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八十歳のわたしは、地球を見送れるだろうか


仕事中、パソコンをカタカタと打っていると
ラジオからこんな話題が流れてきた。


「イーロン・マスク氏が率いるSpaceXの宇宙計画について。
これまで火星移住を強く打ち出してきたが、月への飛行を優先する方針に軸足を移した」

「とはいえ、火星を目指す計画が消えたわけではなく、引き続き数十年単位で人類の火星移住をめざしていくという」



ワクワク、というよりも、
SFの世界が急に現実味を帯びてきたような感覚がして、背中の奥がドキッとした。


私たちの「今のあたりまえの世界」は思っているほど長くは続かないのかもしれない。そんな予感。


数十年単位。
それは決して「今すぐ」ではないけれど、
ものすごく遠い話でもない。

そのとき、わたしは何を思うんだろう。

仮に、四十年か五十年後くらい。
わたしが七十とか八十歳すぎまで生きていたとして。
誰でも火星に移住できるような世界になっていたとして。

そのとき、わたしはどうしているんだろう?と。


もしも、地球が今のようには暮らせない星になってしまって
若い人たちは次々と火星に移住していくような世界がいつかきたとしたら。


息子や、さらにその下の世代は「これから」がある。
火星に行く理由もあるだろう。

じゃあ、年老いたわたしは?
地球に残るだろうか。それとも、こどもたちと火星に行くだろうか?
そんな途方もない問いが、昼下がりのわたしの頭にぼんやりと浮かんだ。


それはまるで映画のワンシーンのように
真っ暗な宇宙
そしてその中を漂う無機質な宇宙船
その中のちいさな窓に、遠ざかる地球の姿が映る。
それを船内からシワシワのまぶたで見つめる、老いたわたし。


その瞬間に思うのだろうか。
まんまるで、青くて、たったひとつのこの星に
自分の人生がすべて詰まっていたことを。


そして、遠く離れてゆく地球にお別れできるんだろうか。
いや、たぶんできないだろうなあ


もしそうなったら、
わたしは地球に残って死にたいかもな。


なんて。


迷いもある。
こどもとはそう簡単に会えなくなって、
抱きしめることもできなくなる。

地球でわたしが死ぬときは、ひとりぼっちかもしれない。

それでも。



苦しかった思い出も、楽しかった思い出も
泣いた日も、笑った日も。

思い出の場所も、宝物も、人生も、大切な人たちも
わたしにとっての世界は、すべてがこの地球にあるんだよね。

それら全てに別れを告げることなんて
きっとできないだろうな。

大切なひとも、思い出の場所も
形は変わってしまっているだろうけど
死ぬ時は、その思い出のそばで土にかえりたいと、そう願うのかもしれない。


そんなことを考えていたら、目の奥がじわっと熱くなっていた。



「ブー、ブー……」

仕事の電話で、急にハッとした。

2、3分の宇宙への妄想から、一気に現実に引き戻された。

ラジオの話題はもうとっくに変わっている。


グスっと鼻を鳴らして、いつも通りの声で電話に出た。




先のことはわからない。
でもきっと、
遠い未来に愛おしく振り返るであろう「なんてことのない日々」を、
わたしは今、生きているのかもしれない。


ひと呼吸つくと、
またカタカタとパソコンをたたきはじめた。







(Credit: NASA/JPL-Caltech)
オレンジ色の光線のなかにある小さな点が地球



この日、数年ぶりにカール・セーガンさんの文章を思い出したので、載せておきたい。





この距離から見ると、地球というものは、さして興味深い場所には見えない。

しかし、私たちにとっては違う。
この点をよく見てほしい。
あれがここだ。
あれが故郷だ。
あれが私たちだ。

ここにすべての人が住んでいる。

愛する人も、知人も、友達も
今までに存在したすべての人が、
みなここで人生を送っている。

喜びも悲しみも、自信たっぷりの幾多の宗教も
政治思想も、経済主義も、
すべての狩人も、牧人も、英雄も、
卑怯者も、文明の創設者も、破壊者も、
すべての王様も、農民も、
愛し合う恋人も、すべての父と母も、
希望にみちた子どもも
発明家、そして探検家、
道徳を教える先生も、腐敗した政治家も、
スーパースターも、偉大な指導者も、すべての聖者、すべての罪人、人類の歴史上すべての人が、ここに住んでいる。

太陽の光照らされた、塵にもひとしいこの場所に。

地球は、とても小さな舞台だ
広漠とした宇宙の中では。

考えてみてほしい。

すべての将軍や皇帝が、勝利と栄光の名のもとに流した血の河を。
この点の、そのまたごく一部の、
つかの間の支配者となるために。

考えてみてほしい。

この点の片隅にいる住人が、
別の隅にいる ほとんど見分けのつかない住人にたいして、
どれほど残虐な仕打ちをしてきたのかを。
どれほど多くの誤解があることか。
どれほど熱心に、人は殺し合うことか。
どれほどの激しい憎しみがあることか。

私たちの気どった態度、思いこみによる自惚れ、自分たちは特別なんだという幻想。
この青白い点はそのことを教えてくれる。

私たちの惑星はこの漆黒の闇に囲まれた、
ひとかけらの孤独な"しみ"にすぎない。

この広漠とした宇宙では、私たちは名もない存在だ。
他に助けてくれる人はいない。私たち自身をのぞいては。

地球は、現在までに知られている生命をはぐくむ唯一の星だ。

すくなくとも近い将来、
ほかに人類が移住できるような場所は存在しない。

行くことはできるか?
たぶん。
住むことはできるか?
いや、まだ。

好き嫌いにかかわらず
いまのところ地球が私たちの住む場所だ。

天文学は、人を謙虚にし、
身のほどをわからせる学問だという。

人間の思い上がりを示すのに、
これほどふさわしい例もないだろう。

私たちのちっぽけな世界を、
はるか彼方からみた景色ほどには。

私にとって、この映像は
私たちの責任を表しているように見える。
よりお互いに気を配り、思いやり
この青白い点を大切にするという責任を。
私たちの知っている、ただ一つの故郷を。


— カール・セーガン
1994「Pale Blue Dot」



“想像力なくしては、私たちはどこへも行けない”








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