一番だったのに、福男になれなかった人を見て思ったこと。
2026年1月10日、朝6時。
今年も、西宮戎神社の福男選びが行われました。
前日から並び、抽選を勝ち抜き、
やっと赤門近くのポジションに立てた人たち。
そこに立てるだけで、
もう十分に「運」と「縁」を持っている人たちだと思います。
けれど、その先は違いました。
どれだけ準備してきたかだけでは決まらない。
自分の力ではどうにもならない「流れ」が、
はっきりと存在する世界です。
今年、ひときわ目を引いた人がいました。
誰の目にも明らかに、ぶっちぎりで一番を走っていた人。
「ああ、この人が一番福だな」
そう思った、その瞬間。
ゴール目前の神殿前で、
その人は転んでしまいました。
思わず、
「あ~!!」
と、声にならない声が出ました。
次の瞬間には、
一番福は別の人に決まっていました。
転んだ彼は、三番福。
そのとき聞こえた
「こけてもた!」
という一言が、なぜかずっと耳に残っています。
悔しさも、驚きも、戸惑いも。
いろんな感情が詰まった声だった気がしました。
人生も、よく似ているなと思います。
ずっと頑張ってきて、
「もう少しで届く」と思ったところで、
急に流れが変わること。
力を抜けばよかったのに、
「絶対に取りたい」と思った瞬間に、
足がもつれてしまうこと。
それは、失敗というより、
一度立ち止まるための合図なのかもしれません。
後から知ったのですが、
実は一番福になった人も、
スタート地点で一度転んでいたそうです。
転んでも、走るのをやめなかったこと。
それが、結果につながった。
でも同時に、
一番になれなかったからといって、
福がなかったわけではないとも思いました。
転んだからこそ、
彼にしか見えない景色が、きっとあったはずです。
私は最近、
結果や評価よりも、
「今日も書こうとしている自分」を
大切にしたいと思うようになりました。
一番じゃなくてもいい。
早くなくてもいい。
私の歩幅でいい。
あの福男の光景は、
そんなことを、静かに教えてくれた気がします。
今日の自分に、問いをひとつ。
私は今、
一番になろうとしているのか。
それとも、
自分の福を受け取りに行こうとしているのか。
福男にチャレンジしたすべての人へ。
そして、このnoteを読んでくださったあなたへ。
今年一年、それぞれの形の「福」が、
ちゃんと届きますように。
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