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天国の恩師へ 「もうええか?」――あれから30年。先生、ちゃんと頑張っていますよ

先日、横浜高校が花巻東高校を破り、18年ぶりのベスト4進出を決めたというニュースを見た。 名将・渡辺元智監督が亡くなられてから、初めて迎えた甲子園。 きっと横浜高校のナインは、天国の渡辺監督にこの勝利を届けたい――そんな思いで戦っていたのではないだろうか。 そのニュースを見ながら、私は30年前の8月18日のことを思い出した。

私の母校、神奈川県立野庭高校吹奏楽部。 その野庭高校を長年にわたって指揮し、幾度も全国大会へ導いた名指揮者・中澤忠雄先生。『ブラバンキッズ・ラプソディー』『ブラバンキッズ・オデッセイ』に描かれ、後にドラマ『仰げば尊し』のモデルである。 その中澤忠雄先生が30年前の8月18日に亡くなった。

私にとって先生は、単なる「名指揮者」ではない。

「音楽は心」―― 技術だけでは、人の心に届く音楽はできない。 音楽を通して、人としてこころを磨くことが大切。

と、教えてくれた、私の音楽人生の原点となった大切な恩師である。

「もうええか?」

当時、先生は闘病中だった。 私は先生の代わりに指揮を任されていた。
翌日から合宿が始まるという日、私は入院中の先生にご挨拶に伺った。

危篤状態になったそのとき
先生が、最期に残された言葉。

「もうええか?」

そして、もう一度、

「もうええやろ?」

と。

私は今でも、この言葉を忘れることができない。先生は、 「もう、あの世に行ってもいいか?」そして、 「君たちで頑張ってくれるか?」 と、私たちに問いかけていたのだと思う。

もちろん、本当のところは先生にしか分からない。 でも、私は30年経った今でも、そう受け止めている。

翌朝、先生の死を伝えなければならなかった

その夜は、先生が亡くなった後の段取りや、これからのことに追われ、ほとんど眠ることができなかった。 そして翌朝。 これから合宿に入るため、部員全員が学校に集まっていた。 私は、そのみんなに伝えなければならなかった。 「先生が亡くなった」 何をどう話したらいいのか。 これから何をすればいいのか。 誰にも分からなかった。 ただ、先生がいなくなった。その現実だけが、そこにあった。

そんな中で、合宿が始まった。 私たちコーチ陣は、とにかく生徒たちの心が折れないようにすることで必死だった。 何をするにも手探りだった。 みんなで考えながら、必死に一日一日を乗り越えていった。 でも、心の中にあった想いは、ただ一つだった。

「中澤先生のために頑張ろう」 それだけだった。

先生がいなくなったから、私たちがしっかりしなければ

先生がいたときは、先生が私たちを導いてくれた。 先生についていくことだけだった。 でも、先生がいなくなった。

だからこそ、 「私たちがしっかりしなければ」 「先生が残してくれたものを、私たちが繋いでいかなければ」 そんな気持ちだけが、私たちを動かしていたのだと思う。

あの合宿で何をしたのか。 もう30年も経っているから、すべてを鮮明には覚えていないが、泣いている暇はなかった。 「先生のために頑張ろう」と前へ進むしかなかった。

横浜高校の選手たちが、天国の渡辺元智先生に勝利を届けたように。 30年前の私たちもまた、「自分たちの演奏を天国の先生に届けよう」と、必死だったのだと思う。

あれから30年

「もうええか?」「君たちで野庭魂を継いでくれるか?」 あの日、私たちに投げかけてくれた最期の言葉。

あれから30年。 振り返ってみると、あの日から私はずっと、先生に教えていただいたことを頼りに歩いてきたのかもしれない。 そして今も、吹奏楽の指導をしている。 若い人たちと音楽をつくっている。 悩んだり、迷ったりしながら、それでも「音楽は心」という言葉を軸に、次の世代に何を伝えられるのかを考えている。

音楽を通して、 人を思いやること。 仲間と支え合うこと。 感謝すること。 そういうものを、私はこれからも伝えていきたい。 先生が私たちに残してくださったものを、私のところで終わらせたくない。

30年前には分からなかった。
先生が亡くなった歳に近づいた今なら、

先生の「音楽は心」という言葉が

少し理解できてきたように思う。

そして、人を育てるということは、
自分が持っているものを、その人に渡すことだけではない。
その人が、いつかまた誰かに渡していけるようにすることなのだと思う。

先生。 あの日の問いかけに、今なら答えられます。 「はい。大丈夫です。」 「ちゃんと頑張っています。」 そして、 「先生が残してくださったものを、これからも次の世代へ繋いでいきます。」

そんなことを、改めて先生に報告したくなった。
今日は、そんな一日だった。

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