Pulpと、ジェラルド・ウェイの残した点と線〜推しの推しが、私の隠していた青春だった 深夜1時
時計の針は深夜1時を回ったところ。
静かな部屋で、今、私のヘッドホンからはパルプ(Pulp)の新譜『Spike Island』が流れている。
12年ぶりの彼らの新しい音は、驚くほどクリアで近代的でありながら、あの頃と変わらないシニカルな響きで私の胸を締め付ける。
この曲を聴きながら、私は今日、ある一つの「過去の記録」を発見して激しく動揺している。
それは、私の絶対的なヒーローであり、マイ・ケミカル・ロマンスのフロントマンであるジェラルド・ウェイが、今から12年前の2013年に行ったファンとの質疑応答(Reddit AMA)のやり取りだ。
「今、どんな音楽を聴いているの?」
ファンからの何気ないその質問に対して、ジェラルドはたった一言、こう答えていた。
「I'm listening to Pulp.
(パルプを聴いているよ)」
そのたった数文字を見た瞬間、私の時間は完全に止まってしまった。
なぜならそれは、私がずっと「誰にも理解されない」と隠し続けてきた、孤独で不思議な拗らせた青春の答え合わせだったからだ。
【第1章】深夜のBBCラジオと、シェフィールドから届く「情けない男」の囁き
時間を少し巻き戻そう。大学生の頃、私は周りの誰とも音楽の趣味が合わなかった。
キャンパスでは誰もが流行りのJ-POPや、明るくてノリの良い洋楽を聴いて笑い合っていた。でも、私の心はどうしてもそっちには向かなかった。
私が惹かれていたのは、華やかなヒットチャートの裏側にある、もっと泥臭くて、情けなくて、どうしようもない人間の本性を歌う音楽だった。
その筆頭が、イギリスのバンド「パルプ」であり、フロントマンのジャーヴィス・コッカーだった。
当時の私は、英語のリスニング練習という口実のもと、毎晩のように自室にこもり、イギリスのBBCラジオで放送されていた彼の番組『Sunday Service』を必死に聴いていた。
ちなみにラジオを聴きたい!となった原因はこのライブである。
妙に落ち着いた色気のある声で、ボソボソと訛り強めで喋るジャービスのMCにまんまとハマってしまったからだ。
そして、BBCラジオプレイヤーイギリス国外だと接続ブロックされたりめんどくさくてなんか色々頑張って接続した思い出が。。。
シェフィールド特有の訛りが強く、ねっとりとしたおじさんの低い声。正直、何を言っているのか半分もわからない夜もあった。
それでも私がそのラジオにしがみついていたのは、彼が語るエピソードが、あまりにリアルで残酷だったからだ。特に『Ghosted』という、ある日突然人生から消えてしまった一般人の話を語るコーナーは衝撃的だった。綺麗事なんて一つもない。ただ、昨日までいた人が今日にはいなくなるという「日常の不気味さ」を、ジャーヴィスは皮肉たっぷりに、でもどこか愛おしそうに語っていた。
「私って、なんでこんなに暗くて変なものが好きなんだろう」
パルプが歌う、報われない嫉妬や、情けない男の未練(『Disco 2000』のあの切なさは異常だ)。
ライブパフォーマンスの謎動作、圧巻である。ジャービスの変な動きで謎のオーラがある引力をぜひ体感して欲しい。
まあ、令和にそれを聴いて胸を焦がしているなんて、日本の女子大生としては明らかに異端だった。
私は、自分が「ちょっと変な人間」であることを自覚し、この熱を誰かと共有することは諦めていた。
【第2章】12年越しの伏線回収。絶対的ヒーローと同じ毒を飲んでいた日
それから数年の時が経ち、私はマイ・ケミカル・ロマンスの音楽に、そしてジェラルド・ウェイというカリスマに文字通り救済された。
痛々しいほどの絶望と、それを圧倒的な熱量で歌い上げる彼の姿は、社会の中でどこか息苦しさを感じていた私にとって、圧倒的な光になった。
彼の一挙手一投足を追いかけ、彼の描く世界観に深く、深くのめり込んでいった。
そして今日、あの12年前の質疑応答を見つけたのだ。
ジェラルドが「パルプを聴いている」と答えたその事実。彼はわざわざ有名なアルバム名も出さず、ただPulpとだけ不親切に言い放った。
大半のアメリカ人のファンは「パルプ? 何それ?」と首を傾げたかもしれない。でも、私はその一言の奥にあるものを、痛いほど理解できた。
ジェラルドもまた、あのジャーヴィスの描く情けなさや剥き出しの人間臭さを、そして綺麗事では済まされない世の中の皮肉を、自分の血肉にしていたのだ。
その瞬間、私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
私が大学生の頃、周りに馴染めずに一人で抱え込んでいたあの「変な趣味」は、決して間違っていなかった。
誰にも誇れなかった私の孤独な夜は、数年後に私を救ってくれるヒーローの感性と、地球の裏側で完全に同じ成分で繋がっていたのだ。
なぜジェラルドは「Pulp」の曲名をひた隠しにしたのか?
ジェラルドは「Pulpが好き」とだけ答え、具体的な曲名やアルバム名を一切明かさなかった。その理由を少し深掘りしてみたい。結論から言うと、彼は「アメリカのメディアには刺激が強すぎて、意図的に隠蔽した」説が極めて濃厚だ。
Pulpの歌詞は、アメリカのクリーンなロック・シーンの基準で言えば、完全に「アウト」なものばかりだからだ。
例えば代表曲の『Babies』は、「好きな子の姉の情事をクローゼットに忍び込んで盗み聞きし、最終的にその姉と寝て『君に似てたから』と言い訳する」という、現代のコンプライアンスに真っ向から喧嘩を売るサイコパスな曲だ。
さらに『Underwear』では「頼むから話すのをやめてくれ、君の下着姿が見たいんだ」と身も蓋もない欲望を歌い、『I Spy』に至っては「お前の妻と16週間寝ている、犬まで奪ってやる」と、陰湿なストーキングと復讐をネチネチと歌い上げる。
アメリカのファンが求める正しくて、傷ついたヒーロー像に対して、ジャーヴィス・コッカーの描く世界はあまりにも情けなく、惨めで、そして変態的だ。
ジェラルドは、人間のどうしようもない「気持ち悪さ」を歌うPulpの美学を深く愛していた。だからこそ、分かっていない連中に表面的なポリコレや倫理観で叩かれないよう、あえて「Pulp」というオブラートに包み、強固なファイアウォールを築いたのではないだろうか。
彼の隠されたUKロックへの偏愛と、メディアに対する見事なリスク・マネジメントが見え隠れするエピソードだ。
【第3章】0.0001%の運命。国境と世代を越えた「推しの推し」という奇跡
少しだけ、冷静に考えてみてほしい。
2013年。アメリカのロックシーンの頂点を極めたスターが、イギリスの少し時代遅れで、最高にひねくれた教祖の音楽を聴いていると公言する。
時を同じくして、極東の島国で、周りの誰とも馴染めない一人の女子大生が、深夜の自室で孤独を抱えながら、必死に同じイギリスの教祖のラジオに耳を傾けている。
国籍も、世代も、言語も全く違う。普通なら絶対に交わるはずのない二つの人生が、「ジャーヴィス・コッカー」という極めて特殊でマニアックな共通言語だけで、見事に繋がってしまったのだ。
これはもう、奇跡なんて生ぬるい言葉じゃ足りない。天文学的な確率の針の穴を通したような、運命的な連動だった。
私が死ぬほど崇拝してるヒーローが、私がかつて愛した音楽を、同じように愛していた。
いわゆる「推しの推しが推しだった」という状況だが、これほどの救いがあるだろうか。
大半のファンが「パルプ? 誰それ?」と通り過ぎてしまうその一言を、私だけは「私の誰にも言えなかった聖域と繋がった!」と、全身の震えとともに受け止めることができたのだ。
私が大学生の頃、自分は変な人間だと悩み、決して誰にも誇れなかった孤独な青春時代。それは無駄でも、間違ってもいなかった。
ジェラルド・ウェイと同じ感性に至るため。彼と同じように不格好な世界の真実に触れるため。あの孤独な深夜のラジオは、私にとって絶対に通過しなければならない必要な訓練期間だったのだ。
そう確信した瞬間、過去の自分のすべてが、圧倒的な肯定感とともに書き換えられていくのを感じた。
【第4章】ヒーローと異端児。二人が共有する「美しき敗北」の美学
マイ・ケミカル・ロマンスとパルプ。一見すると、この二つのバンドは全く違う生き物のように見える。
片方は、絶望を演劇的なまでに壮大に歌い上げ、世界中を熱狂させたスタジアム・ロックのヒーロー。
もう片方は、よれよれのスーツを着て、スーパーマーケットや安アパートで起きる普通の人々の情けない日常を、ねっとりと皮肉るイギリスの異端児だ。
でも、ジェラルドが「パルプを聴いている」と答えたあのテキストを見た時、私の中で二つの点が見事に線で繋がった。
彼らが表現している根底のテーマは、驚くほど同じなのだ。
それは、完璧な人間なんていないし、世界はどうしようもなく壊れているという残酷な真実だ。
ジェラルドが描く死や絶望の裏には、それでも俺たちは救われない、不完全な存在だという脆さがある。
そしてジャーヴィスは、恋愛のどうしようもない未練や、人間の卑俗な欲望を、恥ずかしげもなくステージの上で曝け出す。
彼らはどちらも、世間が求める正しくて強い主人公になることを拒絶している。その代わり、傷だらけで、情けなくて、時には滑稽ですらある敗北者の姿を、誰よりも美しく、セクシーに描き出してみせるのだ。
マイケミの音楽で心の底から感動すること、パルプの音楽で情けない自分を笑うこと。表現の仕方が違うだけで、それはどちらも、この息苦しい世界を生き抜くためのシニカルな生存戦略だったのだ。
だが、だからこそ断言できる。あえて『Babies』や『Underwear』の狂気に惹かれる人間には、アメリカのクリーンなメインストリームには絶対に適合できない、どうしようもない歪みがあるのだ。ジェラルドも、そしておそらく私も。
【第5章】点と線が繋がった夜。私はこれからも、この愛すべき「毒」を飲み続ける
大学生の頃の私は、周りの空気に馴染めず、パルプの皮肉めいた音楽に逃げ込むことでしか自分を保てなかった。マイケミに出会ってからも、「なぜ私はこんなにも、彼らの抱える闇や痛みに惹かれてしまうのだろう」と不思議に思うことがあった。
でも、12年前のジェラルドのあの短い回答が、すべての答えを教えてくれた気がする。
私がずっと惹かれていたのは、表面的なメロディやファッションじゃない。
彼らが音楽の奥底に隠している、人間のどうしようもない不完全さを愛する視点だったのだ。
私が孤独な夜に一人で聴いていたあのきついシェフェールド訛りのおじさんがパリから話す変てこなラジオ番組は、数年後に私を救ってくれるヒーローの感性と出会うための、大切な準備期間だった。そう思うと、あの頃の報われなかった自分が、少しだけ誇らしく思えてくる。
深夜の部屋でパルプの新しい音を聴きながら、私は今、不思議な安堵感に包まれている。
世間の「普通」には一生なれないかもしれない。
でも、ジェラルド・ウェイとジャーヴィス・コッカーという二人の天才が、この不格好で情けない世界を肯定してくれている限り、私は大丈夫だ。
私はこれからも、この愛すべき「毒」を喜んで飲み続ける。そして、誰にも理解されなくても、心の中で彼らの音楽を鳴らしながら、最高にシニカルなステップを踏んで生きていくのだ。
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