少し多めの悲しみを携えてGO
最近、映画を続けざまに観ている。
というのも、バンド活動を通じて知り合った映画好きの先輩に、『エイリアン』のBlu-rayボックスをお借りしたのだ。(そして、人生ではじめて『エイリアン』を観た!)
まず自宅でエイリアン1~4を視聴し、本日、絶賛上映中のシリーズ最新作『エイリアン:ロムルス』を鑑賞。過去作として残っている『プロメテウス』や『エイリアン:コヴェナント』はこれから視聴するところである。
こうして続けてエイリアンを観ていて思うのは、「結構、登場人物が死んで悲しい」ということ。このエイリアンという完全生物に立ち向かうには、人間はあまりに弱く、物語の中で心を通わせたり、支え合ったりした仲間たちが、ある時は無残に、ある時は勇敢に命を散らすのである。エイリアンシリーズの1作品を観終えるごとに、助かった命と散った命の衝撃がズンと胸に圧し掛かるようで、「すごく面白かった」「でも、あの人物が死んだのはどうしても悲しい…」と2つの感情を行き来するのだった。
しかし、当たり前ながら映画の観方というのは人それぞれ。壮大で魅力的なSF仕掛けが盛りだくさんの「エイリアンの世界観」を楽しむ人もいれば、わたしのように「ストーリーの登場人物」に注目する人もいる。そういえば、自分は昔から「ストーリーの登場人物」に注目して作品を鑑賞するほうだった。
中学生の頃、映画『タッチ』を観に行った。あだち充の漫画『タッチ』を実写映画化したもので、主演は長澤まさみ、幼馴染の双子は斉藤祥太・慶太が演じていた。当時のわたしは『タッチ』のストーリーを一切知らなかったが、えらく気軽な気持ちで劇場に足を運んだのだ。
その結果、作中の割と早い段階で双子の一方・和也が亡くなってしまうシーンに甚大な衝撃を受け、以降ストーリーがまったく頭に入らなくなってしまう。どんなにストーリーが進んでも、わたしはこの「和也の死」の衝撃と悲しみから解放されず、それを鑑賞後も引きずり続けた。当時、わたしは部活の後輩とこの映画を観に来ていて、「映画、面白かったですね!」と笑う後輩に静かに首肯することしかできず、またその後撮ったプリクラでもひどく硬い表情をしていた。
今では、この『タッチ』の時ほど悲しみを引きずるようなことはなくなったが、とはいえ何か作品を鑑賞する時は、やはり作中の人物の動きに目が行きがちのようだ。それは映画だけに限らず、漫画の中で応援していたキャラクターが死を遂げた時も、「わたし以外にもこの悲しみを抱えて日々を過ごしている人がいるんだろうな…」などと想いを馳せたりする。
そんな中、本日鑑賞した『エイリアン:ロムルス』も、もちろん悲しい場面はあったけれど楽しく鑑賞できた。何より、生きているうちにこのような人気シリーズコンテンツの最新作を観られるのは、大変ありがたくて素晴らしいことだ。今後もいろいろな作品を鑑賞する中で、人より少し多く悲しむ場面が出てくるかもしれないが、その悲しみも携えながらたくさんのコンテンツを楽しんでいきたい。

