答えは道の上に落ちている|100日間、毎日投稿してわかったこと
こんにちは、芽芽斗 守(めめと・まもる)です。
この記事で、100日連続投稿になりました。

こうして書き続けているうちに「毎日どうやって記事を書いているんですか?」と聞かれることも増えています。
そのたびに「それはもう大変で、毎日必死にひねり出しています」と答えてきました(笑)。
妻との些細な会話だったり、ふと起きた出来事だったり。
小さなことを拾って、1を100にして書く。
そんな説明を、これまでいろいろなところでしてきました。
もちろん、それは嘘じゃありません。
ただ、100日連続で書いてきた今、続けられた理由として一つ思い当たることがありました。
それは、歩くことです。
私がこれまで書いた記事の半分以上は、ウォーキング中に思いついたものです。
先日もエッセイの結びがどうしても決まらず、机の前で一時間ほどうなっていました。
コーヒーを何杯飲んでも結びの一文は浮かびませんし、こればかりは妻に相談するのも違います。
結局私は履き慣れたウォーキングシューズを履いて外に出ました。
しばらく歩いて家に戻るころには、結びの一文が決まっていました。
ついでに次の記事のネタまで思いついていて、少し笑ってしまいました。
以前の記事にも、毎日1〜2時間ほど歩くと書いています。
それなのに、ウォーキングそのものを題材にしたことはほとんどなかったと思います。
そんなことにふと気づいたので、今日はその話を書かせてください。
会社員時代も、7000歩は歩いていた
前の会社ではテレワークに移行するまで、たくさん歩いていました。
家から駅までの道
乗り換えの通路
クライアント先
会議室から会議室への移動
とくに会議室の移動はひどくて、一時間ごとにフロアが変わることもざらでした(笑)。
歩数だけ見れば7000歩ぐらいで、一時間ほど歩いている今とそれほど変わりません。
それなのに当時は、歩きながら何かを思いついた記憶がほとんどないのです。
当時の私にとって歩くことは、AからBへ行くためのただの手段でした。
目的地があって、着いたら次の予定が待っています。
手にはいつもスマホがありました。
歩きながら届いたばかりのチャットやメールへの返信を考えて、信号待ちの数十秒でさえ通知を確認していた気がします。
考える時間がないと思っていたのに、何もしなくていい時間まで自分で埋めていたのです。
そのことに気づいたのは、この文章を書きながらでした。
行き先を決めずに歩く
会社を離れて、歩き方が変わりました。
以前は行き先があって歩いていましたが、今は行き先を決めずに歩いています。
さすがに帰る時間は決めていますが(笑)。
そんな習慣を続けているうちに、よくアイデアが浮かぶことに気づきました。
机でいくら考えても出なかった結びの一文が、歩き始めてすぐに浮かびます。
開発中のアプリで詰まっていたところも、信号待ちで答えが出てきます。
妻と歩く日は、子育ての悩みやこれから作る会社の話をします。
そういうときも、机に向かっていたら出てこない答えがぽろっと出てきます。
最初は偶然だと思っていましたが、何度も続くとそうも言えなくなりました。
どうやら私は、机の前より歩いているときのほうが考えやすいみたいです。
歩くと発想が60%増える、という研究
気になって調べてみると、歩くことと創造性についての研究がありました。
スタンフォード大学が2014年に発表した研究で、合計176人が参加しています。
座っているときと歩いているときで、どれだけアイデアが出るかを比べました。
その結果、歩いているときのほうが平均で約60%多くアイデアを出していました。
意外だったのは、外の景色すら必要なかったことです。
この60%という数字は、室内で壁に向かってウォーキングマシーンを歩いたときのものでした。
効いていたのは景色より歩くという行為そのものだったわけです。
歩いたあとに座った人も、ずっと座っていた人より多くのアイデアを出しています。
ウォーキングから帰ったあとに文章を書きやすいのも、これなら納得できます。
ただし、歩けば何でも解決するわけではありません。
答えが一つしかない問題では、歩いた人のほうがむしろ少し成績が落ちています。
歩きながらクロスワードパズルを解いても、たぶん速くはなりません(笑)。
広げたいときは歩いて、絞りたいときは机に座る。
研究が示しているのも、そういう使い分けです。
ダーウィンには、考えるための道がありました
『種の起源』を書いたチャールズ・ダーウィンは、自宅の敷地に約400メートルの砂利道をつくっています。
のちに「思索の小道」と呼ばれる道で、昼になると決まって五周したそうです。
数え方が面白くて、道の端に石を積んでおいて一周ごとに一つ蹴り飛ばしていました。
子どもたちはそれを知っていて、こっそり石を足してダーウィンをからかったと伝わっています。
私も幼いころ、父に似たようないたずらをしていました。
父の煙草を何本かこっそり抜いて、なくなりそうなころに元へ戻すようないたずらです。
父が少しびくっとして煙草の本数を確かめ、首をかしげる姿を笑いをこらえながら眺めるのがなぜか好きでした。
ダーウィンの子どもたちも、彼の習慣をよく知っていたからこそのいたずらだったのかもしれません。
私の父は首をかしげていましたが、ダーウィンは増えた石を見てどんな顔をしたのでしょうか(笑)。
メモが取れないから、残るものが選ばれる
私はウォーキング中、なるべくメモを取りません。
机の前なら思いついた瞬間に書けますし、妻との会話中もいい案が浮かんだら話を遮ってメモします(笑)。
でも歩いているとそれができないので、忘れないように頭の中で何度か言い直します。
すると最初に浮かんだ言葉が少し変わったり、別の話とつながったりします。
単語と単語がくっついて、一つの文になっていく感じです。
ただ忘れっぽいのか、家に着くころには思いついたことの大半を忘れています(笑)。
それでも家まで生き残ったものは、その日いちばんよかったアイデアだったりします。
イギリスのグレーアム・ウォーラスが1926年の『思考の技法』で、発想が生まれるまでを四つの段階に分けています。
Preparation(準備)
Incubation(あたため)
Illumination(ひらめき)
Verification(検証)
日本語はざっくり意訳していますが、こんな感じです(笑)。

面白いのは二つ目の「Incubation(あたため)」で、これは課題からいったん離れる時間です。
調べて考えたあとに何もしない時間を挟むと、その間にひらめきが生まれる。
私のウォーキングは、この「あたため」にあたります。
机の前で一時間うなっていたのは、準備が足りなかったからではありません。
準備のあとに、いったん離れる時間を取っていなかっただけでした。
悩んでいる日は、いつもより長く歩きます
歩くようになって、悩みごととの付き合い方も変わりました。
机の前にいると、同じことばかり考えてしまいます。
仕事のことなら仕事のこと。
お金のことならお金のこと。
頭の中が、そのことでいっぱいになります。
でも外を歩くと、自然とほかのものが目に入ります。
遠くに山が見えたり、犬を連れた人とすれ違ったり。
頬をなでる風には、潮の香りがほんのり混じっています。
そうして歩いているうちに、さっきまで考えていたことから少し離れられます。
デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールは、1847年に親戚へ宛てた手紙でこう書いています。
何より、歩くことをやめないでください。
私は毎日歩いて、心と体を整えてきました。
歩くと、悩みから少し離れられます。
よい考えも、歩いていると浮かんできます。
歩いても離れられないほど重い考えを、私は知りません。
哲学者が言うと少し大げさに聞こえますが、私が歩く理由とも似ています。
歩いたからといって、考えごとがなくなるわけではありません。
家に帰れば、結局また向き合うことになります。
それでも外を歩くと、少し頭が冷えます。
考えすぎているなと思った日は、いつもより長く歩きます。
何かを解決するためというより、頭を切り替えるために歩いています。
私が歩くときにしていること
ここまで読んで「少し歩いてみようかな」と思った方がいたら、私が普段やっていることを書いておきます。

まず出かける前に、問いを一つだけ持ちます。
「あの記事の結びをどうしようか」くらいで十分です。
歩きながら、ずっと考え続ける必要はありません。
さっき話した「あたため」に入れる材料を一つ持っておく感じです。
次に、歩くルートを考えすぎないようにします。
ダーウィンは毎日同じ道を五周しました。
私は逆に行き先を決めず、その日の気分で歩きます。
方法は反対ですが、歩くこと以外にあまり頭を使わない点は似ています。
それから、歩いているあいだはなるべくスマホの画面を見ません。
Audibleや本の要約チャンネルを聴くことはありますが、なるべく街の景色を見るようにしています。
緑の多い場所なので、季節ごとの変化を見るのも楽しみの一つです。
花が咲いていたり、木々の色が少しずつ変わっていたり。
そうした景色を眺めながら歩いていると、内容とは関係のないことがふと頭に浮かんできます。
何もせず歩くことより、体を動かしながら周りを見ること自体に意味があるのかもしれません。
家に帰ったらコールドシャワーで汗を流して、そのまま書斎に向かいます。
そこで、歩いているあいだに残った言葉をすぐに書きます。
きれいな文章にする必要はありません。
ここを後回しにすると、家まで生き残ったアイデアも一時間もしないうちに消えてしまいます。
私がやっているのは、だいたいこれだけです。
そんなやり方でも、100日間文章を毎日書き続けることができました。
毎日投稿に挑戦してみようと思っている方は、ぜひ一度試してみてください。
机の前で止まったら、靴を履けばいい
気づけばnoteを100日連続で書いていて、私にしてはよく続いているほうです。
歩く習慣があったからこそ、ここまで続けてこられたと思っています。
先に歩くことが日常になって、そのあとに書くことが習慣になりました。
実際、このエッセイの書き出しもタイトルもウォーキングの途中で浮かんだものです。
歩きながら考えて、家に戻って書斎で形にする。
今の私には、この順番が合っています。
以前の私なら、机を離れることをサボりのように感じていました。
でも今は、歩いた距離だけ書けると半分本気で思っています(笑)。
そう思えるようになってから、書けない時間にも以前ほど焦らなくなりました。
あの日、机の前で一時間うなっていた私に教えてあげたいです。
先に靴を履いていたら、もう少し早く答えが出ていたかもしれないよと。
答えは机の上ではなく、道の上に落ちている。
少なくとも私は、そうやって何度も答えを見つけてきました(笑)。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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