残ってしまうもの
豆の季節になると、思い出すことがある
豆をゆでると、なぜか思い出してしまうことがある。
それは、ほんの一瞬の記憶なのに、
長い年月を越えて、ふいに胸をあたためるものだ。
鍋の中で豆がころころと踊る様子。
立ちのぼる湯気。
やわらかな青い香り。
その匂いをかぐたびに、
遠い日の台所が、そっと戻ってくる。
子どもたちが小さかった頃、
私は毎日時間に追われていた。
仕事を終えて帰宅すると、
買い物袋を置く間もなく夕飯の支度が始まる。
洗濯物を取り込み、
連絡帳を確認し、
お風呂を沸かし、
翌日の準備をする。
一日はあっという間だった。
食卓についても、
味わう余裕はほとんどなかった。
子どもたちに食べさせながら話を聞いたり、
おかわりをよそったり、
こぼしたものを拭いたり。
食べているつもりなのに、
何を作ってどれくらい食べたのかさえ思い出せない日もあった。
それでも、
季節のものだけは食卓にのせたいと思っていた。
春にはたけのこ。
初夏にはグリンピースやサヤエンドウ、スナップエンドウ。
夏にはとうもろこし。
秋にはきのこ。
冬には大根や白菜。
特別なごちそうではないけれど、
それは、私なりに家族へ渡していた
小さな季節だったのだと思う。
先日、娘から一通のLINEが届いた。
「そら豆をゆでたよ」
添えられていたのは、
つやつやとした鮮やかな緑色のそら豆の写真だった。
そして続けて、
「小さいころ、お母さんがゆでたてのそら豆をお味見させてくれたのを思い出しました」
と書かれていた。
私はしばらく画面を見つめていた。
そんなことがあっただろうか。
思い出そうとしても、まったく出てこない。
あの頃の私は、
ただ毎日を回すことに精一杯だった。
覚えていないことの方が、
ずっと多いのかもしれない。
けれど娘は覚えていてくれた。
たった一粒のそら豆を。
たったひとことの、
「味見してみる?」
を。
何気なく差し出したその時間が、
娘の中では消えずに残っていた。
そのあと、
娘との会話は少しずつ広がっていった。
私は昔から豆が好きだ。
そら豆、
ひよこ豆、
小豆、
大豆、
黒豆、
とら豆、
レンズ豆…
季節ごとに、
それぞれの豆を楽しんでいる。
そんな話をしていたとき、
私はふと昔のことを口にした。
「小さい頃、おばあちゃんの手伝いで、さやえんどうの筋を取ったり、グリンピースをさやから出したりしていたなあ」
すると娘が言った。
「それだね!」
「お母さんの豆好きは、そのときの記憶なんだね」
私は少し驚いた。
そんなふうに考えたことはなかったから。
ただ豆が好きなだけだと思っていた。
でも、もしそうだとしたら。
私の中にある好きという気持ちは、
ずっと前から誰かと混ざり合ってできていたのかもしれない。
その頃の光景が蘇る。
台所の隅で母と並んで座る。
さやえんどうの筋を取る。
ぷちっと割って、
グリンピースを取り出す。
ころころ転がる豆を、
小さな手で追いかける。
あの時間は、
もう過ぎ去った思い出だと思っていた。
けれど本当は、
今も私の中で生き続けていたのかもしれない。
娘が一人暮らしを始めてしばらくして、訪ねて行った時のこと。
「ごはん作るね」
そう言って差し出してくれた料理は、
私が夏によく作っていた彩りサラダだった。
ひと口食べて、
言葉が出なかった。
味がまったく同じだったのだ。
私は教えていない。
一緒に料理もしていない。
レシピも渡していない。
そもそもレシピはなかった。
それなのに、
ちゃんと私の味だった。
どうやって作ったのだろう。
そう思ったあとで気づいた。
教えていなかったのではなく、
娘はずっと食べながら覚えていてくれたのだ。
レシピではなく、
暮らしの中で。
言葉ではなく、
舌で。
思い返せば、
夫もよく台所に立っていた。
普通の日のおかず作りではなく、
休みの日のイベントとして。
休日になると、
「今日は何を作る?」
と子どもたちに声をかけていた。
パンを焼く日。
ピザを作る日。
ケーキを焼く日。
子どもたちは粉だらけになりながら、
夢中で生地をこねていた。
パン生地の中に、玉ねぎやベーコンを入れ、
ピザのトッピングに好きな具材をのせ、
ケーキのデコレーションに、生クリームを飾り,果物をあれこれのせる。
あの時間は料理ではなく、
親子の時間そのものだったのだと思う。
ほとんどを夫に任せ、私はサブで
スポンジケーキの粉を混ぜたり
生クリームを塗ったり
野菜や果物を切ったりした。
それでも、
あの光景は今もはっきり覚えている。
笑い声。
粉まみれの手。
焼き上がる匂い。
家じゅうに広がる温かな空気。
その時間は、
かたちを変えて今も続いている。
娘は誰かのためにケーキを焼き、
息子は子どもたちとパンを作る。
小さな手は、粘土遊びのように楽しんでいる。
同じ場所はもうない。
あの頃と同じ家もない。
けれど、
同じような時間だけは残っている。
そして、
少しずつ次の世代へ渡っている。
ある日、
娘とそら豆の話をしていたとき、
ふと別の記憶が重なった。
子どもの頃、
娘も息子も、
そして私自身も、
そら豆が苦手だった。
父はそら豆が大好きで、ゆでたそら豆やフライドビーンズをよく周りの人にすすめていた。
でも、
あの頃の私にはそのおいしさがわからなかった。
娘も息子も同じだった。
それなのに今では、
娘はそら豆をゆで、
息子はフライドビーンズを作り、
私は焼きそら豆を楽しみ、
豆板醤まで仕込んでいる。
あの頃は遠かった味が、
少しずつ近づいてきた。
時間をかけて、
人生に馴染んでいったのかもしれない。
「大人になって、味蕾が鈍くなることで味わえるものが増えるのは面白いね」
娘がそう言った。
「本当にそうだね」
私が答えると、
娘は続けた。
「舌も人生も一緒かもしれないね」
その言葉に、
私は思わずうなってしまった。
若い頃にはわからなかったこと。
苦手だったもの。
遠ざけていたもの。
それらを少しずつ好きになっていく。
人生も確かに同じなのかもしれない。
子育ての頃の私は、
いつか楽になる日が来るのだろうか。
そう何度も思っていた。
けれど今は少し違う。
あの忙しさの中でしか作れなかったものが、
確かにあったのだと思う。
毎日のご飯づくり。
季節の野菜。
何気ない味見。
休日のパン作り。
どれも特別なことではなかった。
ただ一緒に食べていただけの日々。
ただ作っていただけの日々。
それでも、なぜか残っているものがある。
あの頃の毎日のご飯づくりは、
未来の私自身と家族、
そして次の世代への贈りものだったのかもしれない。
ただ一緒に食べていただけの日々。
ただ作っていただけの日々。
その頃は何も思わなかったごく普通の日々。
それでも、
なぜか残っているものがあった。
今になってやっと、残っていたと気づくものがあった。
娘がそら豆をゆでる。
息子が子どもたちとパンを焼く。
私はその少し後ろで、
それを見ている。
見ているだけなのに、
胸の奥がじんわりとあたたかい。
初夏の夕暮れ。
鍋のふたを開けると、
やわらかな湯気が立ちのぼる。
その向こうで、
そら豆がほっくりと割れた。
私は一粒、口に入れる。
あの頃と同じ味。
でも、
あの頃には気づかなかったものも一緒に広がる。
娘の記憶。
息子の台所。
孫たちの小さな手。
料理は食べればなくなってしまう。
けれど
食卓を囲んだ時間や、
誰かを思って作った気持ちは、
ずっとどこかに残り続けるのかもしれない。
名前のないまま。
そら豆の香りのように。
静かに。
そして、
あたたかく。
レシピ
1.ゆでそら豆
(娘に残っていたもの)
これは、娘が「小さい頃の記憶」として思い出してくれたそら豆です。
あのとき私は何気なく、「味見してみる?」と差し出しただけでした。
それでも、その一粒が娘の中に残っていました。
材料
・そら豆 1袋
・塩 適量
・水
作り方
1. そら豆はさやから出す
2. 鍋に湯を沸かし、塩を加える
3. 2〜3分ほどゆでてざるに上げる
あの頃のことは、ほとんど覚えていなかったのですが、娘の中では
ゆでたてをひと粒味見する時間が、記憶として残っていました。
これは、今の私がいちばん好きな食べ方です。
何かを足すより、引いていくほどおいしくなると感じるようになりました。
それは、年齢を重ねてから気づいた変化かもしれません。
2.焼きそら豆
(今の私が作るもの)
材料
・そら豆 1袋
作り方
1. 洗って、さや付きのまま魚焼きグリルに入れる
2. 表面が少し焦げるまで10分ほど焼く
3. さやを割り、中の豆を取り出して食べる
香ばしさとほくほく感だけで、十分だと思える味です。
何も足さないことが、いちばん贅沢だと知ったのは最近でしょうか。
3.彩りサラダ
(娘が再現したサラダ)
これは、娘が一人暮らしを始めてから作ってくれた一皿です。
教えたことも、レシピを渡したこともありません。
そもそもレシピはありませんでした。
それでも、同じ味になっていました。
「レシピ」ではなく「あの頃の時間そのもの」を覚えていたのだと思います。
材料
・アボガド1個
・トマト 1個
・夏みかん 1/2個
・酢漬け玉ねぎ 1/4個分ほど
・あれば バジル 2枚
・レモン大さじ2
・オリーブオイル 大さじ1
・塩麹
・こしょう 少々
作り方
1. アボガドとトマトを食べやすく角切りにする
2. 酢漬け玉ねぎを混ぜる
酢漬け玉ねぎがなければ、玉ねぎを薄切りにして水にさらす
3. 材料をすべてボウルに入れる
4. 調味料で和える
特別なことはしていないのに、なぜか「うちの味」になるサラダです。
教えていないのに同じ味になることが、少し不思議でした。
今でも我が家では夏の定番です。
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