【第1章】2040年、僕はまだ働いている
第1章 まだ何者でもない
2026年9月。
夜十一時を過ぎても、僕はまだスマホを見ていた。
SoftBank World 2026。
孫正義さんの講演。
「2040年、100兆個のAIエージェントが存在する世界」
AIが仕事をする。
AIが人間の代わりに考える。
そして、そのAIが別のAIを作る。
エージェントがエージェントを生み、そのエージェントたちが仕事を分担していく。
そんな未来の話だった。
画面を閉じたあとも、
「100兆」
という数字だけが頭に残った。
あまりに多すぎて、想像できない。
人間一人につき何体、という話ではない。
人間の数より、
会社の数より、
おそらく世界中にある機械の数よりも、
圧倒的に多いAIが動いている世界。
2040年。
僕は60歳になる。
今、46歳。
あと14年。
「その頃、俺、何してるんだろうな」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
僕は不動産会社で働いている。
とはいっても、昔のように毎日朝から晩まで会社にいるわけではない。
不動産も持っている。
個人でも。
法人でも。
家賃が入る。
借金もある。
会社にも行く。
不動産の査定をする。
契約書を作る。
賃貸管理もする。
AIも触る。
SNSもやる。
新しい事業も考える。
ランニングも始めた。
サウナにも行く。
畑もある。
ゴルフもする。
旅行もしたい。
英語も話せるようになりたい。
やっていることだけ並べると、
ずいぶん自由に見える。
でも。
本人には、
そんなに自由な感じはなかった。
何か一つを成し遂げている感じもしない。
全部、
途中だった。
朝。
体重計に乗る。
数字を見る。
「まあまあやな」
数か月前よりは減った。
11月にはハーフマラソンがある。
制限時間は2時間30分。
数年前の僕なら、
ハーフマラソンに申し込むなんて考えもしなかった。
別にランニングが大好きだったわけではない。
速く走りたいわけでもない。
ただ。
40代も後半になると、
「このまま何もしないで歳を取るのも違うな」
という気持ちが少しずつ出てきた。
自分で決めたところまで、
一度行ってみたい。
その程度だった。
外へ出る。
今日は走らない。
咳がまだ残っている。
風邪をひいてから、
なかなか治らない。
歩くだけにする。
それでも、
少し走りたくなる。
「今日くらい走っていいんじゃない?」
AIに聞く。
返ってくる答えは、
だいたい慎重だ。
体調を見ろ。
無理するな。
咳が残るなら散歩程度にしろ。
「分かっとるって」
スマホに向かって言う。
でも。
結局、
言うことを聞く。
仕事へ行けば、
不動産屋らしい仕事が待っている。
査定。
売買契約。
重要事項説明。
賃貸管理。
修繕。
オーナーへの連絡。
問い合わせ。
クレーム。
不動産という仕事は、
不思議なくらい書類が多い。
しかも。
一件ごとに事情が違う。
土地の形。
道路。
用途地域。
農地。
相続。
境界。
水路。
建物。
近所。
売主。
買主。
人間関係。
同じ仕事が二つない。
昔なら、
一つ一つ調べて。
過去の資料を探して。
文章を考えていた。
今は。
まずAIに聞く。
「この特約どう思う?」
「この査定書の総評を作って」
「このメール、少し柔らかくして」
「この法律、本当にそうなの?」
数秒で返ってくる。
便利だ。
便利すぎる。
たまに思う。
これをあと10年使ったら、
仕事はどうなるんだろう。
昼。
物件の話をしながら、
頭の片隅では別のことを考えている。
原口町の建物。
数年後、
ここに塾を作ろうとしている。
いや。
塾だけではない。
一階はコミュニティスペース。
料理教室ができる。
地域の人が集まる。
二階は学習塾。
ただ勉強を教えるだけではない。
基礎学力。
総合型選抜。
英語。
五教科。
退職した学校の先生たちにも来てもらえないか。
そして。
子どもたちが、
学校でも家でもないところで、
誰かと話せる場所。
最初は、
もっと単純だった。
空いている建物がある。
何かできないか。
そんな話だった。
でも。
話しているうちに、
どんどん大きくなった。
誰が何をする。
金はどうする。
赤字になったら。
主力の先生が辞めたら。
仲間同士で揉めたら。
誰かが病気になったら。
夢の話をしているはずなのに、
だんだん契約書みたいになってくる。
でも。
僕は、
そういうことを考えるのが嫌いではなかった。
面白いことを考える。
そして。
「最悪どうなる?」
を考える。
昔から、
そんなところがある。
夕方。
SNSを見る。
数字は伸びていない。
AIで漫画を作る。
投稿も作れる。
分析もできる。
自動化もできる。
でも。
見られない。
フォロワーも増えない。
世の中には、
「AIでSNSを自動運用して月100万円」
なんて投稿が流れてくる。
17アカウント。
1日30分。
月100万円。
本当かどうかは分からない。
でも。
もし本当なら。
「俺もやれるんじゃないか」
そんな気がする。
46歳にもなって。
まだそんなことを考えている。
普通なら、
「もういい歳なんだから」
と言われるのかもしれない。
でも。
不思議なことに。
若い頃より、
今の方が、
新しいものを作れる気がしている。
AIが出てきたからだ。
夜。
サウナへ行く。
熱い。
水風呂。
外気浴。
椅子に座る。
何も考えないつもりなのに、
いろいろ考える。
不動産。
塾。
AI。
SNS。
投資。
60歳。
あと14年。
14年というのは、
長いようで短い。
32歳から46歳まで。
それも14年だった。
32歳の頃、
今の生活を想像していただろうか。
不動産を持っていること。
AIと毎日のように話していること。
ハーフマラソンに出ようとしていること。
地域のコミュニティを作ろうとしていること。
たぶん。
一つも想像していない。
だったら。
60歳だって分からない。
「100兆のAIか」
空を見ながら思う。
その世界で、
人間は何をしているんだろう。
家へ帰る。
ビールを開ける。
そして。
またAIを開いた。
「2040年、俺は何やってると思う?」
聞いてみる。
AIは答える。
不動産の仕事は、
かなり自動化されている。
査定。
契約チェック。
問い合わせ。
収支管理。
SNS。
ほとんどAIがやっている。
塾では、
子ども一人ひとりにAI教師がついている。
人間は、
勉強を教えることよりも、
子どもを見る。
話を聞く。
相談に乗る。
あなた自身は、
人と会っている。
地域の人をつないでいる。
面白い企画を考えている。
AIに仕事を任せて。
自分は判断する。
そして。
「誰と何をするか」
を大事にしている。
僕は画面を見ながら、
少し笑った。
「悪くないな」
もちろん。
そんな未来になる保証はない。
施設が失敗するかもしれない。
SNSはずっと伸びないかもしれない。
AI事業なんて、
一円にもならないかもしれない。
病気になるかもしれない。
人間関係が壊れるかもしれない。
60歳になって、
今より忙しく働いている可能性だってある。
未来なんて分からない。
でも。
一つだけ、
今決められるものがある。
どういう60歳になりたいか。
スマホのメモを開いた。
2040年。
60歳。
仕事。
判断。
企画。
人と会う。
AIに任せられることはAIへ。
自分がいなくても回る。
お金。
健康。
人間関係。
場所。
時間。
面白いこと。
思いつくまま書いた。
そして最後に、
一行。
「自分が面白いと思うことだけは、AIに決めさせない」
少し大げさだと思った。
消そうとした。
でも。
やめた。
四年後。
2030年4月。
建物の前に、
小さな看板が立った。
派手ではない。
白い板に、
施設の名前。
そして。
「学ぶ。つくる。話す。」
という三つの言葉。
僕は少し離れて、
その看板を見ていた。
「どう?」
隣にいたえみちゃんが聞いた。
「まあ、いいんじゃない?」
「その言い方、気に入ってない時の言い方やん」
「いやいや、いいよ」
「絶対嘘」
四年前。
ここはまだ、
古い店舗併用住宅だった。
一階には、
昔の美容室の面影。
二階には、
使われなくなった部屋。
壁紙。
机。
キッチン。
待合室。
教室の向き。
何人入るか。
何度も図面を見ながら話した。
そして。
今日。
本当に人が入る。
一階では、
料理教室の準備が始まっていた。
えみちゃんが、
知り合いの女性と大量の野菜を切っている。
奥では、
退職した元中学校教師の田中先生が、
コーヒーを飲んでいた。
63歳。
数学教師を35年。
初めて声をかけた時。
「塾で働きません?」
と聞いたら。
「もう子どもには教えたくない」
と言われた。
二週間後。
「週一なら」
と言ってきた。
今では週三日来る。
ただし。
本人はずっと、
「俺は先生じゃない。暇だから来てるだけ」
と言い続けている。
子どもたちは普通に、
「田中先生」
と呼んでいた。
二階。
大教室。
中教室。
子どもが座っている。
授業は、
昔の塾とは違う。
全員、
小さな端末を持っている。
AIが、
一人ひとりの学習内容を提案する。
数学が弱い。
英語の長文が苦手。
学校へ行けていない。
大学の総合型選抜を目指している。
全員、
違う。
先生は、
黒板の前にはあまり立たない。
歩く。
声をかける。
AIの回答を確認する。
そして。
子どもの顔を見る。
僕たちが作ろうとしていたのは、
そういう塾だった。
「福田さん」
後ろから声。
振り返る。
見たことのない女の子が立っていた。
高校一年生くらい。
大きめのパーカー。
黒いパンツ。
「はい?」
「ここ、勉強しなくても来ていいんですか?」
変な質問だった。
「勉強したくないの?」
「したくないです」
「じゃあ、しなくていいんじゃない」
後ろにいた良子さんが、
低い声で言う。
「福田さん」
怒られている。
僕は笑った。
「一階なら別にいいよ。コーヒーは飲めんけど」
「高校生です」
「知ってる」
女の子は少し笑った。
名前は、
美咲。
学校には、
週二回くらいしか行っていないらしい。
理由は聞かなかった。
その日は一階の端で、
三時間スマホを触って帰った。
何をしに来たのか。
最後まで分からなかった。
でも。
翌日も来た。
開業から一か月。
数字は悪くなかった。
塾生38人。
コミュニティスペースの利用者。
料理教室。
英会話。
マルシェ。
高齢者向けスマホ教室。
子ども向けAI体験会。
想像より、
人が来た。
AIは毎週、
集客。
問い合わせ。
退会率。
収支。
次月予測。
全部出す。
ある朝。
AIが言った。
「現在の成長率を維持した場合、12月には塾生92名に到達する可能性があります」
僕は思った。
いける。
もっと増やせる。
そして。
これが、
最初の大きな間違いだった。
夏。
広告を増やした。
講師を増やした。
授業数を増やした。
AIの予測では、
全部うまくいくはずだった。
でも。
53人で止まった。
問い合わせは増えた。
入塾率は落ちた。
さらに。
既存の子どもたちから、
声が出始めた。
「最近、先生が忙しそう」
「前より質問しにくい」
講師も疲れている。
ある日。
良子さんが僕のところへ来た。
「ちょっと話したい」
その言い方で、
良くない話だと分かった。
一階の端。
二人で座る。
「広げるの早すぎたと思う」
「数字的には」
「数字の話じゃなくて」
言葉を遮られた。
「最初に言ってたこと、覚えてる?」
「何?」
「一人一人を見る塾にするって」
僕は黙った。
「今、子ども見てない。数字見てる」
痛かった。
その日の夜。
施設AIを開く。
「今回の問題の原因を分析して」
講師稼働率。
広告効率。
問い合わせ導線。
クラス編成。
利用率。
十数項目。
全部、
正しい。
たぶん。
でも。
何かが足りない。
「俺たちは何を間違えた?」
聞く。
AI。
「質問の意味を具体化してください」
腹が立った。
画面を閉じる。
翌日。
美咲がいた。
いつもの席。
スマホ。
「学校行ってないの?」
「今日休みです」
「夏休みやろ」
「あ、そうでした」
「適当やな」
僕は向かいに座る。
しばらく沈黙。
美咲が聞いた。
「なんかあったんですか?」
「なんで?」
「顔」
「そんな分かる?」
「分かります」
高校生に見抜かれるとは思わなかった。
「この施設、最近どう?」
逆に聞いた。
「前の方が好きでした」
また刺された。
「なんで?」
「人増えすぎ」
「人が増えるの、いいことやろ」
「でも前は、誰か来たら誰か話しかけてくれた」
美咲はスマホを置いた。
「最近みんな忙しそうだから」
僕は何も言えなかった。
美咲は続ける。
「最初ここ来た時、何もしなくていいって言ったじゃないですか」
「言ったな」
「だから来てました」
初めて分かった。
彼女がここへ来る理由。
学校のことも。
家のことも。
聞いていない。
でも。
ここに来る理由だけは。
分かった。
何もしなくていいから。
その日の夕方。
田中先生を捕まえる。
「ちょっと相談していいです?」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないですよ」
「経営の相談だろ」
「なんで分かるんですか」
「お前、困った時だけ俺に敬語使うから」
そうだったらしい。
「塾生増やしすぎたかもしれません」
「だろうな」
「気づいてたんです?」
「全員気づいてる」
「俺だけ?」
「お前とAIだけだ」
腹が立つが、
反論できない。
田中先生はコーヒーを飲みながら言った。
「学校も同じだ」
「何がです?」
「効率化すると、人間が見えなくなる」
「でも効率化しないと回らんですよ」
「だから難しいんだろ」
正論。
一番嫌いやつだ。
僕たちは、
一度小さくした。
募集を止めた。
広告も減らした。
塾生の上限を決める。
講師一人あたりの人数も決める。
そして。
毎週の売上会議をやめた。
代わりに、
「今週、気になった人」
を話すことにした。
最初の会議。
良子さん。
「中二の悠斗。最近遅刻が増えた」
田中先生。
「高三の佐々木。志望校の話すると顔が固くなる」
えみちゃん。
「料理教室の山口さん。旦那さん亡くなってから一人らしい」
僕。
「美咲」
「美咲ちゃんはいつもでしょ」
言われて。
初めて気づいた。
冬。
美咲は相変わらず来ている。
ただ。
少し変わった。
料理教室の手伝い。
皿を並べる。
受付。
写真を撮る。
写真がうまかった。
僕が撮るより。
ずっといい。
「これ仕事にしたら?」
と言う。
「仕事にしたら嫌いになるかもしれないから嫌です」
妙に大人びたことを言う。
「じゃあ金払わんでいい?」
「それは違います」
しっかりしている。
初めてのアルバイトになった。
翌年。
施設には、
新しい人が来始めた。
行政。
学校。
地域団体。
企業。
大学。
そして。
ある日。
福岡から、
森田という男が来た。
40代。
地域施設や企業連携をやっているという。
「大村で面白い施設があるって聞きまして」
「面白いかどうか分からんですよ」
「塾ですよね?」
「塾でもある」
「コミュニティ施設?」
「それでもある」
「事業としては?」
「それが、よく分からんのですよ」
森田は笑った。
「それ、いいですね」
「普通、不安になるところじゃないです?」
「名前がついてないものの方が、面白いんですよ」
その言葉が、
少し気になった。
森田は、
月に一度くらい勝手に来るようになった。
仕事を頼んだわけでもない。
昼飯を食って。
人と話して。
帰る。
そして。
ある日、
「大学生をここに入れませんか」
と言った。
「バイト?」
「活動拠点として」
地域課題に取り組む大学生。
空き家。
高齢者。
子ども。
地域交通。
ただ。
活動する場所がない。
「金払う?」
「ほぼ払えません」
「じゃあ嫌だ」
森田は笑う。
「でも若い人来ますよ」
少し黙った。
それは。
気になった。
六人の大学生が来た。
その中の一人。
奈緒。
21歳。
広告とデザインを勉強していた。
美咲の写真を見て、
言った。
「これ、誰が撮ったんですか?」
僕は美咲を指さす。
「この子」
「めっちゃいいですね」
本気で驚いていた。
美咲は、
「いや、別に」
と言いながら、
明らかに嬉しそうだった。
それから。
美咲と奈緒は、
よく一緒にいるようになった。
写真。
ポスター。
動画。
SNS。
僕が作った投稿より、
反応がいい。
「なんで?」
聞く。
奈緒。
「福田さんの投稿、説明しすぎなんですよ」
「ちゃんと伝えた方がいいやろ」
「読む人、そんな暇じゃないです」
美咲が笑う。
「何?」
「私、前から思ってました」
「言えよ」
「言っても聞かないから」
また刺された。
施設のSNSは、
少しずつ伸び始めた。
投稿の中心を、
施設ではなく人に変えた。
田中先生が中学生と将棋。
料理教室。
高校生。
大学生。
疲れてる顔。
笑っている顔。
失敗している顔。
美咲の写真には、
人がいた。
「これ、AIじゃ作れんな」
僕が言う。
美咲は、
「今はね」
と答えた。
その言い方に、
少し驚いた。
その頃。
施設の口座残高が、
想定よりずっと少ないことが分かった。
原因は、
一つではない。
人件費。
イベント。
設備。
修繕。
無料利用。
月謝を安くしている子。
大学生。
美咲のアルバイト。
小さな支出。
全部。
AIが言う。
「このまま継続した場合、約7か月後に運転資金が危険水準に達します」
赤字だった。
夜。
緊急会議。
僕。
えみちゃん。
良子さん。
田中先生。
なぜか森田もいる。
「無料を減らそう」
僕は言った。
大学生。
イベント。
割引。
数字上は、
それが正しい。
えみちゃんが聞く。
「美咲ちゃんは?」
「バイト代?」
「うん」
「それは払う」
「なんで?」
詰まる。
「働いてるから」
「大学生も役に立ってるよ」
良子さんが言う。
「全部無料は無理。でも全部お金にしたら、ここじゃなくなる」
田中先生。
「金にならないことほど、大事だったりする」
「でも赤字だったら潰れますよ」
僕は少し強く言った。
「なくなったら意味ないやろ」
誰も反論しなかった。
正しい。
間違ってはいない。
でも。
空気が重かった。
森田が言った。
「事業を二つに分けた方がいいかもしれないですね」
「どういうこと?」
「稼ぐ事業と、意味のある活動」
全部に利益を求めると、
コミュニティは死ぬ。
全部を善意でやると、
会社が死ぬ。
だったら。
稼ぐところは、
ちゃんと稼ぐ。
塾。
企業研修。
AI支援。
場所貸し。
そこで利益を出す。
子どもの居場所。
若者支援。
地域活動。
そこは。
別の方法で支える。
「そんな都合よくいく?」
僕が聞く。
森田。
「やってみないと分からないです」
僕がいつも言う言葉だった。
少し腹が立った。
僕たちは、
企業向けのAI講座を始めた。
最初は三社。
そのうちの一社。
小さな製造会社。
社長。
川原。
58歳。
最初の一言。
「AIとか全然信用してないから」
「じゃあなんで来たんです?」
「息子に行けって言われた」
「帰ります?」
「金払ったから受ける」
面倒くさい人だった。
でも。
講座のあと。
川原社長が残った。
「これ、本当に使えるな」
「さっき信用してないって」
「今も信用してない」
「どっちなんです?」
「信用せずに使えばいいんだろ」
その言葉が、
妙に残った。
AIを信じる。
信じない。
その二択ではない。
使う。
でも。
最後は、
自分で決める。
川原社長の会社から、
仕事が来た。
社内業務のAI化。
そこから、
口コミ。
5社。
8社。
12社。
いつの間にか、
AI事業が、
施設で一番利益率の高い仕事になった。
AIが、
コミュニティを救った。
少し皮肉だった。
秋。
美咲が写真コンテストに応募した。
奈緒が勝手に勧めたらしい。
結果。
入選。
展示会へ行った。
写真には、
施設の一階。
田中先生が、
窓際で寝ている。
向こうで、
子どもが勉強。
厨房。
料理。
大学生。
誰もカメラを見ていない。
タイトル。
「途中」
僕は、
しばらく見ていた。
「いいタイトルやな」
美咲が言う。
「福田さんたち、いつも途中だから」
「どういう意味?」
「ずっと何か作ってるけど、一個も完成してない」
「失礼やな」
「褒めてます」
どこかで聞いた言い方だった。
帰り。
奈緒が突然言った。
「福田さん、私、卒業したらここで働きたいです」
「え?」
本気だと思っていなかった。
「会社は?」
「受けてます」
「じゃあそっち行けば?」
「普通そう言います?」
「給料いいやろ」
「たぶん」
「福利厚生も」
「あります」
「ここ何もないよ」
「知ってます」
「なんで?」
奈緒は少し考えて。
言った。
「面白いから」
その答えに、
何も言えなかった。
後日。
森田に話した。
森田は、
「それ、責任ですね」
と言った。
「何が?」
「人が人生を預け始めたってことです」
重い言葉だった。
僕は。
そんなつもりではなかった。
面白そうだから、
始めただけ。
でも。
人が来た。
子どもが来た。
美咲が来た。
大学生が来た。
企業が来た。
そして。
「ここで働きたい」
と言う人まで現れた。
場所を作る。
簡単に言っていた。
でも。
場所を作るということは、
誰かの人生に関わることなのかもしれない。
2032年春。
奈緒は、
本当に入ってきた。
初日の朝。
僕が施設へ着いたのは、
9時12分。
奈緒は、
もういた。
「遅刻です」
開口一番。
「社長って遅刻ある?」
「あります」
「誰に怒られるん?」
「私が怒ります」
入社初日から、
面倒だった。
奈緒の仕事。
広報。
イベント。
企業連携。
施設運営。
そして。
僕が思いついたことを止める。
最後の仕事は、
本人が勝手に作った。
「それ必要?」
「一番必要です」
「なんで?」
「福田さん、思いついたら始めるから」
「長所やろ」
「短所でもあります」
相変わらず。
刺してくる。
AI化は、
どんどん進んだ。
それなのに。
僕は、
なぜか忙しかった。
「福田さん、確認お願いします」
「福田さん、この値段でいいですか」
「福田さん、イベントどうします?」
結局。
全部、
最後に僕が見ていた。
AI化したのに。
自分が、
ボトルネックだった。
ある日。
奈緒が紙を一枚持ってくる。
「なんこれ?」
「福田さん禁止業務リスト」
請求書確認。
SNS投稿チェック。
備品購入。
シフト。
予約。
細かい顧客対応。
「全部俺やってるやつやん」
「だから禁止します」
「ミスしたら?」
「私が責任取ります」
「それは違うやろ」
「じゃあ何のために私雇ったんですか」
言葉に詰まる。
「仕事してもらうため」
「違います」
奈緒。
「任せるためでしょ」
図星だった。
でも。
任せるのは、
難しかった。
一週間後。
奈緒にバレる。
「昨日、SNS修正しましたよね?」
「一文字だけ」
「禁止です」
「誤字だったから」
「私も気づいてました」
「じゃあ直せよ」
「福田さんが先に直したからです」
堂々巡り。
最後に奈緒が言った。
「任せるって、手を出さないことですよ」
それが。
一番難しかった。
その夏。
美咲が言った。
「東京に行こうと思います」
「旅行?」
「住みます」
思わず。
「え?」
「半年くらい」
「なんで?」
「奈緒さんの知り合いのスタジオで、アシスタント募集してるって」
「大村でも仕事あるやん」
「あります」
「じゃあ」
美咲は少し黙った。
「ここにいると、ずっと守られてる気がするから」
その言葉は。
思ったより重かった。
ここを、
居場所にしたかった。
安心できる場所。
でも。
居場所は。
出ていく場所でもないといけないのかもしれない。
「行きたいなら、行けば」
「止めないんですか?」
「止めてほしい?」
「いや」
「じゃあ行けばいい」
「帰ってこないかもしれないですよ」
胸の奥。
少しざわつく。
でも。
「それでもいいやろ」
と言った。
本当は。
少し嫌だった。
その頃。
大きなAI案件が来た。
県内に複数拠点を持つ企業。
全社導入。
契約額も大きい。
僕は受けた。
奈緒は。
最後まで慎重だった。
でも。
僕は言った。
「このくらいならできるやろ」
結果。
できなかった。
要求は増えた。
研修。
業務分析。
社内ルール。
AIエージェント。
セキュリティ。
運用。
現場。
少しずつ、
遅れる。
クレーム。
説明と違う。
現場が使えない。
誰が責任者か分からない。
ある夜。
23時。
施設に、
僕と奈緒。
「もうやめた方がいいです」
奈緒が言う。
「今さら無理やろ」
「契約縮小を申し入れた方がいい」
「売上落ちる」
「このままの方がまずいです」
「あと二か月やれば」
「ならないです」
「なんで分かる?」
「現場見てるからです」
「俺も見てる」
「見てないです」
空気が止まる。
「福田さん、数字しか見てない」
また。
同じ言葉。
僕も、
声が強くなった。
「若いから簡単に言えるんだよ」
言った瞬間。
失敗したと思った。
奈緒の顔が変わる。
「それ、言います?」
「いや」
「私が若いから分からないってことですか」
「そういう意味じゃ」
「じゃあどういう意味ですか」
答えられなかった。
奈緒は帰った。
翌日。
来なかった。
僕は。
何度もメッセージを書いて。
消して。
また書いた。
田中先生に言われた。
「謝ったのか」
「まだ」
「馬鹿だな」
「分かってます」
「分かってるならやれ」
電話。
出ない。
メッセージを送る。
「昨日は言いすぎた。ごめん。若いから分からないと言いたかったわけではない。でも、そう聞こえる言い方をした。明日、来れるなら話したい」
夜。
「分かりました」
それだけ。
翌日。
奈緒が来る。
向かい合う。
「ごめん」
最初に言った。
奈緒は黙っている。
「俺、焦ってた」
「知ってます」
「この案件成功させたら、金が楽になると思って」
「それも知ってます」
「でも無理させた」
「はい」
全部。
はい。
痛い。
「辞める?」
聞くのが怖かった。
奈緒。
「考えました」
胸が沈む。
「でも」
続ける。
「今辞めたら、福田さんがまた全部やるでしょ」
「まあ」
「それが一番腹立つので辞めません」
意味が分からなかった。
でも。
安心した。
結局。
企業へ。
契約縮小を申し入れた。
売上は落ちた。
期待していた利益も消えた。
でも。
現場は戻った。
最後に。
担当者から言われた。
「もっと早く言ってくれればよかったですね」
その通りだった。
年末。
美咲が東京へ行った。
駅。
荷物は少なかった。
「何かあったら連絡しろよ」
「します」
「金なくなったら」
「借りません」
「帰ってくれば」
「考えます」
最後まで、
かわいくない。
電車が来る。
乗る直前。
美咲が振り返った。
「福田さん」
「ん?」
「最初、何もしなくていいって言ってくれて、ありがとうございました」
何も言えなかった。
美咲は乗った。
電車が見えなくなって。
少しだけ。
寂しかった。
2033年。
施設は、
普通に動いている。
僕がいない日も。
奈緒が決める。
良子さんが判断する。
えみちゃんが調整する。
田中先生は。
勝手なことをする。
AIも。
僕が知らないことが、
増えた。
最初は。
不安だった。
でも。
少しずつ。
楽になった。
二月。
僕は三日間。
わざと、
施設へ行かなかった。
電話しない。
チャットも見ない。
AIの報告は夜だけ。
一日目。
気になる。
二日目。
もっと気になる。
三日目。
慣れてくる。
四日目。
施設へ行く。
何も起きていない。
むしろ。
知らないポスターが貼ってある。
「これ何?」
奈緒。
「高校生が企画した映画上映会です」
「聞いてない」
「言ってません」
「なんで?」
「言ったら口出すから」
「俺、代表なんだけど」
「知ってます」
腹が立つ。
でも。
少し嬉しい。
春。
母の歩く速度が。
遅くなった。
病気というわけではない。
年齢。
階段。
長い距離。
少しずつ。
僕が歩く速度を落とす。
「昔はあんたが遅かったのにね」
母が笑った。
子どもの頃の話。
その言葉で、
時間が急に現実になる。
僕は53歳。
母も。
当然、
歳を取る。
いつか。
当たり前にいる人が、
いなくなる。
頭では知っていた。
でも。
あまり考えないようにしていた。
それから。
毎週一日。
予定を入れないことにした。
母と飯。
買い物。
たまに出かける。
施設側には、
特に言わなかった。
奈緒だけが。
「いいと思います」
と言った。
「なんで?」
「それが普通だから」
僕は。
普通というものが、
よく分かっていなかったらしい。
六月。
東京の美咲から。
写真が届く。
雨。
夜の駅。
傘。
窓。
知らない街。
メッセージ。
「ちゃんとやってます」
僕。
「そりゃよかった」
三分後。
「もっと何かないんですか」
「頑張れ」
「雑」
そのやり取りが。
少し嬉しかった。
秋。
施設の開業以来。
初めて。
一か月の売上を、
僕は知らなかった。
月末。
AIが聞く。
「今月の経営状況を表示しますか?」
少し考える。
「重要なことだけ」
「三件あります」
AI事業の利益率低下。
塾の新規入会増。
コミュニティスペース利用、
過去最高。
「売上いくら?」
AI。
「確認しますか?」
一瞬。
昔なら。
絶対見ていた。
「いや。いい」
自分でも。
少し驚いた。
その夜。
奈緒と飲みに行った。
珍しいことだった。
「最近、変わりましたね」
「老けた?」
「それも」
「おい」
奈緒が笑う。
「前より任せるようになりました」
「そう?」
「はい」
「成長したな」
「遅いですけど」
相変わらず。
少し飲んで。
奈緒が聞いた。
「福田さん、いつまでここやるんですか?」
「どういう意味?」
「代表」
考えたことがなかった。
「60くらい?」
「あと七年」
「そんなもんか」
七年。
短い。
「そのあと誰がやるんです?」
奈緒が聞く。
「AI」
「殴りますよ」
笑った。
でも。
その問いは残った。
僕がいなくなった後。
どうなるのか。
「回る」と。
「続く」は違う。
十二月。
忘年会。
去年より人が多い。
知らない顔。
僕が知らない人たちが。
僕の知らない話をしている。
少し。
取り残されたような気持ちになる。
でも。
同時に。
これでいい。
全部知っている場所は、
自分の場所。
知らないことが増えた場所は、
みんなの場所。
そう思った。
家へ帰る。
AIから通知。
「2034年の重点テーマを設定しますか?」
「候補は?」
「三つあります」
事業拡大。
後継体制。
個人資産最適化。
少し見て。
「全部違うな」
「では、あなたの希望を入力してください」
考える。
母。
美咲。
奈緒。
田中先生。
施設。
知らない人。
そして。
2026年。
あの夜。
2040年の自分を考えたこと。
僕は入力した。
「会いたい人に会える時間を増やす」
AIが少し間を置く。
「事業目標としては曖昧です」
「事業目標じゃないから」
「では、人生目標ですか?」
「それも大げさやな」
「分類不能です」
僕は笑った。
「じゃあ、そのままでいい」
AI。
「了解しました」
画面を閉じる。
2033年。
53歳。
七年前。
僕は、
AIに仕事を任せる未来を想像していた。
でも。
AIに仕事を任せた先にあったのは。
新しい仕事ではなかった。
空いた時間だった。
その時間を。
誰に使うか。
何に使うか。
それを、
自分で決められること。
もしかすると。
僕がずっと欲しかったのは。
それだったのかもしれない。
そして。
翌年。
僕は初めて。
「大きくすること」と、
「残すこと」が、
同じではないと知ることになる。
