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タトゥーを入れたかった私が、日本で入れるのを諦めて気づいた偏見の悪循環

裏ピースぶちまけたい気分(イギリス裏ピースで意味は調べてね✌🏻)

この記事のBGMはこれ!


私は、タトゥーという文化が結構好きだ。

好きなアーティストや推しががっつりタトゥーを入れていることもあって、純粋にかっこいいと思うし、偏見はほぼない。思えば幼稚園の頃、英語の先生が「タトゥー入れたんだよね」と気軽に見せてくれたことがあり、その時の「へえ、楽しそうだな」というフラットな感覚が今でも自分の中にあるのだと思う。

あ、あと純粋に推しが大体全身タトゥー人間です

またさっき推しのFrankのタトゥー増えてて爆笑しました
毎月入れてるな????どこまで増えるん?
このインスタ眺めて書き始めましたこの記事w
BMTH のOliはよく見たら耳たぶにまで入ってますね🤣
Oilの弟のTomさんはタトゥーアーティストです
ちなTomさんに会ったことあるわw
フェラーリ見せてくれた🏎️

実際、今の私たちの周り(Z世代)を見渡せば、ファッションタトゥーは確実に市民権を得ている。街を歩けば、「クールでいいよね」とワンポイントのタトゥーを気軽に入れている若い子たちはいくらでもいるし、それをいちいち反社会勢力だと怯える若者などいない。私たちの世代にとって、それは純粋な自己表現であり、ただのファッションの一部だ。現場の文化は、すでに完全にアップデートされている。

だからこそ、本気で自分でもタトゥーを入れたいと真剣に検討した時期があった。でも、現実的なリスクを色々とシミュレーションした結果、「さすがに今の日本ではきついな」と諦めてしまった。

温泉やプールに入れないのも面倒だが、決定打になったのは医療面での不安だ。

タトゥーが一般的な欧米ならいざ知らず、今の日本で、もし事故で死にかけた時やMRI検査が必要になった時、タトゥーに不慣れな医療現場で処置を断られたり、後回しにされたりしたらどうするのか。そう冷静に考えてしまったのだ。

そして、この諦めの結論に至った時、ふとある皮肉な事実に気がついた。
それは、日本の厳しすぎるタトゥー規制や不便さが、かえって世間の偏見を強めてしまっているのではないかという仮説だ。

私のように純粋にタトゥーが好きで、フラットな目線を持っている人間ほど、実生活での圧倒的な不利益や医療リスクを天秤にかけ、「日本ではやめておこう」という堅実な選択をしてしまう。
その結果として、今の厳しい日本社会で実際にタトゥーを入れる選択をするのは、「あらゆる不便を背負ってでも自己表現を貫く強い思想を持った人」か、「そもそも既存の社会ルールに縛られずに生きている人」の割合が相対的に高くなる。
するとどうなるか。

タトゥー文化に馴染みのない世間の人から見れば、そういう枠組みに縛られない人たちの姿ばかりがどうしても目についてしまう。

その結果、「やっぱりタトゥーを入れている人は、自分たちの一般的なルールとは違う世界の人だ」という印象がより強調され、それがさらなる警戒心や厳しいルールを生む原因になってしまうのではないか?

本来の文化としてのタトゥーが自然に受け入れられる前に、社会の厳しすぎる制約そのものが強力なフィルターとして機能してしまい、結果的に「謎の偏見」を自ら再生産し続けている。

純粋にタトゥーが好きで、いつかフラットに楽しめる社会になればと思っていた身としては、この分断のループがただひたすらに悲しく、もどかしい。

もちろん、ここで一つ冷静な事実も付け加えておく。
タトゥーが一般化している欧米社会だからといって、向こうが何でも受け入れてくれる完全無欠のユートピアだなんて無邪気な勘違いをするつもりはない。

向こうであっても、顔や首、手の甲といった服で隠せない部位にがっつりインクを入れれば、まともな企業への就職は一気に絶望的になる。ジョブ・ストッパー(職を終わらせるもの)と揶揄され、社会から強烈な偏見と実生活での不利益を被るのは向こうでも同じことだ。

だが、彼らは社会的な場にふさわしいかという基準で判断し、線を引いている。

一方の日本はどうだろうか。ワンポイントのファッションタトゥーだろうが、背中一面の和彫りだろうが、肌にインクが入っているという視覚情報だけで、一切合切を思考停止で排除する。この違いを見極める気すら無い怠慢と極端な事なかれ主義こそが、私が一番うんざりしている部分なのだ。

若者の間ではすでに当たり前になっている文化が、なぜ社会のシステム上ではここまで徹底的に排除され、命の危険すら伴うのか。

その理由を突き詰めた時、私の内側から湧き上がってくるのは「諦め」や「悲しみ」などという生易しいものではない。明確な「怒り」だ。

男尊女卑、マイノリティへの差別、そしてタトゥーへの異常な偏見

日本のあらゆる感覚が、なぜ昭和で止まったままなのか。その答えは極めて残酷で、シンプルだ。

まともに労働もしていない、古い価値観に固執するだけの層が、民主主義という「数の暴力(シルバー民主主義)」を悪用して、現役で働く労働世代や、これからの未来を生きる子供たちの首を真綿で締め上げているからだ。

彼らは自分たちが「不快に思わないこと」だけを最優先し、社会の新陳代謝を完全に塞ぎ止めている。その事なかれ主義と既得権益の維持のために、若者の自由や多様性、そして新しい文化が平気で踏みにじられているのが、この国の正体だ。

歴史を振り返れば、天動説から地動説への「コペルニクス的転回」が起きたのは、古い学者が間違いを認めたからではない。古い世代が寿命を迎え、物理的に歴史から退場したからだ。

今の日本の絶望的な停滞も全く同じだ。彼らの古い価値観を説得することなど不可能であり、この社会が真の意味で変わるのは、日本の未来を食いつぶしている彼ら「化石世代」が完全に退場した時だけだろう。

自分たちの退屈な平穏のために、これ以上若者を苦しめるな。

私たちがただ純粋に「クールだね」と笑い合える自由を、あなたたちのその古い偏見で奪い続ける権利など、もうどこにもないはずだ。

さっさとquarto

(とりあえず音楽ブログだし全身タトゥーだらけの推しの動画置いておきますね)


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