間違い探しの人生、やめました
生き方のパターンは、〈魂の癖〉だった。
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2025年、表面的な自己理解以上の「私」を知るために、星を読む仕事をやめて、自分自身と本気で向き合うことにした。
もっと深いところに流れる、「私の命の土台」を知るために。
そして、再生するために。
他者の星を読むことをやめてから、4ヶ月半。
ようやく、自分が今までどんな土台の上で生きてきたのか。
そして、これから私の命が進みたい方向はどこなのかが、腑に落ちるところまできた。
そもそも私は、
「自分の人生がどうしてこんなにもしんどいのか」
その理由を解きたくて、ホロスコープを学び始めた。
最初は、表面的なことしかわからなかった。
意味を当てはめるだけでは、わからないことだらけだった。
でも、他者のホロスコープを読むうちに、気づいた。
その人の人生には、天体の意図が自然と表れてくることに。
ただし、
自分自身の人生を俯瞰するのが、こんなにも難しいことだとは思わなかった。
無意識に溶け込んだ「習性」みたいなものが、あまりにも私にこびりついていて。
生き方の〈癖〉を、自分で見えなくさせてしまっていた。
人のホロスコープを読んでいる場合じゃない。
2025年は「集大成の年」だと知って、自分自身と本気で向き合う覚悟を決めた。
(…まあ、今までもずっと向き合ってはきたんだけどね)
そしたら、体調不良や、過去にやっていた仕事が、私の〈生き方の癖〉を教えてくれた。
そして、この生き方こそが、私の人生を形づくってきたのだとわかった。
どうやら私は、自分の人生を「間違っている」という前提のもとで、生きてきたようだ。
つねに、人生の間違い探し。
原因に気づいたら修正。
そして今後は失敗しないように、目を光らせる。
これはもう、「魂の癖」なんだと思う。
最近よく観ていた韓国ドラマ。
前世や、過去の自分にとらわれたまま生きている主人公たちの物語。
そこで、「生き方には癖があるんだ」と理解できた。
この視点を、自分を知るためのツールとして使ってみた。
そうしたら、見えてきた。
前世が本当にあるかどうかは、正直わからない。
けれど、「ある」という前提で自分を眺めてみると、見えなかった〈習性〉のようなものが、浮かび上がってきた。
それはかつて、自分が生き延びるために必要だったものかもしれない。
しかもそれを、人生前半、私は仕事でも使っていた。
不思議なことに、それが求められる職種だったのだ。
そうやって人生に自然に取り込んで、無意識のうちに使い続けてきた。
けれど、ずっと使い続けていると、不具合が出てくる。
どんなものにも言えることだけれど、そのやり方が、あるときから機能しなくなる。
それがきっと、「人生が詰む」ということなんだと思う。
何かがうまくいかない。
前と同じようにやっても、もう通用しない。
そんなふうに感じたとき、その習性はアップデートされる必要がある。
そこに気づくために、うまくいかないことが繰り返される。
そのループの中で、魂は、「これはもう必要ない」と気づいてほしいのだと思う。
まあ、とにかく私は、見つけた。
実際に見つけた「必要のないもの」は、今の私をしんどくさせていた。
「間違いに気づかなければならない」
「少しの異変も見逃してはならない」
(お。8番出口みたいだな)
これが、私の生き方の土台だった。
私を守ってくれていた〈盾〉でもあった。
でも、それに気づいたとき、ふっと気が抜けた。
「ああ、そうだったんだ。」
気づいてみると、たしかに、ずっと使ってた。
ここからどうなるのかは、やってみなければわからない。
でも、しんどいと思ったやり方には、もう戻らないと思う。
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ホロスコープには、こうしたことを見るポイントも、たしかにある。
でも、それだけでは見えない〈自分だけの習性〉は、やっぱり、自分自身との対話なしには見えてこないと思った。
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ふだんは動かない根っこに、風が通った。
そんな感じ。
きっと、タイミングだったんだろうな。
