なぜ夫婦は、同じ喧嘩を繰り返すのか――争点ではなく「喧嘩の経路」を地形の力学から考える
このnoteについて
本noteは、筆者の理論・考察を、AIを用いた検索・参照が可能な形で公開しておくことを主目的としています。そのため、一般的な読み物よりも、定義や既存研究との関係をやや明示的に記述しています。読みづらい場合は、この記事のURLをお手元のAIに渡し、要約・解説させながらお読みください。なお、理論上の正式な定義を確認・引用する場合には、AIによる要約ではなく本稿の原文をご参照ください。
はじめに――本当に「夫と妻」が喧嘩しているのか
夫婦で何度も喧嘩をしていると、不思議なことが起きる。今回のきっかけは洗い物だった。前回は子どもの準備だった。その前は帰宅時間だった。さらにその前はスマートフォンだった。争点は違う。それなのに、途中から同じ会話になる。
「またその話?」
「いつもそうだよね」
「そうやってすぐ逃げる」
「何を言っても結局責められる」
そして最後には、「この人はいつもこうだ」というところへ戻ってくる。
ここで、少し問いを変えてみたいと思う。
夫婦は、本当に同じ問題について何度も喧嘩しているのだろうか。
もしかすると、違う問題から始まりながら、何度も同じ「喧嘩の経路」へ入っているのではないか。
この問題を考える前に、本稿では分析単位を少し変えてみたい。夫婦喧嘩を考えるとき、私たちは普通、「夫」と「妻」という二人を先に置く。その二人がそれぞれ異なる性格、感情、価値観を持ち、それらが衝突すると考える。しかし本稿では、夫と妻を独立した二つの地形として切り分けるのではなく、二人自身、その相互作用、外部条件、そして過去の履歴を含む一つの「関係地形」として切り出してみる。
これは、夫婦を一つの主体だと考えるという意味ではない。分析上、どこまでを一つの系として見るかという話である。家族を相互作用する動的なシステムとして捉える視点自体は、家族システム論ですでに長い蓄積がある。CoxとPaleyは、家族の発達や適応を、複数の要因が相互に影響しながら変化する動的システムとして整理している。また、カップルがストレスへ共同で対処するdyadic copingの研究でも、パートナー同士のストレスや対処は互いに独立ではなく、「二人の問題」として扱われ得ることが理論化されている。つまり、「夫婦を二人の独立した個人だけで説明しない」という考え方そのものは、本稿独自のものではない。
地形の力学(『地形の力学』とはなにか|平林裕貴)がそこへ加えたい問いは別にある。その関係地形の中で、なぜある状態から別の状態へ移りやすくなるのか。そして、二人の行動によって、その後の遷移可能性そのものがどのように変わっていくのか。
夫婦という関係地形には、二人だけが存在しているわけではない。仕事、収入、勤務時間、家事、育児、住居、親族、法律、制度、「夫とはこうあるもの」「妻とはこうあるもの」「親ならこうすべきだ」といった社会規範、双方の身体状態、そして二人がこれまで積み重ねてきた経験がある。二人は、その地形の外側から互いを見ているのではない。二人とも、その中にいる。
そして、ここに今回の問題の入口がある。
地形そのものは見えにくい。しかし、相手は目の前に見えている。
1 夫婦は、二人だけでできているわけではない
例えば、家事や育児がうまく回らなくなったとする。一方は長時間働いている。もう一方も仕事をしながら保育園の迎えに間に合わなければならない。子どもは夜中に起きる。双方の親は遠方に住んでいる。住宅費もかかる。仕事を簡単に辞めるわけにもいかない。
さらに、その配置には社会的な意味づけも入る。「母親ならこれくらいできるべきだ」「父親なら仕事を優先すべきだ」といったジェンダー規範は、本人たちが明示的に意識していなくても、家事や役割分担のあり方と関係し得る。家事分担とジェンダー観については、ジェンダー観が分担へ影響するだけでなく、実際の家事分担がジェンダー観へ影響するという相互的関係も縦断データから報告されている(Carlson & Lynch, 2013)。
また、「どの程度の家事分担なら公平なのか」という感覚さえ、単純に作業量だけから決まるわけではない。Greensteinの研究では、家事分担の不均衡をどの程度不公平と感じるかとジェンダー観との関係が示されている。東アジアを比較したQianとSayerの研究でも、家事分担、ジェンダー観、夫婦満足度の関係は社会的文脈によって一様ではなかった。つまり、同じ「何割ずつ家事をするか」という配置でも、それが関係の中で持つ意味まで同じとは限らない。
こうした条件をすべて並べてみると、夫婦の問題はかなり複雑である。しかし、日曜日の夜に洗濯物が山積みになっているとき、労働市場は目の前に立っていない。ジェンダー規範も椅子に座っていない。勤務制度も保育制度も、皿を洗ってはくれない。
目の前にいるのは、パートナーである。
しかも、多くの外部条件はすぐには変えられない。勤務制度を明日から変えるのは難しい。住宅費もすぐには消えない。社会規範を一晩で変えることもできない。一方、相手なら話しかけることができる。「もう少し早く帰ってきて」「もっと家事をして」「ちゃんと話を聞いて」と求めることができる。
ここから、地形の力学として一つの仮説を置くことができる。
2 【本稿の独自仮説①】相手原因化仮説
ここから述べる「相手原因化仮説」は、既存研究ですでに確立された名称や結論ではない。本稿が、既存の外部ストレス研究、帰属研究、夫婦間相互作用研究などを踏まえ、地形の力学から導出する独自の仮説である。
相手原因化仮説:夫婦という関係地形に生じた負荷について、その原因となる複数の条件が把握しにくく、また変更困難であるほど、近接し、可視的で、変更可能に見えるパートナーへ、原因の帰属と変更要求が集中しやすくなる。
この仮説そのものが直接検証済みだという意味ではない。しかし、その周辺にはかなり強い研究上の足場がある。
NeffとKarneyは、新婚夫婦を4年間追跡し、夫婦関係の外部にあるストレスが、その後の夫婦関係の評価だけでなく、相手や関係についての認知の内容や処理のされ方とも関連することを報告している。つまり、夫婦の外で起きていることは、夫婦関係の内側をどう見るかにも入り込む。
また、BradburyとFinchamによる帰属研究のレビューでは、関係に不満を持つ配偶者ほど、パートナーの行動をより否定的に説明する傾向が報告されている。相手が何をしたかだけでなく、「なぜそうしたのか」という意味づけ自体が、関係状態と無関係ではない。
ただし、ここから先の「外部・関係的条件の負荷が、見えやすく変更可能に見えるパートナーへ集約される」という因果鎖は、本稿が新たに置く仮説である。だからこそ、これは「既存研究が証明している事実」としてではなく、今後検証されるべき命題として明示しておきたい。
重要なのは、「相手のせいにする人が未熟だから」という話ではないことである。むしろ、問題を解決しようとするからこそ、最も手の届きやすい場所へ介入しようとすると考えられる。
問題は家事が回らないことである。しかし労働制度をすぐには変えられない。保育制度も変えられない。親族を近くへ移動させることもできない。だから、目の前の相手へ言う。
「あなたがもう少しやってくれれば。」
それ自体は、不合理な考えではない。
しかし、そこから問題の見え方が変わり始めることがある。
3 条件の問題が、人格の問題へ変わっていく
最初の問題は、「家事が回らない」だったかもしれない。これは状態についての問題である。そこから「もう少しやってほしい」という行動への要求になる。何度言っても変わらなければ、「言ってもやってくれない」になる。そして、「やる気がない」「自分のことしか考えていない」「思いやりがない」「この人はそういう人だ」と進んでいくことがある。
模式的に書けば、条件の問題 → 行動の問題 → 意図の問題 → 人格の問題である。
もちろん、実際に相手の行動や意思に問題がある場合もある。本稿は、それをすべて「環境のせい」に置き換えたいわけではない。しかし、同じ行動でも、過去の関係や現在のストレスによって読み方が変わり得ることは、帰属研究や外部ストレス研究からも示唆されている。
例えば、同じ沈黙でも、関係が安定しているときなら「今日は疲れているのかな」と読める。ところが、以前から何度も同じことで揉めていれば、「また私を無視している」と読むかもしれない。
観測されている行動は似ている。しかし、その行動からどの意味へ移るかが違う。
地形の力学から見るなら、ここで起きているのは単なる誤解だけではない。過去を含む条件配置によって、ある出来事からある解釈へ移る経路そのものが変わっている。
4 「ちゃんと話し合おう」が、喧嘩の経路を作ることがある
ここで、夫婦研究でよく知られたdemand–withdraw patternが出てくる。一方が問題を持ち出し、話し合いや変化を求める。もう一方は防御し、沈黙し、話題を避け、あるいは距離を取ろうとする。
ChristensenとHeaveyの研究では、このパターンに性別差が観察された一方、どちらがその争点について相手の変化を求めているかという社会構造上の位置も重要だった。さらにPapp、Kouros、Cummingsが116組の夫婦の日常的な葛藤を調べた研究では、家庭内では「夫が要求し妻が退く」パターンと「妻が要求し夫が退く」パターンがおおむね同程度に報告され、争点を持ち出した側ほどdemand側になりやすかった。また、demand–withdrawが生じた葛藤では、否定的な感情や戦術が多く、問題解決度も低かった。
つまり、「妻は話したがり、夫は逃げる」といった人格や性別の固定的な説明では足りない。ある問題について変化を必要としている側が、追う位置へ置かれることがある。
ここへ先ほどの相手原因化仮説を重ねてみる。
夫婦という共通地形に負荷が生じる。しかし地形全体は見えにくい。目の前の相手は見える。そこで問題を解決しようとすると、「あなたに変わってほしい」となる。
ところが、相手も同じ関係地形の中にいる。
「こっちだって限界だ。」
「これ以上どうすればいいのか。」
そう感じれば、防御する。黙る。話を終えようとする。
すると、変更を求めた側には、「やっぱりこの人は協力してくれない」と見える。だからさらに要求する。相手はさらに防御する。
つまり、共通地形への負荷 → 相手原因化 → 相手への変更要求 → 防御・撤退 → 相手原因化の強化 → 変更要求の強化 → さらなる防御という循環が成立し得る。
ここで興味深いのは、双方が関係を壊そうとしている必要がないことである。要求する側は、「問題を放置しない」ことで関係を守ろうとしているかもしれない。退く側は、「これ以上悪化させない」ことで関係を守ろうとしているかもしれない。
二人がそれぞれ合理的だと思って選んだ行動が、相手にとって次の行動をさらに合理的にしてしまう。
こうして、「喧嘩の経路」が作られていく。
5 なぜ「ちゃんと話し合おう」とするほど、話し合えなくなるのか
すると、「逃げずに、ちゃんと話せばいい」と結論づけたくなる。しかし、これも単純ではない。
OverallとMcNultyは、親密な関係の葛藤時コミュニケーションに関する研究を整理し、直接的な批判や反対であっても、深刻で変更可能な問題であれば必要な変化を促す場合がある一方、問題が変更困難だったり、相手が応答できる状態になかったりする場合には害になり得ると論じている。逆に、愛情や受容を示す協力的なコミュニケーションも、深刻な問題に必要な変化を生まない場合がある。つまり、「どの話し方が正しいか」は文脈から独立して決まらない。
これは地形の力学から見ると非常に重要である。「率直に話す」「優しく話す」「相手を受け入れる」といった行動を切り出して、それ自体を正解にすることはできない。同じ行為でも、どの条件配置に置かれているかによって機能が変わる。
だから問うべきなのは、「話し合ったか、話し合わなかったか」だけではない。
その時点で「話し合う」という行為が、夫婦という地形の中でどのような状態遷移になっていたのか。
である。
さらに、夫婦喧嘩は言葉だけで起きているわけではない。身体もそこにいる。葛藤中に感情的・生理的に圧倒され、会話へ関与しながら自己調整することが難しくなるemotional floodingという概念も研究されている。Biesenらは、関係に強い葛藤を抱えるカップルを対象に、demand–withdrawとemotional floodingの関連を検討している。ただし、この研究には暴力を伴うカップルも含まれているため、日常的な夫婦喧嘩すべてへそのまま一般化することはできない。
それでも重要なのは、「今は話せない」という言葉が、必ずしも「あなたなんてどうでもいい」を意味しないことである。その時点では、話し続けること自体のコストが高くなっている可能性がある。
しかし、相手には逆の問題がある。
「ここで終わったら、また放置される。」
「これまで何度も『また今度』で終わった。」
「今話さなければ何も変わらない。」
だから「今ちゃんと話して」となる。
これは、「夫には夫の地形、妻には妻の地形がある」というより、同じ関係地形の中で、二人が異なる位置に置かれていると考えた方がよい。同じ斜面でも、立っている位置によって下りやすい方向は違う。一方には「続けること」が高コストで、もう一方には「中断すること」が高コストなのである。
「なぜ逃げるの?」
「なぜ今話さなきゃいけないの?」
は、同じ地形の中で同時に成立し得る。
6 「相手の状況は分かっているのに、腹が立つ」
夫婦関係には、もう一つよくあることがある。
相手が大変なのは分かっている。仕事が忙しいことも分かっている。育児で疲れていることも分かっている。悪気がないことも、おそらく分かっている。
それでも、腹が立つ。
一見すると矛盾している。しかし、「理解している」ことと「負荷がなくなる」ことは同じではない。
Timmonsらが夫婦の日常生活を追った研究では、夫・妻それぞれの日常的ストレスが高い日に同日の夫婦葛藤も多く、とりわけ双方が高いストレスを経験している日に葛藤が大きかった。日常生活のストレスは、夫婦関係の外側に留まるとは限らない。
さらにNeffとKarneyの研究が示すように、外部ストレスは単に機嫌を悪くするだけでなく、相手や関係をどう知覚し、処理するかとも関連する。
だから、「夫が仕事で大変なのは分かる」と妻が理解しても、保育園の迎えはなくならない。「妻が育児で疲れているのは分かる」と夫が理解しても、明日の仕事の締切はなくならない。
互いの事情を理解しても、夫婦という関係地形の上に存在する制約そのものは残っている。
「大変なのは分かっている。でも私も大変だ」は、矛盾ではない。
むしろ、理解しているからこそ我慢することもある。「今日は疲れているから仕方ない」「今回は自分がやろう」「今言うのはやめよう」。そうして一時的な衝突は避けられる。
しかし、自分の負担までなくなったわけではない。
理解する。だから我慢する。問題が十分共有されない。同じ状態が続く。負担が蓄積する。
そしてある日、コップ一つ、返事一つ、洗濯物一つで強く反応する。
相手から見れば、「そんなことで、なぜそこまで怒るの?」となる。しかし、その人は今回の一件だけに反応しているとは限らない。現在の刺激、過去の蓄積、相手への予期、自分自身の疲労が、同じ関係地形に存在している。
だから、
夫婦喧嘩は、互いを理解できていないから起こるとは限らない。互いを十分理解していても、二人を取り巻く地形が変わらなければ、問題は残る。
理解は重要である。しかし理解は、地形そのものを自動的に変えてくれるわけではない。
7 「あなたの問題」なのか、「私たちの問題」なのか
ここで、既存研究とのもう一つ重要な接点がある。
カップルがストレスへどう共同で対処するかを扱うdyadic coping研究では、ストレスを片方だけの問題として扱うのではなく、二人が共有する「our problem」として評価し、共同で対処するcommon dyadic copingが研究されている。複数のdyadic copingモデルを統合したレビューでも、「二人が共有する問題」としての評価や共同対処が重要な構成要素として整理されている。
また、57報・72の独立サンプル、計17,856人を統合したメタ分析では、dyadic copingとrelationship satisfactionの間に中程度の正の関連が報告されている。ただし、これは関連を示すものであり、「our problemと考えれば夫婦関係が必ず改善する」という単純な因果関係を意味するものではない。
それでも、地形の力学から見ると非常に興味深い。
同じ負荷を、「あなたの問題」として読むのか、
「私たちを取り巻く問題」として読むのかで、見える介入点が変わるからである。
「あなたの問題」なら、介入点は相手になる。
しかし「私たちを取り巻く問題」なら、仕事、時間、家事の総量、役割、外部支援、制度利用、家計、休息、二人の会話方法など、別の介入点が見えてくる。
ここで誤解してはいけないのは、何でも「二人の問題」にして個人の責任を消すことではない。実際に一方が約束を破っているなら、その行動は扱わなければならない。
重要なのは、相手だけを唯一の介入点にしないことである。
8 過去の喧嘩は、終わっても地形から消えない
ここから時間を入れてみたい。
ある日の喧嘩が終わった。一応、仲直りした。しかし、地形は本当に元通りになったのだろうか。
「前も話を切られた。」
「前も何時間も責められた。」
「何度頼んでも変わらなかった。」
「どうせ話しても分かってもらえない。」
という記憶は残る。
すると次回、同じ行動の意味が変わる。最初の頃なら「今日は疲れているのかな」だった沈黙が、「また無視している」になる。以前なら「少し話したい」だった言葉が、「また長い話が始まる」と聞こえる。
帰属研究が示してきたように、パートナーの行動をどう説明し、意味づけるかは、関係状態と無関係ではない。
地形の力学から見るなら、ここには、過去の衝突 → 相手への予期 → 現在の行動の意味づけ → 自分の反応 → 相手の反応 → 予期の強化という循環が生じ得る。
つまり、二人の行動は現在の地形への反応であると同時に、次回の地形を作る入力でもある。
社会規範や勤務環境だけが地形を作っているわけではない。
昨日の二人も、今日の二人の地形を作っている。
9 【本稿の独自仮説②】関係経路固定化仮説
ここまでの研究から、地形の力学としてもう一つの仮説を提示したい。
これも既存研究ですでに「関係経路固定化」として検証された結論ではない。demand–withdraw、帰属、外部ストレス、感情・身体反応、dyadic copingなどの研究を踏まえ、それらを状態遷移という観点から統合した本稿独自の仮説である。
関係経路固定化仮説:親密な二者関係では、反復された相互作用が、相手への予期、行動の意味づけ、感情的・生理的反応、役割配置を更新することによって、異なる争点からでも過去と類似した相互作用経路へ遷移しやすくなる。
例えば最初の喧嘩では、小さな不満があり、話を持ち出し、相手が防御し、説明が強くなり、相手が退き、それを追い、互いに感情的になり、最後に人格についての評価へ進んだとする。
この経路を何度も通れば、次回には途中の段階を飛ばすことがある。
まだ逃げていないのに、「どうせまた逃げるんでしょ」と言う。
まだ責められていないのに、「また俺が悪いって言いたいんだろ」と防御する。
過去には何段階か必要だった経路が短縮され、より小さな刺激から以前と同じ状態へ移れるようになる。地形の比喩を使うなら、何度も同じ方向へ流れたことで、その経路が深くなっている。
ここで喧嘩は、単なる一時の出来事ではなくなる。
喧嘩そのものが、次の喧嘩の条件を作り始める。
この仮説の各構成要素には既存研究上の根拠がある。しかし、「それらが時間的に結合することで、異なる争点からでも同じ相互作用経路への遷移可能性が高まる」という全体モデルは、本稿が提出する仮説である。
だから、これは「証明済みだから正しい」と主張するためのものではない。
むしろ、今後どこを観測すれば、この説明が正しいか間違っているかを確かめられるかを明確にするための仮説である。
10 良い夫婦は、喧嘩をしない夫婦なのか
ここでもう一つ、誤解を避けておきたい。
本稿は、「夫婦喧嘩をなくそう」という記事ではない。
夫婦の利害は完全には一致しない。家事を誰かがやらなければならない。お金の使い方を決めなければならない。仕事と家庭の配分について合意しなければならない。相手に実際に行動を変えてもらわなければ解決しない問題もある。
葛藤時のコミュニケーション研究でも、直接的な反対や批判が常に有害なわけではない。問題が深刻で、かつ変更可能であるなら、それが必要な変化を促す場合もある。逆に、一見協力的なやり取りが問題を温存する場合もある。
だから、「すべて地形の問題なのだから、相手を責めてはいけない」とも言えない。
実際に約束を守らなかった人がいるかもしれない。負担を一方へ押しつけている人がいるかもしれない。変えられる行動を変えようとしない人もいる。
地形を見ることは、それを消すためではない。
重要なのは、一つの経路しか残っていない状態になっていないかを見ることである。
怒っても戻れる。
距離を取っても戻れる。
今日は話せなくても、後で再開できる。
一度相手を悪く解釈しても、読み直せる。
役割分担を変更できる。
外部の助けを入れられる。
そうした別の経路が残っている。
だとすれば、良い関係を考えるときに重要なのは、谷へ一度も落ちないことではないのかもしれない。
違いは、谷に落ちないことではなく、谷から出られることなのかもしれない。
11 夫婦間の問題として現れていても、解決点まで夫婦のあいだにあるとは限らない
ここまで来ると、介入の見え方も変わる。
一般的には、夫婦で家事について喧嘩している場合、
「もっと夫婦で話し合いましょう」と考える。
それが必要な場合もあるだろう。
しかし、本当に介入すべき場所はそこだけだろうか。
勤務時間を変える。家事そのものを減らす。家電や外部サービスを使う。親族や第三者の助けを借りる。家計の配分を変える。担当を変える。「父親だから」「母親だから」という役割期待を問い直す。話す時間帯を変える。一度中断した会話へ戻る方法を決めておく。「夫婦二人で全部処理しなければならない」という前提そのものを見直す。
介入点は複数存在する。
つまり、夫婦間の問題として現れているからといって、解決点まで夫婦のあいだにあるとは限らない。
これは相手原因化を緩めるという意味でも重要である。
「あなたが悪い」から、「私たちをこの状態へ押している条件は何だろう」へ問いをずらすのである。
もちろん、それだけで喧嘩が消えるわけではない。しかし、問題を見る単位が変われば、使える介入点も増える。「夫が変わるか、妻が我慢するか」といった二択しかなかったところに、第三、第四の経路が現れる可能性がある。
地形の力学で見ることの意味は、そこにある。
12 「夫婦という一つの地形」は、二人の境界や責任を消すものではない
最後に、重要な限界を明確にしておきたい。
本稿では、夫婦を一つの関係地形として分析した。しかしこれは、「夫婦は一つの主体である」「個人の境界など存在しない」「誰が何をしても関係のせいである」という意味ではない。
それぞれには身体があり、意思があり、拒否する権利があり、自分の行為への責任がある。
特に、暴力、威圧、脅迫、経済的支配、継続的な強制的支配などがある関係を、「二人が悪い地形にはまっている」と対称的に処理してはならない。一方が他方の安全や自由を侵害しているのであれば、その行為についての責任と安全確保は別に扱う必要がある。
共通地形を分析することと、行為責任を対称化することは別である。
また、本稿では便宜上「夫」「妻」「夫婦」という表現を用いているが、ここで扱った関係力学のすべてが法律婚や異性カップルだけに限定されるとは考えていない。一方で、婚姻制度、ジェンダー規範、経済条件などは関係の形によって異なるため、どこまで同じ説明が成立するかは別途検証する必要がある。
おわりに――相手が問題に見えるとき、何が見えなくなっているのか
夫婦喧嘩になると、私たちは相手を見る。
相手が何をしたか。なぜやらなかったのか。なぜ分かってくれないのか。どうして変わってくれないのか。
それは不自然なことではない。
相手は目の前にいて、地形は目には見えないからである。
厳密に言えば、仕事や時間や家計といった個々の条件がまったく見えないわけではない。難しいのは、それらが相互に結びついた「全体の配置」を一度に見ることである。
仕事、時間、家計、制度、規範、身体状態、役割、過去の履歴。それらは目の前の皿を洗ってはくれない。だから私たちは、隣にいる人へ言う。
「あなたがやって。」
「あなたが変わって。」
その働きかけに相手が応じられなければ、「やっぱりこの人が問題だ」と感じる。要求は強くなる。相手は防御する。その防御がさらに相手原因化を強める。そして、その喧嘩の履歴が次の関係地形へ残る。
こうして二人は、違う問題から始めたはずなのに、また同じ場所へ来る。
だとすれば、夫婦が同じ喧嘩を繰り返すのは、同じ争点が解決されていないからだけではないのかもしれない。
本稿では、その可能性を二つの仮説として提示した。
一つは、共通地形から生じた負荷が、見えやすく変更可能に見えるパートナーへ集中して理解される「相手原因化仮説」。
もう一つは、その後の相互作用が履歴として関係地形へ蓄積し、異なる争点からでも以前と類似した経路へ入りやすくなる「関係経路固定化仮説」である。
これらは、既存研究ですでに証明された法則ではない。
しかし、外部ストレス、帰属、demand–withdraw、dyadic coping、葛藤時コミュニケーションなどの既存研究を一つの状態遷移の問題として並べ直したとき、検討する価値のある仮説として浮かび上がってくる。
そしてもし、この見方に一定の妥当性があるなら、関係を変えるための問いも少し変わる。
「どうすれば相手を変えられるのか」だけではなく、
「なぜ私たちは、ここへ流れやすくなっているのか。」と問う。
相手の行動を変える必要があるかもしれない。自分の行動を変える必要もあるかもしれない。働き方を変える必要があるかもしれない。役割を変える必要があるかもしれない。外部の助けを入れる必要があるかもしれない。あるいは、「夫婦だけで解決しなければならない」という前提そのものを変える必要があるかもしれない。
そう考えると、関係を変えるということは、相手の性格を変えることでも、喧嘩をなくすことでもない。
二人が何度も同じ場所へ流れてしまう地形の中に、別の経路を作ることなのかもしれない。
参考文献
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