見出し画像

明日、ライターを名乗れなくなっても

一つ前のnoteを投稿する前に、実はこちらを書いていました。
表現が重複しているところもありますが、地域で出会った人たちに刺激をもらって、今の想いを熱量高く書いています。
偉そうなことを言っていて恥ずかしい気持ちも半分なので…こっそり非公開にする前に、読んでくれたらうれしいです。

今、わたしが仕事でも地域の活動でもやっていることの軸は

地域と暮らしに愛着を育む活動をしていきたい

そんな言葉で表現できるかなと思っています。

その原点は、大きな声では言えないけれど、わたし自身が暮らすまちを好きになれずにいた、ネガティヴな感情から。

生まれたまちも、移り住んだまちも、どこか魅力的じゃない、おもしろくない、何もないと思っていました。
だからこそ、「もっと誇れる場所にしたい」と思って、地域活動というようなことをはじめました。

でも、やってみてわかったのは、まったく逆のことだったんです。

まちに魅力がなかったわけではない。
ただ、見えていなかっただけ。

どんなまちにも、いくつもの側面があって、それをおもしろいと思えるか、愛着を持てるかは、その人がどんな視点を持っているか、どんな人とつながっているかに大きく左右されるんだとわかりました。

つまり、とても能動的な主観だということ。

今、わたしが見ているまちの景色は、数年前とはまったく違います。
気がつけば、身近な場所におもしろいことがたくさんある。

仲間が出店するマルシェ、行けば誰かに会えるお店、自分たちが企画するイベント。

身近な楽しさに気づけたら、暮らすまち以外でも、愛着のあるまちが増えました。

本当はもっと遠くにも行きたいし、知らないまちを旅したい。
人のいない土地にだって行ってみたい。
でも、時間も体も足りないと感じるくらい、近くに行きたい場所や会いたい人がたくさんいるんです。

それは、自分で動いたからこそ見つけられた財産なんだと、しみじみ思います。

見える景色は変わって、言葉の意味合いも変わったけれど、まちも暮らしも、「なんか良いよね」と思えるような表現を。
嘆くだけでなく、自分ごととして関わっていくことを大切に。
ナリワイも遊びもライフワークも楽しんでいきたいという想いで、
地域と暮らしに愛着を育む活動をしていきたい』を掲げ続けています。

それから、もうひとつ大きく変わったことがあります。

わたしはこれまで「人生の転機」や「大きな決断」に強く惹かれていました。
どんな経緯で今があるのか、どんな選択をして生き方を決めてきたのか、そんな話にワクワクしていました。
自分自身に迷いがあったから、背中を押してくれる力強い言葉を探していたのかもしれません。

だけど今は、それだけではないところにおもしろさを感じるようになりました。

誰かが地道に続けてきたこと。
その人なりの美学を持って積み重ねてきた仕事。
日々の中にある、小さくて確かな営み。

そういうものを、もっと深く知りたいと思うようになりました。

世の中には、語られていない仕事や活動がたくさんあって、見過ごされがちな日常にこそ、その人だけの物語がある。

それを聴き、言葉にして届けることに、喜びを感じています。

身近な存在だからこそ、自分ごととして受け取ってくれる人がいる。
必要としている誰かに届けば、ほんの少しかもしれないけれど、選択肢が広がって、背中を押すきっかけになると感じています。

だから今のわたしは、
「地域や暮らしへの愛着を増やすこと」
に加えて
語られにくい仕事や活動を届く言葉にすること
も軸に活動していきたいと思っています。

現在わたしは、インタビューをして記事を書く。それが、主な仕事なので、ライターと名乗ることが多いです。

ただ、AIがここまで広がった今、ライターという仕事が揺らいでいることは言わずもがな。
実際に、仕事が減ったという話も耳に入ってきます。

でもなぜか不思議と悲観していないわたしがいるんです。
むしろ、文字起こしや整理が楽になったことを、素直にありがたいと感じています。

AIは便利。その恩恵はありがたく受ける。

でも、人と人のあいだにあるものまではつくれないから、人の役目はなくならない、と思うんです。

どんな経緯で出会い、どんなやりとりを重ねて、その人の話に話を聴き、誰かに届ける。
その関係性は、わたし自身の中にしかないから。

そして、相手が気づいていない魅力をすくい上げること。「ここが素敵」と感じた部分に光を当てること。それをどう届けるかを考えること。

それは、単なる作業じゃなくて、関わりの中で生まれる編集だったり、表現だったり。

もしかしたら、言葉で届けることも、ほとんどない世の中になってしまうかもしれない。
そうなったら、わたしはライターと名乗れなくなってしまう。

でも、その時はその時。
今やっていることの延長に、自分が力を発揮できる場所や、必要とされる場面はきっとある。
たとえAIが多くのことを担うようになっても、そのときはまた、別の価値を見つけよう。

そんな前向きな心持ち。

もちろん、言葉で届けることがなくなる世の中になってほしくない。
言葉の力を信じることはやめません。

とはいえ、時代の変化や自分の年齢、フェーズによって、「自分の役目」が変化していくことは、AIがあってもなくても起こること。

こんなふうに思えるようになったのは、何者でもないわたしをあたたかく迎えてくれた、たくさんの人がいたからだと思います。

どうしたらいいかはわからないけれど、自分なりに動いてきたからなんだろうな、とも。

試して、迷って、また試して。モヤモヤの繰り返しの中で、少しずつ何かが積み重なっていって、気づいたら景色と意識が少しずつ変わってきました。
きっとこれからも変わるんだと思います。

ずっと不思議で仕方がなかった「根拠のない自信」は、たぶんこうやって生まれるものなんだろうな。
日々の小さな行動の積み重ねと、人とのつながりの中で。

その感覚がちょっと掴めたことは、大きな変化です。

まだまだうまくいかないことばかりだし、モヤモヤのループに入ることもあるけれど、地底に潜らず戻って来れるようになりました。

大きな成功とか、人から尊敬されるとか、たくさん稼ぐとか、そういうことではないけれど、「大丈夫、なんとかなる」と「まぁいっか」と思える前向きな諦め。
やっと自分を受け入れられるようになったような、そんな感覚でもあります。

だから、たとえ明日ライターを名乗れなくなっても、自分の足跡に愛着をもって、これからもおもしろがって生きていける。
そんな気がしています。

そして、自分の役目が変わるまで、関わりの中で見つけた語られにくい営みに耳を傾け、届けたい相手に伝わるように、表現し続けたいと思います。


いいなと思ったら応援しよう!