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【Pulpだと思ったらBlurグレアムが乱入】(MUSEもね) UKロック拗らせオタクが暴く『Hesitant Alien』。 MCR ジェラルド・ウェイの細かすぎるオタク趣味と「同期」した瞬間

My Chemical Romanceのフロントマン、ジェラルド・ウェイ

彼のエモのカリスマとしての顔しか知らない人は、彼のマイケミ解散後のソロアルバム『Hesitant Alien』を聴いて「なんかポップで明るいね✨」という、極めて低解像度な感想を抱いて終わるだろう。

世間の音楽メディアや公式のインタビューなんかを見ると、「ブリットポップからの影響」だとかUKロックへのラブレターみたいな、綺麗にまとまった無難なレビューばかりが並んでいる。

だが、少しでもUK/USロックの文脈を読み解ける耳があれば、このアルバムが90年代の偉大なバンドたちのアーキテクチャを、強引にマッシュアップした狂気のフランケンシュタインであることに気づいて戦慄するはずだ。

ジェラルド・ウェイは、単に好きなバンドの真似事をしたのではない。彼は、絶対に混ぜてはいけない異なる年代のUKロックのソースコードを、1曲の中で強引にコンフリクト(衝突)させるという、極めてハイリスクな音響実験を行っているのだ。

この記事を始める前に、一つだけ予防線を張らせてほしい。

僕はギターの弾き方なんて一切知らないし、音響の専門知識も持ち合わせていないただのドラム狂だ。
(あ、マイケミのギターが好きすぎて最近ギターはじめてみました 2026 4月追記)

私はただのドラマー🥁と押し付けられた伴奏を弾かされたピアノかじったことある程度の吹奏楽軍隊出身のゆるっと勢だし、MUSEやBlur、Pulp、Radioheadといった90年代のUKロックを、耳から血が出るほど無限再生してきただけの重度なオタクだ。

でも、このアルバムを聴いた時、僕の耳はポップで明るい曲の裏側で暴れ回る、とんでもなく異質で暴力的なギターノイズの衝突をはっきりと捉えてしまった。

「いくらなんでも、Pulpの安っぽい曲調の中にグレアム・コクソンが乱入してくるわけがない」
「ここで一瞬だけ、初期MUSEの冷たいギターを完全に再現するなんて変態すぎる」

最初は、UKロックを拗らせすぎた自分の妄想かと思った。

だが、客観的な音響の視点からこの違和感を検証してみた結果、どうやら僕のこのオタクの直感は、音の事実として完全に証明できるらしい。

公式のUKロックへのラブレターなんていう綺麗な言葉に騙されてはいけない。

今回は、ジェラルドがソロ曲の奥底に仕込んだあからさまなリスペクト(あるいはパクリスレスレ?のオマージュ)を、ビビッときた曲ごとにコメントしていく。

UKロックもUSオルタナも好きな僕個人の、一人の音楽偏愛オタクとしての率直な感想をここに書き残しておく。

1. 『Get the Gang Together』:完全にBlurの「13」期プロトコル

この曲のイントロが鳴った瞬間、思わず「グレアム・コクソンやんけ!」と叫んだ。震えた。

背後で鳴り続けるピコピコとした不穏な電子音と、意図的に不協和音をぶつけてくるザラついたギターのノイズ。

そして、MCR時代のフルパワーな絶唱を捨てた、デーモン・アルバーンばりの斜に構えた鼻声ボーカル


あからさまにソロアルバムの中でもジェラルドはこの曲の歌い方を意図的に気だるげにしている。

これはどう聴いても、Blurがブリットポップという殻を自ら破壊し、グレアムが精神を削りながらノイズを撒き散らした名盤Blurや13期の完全なエミュレートだ。綺麗に整ったロックに対する、最高にシニカルなハッキングである。

2. 『Juarez』:突如として起動するNirvana(グランジ)の重低音と重力(Gの加速)

UKロックへの愛が溢れているアルバムの中で、この曲だけ突如としてUSグランジの重い扉が開く。この曲はなんとなくシアトルの地下室の匂いがする。


グレアム的な乾いたノイズとは明らかに違う、地を這うような重低音の歪み(サチュレーション)。そして、静寂なAメロからサビで一気にリミッターを外すLoud-Quiet-Loudのダイナミクス。

ジェラルドはこの曲に、カート・コバーン的な泥臭い歪みをパッチ適用している。ポップなグラムロックの皮を被りながら、その実、極めて重心の低いグランジの絶望感を実装しているのだ。

3. 『Maya the Psychic』等:一瞬のMUSEと、シューゲイザーへの強制切り替え

個人的に一番笑ってしまった(そして戦慄した)のが、曲の序盤や繋ぎの数秒間に仕込まれたマシュー・ベラミー(MUSE)の過剰なピロピロだ。

たぶん世界中のレビューを探しても誰も指摘していないと思うが、Aメロ前のギターの刻みやアルペジオから、あからさまに90年代後半〜初期MUSEの数学的で冷たい不穏さと過剰なまでの不思議ちゃんギター音が放たれている。あそこだけ完全に初期のマシュー・ベラミーが降臨しているのだ。

具体的に何が起きているのか、少し細かく解剖させてほしい。

①「乾いた刻み」の正体=機械的なミュート
冒頭で鳴るあのギターは、パンクやオルタナによくある「ジャーン」というルーズなコード弾きではない。弦をミュートして余分な倍音を完全に殺し、打楽器のように「ジャッ、ジャカッ」と正確に刻む、いわば冷徹な無機質化の響きだ。

これはマシュー・ベラミーが『New Born』のAメロや『Bliss』の裏で鳴らしている、あの「感情を排したような、数学的で乾いたカッティング」のアプローチがそのまま適用されている。

ロック特有の熱量や揺らぎをわざと排除した、あの特有の「冷たさ」が完全に再現されているのだ。

②「ピロピロ(アルペジオ)」=クラシックと狂気の融合
そして、その乾いた刻みに乗っかる「ピロピロ」という高音域のアルペジオ。
これもブルース由来のペンタトニックスケール(手癖)などではなく、クラシック音楽(特にラフマニノフなど)の和声を意識した、「階段を正確に上り下りするような不自然な音の跳躍」になっている。

(実際MUSEは作品でラフマニノフ曲のピアノやメロディを使って演奏したり、クラッシック音楽の影響を徹底的に取り込んで曲作りをしている)

③複雑な空間系(フェイザーとディレイ)
さらに、それらの音にエフェクター処理を掛け、音が三次元的に回転しているような宇宙的で過剰な装飾を施している。

ジェラルドはここの曲の一瞬で、マシューがファズファクトリーを暴れさせながら弾き狂う、あの宇宙的で過剰な装飾を100%意図的にオマージュしている。

おっ、ここでMUSEのベラミー節が炸裂したなと思ったのも束の間、サビに入った瞬間にそのミューズ感の主張は後ろにひっこむ。

このひっそりと仕込まれたマシューの狂気の再現度は、UKロックオタクとして笑うしかないレベルで完璧だ。

代わりにドロップされるのは、My Bloody Valentine的なシューゲイザーの音の壁(Wall of Sound)。

数秒前までマシューの冷徹で謎な壮大なギターのコード進行が走っていたのに、サビで突如として空間を塗りつぶす多幸感へと強制的にコンテキスト・スイッチされるのだ。

この一瞬だけMUSEの波形を完全再現するという執念は、もはや狂気の沙汰だ。ジェラルドの遊び心。

あ、MUSE感に秒で気がついたのは私が高校時代からMUSE何年も無限再生していたからです🤣
 
4. 序盤のPulpから急に「グレアム」が乱入してカオスになる『No Shows』

最後に、世間のレビューやジェラルド本人のインタビューで散々語られている「Pulpからの影響」について。

正直に言うと、最初はアルバムを何度聴いてもどこがPulpなの?と全くピンときていなかった。シニカルな態度とか、フロントマンとしての立ち振る舞いのことかな?とすら疑っていた。

でも、『No Shows』を改めてじっくり聴き直して、思わず笑ってしまった。

曲の序盤、あのプラスチックみたいにペラペラでチープなシンセや、少しダサくて演劇的なスカスカのサウンド……めちゃくちゃジャーヴィス・コッカー(Pulp)の世界観じゃないか。僕の耳が完全に騙されていた。

だかこの曲を「Pulpの影響ですね」と一言で片付けるライターは、耳鼻科に行った方がいい。

序盤のサウンド・アーキテクチャは、確かにPulpだ。

意図的に重低音と超高音を削ぎ落とし、中音域(500Hz〜1kHz)だけをポコポコと鳴らすカマボコ型のチープなEQ処理。 これはジャーヴィス・コッカーが得意とした、プラスチックのような安っぽい舞台セットの構築である。

ただ、本当に狂っているのはここからだ。

そのままPulp全開の安っぽいサウンドで押し通すのかと思いきや、中盤以降、突如としてグレアム・コクソンが召喚されるのだ。

このペラペラな空間に、突如として2kHz〜4kHzの人間の耳に最も痛い帯域を異常にブーストさせたファズ・ギターが乱入してくる。

グレアム・コクソン(Blur)のシグネチャーとも言える、あのヒリヒリした不協和音のノイズだ。

ジャリッとした不協和音と、耳を突き刺すようなヒリヒリしたギターノイズが急に乱入してきて、曲の中身が一気にBlurの世界へと引きずり込まれる。

Pulpのチープな舞台セットの上で、グレアムがノイズギターを掻き鳴らして暴れ回っているような、完全なカオス状態。

通常、こんな極端にEQの異なるサウンドをぶつければ周波数が大渋滞を起こしてミックスは破綻する。しかしジェラルドは、これを計算されたバグとして成立させた。

なぜこんな事をしたのか? おそらく、アメリカ人のジェラルドが100%のPulpをやってしまうと、単なる80〜90年代の薄っぺらいB級パロディになってしまうという致命的なリスクを本能的に察知したからだ。

そこで彼が選んだ解決策が、曲の骨組みはPulpの演劇性を保ちつつ、その安っぽさが浮き足立ちそうになる瞬間に、Blur(グレアム)の暴力的なノイズという重しをガツンとぶち込むという荒業だった。

この曲は、Pulpの軽薄さとBlurのヒリヒリしたノイズを縫い合わせた、極めて歪で美しいつぎはぎのモンスターなのだ。

この力技こそが、ジェラルドの底知れないUKロック愛と、オタク特有のヤバさ(褒め言葉)を証明している。

「100%のPulp」が抱える致命的なリスク
Pulp(特にジャーヴィス・コッカー)のあのチープでスカスカなサウンドは、イギリスの階級社会に対する猛烈な皮肉と、ジャーヴィス自身の特異なカリスマ性があって初めて成立する猛毒だ。

アメリカ出身のジェラルドが、あのプラスチックのような安っぽいシンセポップを100%の濃度でやってしまったらどうなるか?

結果: 単なる80〜90年代のチープなパロディ(薄っぺらい失敗作)に陥ってしまう。ジェラルド自身も、その軽すぎるリスクを本能的に察知していたはずだ。

グレアム・コクソンという「重し(ノイズ)」の投入
そこでジェラルドが選んだ解決策が、曲の骨組み(リズムやチープなシンセ)はPulpの演劇性を保ちつつ、そこにBlur(グレアム)のジャリッとした暴力的なギターノイズをぶち込むという荒業だ。

効果: Pulpの安っぽさが浮き足立ちそうになる瞬間に、グレアム的なギターがガツンと殴りかかってくる。このコンフリクト(衝突)によって、曲に「ロックバンドとしての生々しい説得力と緊張が生まれる。

ジェラルドはPulpっぽい曲を作ろうとしたのではなく、Pulpの舞台セット(安っぽさ)の中で、グレアム・コクソンにギターを弾かせたらどうなるか?という、オタク特有の妄想を1曲の中で強引に実現(マッシュアップ)させてしまったんだ。

1. 序盤(Pulp・プロトコル): スカスカでチープなビートと、プラスチックのようなシンセ。あえて安っぽい舞台セットを組む。

2. 中盤(グレアム召喚): その安っぽさがただのB級パロディに堕ちる寸前、いきなりジャリッとした不協和音のギターノイズをドロップする。

この曲は、Pulpの軽薄さとBlurのヒリヒリしたノイズを縫い合わせた、極めて歪で美しいつぎはぎのモンスターと言える愛らしさを感じた。

結論:彼は「最高に拗らせたUKロック・エンジニア」だった

ジェラルド・ウェイは、単なるボーカリストではない。彼は自分が愛した「グレアムの皮肉」「カートの痛み」「マシューの過剰さ」という部品を、緻密な計算の元に再構築したチーフ・アーキテクトだ。

普通に考えれば、Pulpの安っぽさとBlurのノイズ、そしてMUSEの過剰なデジタル感を1枚のアルバムに詰め込めば、それは「聴くに耐えないゴミ」になる。

では、なぜこの変態的なマッシュアップが最高のアートとして成立しているのか?
それは、このアルバムのミキシングを担当したのがチャド・ブレイク(Tchad Blake)だからだ。世界中のエンジニアが「どうやったらこんな汚くてカッコいい音になるんだ」と頭を抱える、ノイズと歪みの魔術師。

ジェラルドというチーフ・アーキテクトが描いたヤバすぎる設計図を、チャド・ブレイクという最強の職人が強引に溶接した結果が、このアルバムなのだ。

※追記
と、まとめてはみたが、いちばん好きな曲についてここに書くか迷ったが一旦この記事に追加させて欲しい。深夜に書いて記事投稿したのでこのような追記になったことは許して欲しい。翌朝聴いてやっぱりここに書かずにはいられない!って書きましたが超長文記事っすね今回もいつもに増して推し語り長文です。

5 Millions

率直に、このアルバムで1番好きな曲かもしれない。めちゃくちゃ落ち着くクセになるメロディラインで何度でも聴きたくなる。

※この曲は大好きすぎて歌詞の和訳もしてみたので、深読み考察興味ある人は覗いてみてね。


また、この曲を聴く前に、そもそもタイトルの時点で私は不朽の名曲を思い出した。

私が思い出した曲は Heroesである。
タイトルだけで似てるじゃん!って興奮した私は、後に音源を聴き比べて震えることとなる。

  1. Heroes Millions のタイトル
    まず、タイトルの構造からして、どちらも一単語の複数形で、極めてシンプルでありかつどこか退廃的で巨大なスケール感を内包する。無駄な装飾を削ぎ落とし名詞一つで世界観を叩きつける。
    このスタンスはまさにボウイがHeroes で確立した美学そのものだ。

  2.  コード進行の構成

記事公開した後に追加しました。
ここのSpotifyリンクで交互によく聴いたら、Heroes の印象的なピアノ4音での伴奏パターンと似たような音階の動きでガヤガヤギターで似たような音の動きしてません?!

一見シンプルなボウイのピアノ伴奏と似てるって音階ある楽器やってない人間なのでギターノイズに気を取られてましたが、ジェラルドウェイ絶対意識してますよこれ。

3. 音の響き
剥き出しの音という共通のアーキテクチャ。ジェラルド本人が公言している通り、UKロックへのラブレターとして設計されている。

ボウイの「Heroes」もジェラルドの「Millions」も、過剰な装飾を削ぎ落とした、少しザラついた手触りの音像(ローファイな質感)が特徴だ。

MCR時代の「分厚いギターの壁」というレガシーな武装を解除して、あえてスカスカで不完全な、でも体温を感じるサウンドを選んだ点は、ボウイが『LoW』や『Heroes』で見せた「華やかなスターからの脱却」というプロセスと完全に入れ子構造になっている。

4 不器用な愛の描き方

  • Heroes:「僕たちは1日だけならヒーローになれる(We can be heroes, just for one day) . 
    いう、絶望の中にある一瞬の光。

  • Millions: 歌詞の中に漂う、完璧じゃない自分たちや、何かを失いながらも進む意思。

  • Can I be your number one? で最後ファンの私は彼の苦悩とバンドの解散を想像しながらこの歌詞の裏を想像して泣ける。
    どちらも万能な神としてではなく、傷だらけの人間として歌っている。

5 ビジュアルのシンクロニシティ

『Hesitant Alien』時代のジェラルドのトレードマークだった真っ赤な髪と鮮やかなブルーのスーツ。

これはボウイの『Life on Mars?」や、80年代の『Let's Dance」期のスタイルを、ジェラルドなりに現代のシステムへ再実装したものだと言われている。

ジェラルドも青いスーツをこのアルバム衣装として着ています。

ボウイが火星から来た男(Ziggy Stardust)なら、ジェラルドはためらいがちなエイリアン(Hesitant Alien)......タイトルの付け方からして確信犯だ。

おわりに
『Hesitant Alien』は、無難なポップスではない。

ロックの歴史を波形レベルで解体し、継ぎ接ぎにした、最高にDirtyでDeliciousなモンスターである

もしあなたが次に『Hesitant Alien』を聴くときは、そのポップなメロディの裏で「誰と誰のギターサウンドがコンフリクト(衝突)しているかをスキャンしてみてほしい。そこには生々しくて独自の哲学に基づいたロックの歴史が詰まっているのだから。


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