日記|2歳半の友達が引っ越す
🛀某日
この季節、汗をかくことも増えたので、お風呂でボディースクラブを使ってみた。これまでも何種類か試してみたことがあるが、今回はテクスチャーが柔らかく、スクラブ部分のつぶつぶも小さい気がする。
いざ身体に擦り付けると、手の方がつぶつぶにやられてなんとも痛い。身体を削っているのか手を削っているのかわからないような、手と身体が別物になる感覚。それでもヤスリで木材を仕上げた後のように、身体はツルツルになってくれる。もちろん、道連れになった手の平もツルツルだ。
🗒️某日
パーソナル編集者主催の「ライブ編集ナイト」に参加した。オンライン上でいしかわゆきさんとみずのけいすけさんが受講者のnoteを無料で添削するというボーナスタイム企画。どうもそのような場に参加するのが苦手な私だが、noteを始めて1ヶ月。少しの好奇心が勝った。
結果として参加人数が50人を超える中、みずのさんに私の書いた記事を選んでいただき、添削をしてもらった。「まるさんいますか?」と言われて心拍数は急上昇。「いません!」と言いそうになったが、せっかく参加したのだからお言葉をいただきたいと思った。お二人からもらった大事なフィードバックは今後書いていく文章に存分に活かしていきたいと思う。
なぜこの記事が読まれているのかわからないという受講者もいれば、自信作を添削してもらうという人もいた。X(旧Twitter)のポストとは違って、少し長い文章をわざわざnoteに載せているのだから、「見てもらう、読んでもらう」という気持ちが皆あるのだと改めて感じた。
みずのさんに「この記事もっと見てもらいたいよね」と言われて、確かに見てもらいたいから添削をしてもらいたいのだなと自分を客観的に感じ少し間を置いて「…はい」と答えた。さっと言葉が出てこなかったのは、数字を気にするということを気にしたくないからという、少し歪んだ自意識があったからだと思う。
書いている以上、読んでほしいと願うのは本音だ。競争や優劣という強い感情が動くとき、私はいつも怖気付いてしまう。それでも、この会を通して真正面から言葉と向き合う人たちに出会えたことは、私にとって大きな収穫だった。
7月末の出来事を今更書くのも亀のような歩みだが、時間を置いて冷静に言葉を綴ることも、私には必要なプロセスなのだと思う。 だから、ここに残しておく。改めて、noteは他のSNSと違って切磋琢磨感がすごい。自分のペースで向き合いながら、時には刺激をもらいに外に出てみることも大切なのだと思った。
📦某日
小学生の頃からの友人が遠方に引っ越しすることになったので、旅立つ二日前に荷造りを手伝った。その友人は旦那さんと2歳半の息子、さらにゴールデンレトリバーとトイプードル、ラグドールがいる大家族である。
最初は荷造りの最中に子守をしてほしいとの要望で連絡があったのだが、家に着いた時点で1割程度の進捗具合に勝手に焦りを感じた。お昼ご飯を食べていたら友人の息子が寝始めたので、旦那さんが寝かしつけをした。2人は3時間ほど寝室から出てこなかった。ちなみに友人の子は大人一人分ほどの食事をぺろりと平らげるので、将来はお相撲さんになると私はふんでいる。いや、自分のなりたいものは自分で決めるのが一番だ。
3時間すやすやとお眠りになっている2人を他所に、私はキッチン周りのものとリビングにあるおしゃれな置物などを全て段ボールに詰め込み、友人に「絶対テトリス上手いでしょ!」なんて褒められた。荷造りに慣れているのはテトリスが上手いからではなく、私がよく引っ越しをするからなのだ。
「おはよう」と声が聞こえ、旦那さんが子を抱っこしてリビングに現れた。寝癖が竜巻のようになっている子は、まだ夢の続きにいるようだ。友人が旦那さんに微かな苛立ちを見せていたので、察した旦那さんはそそくさと荷造り隊に加わった。
代わりに今度は私が子守隊になる。子が生まれて3ヶ月の頃から定期的に会っているので、友人の子もまた友人みたいなものだ。年齢差はあれど友情は成立する。「おいで」「みず、おいしいね」「だいじょうぶ」「さむい?」とまだ単語でしか会話ができないが、その言葉の後ろに友人が母であることを感じさせられた。友人が日頃子にかけている言葉なのだろう。顔も友人に似てそっくりであり、なんとも愛おしさが止まらない。
荷造りも8割ほど完了したところで「じゃ、お暇させてもらおうかな」と言い、2歳半の友人に「またね!」と告げた。「またね!」と返ってきた。どうか健やかに生きていってくれと心から願った。2歳半なのに4.5歳ほどの体重がある坊やのお腹はぽんぽこりんで、家族の愛が詰まってる。
1、2ヶ月に一度会うような仲だったから、遠方へ行く友人家族としばらく会えないのは、やはり寂しい。永遠の別れでないとわかっていても、胸にぽっかりと穴が空く。考えてみれば、誰かを「送り出す」経験はあまりなかった。転勤族として引っ越しを繰り返してきた私は、常に「送られる側」だったからだ。誰かを見送るのは、小学校5年生の「6年生を送る会」以来かもしれない。残される側の心細さを、この年齢になってようやく知った。
また、すぐ会おう。その頃には友人の子との会話も少し違っているかもしれない。
☕️某日
スタバはコーヒー好きにも、苦手族にも優しい。私の定番は「ゼンクラウド ウーロン ティー ラテ」だが、この日は暑さに負けて「ほうじ茶 & クラシック ティー ラテ」を頼んだ。甘くて美味しい!
一緒に行った友人は「スターバックスラテ」を頼んでいた。体質的にコーヒーが合わない私は、今だにブラックコーヒーを頼む大人に憧れてしまう。名前が短い方が、装飾が削ぎ落とされていてクールな気がする。苗字は「道明寺」や「五十嵐」のように長い方がかっこいいのに、スタバの注文に限っては短い方が洒落て見える。不思議な逆転現象だ。
🦜某日
深呼吸が下手なので、溜め込んだ息を吐き出すような、大きなため息が漏れることがある。「決してつまらないわけじゃないんだ。私の鳴き声だと思ってほしい」と言うと、「人間にも鳴き声があったら面白いね」という話になった。セミのミーンミーンも、鶯のホーホケキョも。言葉にならない鳴き声で、ただそこにいることを示す。そんな在り方も、なんだかいいなと思った。
