桜餅と、なぜか忘れられなかった春 まだ意味を持たなかった「あんこ」の話
これは、
桜餅を通して思い出した
ひとつの春の記憶です。
桜もちといえば…
薄皮派?それとも道明寺派?
必ずそんな話題になる。
私は「道明寺派」だ。
もちもちとした食感、あんこをやさしく包み込む丸いフォルム、表面に残るつぶつぶの可愛らしさ。見ているだけで、どこか安心する。
けれど、最初から桜餅が好きだったわけではない。
むしろ、子どもの頃の私にとって、桜餅は少し「近寄りがたい」存在だった。
ひな祭りと桜餅
ひな祭りが近づくと、
母が買ってくるのは、
関東風の「薄皮」の桜餅だった。
お雛様にお供えされるその姿を、
私は少し距離を置いて眺めていた。
「まず、葉っぱが嫌だし……
中は、こしあんだし……」
あんこは好きなのに、なぜか桜餅には手が伸びない。
興味を惹かれる独特の香り。
ピンク色なのに落ち着いた上品な佇まいが
当時の私は、手が出しにくいと感じていた。
そんなある日、
我が家に「道明寺」の桜餅がやってきた。
「こ、これは……!」
見た瞬間、胸の奥がざわっとした。
丸くて、ふっくらしていて、見た目からして親しみやすい。
でも、やっぱり葉っぱは苦手。
きれいに剥がそうとしてもうまくいかず、
結局、お餅の部分をちょびっとかじるだけ。
それでも不思議と、嫌ではなかった。
お供えされたお雛様たちが、
心なしか嬉しそうに見えたことを
今でも覚えている。
桜の花と結納の日

桜の花と聞くと、忘れられない場面がある。
私の結納のとき、母が「桜茶を用意しなくちゃ」と、慌てて準備していた姿だ。
「そんなに、桜って大切なものなんだ……」
桜は、日本を象徴する花であり、人生の節目を彩る存在。
「桜」を意識した時から、
桜餅に対する気持ちが変化を始めた気がする。
母が用意してくれた桜茶は、薄くて可憐なはなびらが静かに広がり、優しくて少し切ない香りを醸しだしていた。
母の喜びと寂しさを、そこに感じたからかもしれない。
当時はそんなこと考える余裕はなかった。
今にして思えば、結納は私の誕生日。
秋のお彼岸の頃。
その当時に桜茶を用意するのは大変なことだったらうに…
私、大切に育ててもらっていたんだな。
桜の花に、大切なことを教えてもらった。
桜餅との距離感
ピンク色の四角い薄皮に包まれ、その上に桜の花が乗った桜餅を見つけたことがある。
私の中で、桜餅のイメージが変化した。
母と桜茶を想起したからだ。
桜餅にもいろいろあるんだな…
と改めて興味を持つ様になった。
調べてみると、桜餅には興味深い背景があった。
春らしい色合いだけでなく、端午の節句の柏餅と対になる存在として広まったという説。
そして、私がずっと苦戦してきた「葉っぱ」。
元祖とされる 長命寺 桜もち 山本や さんによれば、
外して食べるのがおすすめなのだそう。
「剥がしてもいいんだ」
その一言で、長年の小さな引っかかりが、すっとほどけた気がした。
思い込みで、決めつけることって勿体無い。
試してみて、自分はどれが好きなのかを決めればいい。そして、それは変化してもいい。
桜餅との距離がグッと縮まった気がした。
桜餅が好きになった理由

その後、道明寺で中身が粒あんになっている桜餅に出会った。
葉っぱもとても薄い。
初めて葉っぱごと、桜餅を食べてみた。
甘さだけではなく、葉っぱに染みた塩味が心地よい。そしてほろ苦いような滋味深い香りがいい。
桜餅って美味しい。
甘さとほろ苦い切なさが、結納の日のあの気持ちを呼び起こした気がした。
桜もちの葉の香りは、
今では、春そのものの匂いだ。
懐かしさと、愛おしさと、
もう戻らない時間を、静かに思い出させてくれる。
味や匂いは、
思いがけない記憶を
連れてくることがあります。
今日は、ここまで。
