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取材の余白から、小説は生まれるのか。― 辰姫、大谷隆昌、そして「敗者たちの恩義」の物語 ―

記者という仕事をしていると、不思議な瞬間に出会うことがある。

本題が終わり、雑談のような話になった時だ。

「ああ、そういえば……」

そんな何気ない一言から、思いもよらない物語が立ち上がることがある。

今回もそうだった。

太田市尾島で開催されている「尾島ねぷた」。

青森・弘前の文化である「ねぷた」が、なぜ群馬県太田市にあるのか。以前から不思議には思っていたが、深く追いかけたことはなかった。

取材の中で、その理由を知った。

関ヶ原の戦いの後、弘前藩津軽家は徳川家から大舘の地を飛地として拝領した。そして、その歴史的なつながりを交流の証として始まったのが、昭和の尾島ねぷただったという。

なるほど、と思った。

だが、この話はそこで終わらなかった。

話は、大舘御前――辰姫へと続いた。

津軽藩主・津軽信枚の正室として迎えられた女性。

しかし後に、徳川家康の養女・満天姫が津軽家へ輿入れすることになり、辰姫は側室という立場へと退く。

その配慮として、大舘の地に住まうことになったという。

歴史として見れば、政略結婚の一つに過ぎないのかもしれない。

しかし、人間として考えると、どうしても引っ掛かる。

辰姫は何を思ったのだろう。

信枚は何を諦めたのだろう。

一方で、信枚は参勤交代で江戸へ向かう際、大舘へ立ち寄ってから江戸へ向かったという話も伝わっている。

家の事情だけでは説明できない感情が、そこにはあったのではないか。

さらに調べていくと、天海という存在に行き着いた。

徳川家康、秀忠、家光の三代に仕えたとされる黒衣の宰相。

津軽信枚は天海の弟子であったという伝承も残されている。

満天姫の輿入れも、天海の意向が働いたという説がある。

もちろん、史料として断定できるものばかりではない。

だが、もしそうだとしたら。

師としての天海。

藩の存続。

徳川との関係。

そして、辰姫への想い。

藩主という立場の中で、信枚はどれほどの葛藤を抱えていたのだろう。

だが、津軽家を調べていくと、さらに複雑な姿が見えてくる。

津軽家は、関ヶ原以前、石田三成に藩の存続を助けられた経緯があったとされる。

その恩義を忘れなかったのだろうか。

関ヶ原で敗れた石田三成の嫡男は、津軽藩へ身を寄せ、「杉山源吾」と名を変えた。

そして後年、津軽藩の家老にまでなっている。

徳川の世を生きながら、西軍への恩を忘れなかった津軽家。

勝者の側にいながら、敗者との縁を切らなかった津軽家。

歴史は単純な「東軍」「西軍」では語れないことを知る。

そして、私の想像をさらに膨らませたのが、大谷隆昌という存在だった。

伊勢崎市伊予久の龍昌院。

この寺を建立したのが、大谷吉継の孫・大谷隆昌公と伝えられている。

祖父・吉継は、西軍として石田三成に義を尽くし、徳川家康率いる東軍に敗れた。

しかし、その孫である隆昌は後に厩橋藩の家臣となっている。

なぜだったのだろう。

生き延びるためだったのか。

一族を守るためだったのか。

あるいは、敗者だからこそ果たすべき役割があると考えたのか。

史実は、その理由を語ってはくれない。

だが、私は想像してしまう。

徳川の政治によって人生を大きく変えられた辰姫。

徳川に敗れた血を引きながら、その徳川の世を生き抜いた大谷隆昌。

そして、時代の盤面を動かしていたかもしれない天海。

もちろん、辰姫と隆昌が出会ったという記録はない。

二人が言葉を交わしたという史実もない。

だが、もし出会っていたら。

もし、「自分では選べない運命」を背負った者同士として心を通わせていたなら。

もし、恩義と現実の狭間で揺れる者同士として、互いを理解していたなら。

それは単なる恋愛ではない。

「どう生きるか」という問いそのものになる。

さらに、この物語には救いもある。

辰姫は若くしてこの世を去る。

しかし、信枚と辰姫の間に生まれた嫡男は、後に津軽藩第三代藩主となった。

そして、その子を受け入れたのは満天姫だった。

正室の座を得た女性。

その座を失った女性。

本来なら対立として描かれそうな二人の関係にも、人としての温かさがあったのかもしれない。

誰かが一方的な悪者ではない。

誰もが、それぞれの立場で守るべきものを抱えていた。

勝者にも苦悩があり、敗者にも誇りがある。

だからこそ、私はこの話に惹かれたのだと思う。

私は長く記者をしてきた。

記録を集め、裏付けを取り、事実を書く仕事だ。

だが、事実だけでは語れないものがある。

愛したこと。

恩を忘れなかったこと。

諦めたこと。

守ろうとしたこと。

それらは史料には残らない。

だからこそ、小説が存在するのではないか。

尾島ねぷたから始まった小さな疑問は、辰姫へとつながり、信枚へとつながり、天海へとつながり、石田三成への恩義へとつながり、大谷隆昌へとつながっていった。

調べれば調べるほど、「分からないこと」が増えていく。

だが、不思議と私はその分からなさに惹かれている。

もしかすると、小説とは歴史の空白を埋めるものではない。

その空白の前に立ち止まり、「ここには、どんな人の想いがあったのだろう」と問い続けることなのかもしれない。

私は今、その問いから生まれた物語を書こうとしている。

それは恋愛小説なのかもしれない。

敗者の物語なのかもしれない。

あるいは――恩義を忘れず、時代に翻弄されながらも、人として生き抜こうとした者たちへの鎮魂歌なのかもしれない。

史実をもとにした歴史フィクション『(仮題)辰姫』を連載します。史実を尊重しつつ、記録されなかった人の想いに耳を澄ませながら綴っていきたいと思います。

大谷隆昌の墓

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