感じました。

担任の先生だけに頼るのではなく、親が動かなければならないのだと。




わたしが始めた支援の探究


わたしはすぐに、スクールカウンセラーや特別支援コーディネーター、地域の心理士さんに相談を始めました。

それと同時に、自分自身でも支援の手立てを探し始めました。


学習障害のある子どもに対応した家庭教師、個別指導塾、特性に応じた通信教育……。

あらゆる可能性を調べました。


さらに、特別支援教育、学習障害、子どもの心理臨床に関する書籍を数多く購入し、親としてだけでなく、教育支援者としての視点でもわが子と向き合うことを決意しました。

ただ「困っています」と言うのではなく、「どう支えるか」を共に考える立場に立ちたい。


そう思って、わたしは歩き出しました。




制度の枠を超えて、子どもを見つめる


教育制度は、いまだに“平均的な子ども”を前提に設計されています。

でも、子どもたちの発達も学びも、本来はグラデーションであり、境界線など存在しないものです。


「診断があるか」「支援級か」ではなく、

困っている子が困ったまま放置されない社会を目指していくこと

そのためには、親の気づきと行動が大きな意味を持ちます。


わたしはこれからも、学びながら、迷いながら、子どもと一緒に歩いていこうと思います。

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