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マイケミが東京を飛ばした理由:『ライブ下手』というガラパゴスの妄想が招いた結末 日本でブラックパレード観れなくていいのか?

今回のマイケミのアジアツアー、なぜ東京がない?

ジャカルタ、クアラルンプール……アジアの主要都市を巡りながら、なぜ東京だけが綺麗に地図から消されているんだ。ふざけるな。僕は今、この状況にブチギレている(私はMCRmyなので、普通に勝手に1人で戦いますから今回は一応ロジカルに大量の証拠と共にキレさせて)

多くの人間は「スケジュールが合わなかっただけ」などと呑気に構えているが、現実はもっと残酷だ。世間では「円安のせいだ」「日本市場の縮小だ」なんて、もっともらしい経済的理由が並べられている。だが、現実の腐敗はもっと根深い。東京が見捨てられた原因の一つは、間違いなく日本国内に蔓延するあの腐りきった「音楽評論家ごっこ」の連中にあるだろう。

日本が、東京が見捨てられたんだよ。

昔はマイケミ東名阪と川崎まで回ってくれたのにねぇ???

ライブだけじゃない。今回のDanger Days15周年記念版のリリースを見ろ。新しいグッズは日本には何一つ追加されず、公式サイトから届くメールに埋め込まれたリンク先はオーストラリアの通販だ。

日本のワーナー公式通販? 見てみろよ。過去の売れ残った在庫が埃を被ったまま放置されているだけのゾンビ・サイトじゃないか。

結局、僕はアメリカの公式から直接買い、それでも売り切れていたアイテムをオーストラリアから取り寄せる羽目になった。(下記はアメリカから注文して結局この後オーストラリアからも買ったオタクです😇)

決済画面のUSドルを見ながら一瞬ひるんだものの、大好きなバンドの15周年記念アイテムを前に、オタクの脳内決済ボタンは自動連打される仕組みになっている。無事にUS公式でチェックアウトを済ませた……はずだった。
しかし、USで売り切れていたアイテムがどうしても諦めきれず、オーストラリアのサイトへも追撃をかけることに。
US公式での購入: $400 USD
オーストラリアでの追加購入: 数万円分
トータル課金額: 約100,000 JPY
……ん???
400ドルで「ひー」とか言っていたくせに、気がつけば10万円の大台を余裕で突破しているではないか。自分自身のチョロいオタクっぷりに乾杯するしかない。
そして最後に、これだけは声を大にして言いたい。

円安が憎い!!!!!!!!!!!!
1ドルがまともなレートなら、こんな致命傷にはならなかったはずだ。160円の攻防戦を突破したら介入虚しくもどんどんどんどん円安だからな😫😡😡😡😡😡😡🤬🤬🤬🤬

流石に政策がおかしい

1ドル162円超え。
もはや一時的な為替のブレなどではない。5年という長期スパンで見ても、完全にこの国の経済政策はバグを引き起こしている。ただ海外のバンドのグッズを正規ルートに近い価格で買いたいだけなのに、なぜ私は日銀(は頑張ってるけどもう血税で介入大量にしてもこれ5月とかに大量に介入で大金ぶち込んでたのに結局160ライン超えて死んだ)と政府の無策のツケ(円安でホクホクって自民党は言ってますよ💢一般市民は死んでるよ💢)を、USとOZの決済システム経由で払わされているのか。
流石に政策がおかしい。

日本の音楽インフラの死と、狂った為替レートという二重のバグのせいで、私たちの熱狂は常に割増料金を支払わされている。

ファンが自分の国で正規の流通網を使えず、わざわざ海外から輸入しなければならないこの異常な状態。これこそが、日本がグローバルな音楽市場のサプライチェーンから切り離された動かぬ証拠だ。

マイケミなんて人気ないだと? 冗談は休んでくれ


つい数日前、彼らはイギリスの伝説、ウェンブリー・スタジアムで3公演もやってのけ、すべて完売させた。あのイギリスの国民的バンドのBlurですら2公演だった聖地で、だ。
Blur at Wembley Stadium: 2023年7月8日、9日の計2公演。
My Chemical Romance at Wembley Stadium: 2026年7月8日、10日、11日の計3公演。

彼らはイギリスのレディングで、2006年当時ペットボトルを雨あられと投げつけられる地獄を味わいながらも、今や聖地ウェンブリー・スタジアムで3公演を完売させる存在になったんだ。

僕のインスタの知人も現地に行っていたが、バンドの公式アカウントに投稿された映像を見れば一目瞭然、スタジアムは毎日、隅々まで観客で埋め尽くされている。

2006年にペットボトルを投げつけられたバンドが、20年後にウェンブリーを制圧する。この歴史的な復讐劇 (Sweet) Revenge を知っていれば、今さら「人気がない」なんて寝言は吐けないはずだ。

世界中の人間が彼らの演奏に熱狂し、スタジアムを揺らしている。日本だけが「ライブが下手」という妄想の中で、勝手に文化的な孤立を深め、アジアツアーから切り捨てられているんだ。

「マイケミは好きだが、ライブは下手で有名」

SNSやブログで、このデマ同然のレッテルを執拗に貼り続けたのは誰だ?
根拠もなく、ただ自分の主観と薄っぺらい空気感だけで、世界的なバンドのライブ評価を矮小化し続けたお前らだ。

実際、検索してみろ。noteやブログ、Xで、この定型文が判を押したように繰り返されている。たまたま1〜2人が言っているのではない。検索上位で5人以上も見つけた時点で、もう数えるのをやめた。これほどまでに見事なまでの思考停止のコピー&ペーストが、日本の音楽ファンの間で常識として罷り通っているのだ。

正直、その一つ一つの記事に「え、どこが下手なんですか? 純粋にあなたの耳の基準と判断基準が気になるので、具体的に教えてください!」とコメント欄で問い詰めてやりたい衝動に何度も駆られたよ。だが、やめておいた。そんな無意味な定型文を垂れ流している連中に、まともな論理的説明を求めるだけ時間の無駄だからな。

彼らがやっているのは「批評」ではない。自分たちの了見の狭い「審美眼」を特権化し、一般リスナーを冷笑することで「自分たちは分かっている側だ」とマウントを取るための、市場破壊行為だ。
彼らが「洋楽はこう聴くべき」「ライブはこうあるべき」という狭いルールを押し付けたせいで、本来は自由であるはずの音楽を楽しむ行為が、日本でどれだけ息苦しいものになったか。彼らが撒き散らしたその「下手」というデマ同然のレッテルのおかげで、日本の市場としての価値は相対的に下がり、若いファンが新しいバンドに出会う機会を、彼ら自身の薄っぺらい批評が自ら摘み取ってきたんじゃないのか?

その結果、どうなった?
この腐った「レッテル」が、日本の音楽市場をどれだけ蝕んでいるか分かっているか?

「日本は保守的でネガティブなノイズが多い」という悪しきイメージが定着し、プロモーターやバンド側の判断に影を落としているんだよ。

マイケミは下手、それ、8割はただの事実誤認だ。残りの2割は精密さというたった一つの物差ししか持っていない人間が、全く違う競技のスコアを勝手に採点してふんぞり返っているだけだろう。

そもそも、僕がこの記事をスマートフォンの画面をタップして書き殴っている引き金は、わざわざロンドン公演まで足を運んだある人間の能天気なブログ記事を見たことだ。

ロックの本場まで行って本物を目の当たりにしているのに、冒頭から「マイケミはライブが下手で有名ですが〜」などとほざいていた。ガラパゴスも極まれりだ。グローバルな音楽シーンの最前線で、今どきそんな時代遅れな寝言を言っている人間は誰一人としていない。ファンとしてライブを楽しんでいたようだから百歩譲って見逃すが、あの思考停止の書き出しだけは絶対に許さない。

昨日、SNSで極めて冷静なリスナーが「日本の害悪な『空気読み(同調圧力)』のせいで、2000年代のニューメタル(LimpやLP) が不当にバカにされすぎている」と的確な指摘をしていたのを見た。まさにそれだ。マイケミに対する「下手」というレッテルも、誰かの評価を右から左へ受け流す、この薄気味悪い同調圧力が生み出した集団幻覚に過ぎない。

そもそも、君たちは何か根本的な勘違いをしていないか? 君たちが崇拝するMUSEのような「超絶技巧の精密バンド」は、ライブ中にモッシュピットを開けとは煽らないし、バンド側もそんな暴動は望んでいない。だが、ジェラルド・ウェイはどうだ? 彼はライブのど真ん中で「Open up the mosh pit!(モッシュピットを開け!)」と煽り、「お前らジャンプしろ!」「男はシャツを脱いで振り回せ!」と叫び散らす。

いいか、マイケミのライブは綺麗に座って聴くお上品な発表会じゃない。彼ら本人も、そして集まる観客も、根本的に血の気の多い「暴動系(モッシュ煽りまくるバンドは私が勝手にそう呼んでる)」なのだ(笑)。このいつ破綻してもおかしくない暴動レベルのカオスの中で、奇跡的なアンサンブルを成立させるバンドを、ノーミスの予定調和を至上とする物差しで測ろうとすること自体が、滑稽な思い上がりである。

そもそも、日本の音楽レビューって美学がなさすぎないか?

他人の意見と空気を読んで、それに合わせてふわっと感想や思い出をふりかけているだけの同調レビューが多すぎる。
お前ら、もっと自分の感覚を前面に出して言葉を尽くせよ‼️

「マイケミのライブは下手」とドヤ顔で言うなら、具体的に「どの曲の、どのフレーズの、何がどういうふうに下手なのか」すら書けないのか?

ここで一つ言っておくが、僕はただの盲目的なマイケミ信者じゃない。

僕はアークティック・モンキーズも大好きだが、10年前にアレックス・ターナーのライブ音源を聴いた時、彼がハイトーンを死ぬほど外しまくってメロディラインが安定していないのを聴いて、「あ、普通にライブ行くのはやめとこw」とドライに判断した。アコースティックアレンジは今でも無限再生するほど好きだけど、ライブ音源としての瑕疵は瑕疵だ。

はい、どうでしょう? 僕は好きなバンドであっても、気に入らない点はこれだけ明確に自分の感覚と価値観で言語化できますけど?

それに比べて、ネットに転がっている「マイケミ下手」という言葉はどうだ。

根拠も判断基準も出さずに「下手」の一点張りだ。
そんな中身のすっぽ抜けた下手だから下手って論理破綻した主張に何の意味があるんだ? お前らのコピペみたいな同調レビューに、一体なんの価値があるんだよwwww

下手だから下手って、それただのトートロジーだろ。

そもそもお前ら、自分の脳みそで考えることを放棄して、「ワタクシも周り(日本だけやぞ)も下手って言ってるし、とりあえずそう感じるから下手なの!」という主観の押し売りを連呼してる自分に、一切の違和感はないのか? やっぱバカなのか?

そもそもお前ら、英語で情報漁ってるか?


僕はYouTubeの動画のコメント欄を何十本も漁りまくっているが、日本語以外で「マイケミのライブは下手」なんてコメント、何百件探しても一つも出てこない。それどころか、英語圏でもスペイン語圏でも(自動翻訳を使えばいくらでも読めるぞ)、彼らのライブ演奏やジェラルドのボーカルを絶賛する声で埋め尽くされている。

いい加減、自分がどれだけガラパゴスな極東島国でズレたことをほざいているか自覚したらどうか?お前らが、マイケミは好きですがライブが下手!というデマ同然のレッテルを執拗に貼り続けたせいで、日本の市場としての価値が相対的に下がったんじゃないのか?

「好きなんだけど、ライブは下手で有名」という一見もっともらしい枕詞が、どれだけバンドの日本側プロモーターのやる気を削ぎ、海外のマネジメントに「日本は保守的でネガティブなノイズが多い」という判断を下させる材料になっているか。連中には想像力というものがないのか?!?!?!?!?!

新規ファンがそのデマを真に受けて「え、マイケミ下手なの?」と刷り込まれる悪循環を作ったお前らのせいもあるだろ。アホかよ。お前らが撒き散らした悪印象のせいで、これからバンドと出会うはずだった若い芽を摘んでいるんだぞ。アホかよ。

King Gnu騒動が暴いた、日本のガラパゴス鑑賞文化

「歌うな」論争、というものを知っているだろうか。

King Gnuがライブで観客に「もっと歌ってほしい」と積極的に呼びかけたことに対して、SNS上で猛烈な反発が起きた。「大声で歌われるとアーティストの歌声が聴こえづらくなる」「静かに聴きたいのに」——この対立は一過性の炎上では終わらず、終わらない論争と呼ばれるほど繰り返し蒸し返される定番の議題になっている。

面白いのは、この論争で「歌わない派」が持ち出すロジックだ。「(海外アーティスト)は歌うのが基本だと言うが、King Gnuは海外アーティストではない。海外の文化を日本のライブに当てはめるべきなのか?」という反論が実際に展開されている。ここには一つの前提が透けて見える——海外式の観客参加型ライブは、日本には輸入する必要のない”よそ者の文化”だという感覚だ。

同じ構造は撮影禁止を巡る言説にも表れている。ロックバンドSiMのボーカル・MAHは、日本のライブの多くが「撮影NG」であることについて、こう言い切った。「日本は国民性のおかげでまだ『撮影禁止』が通用する。それでいい、変える必要なんてない」。そして海外ライブでの撮影OK文化を「先にあるのは自由、さらにその先に無法地帯」と評し、日本の撮影禁止文化を「誇るべき特殊文化」と位置づけた。この発言には多くの共感が集まった。

つまりここにあるのは、単なる「ルールの違い」ではない。「精密に、静かに、行儀よく鑑賞する」ことそのものを、他国より優れた”民度”として誇る価値観だ。これが行き着く先が何かは、もう説明するまでもないだろう。「ステージ上のパフォーマンスに一分の隙も許さず、粗を見つけたら減点する」という態度と、「観客も歌うな、静かに完成品を享受しろ」という態度は、根っこが同じ木から生えている。

そしてこの「減点方式」の評価様式は、感覚論ではなくデータでも裏付けが取れている。だいたい、日本人の「異常に辛口を気取った過干渉な態度」は、ゲームのレビューや海外の宿泊レビューでも世界中で嫌われている。自分のお客様は神様だ!みたいな感覚が絶対だと勘違いして、グローバルな基準から逸脱した独自の「減点法」を押し付ける。その結果がこれだ。世界から面倒な客としてマークされ、文化的な孤立を深めている。

Steamレビュー言語別スコア問題(2025年8月19日〜)

Valve社が2025年8月19日にSteamのレビュー表示仕様を変更し、レビュー総数2000件以上・該当言語200件以上のゲームについて言語別の評価を併記するようになった。この仕様変更で、多くの人気タイトルにおいて他言語圏が「圧倒的に好評」「非常に好評」と評価する中、日本語レビューだけが「やや好評」「賛否両論」という際立って厳しいスコアになる現象が可視化された。ITmedia、Togetter、XenoSpectrumなど複数の日本語メディアがこれを報道してる。

XenoSpectrumの分析記事(2025年8月20日)は、これを日本の減点主義的思考様式と結びつけて説明していて、欧米が長所を積極的に評価する加点主義であるのに対し、日本は欠点や粗を探して差し引く傾向が強いと論じてる。さらに「期待水準の高さが当たり前とされ、それを満たすことは特筆されないが、裏切られると積極的に指摘される」という構造まで言語化されてる。

世界中の宿でもSteamでも日本人のレビューが煙たがられている現実に、少しは目を向けて自分の感覚をグローバル基準に合わせろ。

Steamのレビューで実証されてる「減点方式」という日本語話者の評価様式が、ゲームだけでなく音楽ライブの受容にも同じ構造で作用している可能性が高い。本編が素晴らしくても、粗が見つかった瞬間にそこが評価の中心に来るという思考パターンが、マイケミの熱量パフォーマンス重視・多少の乱れは許容型のライブと相性が悪く、「下手」という結論に短絡しやすい土壌を作っているんじゃないのか。

そんな論理破綻したガラパゴス主観をドヤ顔で書き連ねて恥ずかしくないのか。鏡を見て出直してこい!!!

King Gnuの「歌うな」論争、SiMの「撮影禁止は誇るべき文化」発言、Steamの言語別辛口…

この3つは全くの別ジャンルの出来事に見えて、同じ一つの受容様式の異なる断面に過ぎない。「双方向性」「その場限りの熱量」「多少の乱れを引き受けてでも成立する生の一体感」を評価する語彙が、日本語圏の音楽消費文化にはそもそも十分に育っていないのはこれらの事象から考えられる考察として、ほぼ事実として主張できるだろう。

マイケミの「ライブ下手」評は、この土壌の上に生えた一本の雑草に過ぎない。個別のバンドの技術の話である以前に、日本語圏がライブというものに何を求めているのか、その評価軸自体がそもそも一つの方向に偏りすぎているーーというのが、ここまで積み上げてきた証拠から導ける結論だ。

そもそも測るモノサシが日本語にないんじゃないか

ここまで積み上げてきた「日本語圏のライブ評価は精密さ偏重」という仮説には、実は言語そのものに根拠がある。

英語圏でライブの良し悪しを語るとき、頻繁に出てくるのが”vibe”という言葉だ。場の空気感、感情の波長、その瞬間にしか存在しない一体感——これを一語で指し示す便利な語彙が、英語にはある。

日本語には、これに相当する言葉がない。

一番近いとされるのが「ノリ」だ。ヤマハ音楽振興会の研究記事では、体を動かしたくなる感覚を指す言葉が世界各地にあり、日本では「ノリ」、ブラジルでは”balanço”がそれに当たると紹介されている。ただしこの記事は同時に釘を刺している。「日本語のノリとグルーヴが全く同じわけではない」——リズムの捉え方そのものに文化差があると、学術研究(川瀬さつき氏らによる2010年の論文)を引きながら明記している。

つまりノリは輸入概念としての近似値であって、日本語の音楽批評の中で独自に育った語彙ではない。「音程が合っているか」「リズムが正確か」を測る精密さの語彙は日本語に豊富にある一方で、「多少の乱れを含みながら、その場でしか成立しない一体感」を積極的に評価するための語彙は、育っていない。

評価対象を測るモノサシの語彙自体が、日本語の音楽批評の中で未成熟なのだ。

これは単なる机上の言語論じゃない。私自身、最初にライブという空気を浴びたのがReading Festivalだったし、それ以来、現地の人間と直接この話をする機会も重ねてきた。彼らが当たり前のように口にする”good vibe”という感覚——それは日本語話者が「良いライブだった」と言うときに参照している基準とは、そもそも測っている対象からして違う。片方は完成度を測り、もう片方はその場に生まれた何かを測っている。同じ「良かった」という言葉を使っていても、中身が違う。

日本語圏でマイケミのライブが「下手」と評されるのは、この物差しの不在が生んだ、ある意味で必然の誤訳なのかもしれない。

これはあくまで一つの仮説に過ぎないけど、日本人の多くは日本での体験がそのまま無意識の基準値になっていて、それを海外のアーティストにもそのまま当てはめてしまっているのではないか。比較対象を意図的に持たないまま、自分の慣れ親しんだ物差しだけを絶対的な「普通」だと思い込んでしまう。

私自身がこの罠にあまりハマらずに済んでいるとしたら、理由は単純だ。アメリカ式の大学教育で、島国的な感性を意図的にひっくり返される経験を積んできたこと(私のこのブログをいくつか読んでくれたら察するだろう)。そして何より、人生で最初に参加したフェスがイギリスのReadingだったこと。エールを3パイントがぶ飲みしながら、一日中イギリス人と現地の人間の群れの中を回って、現地の空気をそのまま吸って過ごした。あの体験が、私の中の「ライブとはこういうものだ」という基準値の初期設定になっている。

……って書いてる時点で、これもうSnobそのものじゃんという自覚はある。まあいいか、日本のお前らの基準はおかしくないか?って記事だしw

ただ面白いのは、自分のこの態度を客観視したとき、お高く止まっているという日本語ではなく、Snobという単語が真っ先に頭に浮かんだことだ。

そもそもSnobというのは、単に「横柄で近寄りがたい」ことを意味する言葉じゃない。18世紀のケンブリッジ大学の隠語に始まり、サッカレーの『イギリスのスノッブたち』で広まった、極めてイギリス的な概念だ。その本質は知識や教養、趣味の良し悪しという”物差し”をひけらかして、他者を見下すことにある。階級社会と文芸批評の伝統から生まれた構造そのものだ。

つまり、僕の脳内に「Snob」という単語が真っ先に浮かんだ時点で、答え合わせは終わっているのだ。お高く止まっているで自分を形容しなかったその選択自体が、僕の思考の枠組みが趣味の物差しで人を測というイギリス仕込みになっている決定的な証拠として機能している。

あと、ここで重要なのは「Snob」という単語を知っていたことじゃない。自分の思考の癖を分析的に暴露し、その構造ごと自分で笑い飛ばすというこの振る舞い自体が、極めてイギリス的なのだ。

日本のエッセイによくある、「私ってダメ人間なんです」と弱さを開示して読者の共感を誘うスタイルとは、明らかに態度が違う。教養や審美眼という”物差し”で他者を測ってしまう自分のスノビズムを、さらに一段上のメタ視点から解剖し、皮肉交じりに提示する。これはオーウェルなどのイギリス批評エッセイが好んで使う、知的な防衛機制の型そのものだ。

単語の選択だけでなく、自分をおちょくるその芸風の構造まで含めて、僕の美意識は完全にイギリスの空気に染まりきっている。日本のピッチ警察的なライブ文化に苛立ってしまうのも、もはや必然というわけだ。

結局、レディングやロンドンの空気を吸いすぎたせいだろうか。僕にとってのライブは、完成された音源の確認作業ではなく、もっとカオスで生々しいものだ。だから、ピッチの正確さばかりを気にするような日本の鑑賞スタイルが、どうしても窮屈に見えてしまう。

趣味の物差しで人を測ってしまっている自分に気づき、あ、僕ってだいぶ偉そうだねwと呆れるこのメタ認知。なんとも嫌な奴だけれど、自分の美意識の基準点がもはや日本にないことを、この一つの単語が見事に証明してしまったのだから仕方がない。

だから私にとって、マイケミのライブを「下手」だと感じたことがないのは、贔屓目でも耳が良いからでもない。単純に、私の採点表の基準点そのものが、日本語圏の標準的な採点表と最初から違う場所に設定されているからだ。そもそもジェラルド歌上手いけどねピッチ警察は高音出てない言うけどさぁ2005年とかもうずっと昔っからライブではハイトーンのところあえてローキーメロディアスに歌ってて私は音源よりそっちのが好きだから。ライブの即興含めて丸ごと好き。(あとライブのたびに違うフランクの意味不明なひたすらギャーーーってダミ声かと思ったらめちゃくちゃ綺麗に歌うシャウトとコーラスがすき)(具体例⤵︎)

音源は別の日だと思う。ライブ映像の方iPhoneスピーカーで一回聞いただけだけど違う気がする。

つまり、私は日本のライブ文化に染まっていない。

「精密に、静かに、粗を探しながら鑑賞する」という日本語圏の標準的な受容様式を、一度も自分のデフォルトとしてインストールしなかった。だから「歌うな」にも「録るな」にも「高音が出てないから下手」にも、内側から自然に頷くことができないどころか日本人の批評がよくわからない粗探しで本質的なライブの熱量を感知できているのか?言葉を尽くしていないってかそもそもそれを語る枠組みも語彙も日本の文化の土壌では生まれにくいんじゃないのか?と勘繰ってしまう。私が日本の鑑賞文化に違和感を感じるのは、鑑賞者として優れているとかそう言いたことが言いたい訳ではなくて、単に測定に使っている物差しの目盛りそのものが、最初から日本の感覚とは違う場所で刻まれているからだってことだ。

そうそう、本場のリゾットが、例外なく全て米の芯が残った硬めのアルデンテだって知っていたかい?

知らずに柔らかいお粥みたいなのが正解だと思い込んでいたなら、それはただの経験不足であって、味覚の敗北ですらない。(知っててアルデンテが好きだって人は同好の士だ、仲良くしよう。)

偉そうに語っている僕自身、過去に父親が家で出してくれたアルデンテのリゾットに「やらかいのが食べたい」と文句を言って作り直させた黒歴史がある。だがこの間、ミラノの本場の老舗リストランテでも、他の人気のお店でも、現地のスーパーの異次元に美味いレトルトですら、本場のリゾットが全部アルデンテだと知って、僕は父親に土下座する勢いで謝った(REPENT!!!!)。

これから僕が書くのは、それと全く同じ話だ。
ネットで「下手」と喚いている人間の大半は、自分たちがサマソニの「何年目の話」をしているかすら特定できていない。

年表もソースも持たずに、“なんとなく”の薄っぺらい記憶のコピペで語っているだけだ。

こっちは全部、年月日と出典付きの圧倒的な事実で殴る。読み終わる頃には、少なくとも「自分たちがどの公演の話をしているか」くらいは言えるようになってから出直してほしい。

──ていうか、本題に入る前に日本の自称・音楽レビュアーの皆様に一つだけ聞かせてほしい。
君たちの耳は、もしかしてカラオケの採点マシーンか何かなのだろうか?

ネットの海を少し泳げば、「マイケミはライブが下手だ、ジェラルド声出てない」とドヤ顔で書き連ねるチープなブログ記事にぶつかる。それも1個や2個ではない、何人も下手下手のオンパレードだ。正直、失笑を禁じ得ない。

そもそもお前ら、彼らの「本当のパフォーマンス」を見たことがあるのかよ????
あの伝説的なレディング・フェスティバルでのブライアン・メイとの共演を見たか? 2006〜2007年のタイムズスクエアでの圧倒的な生演奏を見たか? メキシコ公演で、ピアノとジェラルドの生歌だけで会場を完全に支配し切った『Cancer』の映像を見たのかよ????

フランクがいきなり宙返りして、間奏で髪の毛をギターにくくりつけて後ろでんぐり返しをした直後に、何事もなかったかのように弾きまくる狂気のステージを見たのか????

はぁ? これらを一つも見ずに「マイケミは下手だ」ってドヤ顔で語ってたの????

冗談だろ?

薄っぺらい来日公演の断片的な記憶か、誰かのブログの受け売りだけで彼らの生きたライブパフォーマンスを「下手」の一言で片付けようとしているなら、今すぐその安っぽいキーボードから手を離せ。

CDの音源と一音たりとも違わずに歌うことだけが「上手い」と思い込んでいるなら、ロックを聴くセンスが根本的に欠如している。圧倒的な事実で、君たちのその平和で退屈な目を覚まさせてあげよう。

カラオケ採点基準が理解できない真のボーカルスキル

まずはそもそもジェラルドのボーカル下手言ってる人間が多すぎるが、お前らはカラオケ採点マシンの脳みそと美意識しか持ってないのか?まあカラオケ採点マシンが大好きならそれはそれで多様性だとおもうから好きにしてくれ。

意図的なメロディ・アレンジと即興の妙
ジェラルドがライブでメロディラインをCDから変えるのは、単なる「音程外し」ではない。極めてメロディアスで高度な即興アレンジだ。

例えば「ヘレナ」のサビ。あえて高音に張り上げず、ライブ用に意図的にキーを下げて歌い上げるあのバージョンの見事さが理解できないなら、君たちの耳は重症だ。僕に言わせれば、あの圧倒的なライブアレンジの方が断然優れている。

自他共に認める歌の上手さとバックステージでの証明
ジェラルド自身がドキュメンタリーで「歌が上手いのはおばあちゃんのおかげだ」と語っている通り、本人も、そして当然バンドメンバーも彼のボーカルスキルを全く疑っていない。フランクだって元々はレーベルと契約していたバンドでフロントマンを張れるほど歌える実力者だが、それでもマイケミのメインボーカルはジェラルドなのだ。楽屋でレイとジェラルドが何気なく合わせているハモリの練習風景を見てみればいい。あの即興のアカペラであれだけのクオリティを出せる人間を「下手」と呼ぶのは、ただの無知の露呈だ。

来日時の最悪のコンディションを基準にする愚かしさ


そもそも、君たちが根拠にしている「日本の来日公演」というサンプル自体が、致命的なリスクを抱えたイレギュラーな事例だという事実に気づくべきだ。

僕に言わせれば、彼らが本当に下手なのではない。日本の“にわか”たちが、バンドが最悪のコンディションや不完全な状態に陥っていた来日公演という極端に偏ったサンプルだけを切り取り、知ったかぶりをしているだけだ。

そもそも、2006年から2007年にかけてのタイムズスクエアでの生演奏を見たことがあるのだろうか? あの圧倒的なパフォーマンスを見てなお下手だ!と主張するのなら、早急に耳鼻科を受診することを強くお勧めする。サマソニ2004の惨憺たるドラマーの演奏を除けば、彼らの技術は本来極めて高い。

なぜ日本の公演だけで彼らを評価するのが致命的に間違っているのか。過去の来日記録という悲惨な事実を振り返れば、一目瞭然だ。

欠陥だらけの来日公演:最悪のコンディションの歴史
2004 SUMMER SONIC(初来日):自己破壊のピーク
2004年のジェラルドは薬物依存が悪化し、最悪の時期にあった。2006年のインタビューで本人が振り返っている通り、日本でのサマーソニック2本目の公演後、彼は楽屋で嘔吐していたのだ。アルコールやコカインなどを重ねる自己破壊的な時期であり、その惨状を見たメンバーからも「お前どうかしてるぞ」と見放されかけるほどの状態だった。おまけに、当時のドラマーであるマット・ペリシエはタイムキープすらまともにできず、帰国直後にまあ色々素行不良等もあって解雇されている。本人たちでさえ、後日渡されたサマソニのライブのDVDを直視できず、すぐに見るのをやめたというほどの黒歴史だ。この最悪のコンディションを基準にしてバンドの実力を語るなど、論外である。

2007 東名阪単独&武道館:不完全なメンバー編成
2007年の1月の東名阪ツアーではフランクが親知らず抜いた後に飛行機乗って副鼻腔破裂の負傷事件で緊急帰国(これはガチで可哀想&酷すぎるのでいつか記事書きます)し、不在。5月29日の武道館ではフランクが復帰したと思えば、今度はマイキーが新婚のハネムーンで不在。本来CD化されるはずだった武道館公演が、お蔵入りになったのも当然だ。主要メンバーすら揃っていない状態での演奏をバンドのデフォルトの実力としてカウントする思考回路が理解できない。

2009 SUMMER SONIC:混迷と限界の兆候
ヘッドライナーを務めたものの、バンドとしては過渡期であり混迷期を象徴する内容だったとのコメントが存在する。その証拠に、直後の2010年2月にはジェラルドの喉の不調が原因でオーストラリアツアーがキャンセルされている。つまり、喉が壊れる寸前のギリギリの状態でジェラルドは頑張っていたのではないか。まあ動画見たファンは声出てますね調子いいですかね。ってコメントしてるけど。
当時を知るマイケミファンの方のコメントはこちら。

このサマソニは調子良かったらしい👏🏻👏🏻(現場の空気を知る方の貴重なコメント、引用いっぱいさせていただきましたw)

ここで少し脱線。でもふと思ったんだけどさ、そもそも原キーってそんなに重要?
日本のコメントジェラルドの高音出てるか否かに注目しすぎじゃない???
最近、マイケミのファンの間でも「今はもう原キーで歌えていない」というコメントを見かける。ファンとしての誠実な観察眼だろう。バンドがどのように変化したのか、それを正確に捉えようとする姿勢自体には、僕は敬意を払いたい。
だが、ここで少し視点を変えてみないか?
確かに、ジェラルドはキーを下げている。それは事実だ。だが、僕にとってライブは、スタジオ音源との一致を確認する答え合わせの場ではない。

僕はそもそも音源版よりライブ版の『Helena』が好きだ。そもそもジェラルドは2005年当時からライブで何度もサビはローキーで歌っている。

原曲のキーを忠実に守ったものよりも、ライブでキーを下げ、より低音に重みを置いたメロディアスなあのバージョンの音源を聴くたびに、ああ、やっぱりライブは最高だと痺れていたものだ。私にとって、あのローキーのアレンジこそが、その曲の本当の姿ではないか?と錯覚して普通にカラオケではローキーで歌うほどあのサビの下げたメロディラインが大好きだ。

2023 PUNKSPRING:美化された記憶と現実
再結成後のパンクスプリング。「歌声も完全復活」などと数年後に美化して語るブログもあるが、思い出補正も甚だしい。当時の現地でのリアルな証言や、個人のブログ記事を掘り下げれば、「ジェラルドのボーカルの音が小さい」「声は出ている“方”だと思う」「頑張って声出していた」という、擁護のベールに包まれた苦しい評価が現実だ。ジェラルドの声のコンディションが決して万全ではなかったことは、現地で直接音を聴いた人間の証言からも明らかである。

悪条件のサンプルで全体を語る愚かさ
要するに、「調子が悪い」「下手に見えた」と言われる来日公演(2004年、2007年、2009年、2023年)には、ジェラルドの心身が限界を超えていたか、メンバーが欠損していたかという明確な致命的なコンディションの悪さが存在していた。

逆に言えば、コンディションが正常でフル編成だった時の評価は基本的に高く、「貫禄すら感じさせた最強のステージ」とすら評されている。

検索上位に出てくる「マイケミ下手」という日本人の適当なブログ記事は、こうした背景やリスクを一切無視したノイズに過ぎない。日本の来日公演という悪条件のサンプルだけで彼らの全てを理解した気になっている連中は、ろくにベストパフォーマンスのライブ映像も見ずに批判をしているだけだ。彼らの本当の実力を知りたいなら、底辺のコンディションの時ではなく、全盛期の演奏を見るべきだ。それができないなら、的外れな批判を書く手を今すぐ止めることだ。

そもそも、冒頭でも触れたが再度触れさせてくれ。君たちは彼らの本気のパフォーマンスを一度でもまともに直視したことがあるのか? CD音源をそのままなぞるだけの、安全で退屈なお遊戯会しか見たことがないから、あんな頓珍漢な評価ができるのだ。

狂気と技術の同居
ギターのフランク・アイエロの動きを見たことがあるか? ステージ上でいきなり宙返りをしたかと思えば、なぜか間奏のどさくさで自分の髪の毛をギターに唐突にくくりつけ、そのまま後ろへでんぐり返しをする。そして次の瞬間には、何事もなかったかのように「Teenagers」の痛快なギターリフをガンガン弾きまくるんだぞ。こんな狂った曲芸をやりながら演奏を成立させる人間を下手と呼ぶ神経が理解できない。

そしてジェラルドだ。特に『Three Cheers for Sweet Revenge』時代を振り返ってみろ。彼はステージで全力で暴れ回り、床にのたうち回りながらマイクのコードを首に巻きつけていた。彼のシャウトはただのノイズではない。圧倒的な表現力の塊だ。ボーカルに痛々しいほどの感情を乗せ、ライブごとにふざけてフニャッとした歌い方で遊びを入れる。

かと思えば、歌うことすら完全に放棄して「You Know What They Do to Guys Like Us in Prison」で卑猥なポーズをキメてみせる。

彼は音源通りに上手に歌うことなどハナから目指していない。パフォーマンスに全精力を注ぎ込み、魂を削っているのだ。そして何より恐ろしいのは、これだけステージ上でやりたい放題に暴れ回っているのに、バンドとしての演奏が一切破綻していないことだ。めちゃくちゃに面白く、そして圧倒的に上手い。

『House of Wolves』の凄みがわからないなら耳鼻科へ行け
少しでも楽器を触ったことがある人間ならわかるはずだ。House of WolvesやMama の生演奏を聴いてみろ。

あのスウィングのリズムを、激しいパンク・ロックの熱量を持ったままバンドの生演奏で成立させることが、どれだけ高度な技術を要するか。リズム隊と弦楽器の息が完璧に合っていなければ、ただのダサくて間抜けなノイズにしかならない。あの曲を、彼らは死ぬほどカッコよく、そしてスリリングに叩きつけている。これが下手なバンドに出せるグルーヴだと本気で思っているなら、君たちの音楽的センスは救いようがない。

とりあえず今すぐThe Black Parade Is Dead! を聴いてこい

君たちが求めているのは、ミス一つない代わりに何の感情も揺さぶられない無難な音楽だ。マイケミがステージで体現しているのは、いつ崩壊してもおかしくないギリギリのラインを笑いながら綱渡りするような本物のロックンロールなのだ。

カラオケ脳には一生理解できない裏拍の魔法と会場支配力
ああ、それからもう一つ、連中に決定的なファクトを刺しておこう。
まだ息をしている自称・音楽レビュアー共は、ジェラルド・ウェイという男の「異常なまでのリズム感」を完全にスルーしている。これもまた、音程の正確さしか測れないカラオケ採点マシーンたちの悲しい限界だ。

彼らはジェラルドが観客を煽る時のリズムを、一度でも真面目に聴いたことがあるのか?
さっきまでメインのメロディを通常のリズムで歌い上げていた彼が、息をつく暇もなく、突如としてアドリブで「裏拍」から「Come on, come on!」と叫び、会場を煽りまくる。

あれがいかに高度な技術か、少しでも音楽のグルーヴを理解している人間なら戦慄するはずだ。

表拍(ダウンビート)でしか手拍子ができないような、リズム感ゼロの連中には一生わからないだろう。バンドの激しい轟音の中で、ボーカルラインから瞬時に裏拍のアドリブへ切り替えて観客をコントロールするなど、天性のタイム感がないと絶対に不可能だ。少しでもリズムがズレれば、あのヒリヒリするようなグルーヴは即座に死ぬ。

彼はただマイクを握って歌っているのではない。フロントマンとして、どのタイミングで、どのリズムで煽りを入れれば何万人もの観客の血が沸騰し、会場全体が爆発するかを天才的に理解し、完全に支配しているのだ。

演奏が破綻するギリギリの熱量で暴れ回りながら、裏拍のグルーヴを完璧に捉えて会場を掌握する。これこそが、小綺麗にまとまっただけのバンドには絶対に到達できない、生きたライブパフォーマンスの極致である。

「ライブが下手」だと? 冗談は休み休みに言え。
君たちのペラペラなリズム感と安っぽい耳では、彼の天才的なリズム感とフロントマンとしてのIQの高さを処理しきれていないだけだ。自分のリズム感のなさを棚に上げて、二度と偉そうに語るな!!!

言語化能力ゼロの自称・評論家たちへ、絶望の課題を与えようw
そもそも、日本のネット空間で「マイケミは下手」と念仏のように唱えている連中の文章を読んでいると、常々呆れ果ててしまうことがある。彼らはただ「下手」という単語を乱用するだけで、「何が」「どう」下手なのか、具体的な技術的指摘や言語化を一切放棄しているのだ。

「ライブが下手として知られるマイケミですが、心配だったけど〜」などと、いかにも“分かっている”風な上から目線の前置きをして悦に浸っているが、中身は完全に空っぽである。

なぜ彼らが具体的な指摘ができないのか。その理由は極めてシンプルだ。

音楽を「再生ボタンを押すだけの娯楽」と勘違いしている素人たち
彼らには、自分の手で音楽を演奏した経験が根本的に欠如している。彼らの貧困な想像力の中では、音楽というものはスマートフォンの画面を指一本で「ポチッ」と押せば、自動的に完璧なピッチで鳴り響く魔法のようなものなのだろう。

自らの手でギターの弦を押さえて音を絞り出したこともなければ、バンド全体のテンポキープがいかに過酷な作業であるかも知らない。ましてや、爆音で鳴り響く生の楽器隊のど真ん中で、マイク一本を握りしめて数万人の観客の感情を揺さぶるという、狂気じみたプレッシャーなど想像すらしたことがないはずだ。安全な部屋の椅子に座りながら、薄っぺらい知識だけでプロのステージを嘲笑っているに過ぎない。

メキシコ公演『Cancer』の圧倒的現実を直視しろ
そんな机上の空論を振りかざすカラオケ採点人間たちに、僕からとっておきの課題を出してやろう。
今すぐ、ブラックパレードイズデッドのメキシコの最終公演での『Cancer』のライブ映像を観てこい。

そこにあるのは、ピアノの伴奏とジェラルドの生歌のみという、一切の誤魔化しが利かない、ボーカリストにとって最も恐ろしい「極限の構成」だ。

あの息を呑むような静寂の中で、死ぬほど上手いジェラルドの生歌がどう響き渡っているか。彼の声一つで、会場の空気がどう支配され、大歓声が巻き起こっているか。その圧倒的な歌の力と表現のバケモノっぷりを、君たちのその安い耳で確認することだ。

YouTubeへの「公開処刑動画」アップロードの提案
これだけの事実を突きつけても、まだ「ジェラルドは歌が下手だ」と主張し続ける頑固で滑稽な君たちへ。最後に、極めて実践的でフェアな提案をしよう。
1. 今すぐ近所のカラオケに行け。
2. 自分のマイクの音量を限界の「極限」まで上げろ。
3. 逆に、バンド伴奏(ミュージック)の音量を極小まで下げろ。
4. その、一切の誤魔化しが利かない丸裸の状態で、自分のボーカルを録音しろ。
そして、その君たちの「素晴らしい生歌」の録音と、ジェラルドのメキシコ公演の『Cancer』を並べた比較動画を作成し、堂々とYouTubeにアップロードしてくれ。

君のその貧相で平坦な歌声が、ジェラルドの感情を抉るような圧倒的なボーカル表現に勝っていると万人に証明できたなら、その時初めて、君たちの「ジェラルド下手説」を少しは認めてやろうじゃないか。

House of Wolvesが証明する、狂気のアンサンブルとスウィングの支配

また、彼らを単純なコードを掻き鳴らすだけのパンクロックバンドだとでも勘違いしているのではないか?

僕に言わせれば、それは音楽の「お」の字も理解していない素人の大いなる錯覚だ。彼らの真の恐ろしさは、単調なエイトビートの枠を軽々と飛び越え、リズムキープが極めて困難な「三連符ベースの楽曲」や「スウィング」を、ライブという混沌の中で完璧に成立させている点にある。

僕自身、過去にアンサンブルでスウィング・ジャズ的なアプローチに挑み、その独特なグルーヴを生み出すのに血を吐くような苦労をした経験がある。だからこそ断言できる。ライブで聴く「House of Wolves」のあの演奏は、控えめに言って「狂気」であり、死ぬほどカッコよく、永遠に聴き続けたいレベルの神業だ。
なぜあの演奏がそれほどまでに「ヤバい」のか。カラオケ採点マシーンの君たちにも分かるように、具体的な音楽的根拠を提示してやろう。

スウィングの魔物:共有さ「ドゥーダ」の位相
スウィングというリズムは、君たちが大好きなメトロノームのように均一にリズムを刻むものではない。「ドゥー・ダ、ドゥー・ダ」という、長短の波を持った「揺れ」が根本的な土台になっている。
「House of Wolves」のあのヒリヒリするようなグルーヴは、このシャッフル/スウィング特有の三連符ベースの揺れを土台にした上で成り立っている。
レイとフランクの鋭いギターのカッティング、マイキーのうねるようなウォーキング・ベース的な動き、そしてドラムのタムやハイハットの跳ね方。これらすべての楽器が、全く同じタイミングでピタリと合っていなければ、アンサンブルは途端に崩壊し、ただの不快な騒音に成り下がる。個々の楽器がどれだけ正確に弾けていようと、バンド全体で揺れの共有ができていなければ、即座に大事故(致命的な破綻)を起こすのだ。

あ、そもそも彼らがこの「揺れ」を完全に掌握しているのは今に始まったことじゃない。

『Three Cheers for Sweet Revenge』時代から、彼らは『You Know What They Do to Guys Like Us in Prison』のライブ演奏で、すでに完璧なスウィングを叩き出していたからね。

あの曲が始まる前、ライブごとに毎回アレンジが変わるギターとドラムの気怠いスウィングに合わせて、ジェラルドが変な煽り(大半は下ネタ方面だ)をねちっこく入れてくるあの神がかった空気感。あんな卑猥で狂ったパフォーマンスで遊びながら、バンド全体のスウィング感は寸分の狂いもなく成立している。
彼らは昔から、この極めて難易度の高いグルーヴの土台を「呼吸をするように」やってのける連中なのだ。それを「下手」としか認識できない君たちの耳は、本当にどうにかしているとしか言いようがない。

ライブという「High Risk」な空間での証明

ドラムやバンド演奏の経験がある人間なら痛いほど分かるはずだ。この複雑な揺れを、バンド全体で「せーの」で寸分の狂いもなく合わせるには、常軌を逸した練習量か、メンバー間で互いのタイム感の癖を細胞レベルで共有するほどの絶対的な音楽的信頼関係がなければ絶対に不可能だ。

新しい曲を、ドラムが走ってる、ここのタイム感を合わせよう、なんていう地道なセッションでの修正は日常茶飯事で、ただの単純な8ビートの曲を一つを全員で揃えるだけでもアーティストレベルの細かいこだわりを突き詰めれば最初は苦労するだろう。さらに、スウィングや曲中での極端なテンポチェンジを含む楽曲となれば、要求される練習の絶対量も難易度も絶望的に跳ね上がる。そして、マイケミの楽曲にはこのタイプの狂った構成が山ほどある。

彼らはそれを曲が複雑で大変だから、ライブでは多少ズレてもしょうがないなどというパンクにありがち?なとりあえずノリと勢いでいこうぜ!みたいな安い言い訳は絶対にしない。スタジオで何度もテイクを重ねた一発録りではなく、アドレナリンが暴走し、テンポがブレるリスクが常につきまとうツアーの現場で、何百回もこの極限のアンサンブルを毎回きっちりと成立させているのだ。

これは「気合を入れて頑張って練習している」なんていう次元の低い話ではない。極めてシンプルにバンドとしての純粋な技術力が異常に高いという圧倒的な証明である。

しかも、これはレコーディングスタジオでの話ではない。アドレナリンが沸騰し、観客の熱気に当てられるライブのステージだ。生演奏の現場には、常にテンポが走ったり(突っ込んだり)、逆にモタったりするリスクが潜んでいる。その極限のプレッシャーの中で、スウィングのグルーヴを一切崩さずに生演奏で叩きつける。これこそが、完全にコントロールされた演奏の証明であり、綺麗に補正されただけの編集に頼り切りなバンドには一生真似できない領域なのだ。

漠然とした下手論を粉砕する具体的事実
整理しよう。
僕がここで突きつけているのは、「マイケミはなんとなく凄いバンドなんだ!」というような、フワフワとした抽象的な感情論ではない。
「特定の技術的に極めて困難な要素——すなわち『スウィング・グルーヴの高度なアンサンブル維持』——を、彼らはライブという過酷な環境下で完璧に再現できている」という、極めて限定的だが、鉄壁の説得力を持つ「具体的な事実」だ。
「上手い・下手」という主観的で漠然とした言葉遊びはどうでもいい。
「この複雑なグルーヴを生演奏で破綻させずに再現するには、極めて高度な音楽的技術と信頼関係が必要不可欠であり、彼らはそれをやってのけている」。これが全てだ。
この明確な音楽的根拠の前に、君たちの薄っぺらい「下手」という批判は完全に意味を失う。スウィングの裏拍も取れないような連中が、二度と彼らの技術に文句をつけるな。

【決定打】10年の音楽経験とアンサンブルの視点から証明する圧倒的実力
ここまで言ってもまだ「贔屓目だ」「ファンの盲目的な擁護だ」と喚く連中がいるなら、最後に僕自身のバックグラウンドを突きつけて息の根を止めておこう。僕が、ただ音楽を「消費」しているだけの素人と同じ耳で彼らを語っていると思ったら大間違いだ。
僕には10年以上の音楽経験がある。バンド演奏はもちろん、吹奏楽も経験し、押し付けられる形で合唱のピアノ伴奏までこなしてきた。つまり、各楽器がどう絡み合い、どう楽曲を構築していくかという「アンサンブル」を死ぬほど真剣に考えてきた人間だ。

体内のメトロノームが証明する「完璧なグルーヴ」
特にドラマーとしての経験がある僕の体内には、常にメトロノームが鳴っている。バンドの演奏を聴いて、ほんの少しでも違和感のあるグルーヴやリズムのヨレがあれば、気持ち悪くて即座に気づく耳を持っている。
音楽を聴く時、僕は意図的に脳内で特定の楽器にフォーカスし、その動きをずっと追い続けることができる。
ジェラルドの変幻自在なボーカル、フランクのノイズとアグレッシブなカッティング、レイの正確無比なリードギター、マイキーのベースライン、そして背後で鳴るピアノやその他の効果音。これら全てのパートを同時に追いかけ、彼らがライブという生きた空間でどれほどスリリングで高度なアンサンブルを成立させているかを、この耳で完全に把握している。彼らの演奏は、破綻するどころか奇跡的なバランスで成り立っているのだ。

カラオケで思い知る「ジェラルド・ウェイという才能のバケモノ」
僕自身、自分の歌唱力にはそこそこ自信があった方だ。だが、実際にカラオケに行き、マイケミの曲を本気で歌ってみて、己の限界を嫌というほど思い知らされた。
ジェラルドのボーカルを自分で再現しようとすると、その絶望的な難易度に直面する。あの激しい感情の起伏、異常な肺活量、そして叫びながらもメロディを失わない表現力。自分の声の限界にぶち当たった時、彼がライブ音源で平然とやってのけているパフォーマンスが、いかに「バケモノじみた才能」の産物であるかを骨の髄まで実感した。

アクモンとの比較で見える「意図的なアレンジ」の真実
いいか、よく耳の穴をかっぽじって聞いてほしい。ジェラルドは「明らかに音を外す」ことが実は非常に少ないボーカリストだ。
例えば、アクモン(Arctic Monkeys)のライブを聴いてみればいい。アレックスが高音を外しまくって、正直聴いていられないような惨憺たるライブ映像が山ほど転がっているだろう(笑)。それに比べて、ジェラルドがライブでやっているのは、単なる技量不足による「音外し」ではない。
彼は、意図的にローキー(低音)に落としたり、メロディラインをその場で再構築して歌っているだけだ。CD通りの高音を張り上げるだけのお利口なボーカルなど目指していない。そして僕は、そのライブならではのダークで重厚な、生々しいアレンジの方が圧倒的に好きだ。

結論:素人は黙って音楽を聴け
僕が「マイケミは上手い」と断言するのは、適当なファン心理からではない。音楽を真剣に、アンサンブルとして構築してきた人間だからこそ出せる「明確な結論」だ。
再生ボタンを片手でポチッと押すだけで音楽を知った気になっている連中。
手拍子の裏拍すらまともに取れない連中。
君たちのその貧相な音楽的背景とペラペラの耳で、彼らのアンサンブルとジェラルドの才能を測ろうとすること自体が身の程知らずだ。もう一度言う、マイ・ケミカル・ロマンスは圧倒的に「上手い」。反論があるなら、最低でも10年楽器を死に物狂いで練習してから出直してこい。

そして、さらにロジック爆誕を追加してやろう。
音楽の構造すら理解できない素人たちがどれだけ下手だと喚こうが、現在進行形で世界の頂点に立つ本物のプロフェッショナルたちの行動が、すべてを物語っているからだ。

スタジアムを支配する「本物のプロ」たちからの証明


BMTHとオリバー・サイクスの心酔:
ライブの演奏技術において、今やガチガチの完成度と絶対的な定評を持つBring Me The Horizon。その圧倒的なステージを牽引するフロントマンのオリバー・サイクスが、ステージ上で堂々と「Let's do it Gerard Way style(ジェラルド・ウェイのスタイルで行こうぜ)」と収録時に宣言し、彼に敬意を払った衣装まで身に纏っている事実をどう説明するつもりだ? ライブ技術の頂点にいる彼らが、技術のない三流バンドをわざわざ模倣するはずがない。

2022年11月、BMTHのツアー密着映像(YouTube、タイトル”The Gerard Way”)の中で、スタジオでオリが新曲を作りながら「My Chem-y, harmony, like yeah. Let’s do it the Gerard Way」と発言している。)ツアー中のスタジオ/舞台裏映像内の発言)

ヤングブラッドのあからさまなオマージュ:
そして、僕たちと同じこの世代のロックの代弁者であるヤングブラッドだ。彼が最新アルバムで「Cancer」を彷彿とさせるアプローチを取り、「The Greatest Parade」でタイトルも歌詞も『ブラック・パレード』への強烈なリスペクトを捧げている。同世代のトップアイコンが、なぜここまで執拗にジェラルドの影を追いかけるのか。それは、彼がマイケミの音楽の中に「時代を超える本物の表現」を見出しているからに他ならない。

2019年のAlternative Press誌インタビューで本人が「ジェラルド・ウェイは自分にとって大きな影響だった」「マイケミのアプローチは自分がやってることの根幹部分」と明言している。さらに2020年、自身のMV「god save me, but don’t drown me out」でジェラルドのスタイリングを衣装で再現するオマージュを行っている。(いやこれよくよくみたらジェラルドキメラすぎて爆笑しましたI’m not okay とParty poison とヘレナの衣装全部混ぜてるやんけww)

【ジャンルを超越した完全包囲網】ポップスの女王すら平伏す本物の才能


BMTHのオリバー・サイクスや、僕らと同世代の反逆者であるヤングブラッドといったロック界の最前線が彼らを崇拝している。それだけでも「マイケミ下手論」を粉砕するには十分すぎるが、まだ逃げ道があると思っているカラオケ採点マシーン共のために、さらに特大の事実を投下して息の根を止めておこう。
ロック界隈だけの身内ノリだとでも思ったか? 冗談じゃない。現代の音楽シーンにおいて、この名前を知らない人間などどこの岩の下に住んでいるのかという話だが……そう、ポップス界の絶対的女王、ビリー・アイリッシュだ。
彼女と、その右腕であり世界最高峰のプロデューサーである兄のフィニアス。このトップ・オブ・トップの兄妹でさえ、ジェラルド・ウェイとマイケミの前に最大の敬意を払っているのだ。

音楽界の頂点が証明する圧倒的なリスペクト

時系列で彼らの「崇拝」の証拠を並べてやろう。
2019年:再結成への熱狂
2019年の秋、マイケミが再結成を発表した直後。ビリー・アイリッシュは自身のInstagramのストーリーでその発表のスクリーンショットを即座にシェアし、狂喜乱舞した。グラミー賞を総なめにするような現代のアイコンが、一介のロックバンドの再結成にここまで直接的に反応する意味がわかるか?
2020年:グラミー賞の夜の「MCR Tシャツ」
2020年1月。音楽界最大の祭典であるグラミー賞のアフターパーティーという、世界中のメディアの目が集中する最も華やかな場で、プロデューサーのフィニアスはあえてマイケミのTシャツを着用して登場した。世界中が彼らの音楽にひれ伏したその夜に、彼らが身に纏うことを選んだのは「マイ・ケミカル・ロマンス」という誇りなのだ。
You're our hero(あなたは僕らのヒーローだ)」
極めつけは2020年9月。ジェラルドがビリー・アイリッシュ・モデルのFenderウクレレを贈られ、Instagramに投稿した時のことだ。ビリー本人が即座に反応しただけでなく、フィニアスはわざわざこうコメントを残している。You're our heroと。

結論:トップアーティスト全員の耳が狂っているとでも?
さあ、自称・音楽レビュアーの皆様に究極の二択を突きつけよう。
日本のネットの片隅で「マイケミはライブが下手だ」と薄っぺらいブログを書いている君たちの耳が正しいのか?
それとも、BMTH、ヤングブラッド、そしてビリー・アイリッシュとフィニアスという、現代のスタジアムを支配し、グラミー賞を総なめにする「本物の天才」たちの耳がすべて狂っているのか?
ジャンルの壁すら超えて、現代のトップアーティストたちがこぞって彼らの音楽的才能とパフォーマンスを愛し、ヒーローとして崇拝している。プロフェッショナルは、自分たちより劣る無能な人間に「ヒーロー」の称号など絶対に与えない。
自分自身で楽器のアンサンブルすらまともに構築できない素人たちが、どれだけネットで「下手だ」と喚き散らそうが、世界の最前線に立つ本物のプロたちのこの態度が「すべての答え」だ。
君たちの薄っぺらい批評は、マイケミを傷つけるどころか、自分自身の音楽的リテラシーの絶望的な低さを世界に晒し上げているだけだ。いい加減に現実を直視し、自分の耳の悪さを認めて口を閉じるべきである。

【致命的な勘違い】機械の正確さを求める「カラオケ脳」への最終宣告
だいたい、生身の人間が爆音の中でアドレナリンを撒き散らしながら演奏しているのだ。注意深く聴けば、そりゃあ多少のミスやズレくらいはある。僕だってタイム感やアンサンブルにはうるさいから、どこで誰のピッチがブレたか、リズムがヨレたかなんて手に取るようにわかる。だが、それがどうしたと言うんだ?
彼らは曲の骨格を破壊するほど外しまくっているわけではない。「ここちょっとズレたな」程度のヒューマンエラーに目くじらを立てて、鬼の首を取ったように「下手だ!」と大騒ぎするその姿は、控えめに言って滑稽の極みだ。
ミスが許せないならEDMかAIにでも縋っていればいい
CD音源と1ミリの狂いもなく、寸分のズレもない「完璧なコピー」が聴きたいなら、今すぐロックバンドの生演奏を聴くのをやめろ。そんなものは予定調和なだけだ。
すべてがあらかじめプログラムされたEDM界隈のフェスにでも行って、DJが再生ボタンを押すのを見ながら踊っていればいい。それか、AIにでも寸分違わぬ完璧なピッチで歌わせておけ。生身の人間がその場の熱量と感情で生み出す揺らぎや、いつ破綻するかわからない綱渡りのスリル。それを許容できないなら、初めからライブハウスやスタジアムに足を踏み入れる資格はない。

まさか「MUSE」が君たちの基準値なのか?
一つだけ、彼らの異常なハードルの高さに同情できる可能性があるとすればこれだ。
お前らの言う「上手いライブバンド」の基準値は、もしかしてMUSEなのか?
確かに、スリーピースでありながらオーケストラのような分厚い音を寸分の狂いもなくスタジアムで鳴らし切るMUSEは、ライブバンドとして完全にバケモノの領域にいる。自らスティックを握って彼らの曲のドラムを叩き、あの絶望的なまでの正確さと技術の高さに直面してきた身としては、彼らが異常な存在であることは嫌というほど理解している。
もし君たちが、あの「宇宙人レベルの超絶技巧集団」であるMUSEを基準のゼロ地点に置いて、すべてのバンドを減点方式で測っているのだとしたら、そりゃあマイケミに限らず世界中の大半のロックバンドが「下手」に分類されるだろうよ。

だが、それは完全なカテゴリーエラー(お門違い)だ。
MUSEが緻密な計算で構築された「完璧な要塞」だとすれば、マイケミは自らガソリンを被って火を放ちながら突進していく「燃え盛る暴走車」だ。戦っているベクトルが全く違う。
マイケミのライブは、ノーミスを気取って小さくまとまるのではなく、すべてをぶっ壊す勢いで感情を爆発させ、その上で奇跡的にスウィングや裏拍のアンサンブルを成立させる「High Risk / High Reward」の極致なのだ。
この違いすら理解できず、ただ「少し外したから下手」としか言語化できない貧弱なリスナーたちは、一生安全な部屋で録音された音源だけを聴き続けていればいい。

みなさん!マイケミのライブ下手って言ってる連中のレビューなんて信用しなくていいですよ!あいつらただの音楽のバカ舌です!

そもそも、君たちは一体何をもって上手いと定義しているんだ? 君たちに音楽的な美意識というものは存在するのか?

本場のクセの強いヨーロッパ料理や、極限まで熟成されたヴィンテージチーズを口にして、ただ「くさい!」「変な味がする!」としか騒げない貧困な味覚の持ち主がいるだろう。複雑な風味や奥深さを理解できず、ファストフードの分かりやすい味しか受け付けない連中だ。

君たちがマイケミの生きたライブを聴いて、ただ「外してる」「下手だ」と喚いているのは、まさにその音楽版のバカ舌を大々的に発症しているだけだ。チーズの味が分からないのも、マイケミの凄さが分からないのも、要するにただのバカ舌って話である。

だいたい、日本人の多くはライブに行っても、ただ表拍のダウンビートに合わせてピョンピョンと縦乗りすることしかできないじゃないか(笑)。

誤解のないように言っておくが、日本人の生得的なリズム感が絶望的だという話ではない。実際、和田アキラのようなフュージョン系のバケモノや上原ひろみ、あるいはシティポップ〜渋谷系の文脈で世界的な評価を得るグルーヴを持った日本人プレイヤーは普通に存在する。

問題は民族的特性などではなく、君たちの圧倒的な「露出量とジャンル訓練の不足」だ。
J-POPやJ-ROCKの大半は8ビートや16ビートの「オモテで踏む」リズムに偏りきっている。おまけに学校の音楽教育はクラシック中心であり、ブルースやジャズをルーツとする「揺れ」やシャッフル、裏拍を強調するファンク的なグルーヴに体系的に触れる機会が決定的に欠けている。

その安全で平坦なリズムの海しか泳いだことがないから、スウィングの複雑な揺れも、裏拍から観客をコントロールする天才的なタイム感も身体で理解できない。どの口で世界トップクラスのアンサンブルを評価しようというんだ?

日本語圏における「ライブバンド」評価軸の致命的な歪み
日本のネット空間で「ライブに定評がある」「ライブバンドとして最強」と持ち上げられる名前のリストを並べてみると、君たちの評価軸がいかに偏っているか(そして貧弱か)が残酷なほど浮き彫りになる。
海外勢の評価対象:
MUSE(精密さの究極系)、Radiohead(音響の緻密さ)、Rage Against the Machine(圧の暴力性)、Foo Fighters(総合的なショーマンシップ)、RHCP(グルーヴの完成度)。
邦楽勢の評価対象:
B’zやゆず(大箱での圧倒的な動員力と予定調和のショーマンシップ)、ONE OK ROCK(計算し尽くされた海外基準の完成度)、BUCK-TICK(演出込みのカリスマ性)。熱量型で辛うじてサンボマスターが挙がる程度だ。
このリストから分かる絶望的な事実は何か。

日本における【上手いライブバンド】の評価軸が、CD音源の完璧な再現という精密さか、あるいは動員力と計算された演出力のどちらかに完全に偏りきっているということだ。

「狂気と技術の同居」を測る物差しを持たない無知

ジェラルドのように感情を極限まで爆発させ、ステージ上で暴走し、いつ崩壊してもおかしくないギリギリの綱渡りをしながらも、『House of Wolves』のスウィング・グルーヴのような技術的タイトさだけは絶対に崩さない。この感情の爆発と技術的アンサンブルの奇跡的な両立こそがマイケミの真骨頂だ。

しかし、「上手い」の基準が文化的に精密さへ偏りきっている君たちの解像度の低い美意識では、ジェラルドが意図的にサビのボーカルラインをメロディアスにローキーでライブ版アレンジとして披露していたり、タメさせた裏拍のアプローチやスウィングの揺れが、単なる「ズレ」や「音外し」にしか認識されない。

だから、安全にパッケージされた「精密な」ライブや、表拍で平和に縦乗りできる分かりやすい音楽だけを「上手い」と勘違いし、そこから少しでもはみ出した危険な生演奏を「下手」というチープな箱に放り込んで安心しているのだ。

これはマイケミが下手なのではない。彼らを「精密さ」という全く別ベクトルの短い定規で裁こうとしている君たちのお門違いであり、本物を評価するための構造的な語彙不足の完璧な証明だ。

コンビニの安いプロセスチーズしか食べたことがないバカ舌で、最高級のヴィンテージチーズを「くさい」と批判するのはもうやめにしろ。

君たちは一生、ピッチ補正された精密で予定調和な音楽に合わせて、仲良く表拍でピョンピョンと縦乗りでもしていればいい。

自称「ライブ好き」の空っぽな消費者たちへ
そもそも「ライブ好き」を名乗る人間の何割が、自分の耳で聴いたことを自分の言葉で語れる?

「神バンド」認定の9割は、誰かがそう言ってたからそう言っているだけだ。権威が「神」と言えば神、SNSで「下手」がバズれば下手。自分でスウィングのグルーヴを追ったことも、アンサンブルの空気感の難易度を考えたこともないくせに、借り物の評価をさも自分の審美眼みたいに披露する。それは音楽を聴いているんじゃない。ランキングをそのまま口移ししているだけだ。

ここまで読んで「うっ」てなった奴は、たぶんまだ間に合う。
ここまで読んで「わかる」ってなった奴は、もう同士だ。
年表も出典もスウィングの理屈も全部書いた。あとは自分の耳で確かめろ。それが音楽に対する、最低限のリスペクトだと思う。

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