【未来の記憶を呟く】「神様は自分の中にいます」
先日、その時の吉方位であるらしい場所へ、
夫と車を走らせました。
場所は千葉県の香取神宮。
それは、最高の未来を確認するための旅になるはずでした。
ところが。
現実は、びっくりするほど散々でした(笑)。
外側の世界に見えた「エゴ」の縮図
香取神宮はイベントで大渋滞。
中に入れそうもありません。
諦めて向かった近くの道の駅は、
これまた人だかり。
そして空腹も限界だった私達が、
やっと見つけたラーメン店。
なんと、まだ14時なのに閉店していました。
その後方向転換し、
茨城県の鹿島神宮に行ってみることに。
すると近くの駐車場は満車。
かなり離れた所に車を停め、
ようやく入れた本殿は修繕中。
ビニールなどで覆っていて
狭くなった入り口はまたまた行列。
通り抜け、何とか奥で参拝。
しかし、帰りに買おうと思っていたお札は、
なんと売り切れ。
夕方頃、小腹が空いて、
食べ物を買おうとするもまたまた行列。
その光景を目の当たりにしたとき、
私はハッとしました。
「神聖な場所が、どこか汚れている感じがする」と。
そして同時に、
残酷なまでの真実に気づいたのです。
「ああ、私も汚している一人なのだ」と。
「外に求める私」への強制終了
何かを外から取り込もう。
あやかって良くなろう。
そんなエネルギーの中に、
自分もいたことに気づいた瞬間、
「お札や社殿に頼らなくても、
もう自分の中に何かを信じる力はあるんじゃないか」
そんな声が聞こえて来たのです。
「神様は、自分の中にいる」
本殿の行列からはじき出された私が、
ふと目に入った、
古い池や湧き水、
大木に触れたとき、
心は不思議と、すっと軽くなりました。
そこには思惑などが介在しない、
純粋なエネルギーの循環だけがありました。
宇宙は、これでもかという、
「空振り」という現実を見せることで、
私を強引に自分自身の内側へと、
連れ戻してくれたような気がします。
帰り道、腰痛に耐えながら運転してくれた夫と、
車中でたくさん笑いました。
結局、手元にはお札もないけれど、
お腹には出店で買った肉まん一つだったけれど、
笑い合って帰路に着くことができ、
この空振りが
忘れられない思い出となりました。
その思い出こそが、
自分だけの尊いストーリーを
築いているのです。
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「私という過去を捨て未来の記憶を生きる」悲しい過去を生きる人へ私の発信が少しでもそんな方への勇気や希望になればと思っています。そして詩は、見逃しそうな景色も言葉で拾い集め、日常を彩ることができれば、と思って活動しております。皆様のお力に少しでもなれたら、嬉しいです。