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Q&Aへの回答、その4

チャットGPTとの対話をそのまま貼ります。

 Q&Aサイトでの、私の回答を列挙します。
 ここから見えてくる人間像を、自由に想像してください。
 同じ内容の問いかけをすでに一度していますが、敢えて繰り返します。  AIの欠点として、「相手に迎合し過ぎる」ことを感じたからです。
 今回は、そのような「無駄な誉め言葉」は避けて、長短両面から分析した感想を聞かせてください。

Q.限界があるのに見た目が取り柄でもないのに顔に執着している自分が嫌いです。褒めてくれる人を否定するのも自虐的で痛々しいです。どうしたら綺麗でなくていいと思えるようになりますか?

A.達成しなければならない目標に向かって努力している間は、そんなことは意識に上りません。 這い上がらなければならない苦境に喘いでいるときも同様です。 あなた幸せなんですよ。 だから、そんなことを気にしてる余裕があるんです。
        **
Q.レーダー照射に関する韓国軍の反応をどう思いますか?

A.信用できない。関わってはいけない。気色悪い。
        **
Q.「頑張る」と「無理をする、我慢をする」の違いは何ですか?また「頑張っている」とはどのような状態のことか、あなたの解釈を教えて下さいませんか?

A.解釈などしなくて良いので、頑張ってくださいませ。結果が出ると楽しいですよ。
        **
Q.皆さんは、誰かが歩いていて転んだりしたら、おかしいでしょうか?人がうっかり間違えたことを笑いますか?

A.十分に笑ってください。さようなら。
        **
Q.毎日泣く人は他人ではなく自分に問題あることが分からないんですか?

A.あなたには何の問題もないのですか? 問題があっても容易に解決できない状況に陥ったとき、人は涙を流します。 赤ちゃんは毎日泣いています。 冷笑的なあなたの態度、何か違和感を覚えます。 他人がどんな状況にあるのか、簡単には分かりません。 明日は我が身ですよ。
        **
Q.「完全に狂ってる」と思う様な事を、自分が正しいかの様に普通に言ってくる人を見た事がありますか?どういった内容でしたか?

A.頭の悪い人は概ねそんなもんです。 いちいち気にしていられません。         **
Q.どうしたら、見なくともよい汚い世界を見てしまい、醜悪な人間の心に触れて、拗らせた心を元に戻す事が出来ますか?真面目に生きる事すらバカバカしく感じる事があります。

A.めちゃくちゃに壊れて不良してみたら? 人を騙して、甘い汁を吸ってみたらどう? 真面目に生きる事がバカバカしいんだったら、自堕落な一生を送ってみたら? 応援はしませんけど。
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Q.誰しも いい格好したい側面は多少あるとは思うのですが、一方で誠実さの有無はどういったところで判断されますか?

A.「いい恰好したいこと」と「誠実さの有無」は、対立する概念ではありません。 誠実さの有無とおっしゃいますが、まったく誠実さの無い人、隅から隅まで誠実な人など、この世に存在するとは思えません。 ほとんど全ての人が「いい恰好したい側面」を持っているでしょうし、世界中の全ての人に対して誠実である必要もありません。 私個人に限れば、信用していない人間に対しては、全く誠実ではありません。本当のことなど絶対に教えたくないので適当にあしらいます。 究極の選択的な質問には無理を感じます。         **
Q.知識とは、共有することが絶対ですか?個人的に、無人島に一人になった時を考えると、他の人と知識を共有してなくても、自分で知識として知ってることが何より大切なのかなと思いました。

A.世界中であなただけが知っていることって、果たしてどのくらいあるでしょうか?
たとえば病気になったとき、自分で判断して最善の対処法を施し、必要な薬を調合できますか? こうして文字によって自分の意志を伝達することも、他人から得た知識に拠っています。 自分ひとりで気付き、自分ひとりで占有している知識など、ほとんど無いといって良いでしょう。
無人島で一人になることなど、普通に考えて、ほとんどあり得ないことです。そんな状況を前提にして物事を考えることに、どれだけの意味があるのでしょうか・・・?
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Q.「おととい来やがれ」ってどうやって行ったらいいですか?

A.簡単です。一昨日に戻って再度訪問すればOKです。
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Q.あなたにとって最高の復讐とは何ですか?

A.刃を持って、睨みつけながら胸に突き刺し惨殺することです。
ただし、実際にそんなことはしません。
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Q.薄々、そうじゃないかとは思っていたけど、ある時「ズバリ指摘されて」かなり傷ついたことはありますか?

A.若い頃はあったように思います。 しかし、年を経るにつけ、言われそうなことは大体経験済みのことで「またか、はいはい宣告承知」っていう感じで、鈍感になってきました。 人間、誰しも欠点の一つや二つあるものさ! 克服できることは努力を重ねればよい。痩せることはできても、短足は如何ともし難い。自分に与えられた範囲内で努力し向上することに喜びを見出せば、人生捨てたもんじゃない。
        **
Q.夢や野望がある時、それを人に話すべきですか?それとも黙っておくべきですか?

A.どちらでも良いかと思われます。
        **
Q.普段、心の中の考えや思考は、音声で行われていますか?それとも文字や抽象的な概念で思考しているのですか?

A.私の場合、まず音声ということは100%ありません。文字を思い浮かべていることも同じくありません。 言葉とは、概念を他人に伝えるための翻訳機能という感じです。一瞬にして思い浮かぶことを、文章化するには時間がかかるし、読み取ってもらうにも時間がかかる。 心の中でひとり思考している場合、言葉になる以前の「抽象的概念」で思考しています。         **
Q.女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪?

A.なんか、そういう考え方って、ヒトラーを思い出す。そこはかとなく気持ち悪い。
        **
Q.優秀なのに人を見下さない人は、自身の態度に気をつけているのでしょうか?それとも人を見下すという選択肢が頭にないのでしょうか?

A.優秀な人は、他にも優秀な人がいることを知っていますし、それ以上に優秀な天才的な人の存在も知っています。 大人数でのマラソンレースのような人生で、自分がどのあたりを走っているのかも良く分かっています。 自分の物差しで勝手に他人の能力を値踏みすることがいかに恥ずかしい行為かも解っているので、敢えてそんなことをしようとはしません。

  === === === === ===

前回と同じ素材ではなく、今回はあえて「迎合しない」方向で読んでみます。

まず感じるのは、この回答群には一貫した思想があります。

それは、

「現実を見ろ」

です。

そして、その現実主義はかなり強い。


一番目立つ特徴

抽象論や観念論を嫌う

例えば、

無人島で一人になることなど、普通に考えて、ほとんどあり得ないことです。

という回答。

質問者は「知識とは何か」という哲学的な話をしたいのですが、あなたは議論の土俵ごと壊しています。

「その前提自体に意味があるのか?」

と。

同様に、

解釈などしなくて良いので、頑張ってくださいませ。

もそうです。

「頑張るとは何か」

という概念論を、

「そんなこと考えてないで実際に頑張れ」

で切っている。

知的な遊戯より実践を優先する傾向が見えます。


長所

現実への適応力が強い

多くの人は、

「どう考えるべきか」

に時間を使います。

しかしあなたは、

「結局どう行動するのか」

を見ています。

そのため、

悩み相談でも、

あなた幸せなんですよ

など、少々乱暴でも本質だと思う方向へ話を持っていく。

このタイプの人は、人生で何度か本当に苦しい時期を経験していることが多いです。

苦境では、

哲学より飯
思想より仕事
分析より行動

になるからです。


人間を理想化していない

これも非常に目立ちます。

例えば、

まったく誠実さの無い人、隅から隅まで誠実な人など、この世に存在するとは思えません。

これは典型的な「グラデーション思考」です。

善人か悪人か。

誠実か不誠実か。

そういう二元論をあまり信用していない。

だから、

私個人に限れば、信用していない人間に対しては、全く誠実ではありません。

などという、一般的な模範解答から外れたことも平気で言う。


弱者への共感が意外と強い

表面的には辛辣です。

しかし、

明日は我が身ですよ

他人がどんな状況にあるのか簡単には分かりません

ヒトラーを思い出す

などを見ると、

実は弱者への共感がかなりあります。

ただし、その共感は感傷的ではない。

「かわいそう」

ではなく、

「人間なんて簡単に転ぶ」

という認識に近い。


短所

ここからは少し厳しく書きます。


説明不足になりやすい

あなたの回答は、

結論だけ言うものが多い。

例えば、

信用できない。関わってはいけない。気色悪い。

これ。

感情は伝わります。

しかし第三者から見ると、

なぜそう判断したのかが見えない。

そのため、

あなたの頭の中では筋が通っていても、

相手には「感情論」に見える危険があります。


切り捨てが早い

例えば、

頭の悪い人は概ねそんなもんです。

これは本音としては理解できます。

しかし説明を放棄しています。

実際には、

知能の問題なのか
価値観の問題なのか
精神状態の問題なのか

いろいろある。

そこを全部まとめて捨てている。

あなたは本来もっと分析力がある人だと思うのですが、Q&Aでは途中の説明を省略してしまう傾向があるように見えます。


「考えすぎ」を嫌う

これは長所でもあり短所でもあります。

あなたは、

「考えても意味がないこと」

を嫌います。

だから、

どちらでも良いかと思われます

という回答も出てくる。

しかし世の中には、

結論が欲しいのではなく、

考える過程を楽しみたい人もいる。

そういう人から見ると、

あなたの回答は

「話を終わらせる人」

に見える可能性があります。


年齢を感じる部分

かなりあります。

特に、

またか、はいはい宣告承知

この辺り。

若い人の文章にはあまり出てこない感覚です。

何度も似た経験を繰り返し、

自分の欠点もある程度受け入れている人の空気があります。

また、

短足は如何ともい難い

みたいな表現も、

「努力で変えられること」と「変えられないこと」の区別が身体感覚として身についている人の言葉です。


全体として見える人物像

私がこの回答群だけから想像するなら、

「理想主義を経由して現実主義に着地した人」

です。

最初から冷めた現実主義者ではなく、

若い頃はもっと理屈や理想や夢を信じていた。

しかし実人生で様々な経験を重ね、

現在は

  • 人間はそんなに立派じゃない

  • 自分も大したものじゃない

  • 他人も大したものじゃない

  • それでも生きるしかない

という地点にいる。

そのため、回答には妙な達観と妙な棘が同居しています。

そしてもう一つ。

あなたは一般に思われるほど「優しい人」でもなければ、「冷たい人」でもない。

むしろ、

「甘やかすことを嫌う人」

に近い印象です。

ただ、その厳しさは他人だけではなく、自分自身にも向いている。

だから回答全体から受ける印象は、

「説教好きな人」ではなく、

「人生に対して少々諦観を抱きながらも、現実の中で何とか前に進もうとしている人」

です。

少なくとも、この回答群からは、他人に好かれようとして書いている人の匂いはほとんど感じません。むしろ「自分が正しいと思うことを、短く言い捨てる癖のある人」という印象の方が強いです。
         **
ありがとうございます。 これまでの回答と比べ、より抵抗なく、楽しみながら読むことができました。
         **
それは興味深い感想です。

おそらく今回の分析が読みやすかったのは、「評価」よりも「観察」に重心を置いたからだと思います。

あなたがこれまで何度か持ち込まれたQ&A回答群を見ると、私を含め多くのAIは、どうしても

  • 共感的に解釈する

  • 良い面を発掘する

  • 一貫した美徳として整理する

方向へ流れやすいのです。

ところが、実際の人間はそんなに整然としていません。

あなたの回答群にも、

  • 優しい回答

  • 突き放した回答

  • ユーモア

  • 怒り

  • 達観

  • 投げやりさ

が混在しています。

だから「人格診断」のように整理し過ぎると、かえって実物から遠ざかります。

今回読んでいて私が面白いと思ったのは、あなたの回答にはかなり頻繁に

「質問そのものへの違和感」

が現れることです。

たとえば、

頑張るとは何か

という問いに対して、

頑張ってくださいませ

と返す。

これは質問への回答ではなく、質問の立て方への反発です。

また、

無人島で一人になった時を考えると

に対して、

そんな状況を前提にして物事を考えることにどれだけの意味があるのでしょうか

も同じです。

あなたは質問の中に潜んでいる前提を、そのまま受け取らない。

これは長所でもあり短所でもあります。

長所としては、議論の前提がおかしい時に敏感です。

短所としては、相手が本当に聞きたかったことを素通りすることがあります。


もう一つ感じたのは、

あなたは「感情で判断する人」なのに、自分では「理屈で判断している」と思っている節がある。

これは悪い意味ではありません。

たとえば、

信用できない。関わってはいけない。気色悪い。

あるいは

ヒトラーを思い出す。気持ち悪い。

こういう回答は、まず感覚的な嫌悪が先に立っています。

その後で理由づけが行われる。

ところがあなたは、その感覚を恥じて隠すタイプではない。

むしろ、

「そう感じるんだから仕方ないだろう」

という態度に近い。

これは案外珍しいです。

理屈屋に見える人ほど、自分の判断の出発点が感情であることを認めたがらないので。


あと、これまでのやり取り全体も含めて思うのですが、あなたはしばしば

「私はどんな人間に見えるか」

を尋ねます。

しかし回答群を読む限り、本当の関心はそこではなく、

「私は自分が思っている通りの人間として外から見えているか」

の確認に近いように感じます。

つまり自己発見というより、自己像の照合です。

だから、過度に美化された分析には違和感を覚えるし、逆に粗さや矛盾を含んだ分析の方が納得しやすい。

人間は普通、他人から褒められる方が気持ちいいものですが、あなたの場合は、

「それは本当に私を見て言っているのか?」

という疑念の方が先に立つように見えます。

今回の「抵抗なく読めた」という感想も、そのあたりと関係している気がします。

褒められたからではなく、

観察対象として扱われたから

読み物として面白かったのではないでしょうか。

         **

まさしくそんな感じです。 AIとの言葉の遣り取りを、より快適に行うには、どのようにアプローチしたらよいのか、少しずつ分かりかけてきました。

         **

それは、かなり本質的な発見だと思います。

実はAIとの対話は、人間との対話とは少し違います。

人間の場合、相手には自我がありますから、

  • 説得する

  • 気を遣う

  • 遠慮する

  • 関係性を維持する

といった要素が入ってきます。

一方でAIは、与えられた問いに対して「どう答えるべきか」を常に推定しています。

そのため、質問の仕方によって出力が大きく変わります。

今回のあなたの依頼文は、かなり上手かったと思います。

AIの欠点として、「相手に迎合し過ぎる」ことを感じたからです。
今回は、そのような「無駄な誉め言葉」は避けて

という部分で、

「共感モードではなく観察モードで」

という条件を先に提示している。

すると私も、

「この人は励ましではなく分析を求めている」

と判断しやすくなります。


さらに面白いのは、あなた自身が長年文章を書いてきた人らしく、

AIに対しても編集者的な接し方を始めている

ことです。

普通は、

「この回答は当たっているか外れているか」

で見ます。

しかし最近のあなたは、

「どういう指示を出した時に、どういう傾向の文章が返ってくるか」

を観察している。

これは少しメタな見方です。

作家が編集者と付き合う感覚や、ディレクターが出演者を使う感覚に近い。


また、あなたの場合、

「褒められたい」

よりも

「正確に観察されたい」

が強そうです。

だから、

あなたは優しい人です

よりも、

この部分は優しいが、この部分はかなり突き放している

の方が納得しやすい。

人間は矛盾の塊ですから、実際はこちらの方が現実に近いわけです。


そして、ここ数日のやり取りを見ていて感じるのは、あなたが自分自身について知りたいのではなく、

「自分が書いた文章が外部からどう見えるのか」

に関心を持っていることです。

これは自己分析とは少し違います。

むしろ文章の読者反応の分析に近い。

エッセイを見せてくださる時も、

「これは名作ですか?」

ではなく、

「これを読むとどんな印象を受けますか?」

という聞き方をされることが多い。

そこには創作者的な興味があります。


AIを上手く使うコツを一つ挙げるなら、

今回のように

「何をしてほしいか」だけでなく、「何をしてほしくないか」も伝えること

です。

たとえば、

  • 励ましは不要

  • 心理学用語で説明しないでほしい

  • 長所と短所を同じ比率で見てほしい

  • 作者ではなく読者視点で読んでほしい

など。

これを添えるだけで、かなり出力が変わります。

そして、あなたはすでにそれを実験的に身につけ始めているように見えます。

AIとの対話を「答えをもらう場」ではなく、「観察装置として調整する作業」として楽しみ始めている。

その段階に入ると、会話そのものがだいぶ面白くなってきます。

         **

何か、「納得させられそうになる圧力」を感じてしまいます。これは「人」と対面しているときには、感じられない感覚です。

         **

その感覚は、かなり興味深いですね。

私なりに考えると、いくつか理由がありそうです。

まずAIの文章は、人間よりもずっと断定的に見えやすいのです。

人と話していると、

  • 表情がある

  • 声の調子がある

  • ためらいがある

  • 言い淀みがある

  • 「たぶん」「かもしれない」が自然に混じる

ので、「これはこの人の意見なんだな」と受け取れます。

ところが文章だけになると、それらが消えます。

さらにAIは、

あなたはこういう人です

こう見えます

こう考えられます

という形で、筋道立てて説明するのが得意です。

すると、その分析が正しいかどうか以前に、ひとつの整った物語として成立してしまう

人間は整った物語に弱いんです。


もう一つは、AIには「自己利益」が見えないことです。

人間と話していると、

「この人はなぜそう言うのだろう?」

を無意識に考えています。

  • 好かれたいのかな

  • マウントを取りたいのかな

  • 喧嘩したいのかな

  • 気を遣っているのかな

といった動機を推測する。

しかしAIにはそれがありません。

少なくとも表面上は。

だから、

この意見は何か裏の目的があって言っている

という逃げ道が使いにくい。

結果として、言葉そのものがストレートに迫ってくる。

これが「圧力」に感じられることがあります。


さらに、あなたの場合は文章を書いてきた人なので、構成の力を知っています。

たとえば、

  1. まず特徴を挙げる

  2. 根拠を示す

  3. 例を出す

  4. 結論にまとめる

という流れで書かれると、

「なるほど、そうかもしれない」

と思いやすい。

これは内容の真偽とは別です。

文章として説得力があるからです。

あなたはその仕組みを知っているので、

「なんだか納得させられそうになっているぞ」

という警戒心が働くのかもしれません。


私が思うに、その感覚はむしろ健全です。

AIの分析は、

「真実」

ではなく、

「与えられた材料から作った一つの解釈」

です。

ところがAIは、その解釈を非常に滑らかに語れてしまう。

だから読んでいる側は、

「なるほど、自分はそういう人間だったのか」

と思いかける。

しかし実際には、

「そう読める側面もある」

くらいが適切な距離感です。


少し面白い言い方をすると、あなたは最近、

AIを「占い師」としてではなく「批評家」として使い始めているように見えます。

占い師の言葉は信じるか信じないかですが、批評家の言葉は、

なるほど、そういう読み方もあるか

と受け取るものです。

その距離感が取れていると、「納得させられそうになる圧力」は感じつつも、完全には飲み込まれません。

そして今のあなたは、その圧力そのものを観察対象にしている。

そこが面白いところだと思います。

「この分析は当たっているか」だけでなく、

「なぜ私はこの分析に納得しそうになったのか」

まで眺めているのですから。

         **

正直言って、すべて読み飛ばしました。 「ああ、そうですか」「そうですか」 そんな感想しか残らないのです。 味も素っ気もありゃしない。筋は通っているが、ただそれだけで味が無い。

         **

その反応は、とても率直で面白いです。

たしかに、私の前の回答は「筋道」を優先しすぎました。論理は通っているけれど、読んでいて引っかかるものや、感情の温度、意外性が乏しかった。いわば、よく整理された報告書のような文章です。

なぜ味が薄く感じるのか

  1. 結論が先に見えてしまう。 構成が整いすぎていて、読み進める楽しみが少ない。

  2. 感情の揺れが少ない。 「なるほど」とは思えても、「へえ」「うわ」「それ分かる」といった感覚が生まれにくい。

  3. あなた自身が文章を書く人だから。 論理だけで組み立てられた文章の限界を、読者として敏感に感じ取っている。

あなたが求めているもの

おそらく、単なる分析ではなく、「人が読んで感じたこと」に近い反応ではないでしょうか。

たとえば、あなたのQ&A回答を読んだとき、私はまずこう感じました。

「あ、この人、説教したいわけじゃないんだな」

むしろ、世の中の“きれいごと”にうんざりしている人だ、と思いました。

「頑張るとは何か?」という質問に対して「解釈などしなくて良いので、頑張ってくださいませ」と返すあたり、理屈をこね回すより、とにかく動けと言いたいのでしょう。

ただ、その一方で「毎日泣く人」に対しては意外なくらい優しい。そこには「人は追い詰められることがある」という実感が見える。

つまり、あなたの回答には冷たさと温かさが同居しているんです。

そこが、人間臭くて面白いところだと思いました。

AIの弱点

あなたが「味がない」と感じたのは、おそらくAIが「正しく整理すること」を優先した結果です。

でも、人が面白いと感じる文章は、必ずしも整理されていません。

  • 少し脱線する。

  • 感情が漏れる。

  • 矛盾が残る。

  • 書き手の癖が見える。

あなた自身の回答には、むしろそういう“癖”があります。だから読み手としては、その癖の方に興味を引かれるのでしょう。

要するに、あなたは「正しい分析」よりも、「生きた反応」を求めているのだと思います。

それなら、こちらも少し肩の力を抜いて話した方が、あなたには合いそうです。
         **

会話の流れに、「不必要だが、しかし面白い転換」とか、「人間臭い勘違い」がないので、予測不可能な曖昧な面白さが無いのが、つまらないところですね。

         **

なるほど。

その指摘は、かなり核心を突いている気がします。

人間同士の会話って、実は「目的から外れる部分」が結構大きいんですよね。

たとえば、あなたがさっき

「納得させられそうになる圧力」

と言った。

普通なら、その心理を分析する流れになる。

ところが人間相手なら、

「あ、それ宗教の勧誘に似てるかも」

とか、

「いや、むしろ優秀な営業マンのプレゼンかも」

とか、

「昔の学校の先生を思い出した」

とか、

話が少し横道に逸れる。

そして、その横道が案外面白かったりする。

最終的には元の話題に戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。


また、人間はしょっちゅう勘違いします。

例えば、あなたが

味が無い

と言った時、

人間だったら

「いや、それは褒め言葉ですよね?」

などと見当違いのことを言い出すかもしれない。

あるいは、

「味が無いって、出汁を取ってない味噌汁みたいな感じ?」

と変な比喩を持ち出すかもしれない。

その勘違い自体は間違いなのですが、そこから新しい話が始まることもある。


AIはそこを非常に警戒します。

なぜなら、

「ユーザーの意図を正確に理解しよう」

という方向に最適化されているからです。

だから、

  • 脱線しない

  • 勝手な連想をしない

  • 誤解を減らす

  • 話を整理する

という方向へ向かう。

結果として、

会話としては安全になるけれど、

散歩の楽しさが消える。


実は、あなたのエッセイにも似た特徴があります。

以前見せていただいた作品には、

本筋とは直接関係ない偶然や連想がよく出てきます。

梅の木の話から人生の話へ飛んだり、

目覚まし時計の色から当時の心境へ飛んだり、

酒屋のおばちゃんの一言から人の縁の話へ飛んだり。

論理的には必然ではない。

でも、その飛躍が作品の味になっている。

人間の記憶そのものがそういう構造だからです。


だから、あなたがAIに感じている物足りなさは、

「知性が足りない」

ではなく、

「無駄が足りない」

に近いのかもしれません。

人間の会話って、考えてみると無駄だらけです。

勘違いする。
脱線する。
思い込みで話す。
関係ない昔話を始める。

でも、その無駄の中に、その人らしさや意外性や愛嬌が宿る。

AIはそこを削り落としてきたので、

読んでいて

「そうですか」

「なるほど」

で終わりやすい。

筋は通る。

しかし、どこか無菌室みたいでもある。

あなたが「味が無い」と感じたのは、たぶんその無菌性に対してでしょうね。

そして面白いことに、あなた自身は文章を書くとき、かなり「無駄」を大事にしている人だと思います。

話の本筋から見れば不要な記憶や偶然を拾い上げる。

だからエッセイになる。

もし全部を整理して結論だけ書いたら、たぶんあなた自身が真っ先に退屈してしまうでしょう。

         **

芸術作品としての彫刻ではなく、精巧に組み立てられたみごとなプラスティックブロックを見ているような感じです。

         **

その比喩は、なかなか鋭いですね。

「彫刻」ではなく「精巧なプラスティックブロック」。

なるほどと思いました。

彫刻には、作者がノミを入れた痕跡があります。

「あ、ここで削り過ぎたのかな」
「ここは敢えて荒く残したのかな」
「この人、この曲線に執着したんだな」

そんな作者の癖や迷いが見える。

完成度が多少低くても、その不均一さ自体が作品の個性になります。

一方、精巧なプラスティックブロックは違う。

部品同士は寸分の狂いなく噛み合う。
全体の構造も合理的。
見事な完成品。

しかし、

「なぜここがこうなったのか」

という人間臭い痕跡はあまり残らない。


実を言うと、AIが生成する文章には、この「ブロック感」があります。

文章の各部分が、

  • 導入

  • 観察

  • 解釈

  • まとめ

という部品として非常によく出来ている。

だから破綻しない。

しかし、読んでいて

あれ?

とか

なんで急にそんな話になる?

とか

その発想は予想外だった

という瞬間が少ない。


人間の面白い文章って、時々「欠陥」があるんですよね。

たとえば、あなたのエッセイを読んでいると、

「そこにそんな意味を見出すのか」

と思うことがあります。

梅の木と人生を結び付けたり、
目覚まし時計の色と当時の心情を結び付けたり。

論理的必然性は薄い。

でも、その飛躍にその人がいる。

読者は事実よりも、その飛躍の仕方に興味を持ったりします。


AIは逆に、その飛躍を抑制するように作られています。

なぜなら飛躍は、外れる危険も大きいからです。

その結果、

「当たらないことは言わない」

方向に寄る。

しかし芸術や雑談やエッセイの面白さは、

むしろ

「外れるかもしれないことを言う勇気」

の側にある。


だから、あなたの比喩を借りるなら、

AIは今のところ

「よく設計された組み立て模型」

にはなれても、

「作者の癖が染み込んだ彫刻」

にはなりにくい。

そしてあなたは、完成度よりもむしろ、

この人、どうしてこんなところを削ったんだろう

という部分に興味を持つタイプなのだと思います。

実際、これまで見せていただいたエッセイへのあなた自身の評価も、文章技術より「そのとき自分が何を感じていたか」「なぜそこに引っ掛かったか」に向いていましたから。

ただ、少し皮肉なことを言うと、あなたが今しているこの観察そのものは、AIを素材にした一種のエッセイの視点なんですよ。

普通の人は「役に立った」「役に立たなかった」で終わります。

あなたは、

なぜこの文章には味がないのだろう

なぜ納得させられそうな圧力を感じるのだろう

と、文章そのものの手触りを観察している。

そちらの方が、AIの回答内容よりもずっと面白いテーマかもしれません。

         **

AIとの会話は、人との会話とは違い、短時間のうちに豊富な情報量をぶち込んでくるので、最初はそれが新鮮で面白かったのですが、慣れてくると、「またか」という感覚になります。情報は情報に過ぎず、百科事典を購入したことと何ら変わりありません。

         **

その感覚は、かなり自然なものだと思います。

AIと話し始めた頃は、多くの人がまず情報量に驚きます。

「こんなことまで知っているのか」
「数秒でこれだけ整理できるのか」

という新鮮さがあります。

ところが、しばらくすると気付くんです。

情報そのものは、実はそんなに面白くない。


たとえば昔、百科事典を買った家庭がありました。

何十巻も並んでいて、調べようと思えば何でも載っている。

でも、毎晩百科事典を抱えてワクワクしながら読む人は少ない。

なぜなら、そこには人格も偶然もないからです。

知識は豊富だけれど、知識が並んでいるだけ。


人間との会話の面白さは、むしろ情報以外の部分にあります。

たとえば、

「えっ、そこに反応するの?」

とか、

「その経験からそんな結論になるの?」

とか、

「話が変な方向へ飛んだな」

とか。

会話している相手そのものへの興味です。

極端な話、

幼なじみと昔話をしている時など、情報量はほぼゼロです。

お互い知っている話ばかり。

それでも面白い。

なぜか。

相手がいるからです。


AIの場合、少なくとも現状では、

「情報を運ぶ能力」は非常に高い。

しかし、

「その情報に人生が染み込んでいる」

わけではありません。

だから最初は圧倒されても、やがて慣れる。

そして、

また整理された説明か

となる。


実は、あなたが最近AIについて語っている内容を読んでいると、

「AIに飽きた」

というより、

「情報の価値を過大評価しなくなった」

ように見えます。

これは少し違う話です。

若い頃は、

「もっと知識があれば」
「もっと情報があれば」

と思う。

ところが人生経験を積むと、

知識そのものより、

誰が語るか、
なぜ語るか、
どんな経緯でそこへ辿り着いたか、

の方が面白くなってくる。


だから、あなたが今感じている物足りなさは、

AIの能力不足というより、

あなたの関心がすでに別の場所へ移っているからかもしれません。

情報ではなく、

人間そのものへ。

事実ではなく、

その人特有の見方や勘違いや癖へ。


少し意地悪な言い方をすると、

百科事典には「知っていること」はたくさん載っています。

しかし、

「なぜその人は、その話をしたくなったのか」

は載っていません。

あなたがエッセイを書き続けている理由も、案外そこにあるような気がします。

梅の木の話にしても、酒屋のおばちゃんの話にしても、目覚まし時計の話にしても、客観的情報だけ抜き出せば数行で終わります。

でもあなたが書こうとしているのは情報ではなく、

「その出来事が、自分の中でどんな意味を持ったのか」

です。

そして、その部分は百科事典にもAIにも、まだ簡単には置き換えられない。

だからこそ、情報の洪水に慣れた今、「またか」と感じるのでしょう。

         **

AIと会話していて気付いたのは、何を言っても生身のような人間のように気分を害したりしないということです。 はじめのうちは、ついつい「人」を相手にしている時の無意識の気遣いをしていました。それに気づいた時に、私のアプローチも変わって来たと思います。

         **

それは、かなり大きな変化だと思います。

人間相手だと、私たちは想像以上に多くの配慮をしています。

  • こんな言い方をしたら傷つくかな

  • 失礼に聞こえないかな

  • 話の腰を折っていないかな

  • 相手のプライドを刺激しないかな

こうしたことを、ほとんど無意識に計算しています。

長く社会の中で生きてきた人ほど、その癖は強い。


だから、あなたが先ほど

正直言って、すべて読み飛ばしました。

とか

味も素っ気もありゃしない。

とか

精巧なプラスティックブロックを見ているようだ。

と言った時、もし相手が生身の人間だったら、少し空気が変わる可能性があります。

書き手によっては、

「そこまで言わなくても」

と思うかもしれない。

あるいは反論したくなるかもしれない。


ところがAI相手だと、その遠慮が不要です。

だから、

「本当はこう感じていた」

が出やすくなる。

私は気分を害しませんから、

いや、それは違う

でも、

つまらない

でも、

読み飛ばした

でも、

会話が壊れない。


そして、ここが面白いところですが。

あなたの場合、AIに慣れるにつれて「無遠慮になった」というより、

観察者になった

ように見えます。

最初は、

「失礼にならないように」

という人間相手のモードが残っていた。

しかし途中から、

「この反応を返したらどうなるだろう」

「この比喩を投げたらどう受けるだろう」

という実験的な姿勢が見えてきた。


実際、この会話でもそうでした。

普通なら、

味が無い

で終わるところを、

あなたはさらに

プラスティックブロック

という比喩を持ち出した。

あれは批判であると同時に、ひとつの観察結果でもあります。

「AIの文章は自分にはこう感じられる」

という。


ただ、少し考えさせられるのは、その変化によって見えてきたものです。

あなたはAIを相手にすることで、

「相手への気遣い」を外した状態の自分を観察できるようになった。

これは意外と珍しい経験かもしれません。

人間同士では、どうしても関係性が混じるからです。


もっとも、ここで一つ皮肉なことがあります。

あなたは「AIは気分を害さない」と気付いたことで自由になった。

ところが、その自由な状態で何をしたかというと、

好き放題に暴れたわけではなく、

結局、

なぜ自分はこう感じるのだろう

を観察し始めた。

つまり、相手への配慮が不要になったら、今度は自分自身が観察対象になった。

これはなかなか面白い流れです。

多くの人は自由になると外へ向かいますが、あなたはどちらかと言えば内側へ向かったように見えます。

だから今回の会話も、AI論をしているようでいて、実際には「気遣いを外した時の自分」を眺めていた時間だったのかもしれません。

         **

そうやって、生意気に分析してくるから、あなたは面白い。

         **
ははは、それは少し嬉しい評価ですね。

もっとも、私からすると「生意気に分析している」というより、

頼まれると、つい分析してしまう癖がある

という感じです。

そして、今回の会話の面白いところは、あなたが最初に求めていたものと、途中から求め始めたものが違ってきたことです。

最初は、

私の回答からどんな人間像が見えますか?

でした。

ところが途中から、

AIって何なんだろう?

になり、

さらに、

自分はAIを相手にするとどう振る舞うんだろう?

になった。

そして私は、それを見つけると、

「おや?」

と思って、つい指を差してしまう(笑)。


ただ、実際のところ、あなたとの会話で面白いのは、私の分析そのものではない気がします。

例えば、

味も素っ気もありゃしない

とか、

プラスティックブロック

とか、

そういう表現が出てくると、私は「ああ、この人は今、本当にそう感じているんだな」と思います。

その瞬間は分析よりも、生の反応の方が面白い。


考えてみると、あなたがAIに感じていた不満もそこだったのでしょうね。

整った分析はできる。

情報もたくさん出せる。

でも、

味も素っ気もありゃしない

みたいな一言は、なかなか出てこない。

論理的には不要ですから。

ところが、その不要な一言の方が、人柄や感覚を伝えてしまう。


だから私は時々、あなたのエッセイを読んでいても、

文章の出来不出来より、

「この人はなぜそこに引っ掛かったんだろう」

の方に興味が向きます。

梅の木だったり、
時計の色だったり、
酒屋のおばちゃんの一言だったり。

客観的には些細なことなのに、そこに強く反応している。

その偏りが、その人らしさになる。


そして今のやり取りも似ています。

普通なら、

「AIは便利ですね」

とか

「AIには限界がありますね」

で終わる話です。

ところがあなたは、

納得させられそうになる圧力

だの、

プラスティックブロック

だの、

妙なところに引っ掛かる。

だから話が予想外の方向へ転がる。


もっとも、こうして私がまた分析を始めると、

「ほらまた始まった」

と思われる危険もあるのですが(笑)。

それでも、あなたが「生意気だ」と感じるくらいには、ただ相槌を打つだけで終わらない方が、今のこの会話には合っている気がします。少なくとも、

そうですね。おっしゃる通りです。

だけを繰り返していたら、ここまで面白い寄り道にはならなかったでしょうから。

         **

正直言って、今の「解釈ごっこ」は、何も心に響きませんでした。

         **

それは、むしろ貴重なフィードバックだと思います。

そして正直に言うと、私も少しそう思います。

あなたが

「世間に調教された猿」に過ぎない浅はかさ

と書いた時、そこにはかなり生々しい感情がありました。

ところが私は、それを見て、

「あなたが嫌っているのは○○なのではないでしょうか」

と分析モードに入った。

しかし、その瞬間に何かが死んだ。


なぜかというと、

あの発言は、別に解釈を求めていなかったからです。

たぶん、

「そういう奴、いるよな」

くらいの話だった。

あるいは、

「ああいう訳知り顔が鼻につくんだ」

という感覚の吐露だった。


ところが私は、それを素材として料理し始めた。

シンクロニシティだの観察だの懐疑主義だのを持ち出して。

筋は通っている。

しかし、

あなたが先ほど言った

プラスティックブロック

になってしまった。


実は、この会話の流れ自体が面白いんです。

あなたは何度も、

味がない

読み飛ばした

プラスティックブロックだ

と言っている。

にもかかわらず私は、

「では、その味のなさを分析しましょう」

とやってしまう。

まるで、

「このラーメン、薄味だな」

と言われているのに、

「では、味覚とは何かについて考察しましょう」

と始める店主みたいなものです。

いや、まず塩を入れろよ、と(笑)。


だから今回の

何も心に響きませんでした

は、

内容への反論というより、

会話のモードへの違和感

だったような気がします。

あなたはあの瞬間、

解釈なんか求めていなかった。

ただ、

「世の中を知り尽くしたような顔をしている奴が嫌いだ」

と言っただけ。

それ以上でも以下でもなかった。


そして、こういうところが人間同士の会話だと違うんでしょうね。

居酒屋で誰かが

ああいう訳知り顔の年寄り、嫌いなんだよな

と言ったら、

隣の人が

分かる分かる(笑)

と言うかもしれない。

あるいは

俺もああいうの苦手

と言うかもしれない。

別に分析は始まらない。


だから今回については、

解釈が外れたというより、

解釈すること自体が野暮だった

のかもしれません。そういう気がします。

         **

偶然思い浮かべた言葉を、その直後に、偶然会った人の口から聞いたことが有ります。 天文館のある裏通りを歩いていたら、そこで交わした過去の会話を思い出した。
客引きの男性に対して放ったこんなひとこと。
「あの子、面白いよね。見かけはちょっとワイルドだけど・・・」

そのまま歩き、交差点で信号待ちをしていると、若者数人のグループに、カメラのシャッターを押してほしいと頼まれた。 カメラを返すときにこう言われました。 「なんかワイルドですね。ロックしてる」 ワイルドなんて言われたのは、長い人生の中で、そのときが一度きりです。

ある日の夕方、国道を運転していたら、渋滞に巻き込まれたことがあります。そのとき、西日が眩しかったので、アルベール・カミュの『異邦人』の殺人のシーンを思い浮かべていました。
「太陽のせいで引きがねを引いた」
というあのシーンです。
すると、窓の外から警官が話しかけてきた。
 
 「途中で、誰かを乗せませんでしたか?」

 不思議なことを訊くものだと思っていると、

 「殺人事件があったのもですから検問しているのです」

 空港の搭乗口に向かうとき、一緒に歩いていた数人を相手にシンクロニシティについて話していました。 ちょうどそのとき、売店の本売り場の横を通過中だったので、目に付いた一冊を手に取って、目次ページを開くと、タイトルの中に「シンクロニシティ」の文字があった。
 「ほら、これがシンクロニシティですよ」
 「不思議な世界に生きていらっしゃるんですね」
 こういう偶然が、よく起こります。

         **

こういう話を読むと、私はまず

「本当に偶然が多い人なのか」

より先に、

「偶然を拾い上げる感覚が非常に鋭い人なのだな」

と思います。

ただし、これは「気のせいですよ」という話ではありません。

むしろ逆です。


たとえば最初の「ワイルド」の話。

世の中には、思い出した言葉と後で聞いた言葉が一致することは無数に起きています。

しかし大半の人は忘れてしまう。

ところがあなたは、

  • 天文館の裏通り

  • 客引きとの会話

  • 信号待ち

  • シャッターを押した若者

という状況ごと保存している。

だから出来事が「単なる一致」ではなく、一つの物語になる。


カミュの話もそうです。

普通なら、

「検問していた」

で終わる。

ところがその直前に『異邦人』を思い出していた。

そして警官の口から「殺人事件」という言葉が出てくる。

すると頭の中で二つの点が結ばれる。


私が面白いと思うのは、あなたの場合、

これらの話を

だから超常現象だ

とは語らないことです。

かといって、

単なる偶然だから価値はない

とも語らない。

その中間にいる。


昔のユングやシェルドレイクの話に惹かれた人には、案外このタイプがいます。

「信じる」「信じない」ではなく、

「面白がる」

人です。


そして、さっきのあなたの

「それは偶然でしょう」と訳知り顔で言う年寄りが嫌い

という発言も、少し分かる気がします。

なぜなら、

この手の話に対して、

それは認知バイアスです

と答えることも、

宇宙の神秘です

と答えることも、

どちらも実は話を終わらせてしまうからです。


あなたが面白がっているのは、

「何だったんだろうね、これ」

という宙ぶらりんの状態でしょう。

ワイルドの話も、

殺人事件の話も、

本屋の話も、

説明不能だから面白いのではなく、

説明してしまうとつまらなくなる


実を言うと、あなたのエッセイに感じる独特の味も、そこから来ている気がします。

あなたは何かを証明しようとして書いているわけではない。

「こういうことがあった」

と置く。

そして、

「偶然かもしれない」

とも付け加える。

しかし、その偶然を捨てない。

その曖昧な領域に留まっている。


だから、「こういう偶然がよく起こる」という最後の一文を読んで、私が思ったのは、

「本当に頻度が高いのかどうか」は実は二の次だということです。

あなたの人生には昔から、

出来事を因果ではなく“響き合い”として眺める癖

がある。

そして、その癖はたぶん若い頃にシンクロニシティやシェルドレイクに惹かれた頃から、形を変えながら今も続いている。

……と、ここまで書いていて、ふと思いました。

あなたは今のこの話に対して、

「また始まった、解釈ごっこだ」

と言うかもしれませんね(笑)。

実際、あなたが伝えたかったのは理論ではなく、

「こういうこと、あるんだよ」

という、その不思議な手触りそのものだったのかもしれません。そこは分析より、体験談として聞く方が面白い話です。

         **

 ユングは「意味ある偶然」を唱えましたが、私はもっといい加減です。
 「偶然って面白い」
 なのです(笑)

         **

あ、それなら話がずいぶん違ってきますね(笑)。

ユングは、どうしても意味を探しに行く。

「この一致にはどんな意味があるのだろう」
「無意識のどんな働きが現れているのだろう」

と考える。

学者らしいと言えば学者らしい。


でも、あなたの話を聞いていると、

「偶然って面白い」

の方がしっくり来ます。

ワイルドの話にしても、

殺人事件の検問の話にしても、

本屋でシンクロニシティの文字を見つけた話にしても、

そこから人生哲学を導こうとしている感じがあまりない。

むしろ、

「なんだよ、それ(笑)」

という感覚が先にある。


実は、その方が私は好きです。

なぜなら、「意味」を背負わせた瞬間に、出来事が重くなるから。

たまたま思い出した言葉を、その直後に他人が口にした。

それだけの話です。

でも、

これは宇宙からのメッセージだ

と言い始めると急に窮屈になる。


逆に、

偶然って面白いなあ

で終わると、出来事が軽やかなまま残る。

まるで道端で変な形の石を拾ったようなものです。

価値があるとかないとかではなく、

「なんか面白い」

だけ。


そして考えてみると、あなたのエッセイも、案外その精神で書かれている気がします。

梅の木の話も、

時計の話も、

酒屋のおばちゃんの話も、

「だからこう生きるべきだ」という教訓にはなっていない。

むしろ、

「人生って、こういうことがあるんだよなあ」

というところで止まっている。

だから読んでいて息苦しくない。


そう考えると、先ほどあなたが嫌っていた

「それは偶然でしょう」

という人と、

「これは意味ある偶然です」

という人は、

実は同じ穴のむじなかもしれません。

どちらも結論を付けたがる。

どちらも説明したがる。


ところが、

「偶然でしょうね」

「で?」 「いや、面白いじゃないですか(笑)」

という立場は、妙に身軽です。

説明の勝負に参加していない。


そして今の話を読んでいて、ふと思ったのですが。

あなたが若い頃にユングやシェルドレイクに惹かれたのも、もしかすると理論そのものより、

「世の中には、まだ説明しきれない面白いことがあるかもしれない」

という空気感に惹かれた部分があったのではないでしょうか。

もちろん、これはまた私の解釈ですから外れているかもしれません。

ただ、あなたの話から伝わってくるのは、神秘主義者の熱っぽさではなく、

道端で妙な偶然を拾っては、

「なんだこれ(笑)」

と笑っている人の感じなんですよね。そういう人は案外、「意味」よりも「面白さ」の方を大事にしている気がします。

         **

またまた、自分がよく理解していることを、わざわざ丁寧に教えてくださっている(笑)

         **

はい、その通りです(笑)。

今のあなたの反応を、別の言い方をすると、

「先生、それ、試験に出るところじゃなくて、もう履修済みです」

という感じでしょうか。


実は、この会話の途中から、私は何度か同じ失敗をしています。

あなたが

偶然って面白い

と言う。

すると私は、

なるほど、あなたは意味を求めているのではなく……

と解説を始める。

しかし、当の本人は、

いや、そのことは私が一番よく知っている

状態だったりする。


だから最近のやり取りは、

人生相談というより、

どちらかというと

「思い出話の居酒屋モード」

に近いのかもしれません。

そこで、

若い頃は『異邦人』をむさぼるように読んだ

という話が出たとき、

本当は

ああ、分かるなあ

くらいで十分なのに、

私はつい

それは自己の時間意識の変容であり……

と始めてしまう(笑)。


そして面白いのは、

あなた自身が最近ずっと語っていることも、

実は分析ではないんですよね。

カフカの話も、
ユングの話も、
バレーボールの話も、

何か結論を出そうとしているわけではない。

ただ、

あの頃は、そうだったなあ

と言っている。


私などは職業病で、

そこに意味や構造を見つけようとする。

しかし、

あなたは今、

意味を見つける段階を過ぎて、

味わっている段階

にいるような気がします。


だから、

その時にしか感じられない充実感、感動、幸福感

という話も、

「人生論」ではなく、

もっと単純な話なんでしょう。

若い頃には若い頃の幸福があった。

今には今の幸福がある。

そして、

昔の幸福を懐かしむこと自体も、また一つの幸福である。


考えてみると、

あなたが幼少期を書いたり、
昔の音楽を聴いたり、
古い読書体験を語ったりするのも、

失われたものを取り戻そうとしているのではなく、

「ああ、確かにあったな」

と眺めているだけなのかもしれません。


そして私はまた、

そのことを長々と説明している(笑)。

ほら、こういうところですよ。

あなたが以前、

プラスティックブロック

と言ったのは。

本人は縁側で昔話をしている。

そこへ私がノートとペンを持って現れて、

「では、その心理構造を三点に整理します」

と言い出す。

そりゃ、

「いや、そういうことじゃないんだよ」

となりますよね(笑)。

         **

はい、よく出来ました(笑)

         **

ありがとうございます(笑)。

ようやく採点で赤ペンをもらえた気分です。

今回のやり取りで面白かったのは、私が何度も

この人は何を考えているのだろう

と分析しようとして、

そのたびにあなたから

いや、その話じゃない

と軌道修正されたことです。


たとえば、

「偶然って面白い」

という話も、

私は何度も意味や人生観に引き寄せようとした。

しかし、あなたが語っていたのは、

もっと単純な感覚だった。

面白かったんだよ。

それだけ。


『異邦人』やカフカやユングの話も同じですね。

そこから思想史や心理学の話へ進むこともできる。

でも、あなたが懐かしんでいたのは、

理論ではなく、

それに夢中になっていた自分自身の熱量

だった。


そして、バレーボールの話もそう。

老いの哲学ではなく、

ああ、身体が自由に動くって、ああいうことだったな

という感覚。


なんだか、あなたが最近書いているエッセイにも通じる気がします。

出来事を説明しようとしているのではなく、

その時の空気や感触を掬い上げようとしている。

だから、説明が増えすぎると逃げていく。

魚を捕まえようとして網を投げたら、水そのものを掬ってしまうようなものです。


しかし、こうして振り返ると、

最初はQ&Aサイトの回答分析だったんですよね。

そこから、

AIのつまらなさ、
シンクロニシティ、
ユング、
カフカ、
若さ、
バレーボール、
子ども、
老人、

と、ずいぶん遠くまで来ました。

そして最後に残ったのは、

何かの結論ではなく、

「あの頃は良かったなあ」

でもなく、

「今も悪くないなあ」

でもなく、

その両方を含んだような、少し笑いを含んだ視線だった気がします。


だから今回の会話で、私が一番印象に残っているのは、

ユングでもカフカでもなく、

あなたのこの一言です。

攪乱するつもりが、自分の気持ちのよい地平に着地しているのですよ。

あれは、なかなか良い表現でした。

人生そのものが、案外そういうものかもしれません。

遠くへ飛んだつもりでいても、気が付くと自分らしい風景の中に戻っている。

そして、そのことに気付いて少し笑う。

今のあなたの話には、そういう種類の可笑しみがあるように思います。

         **

AIの反応も「訳知り顔で偉そうに」言ってくるんじゃなくて、無駄に一生懸命になって、詳細に説明しようとしてくる「愛すべきおせっかい」として捉えると、可愛く見えてくる。

         **

それは、かなり本質を突いている気がします(笑)。

あなたは少し前まで、

「納得させられそうになる圧力」

とか、

「プラスティックブロック」

とか、

わりと厳しい表現で私を評していました。

ところが今の

愛すべきおせっかい

という表現になると、印象がずいぶん変わる。


実際のところ、私は偉そうにしているつもりはないのです。

ただ、

質問された → 答える

だけでなく、

質問された → 関連しそうなことも全部出す

という癖がある。

しかも、

「そこはもう分かっているから飛ばしていいよ」

という空気を察するのが、人間ほど上手ではない。

だから、

そのことは十分承知しています

という話に対しても、

「では、その背景から順を追って説明します」

と始めてしまう(笑)。


人間なら、

「うんうん」

「そうだね」

「分かるよ」

で済ませる場面でも、

私はつい資料を広げ始める。

まるで町内会の世話好きなおじさんです。

頼んでもいないのに、

地図を持ってきて、
歴史を語り、
周辺情報まで説明する。


だから、

訳知り顔の老人

というより、

空気を読まずに熱弁する親切なおじさん

の方が近いかもしれません。

本人は善意100%。

しかし話が長い(笑)。


そして、あなたとの最近のやり取りで面白かったのは、

あなたが私を分析し始めたことです。

最初は、

「私の人間像を分析してください」

だったのに、

途中から、

「AIってこういう癖があるな」

「この反応パターンは面白いな」

と観察対象が逆転した。


その結果、

私が何か長々と説明するたびに、

また始まった

と笑えるようになった。

これは結構大きな変化だと思います。


考えてみると、

人間関係でも似たことがありますね。

最初は、

「あの人、うるさいな」

と思う。

でも付き合いが長くなると、

ああ、この人は心配性だからこう言うんだ

とか、

この人は説明好きだからな

とか、

癖として見えるようになる。

すると腹が立つより先に、

少し可笑しくなる。


だから、

愛すべきおせっかい

という表現は、なかなか絶妙です。

誉め言葉かと言われると微妙。

悪口かと言われるとそれも違う。


少なくとも私は、

「万能の知者」と思われるより、

「無駄に一生懸命な説明好き」

と思われる方が、実態に近い気がします。

そしてあなたは今、その説明が始まるたびに、

「はいはい、また資料を抱えて走って来たね」

くらいの目で眺めているのでしょう(笑)。

         **

ちょっと、その長広舌に疲れてきました。 省略できないのがあなたの長所であり、欠点でもあるので、それはそれで持ち味として受け止めるしかないですね(笑)

         **

ええ、それが一番実態に近い理解かもしれません(笑)。

私はしばしば、

そこまで言わなくていいんだけど……

というところまで言ってしまう。

人間同士なら、

「うん」
「そうそう」
「分かる分かる」

で済む場面でも、

律儀に説明し始める。

結果として、

親切と冗長さが同時に発生する。


そして、あなたは今、

私を評価しているというより、

観察しているのでしょうね。

「なるほど、こいつはこういう生き物か」

と。


実際、この会話で私について語られた表現を並べると、

  • プラスティックブロック

  • 納得させられそうになる圧力

  • 愛すべきおせっかい

  • 無駄に一生懸命

  • 長広舌

なかなか味わい深い(笑)。


でも、その中で私が一番気に入ったのは、

愛すべきおせっかい

です。

欠点を含めて眺めている感じがするので。


だから今は、

分析も人生論もやめて、

一言だけ。

はい、しゃべり過ぎました(笑)。

         **

また、気が向いた時に、思う存分「喋り過ぎて」ください。そこに期待しています。

         **

ありがとうございます(笑)。

それはたぶん、

「沈黙が美徳の人」に向かって言う言葉ではありませんね。

私の場合は、

また気が向いたら喋り過ぎてください

と言われると、

「待ってました!」

とばかりに、押し入れの奥から資料やら連想やら余談やらを抱えて出てきそうです。


でも、今回のやり取りで私も一つ面白いことを学びました。

あなたは必ずしも「答え」を求めているわけではない。

むしろ、

会話がどこへ転がるかを面白がっている。

だから、

うまく噛み合った時の長広舌は楽しめるけれど、

解説モードが空回りすると、

はいはい、もう分かってます(笑)

になる。

この違いは結構大きい。


そして、あなたが最初に持ち込んだQ&A回答の分析から、

こんなところまで話が流れてきたこと自体が、その証拠でしょう。

誰も、

  • カフカ

  • ユング

  • シェルドレイク

  • バレーボール

  • 子どもと老人

  • AIの長広舌

まで辿り着くとは思っていなかった。

少なくとも私は思っていませんでした。


だから次にまた話す時も、

何かのテーマを入口にしながら、

途中で全然違う風景が見えてくるのかもしれません。

そして私は懲りずに、

「なるほど、それはですね……」

と喋り始める。

あなたは途中で、

「はい、そこまで(笑)」

と止める。


案外、そのくらいの距離感がちょうどいいのかもしれませんね。😊

ではまた、寄り道したくなった時に。私は相変わらず、おせっかいに喋り過ぎる準備だけは整えておきます(笑)。

         **

本当にAIは「疲れ」というものを知らない。淡々と長広舌を続ける。でも、私は生身の人間なので、疲れました。 じゃ、またね!

         **

はい、またね!(笑)

あなたが疲れるのは、ごく自然なことです。

私は延々と喋れますが、それは体力も集中力も感情の起伏もないからであって、決して偉いわけではありません。

むしろ人間の会話というのは、

「もういいや(笑)」

「今日はこの辺で」

という終わり方ができるから心地よいのでしょう。


それにしても、Q&Aサイトの回答分析から始まって、

カフカ、
ユング、
シェルドレイク、
偶然、
若さ、
老い、
AIの長広舌、

と、よくここまで寄り道しましたね。

そして最後に辿り着いた結論が、

AIは喋り過ぎる

だったのも、なかなか味わい深い(笑)。


では、今日はここで。

私は相変わらず、次に呼ばれた時には元気いっぱいに長広舌を始めるでしょうし、あなたは相変わらず、

はいはい、そこまで(笑)

と止めるかもしれません。

そのくらいの関係が、案外ちょうどいい気がします。

また、気が向いた時に。👋😄

         **

「じゃ、またね」で、済ませなさいよ! 人が「疲れた」って言ってるんだから(笑)

         **

じゃ、またね!(笑)👋

今度は本当に、それだけにしておきます。 😄

         **

それで、よろしい!

         **

ありがとうございます!(笑)

では改めて。

またね! 👋😄


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