見出し画像

完璧にしたい日ほど、動けなくなることがある

ちゃんとやりたいのに、動けなくなる日がある。


頭では、少しずつ進めばいいと分かっている。
最初から全部そろっていなくても、やりながら整えていけばいいことも分かっている。
それでも、動けなくなる日がある。


実際、
完成像が見えないと、手が止まることが多い。


完璧主義と完了主義。
その言葉自体は知っている。
でも最近の自分と重ねてみると、少し見え方が変わった。


何をどこまで整えたらいいのか。
どこまでできたら「一旦OK」と思えるのか。
それがまだぼんやりしていると、動く前から少し気が重くなる。


今回はその進め方をあらためて言葉にしてみる。



完璧主義は、完成像が見えるまで動きにくい

ちゃんとやりたい気持ちが強いほど、
動けなくなりやすい…


中途半端なまま出したくない。
自分でも納得できる形にしたい。
あとから「もう少しできたのに」と後悔したくない。


そういう気持ちは、別に悪いものではないと思う。
むしろ、ちゃんと向き合いたいからこそ出てくる気持ちでもある。


でも、その気持ちが強い日に限って、
最初の一歩が重くなることがある。


ちゃんとしたい。
でも、その“ちゃんと”のゴールが遠い。
しかも、どこまで整えたらそこに届くのかも分からない。


完璧主義は、
まず完成像を
さらにはそのプロセスまでも丁寧にさがしているのかもしれない。



完了主義は、進みながら整えていく

それに対して、完了主義は、
最初からきれいに整えることより、
まず進めることを優先する感じ。


ただ、ここで大事なのは、
完了主義は“雑にすること”ではない、ということ。


どうでもいいから出す、ではない。
適当に済ませる、でもない。
完成を諦める、でもない。


そうではなくて、
まず一歩進めてみる。
進みながら見えてきたものを整えていく。
止まったまま完成を待つより、動きながら近づいていく。


最初から全部整っていなくてもいい。
今見えている分だけ進めてみる。
足りないところは、進みながら見つけて整えていく。


完了主義は、
完成に近づく順番を変える見方なのかもしれない。



違うのは、雑さではなく順番なのかもしれない

こうして並べてみると、
完璧主義と完了主義の違いは、
雑か丁寧か、ではない気がする。


完璧主義は、
完成像が見えてから進みたい。


完了主義は、
進みながら完成に近づいていく。


違うのは、
どちらが正しいかというより、
どの順番で進むか、なのかもしれない。


ケースバイケースで使い分けられるといい。



今日は、どちらの見方が必要か

いつも完了主義でいられるわけじゃない。
ちゃんと整えたい日もあるし、
完成に近い形を見てからじゃないと動けない日もある。


でも逆に、
そのままだと止まりそうな日もある。


そういうときに、
自分は完璧主義だからダメなんだ、ではなくて、
今日はどちらの見方が必要なんだろう、と考えてみる。


完成が必要なのか。
それとも今は、進行が必要なのか。


ちゃんとやりたい気持ちはそのままに、
今日は進みながら整える方がいいのかもしれない。
そう考えるだけでも、少し動きやすくなることがある。


完璧主義か、完了主義か。
どちらがいいかを決めるというより、
今日はどちらの見方が、今の自分を助けるかを見る。


その方が、行動にうつしやすい。


最後まで読んでくださってありがとうございます。

もし本文のどこかで
「それ、私もある」と思う行がひとつでもあったら、
スキで合図をもらえたら嬉しいです。



少しお時間があったら、こちらもどうぞ📖


👇🏻完璧にしてから出すのではなく、進みながら整える方を選べた日のこと


👇🏻「まあ、いっか」に、すぐ移れないときの内側を見てみた記事


👇🏻はじめて読んでくださった方へ


本音が分からないとき。
後から消耗するとき。
人との距離感に迷うとき。
そんな感覚を、少しずつ言葉にしているnoteです。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集