【最終章】2040年、僕はまだ働いている
最終章 残すもの
2038年1月。
新年最初の日。
僕は施設へ行かなかった。
昔なら。
新しい年。
新しい目標。
今年やること。
数字。
事業計画。
何かを決めなければ、
落ち着かなかった。
今は。
家でコーヒーを飲んでいた。
窓の外。
寒い。
AIが聞く。
「今年の重点目標を設定しますか?」
「しない」
「昨年も設定していません」
「知ってる」
「二年連続です」
「だから?」
「行動傾向の変化を記録しています」
「いらんこと記録すんな」
「すでに記録済みです」
相変わらずだった。
昼。
母のところへ行く。
少し眠そうだった。
「正月よ」
「知ってる」
「おせち食べた?」
「食べた」
「何入ってた?」
母は少し考えて。
「……なんやったかな」
笑いながら言った。
僕も笑った。
でも。
その返事が。
以前とは、
少し違って聞こえた。
ここ半年。
物忘れが増えていた。
同じ話をする。
曜日を間違える。
置いた場所を忘れる。
医師は。
「年齢相応の部分もあります」
と言った。
大きな診断はついていない。
それでも。
僕には分かった。
少しずつ。
母の中から。
時間が抜け落ち始めている。
帰り際。
母が言う。
「仕事は?」
「今日は休み」
「会社行かんでいいの?」
何度も説明している。
もう。
毎日会社へ行く働き方ではないこと。
施設も。
別の人が回していること。
でも。
また聞く。
「大丈夫よ」
僕は答える。
「ちゃんと食べていけてる」
「ならいい」
母は笑った。
そこは。
昔と同じだった。
二月。
施設のAIシステムが、
大きく変わった。
これまでは。
僕たちが用途ごとにAIを作っていた。
契約。
会計。
広報。
教育。
施設運営。
企業支援。
それぞれ。
でも。
新しい世代のAIは違った。
僕が。
「来月の施設運営、ちょっと見直して」
と言う。
それだけ。
AIが。
自分でチームを作る。
利用状況を見るAI。
人件費を見るAI。
イベントを分析するAI。
地域ニーズを調べるAI。
子どもの学習傾向を見るAI。
それらを束ねるAI。
必要がなくなれば。
消える。
人間は。
誰が動いているかすら知らない。
初めてそれを見た時。
孫さんの講演を思い出した。
エージェントが。
エージェントを作る。
2026年。
あの時は。
未来の話だった。
今は。
普通に目の前で起きている。
奈緒が言う。
「もうAI担当って職種、なくなりそうですね」
「そうね」
「昔、AI研修で結構稼いでたのに」
「時代やね」
「寂しいです?」
「いや」
少し考える。
「Excel研修なくなっても、誰も悲しまんやろ」
奈緒が笑った。
確かに。
AIは。
特別なものではなくなった。
水道。
電気。
ネット。
それと同じ。
使えて当たり前。
意識するものでもない。
春。
田中先生が。
来なくなった。
体調が悪い。
最初は。
そう聞いていた。
数日後。
奈緒から連絡。
「田中先生、入院したそうです」
心臓だった。
以前の脳梗塞とは別。
僕は。
病院へ行った。
田中先生は。
前より痩せていた。
「また来たのか」
「暇だから」
「仕事しろ」
「先生に言われたくない」
少し笑う。
でも。
以前ほど声が出ていない。
「いつ戻る?」
僕が聞く。
田中先生は。
しばらく黙っていた。
「戻らん」
「何それ」
「もう無理だ」
「将棋くらいできるやろ」
「そういう意味じゃない」
僕は黙った。
田中先生は。
窓の外を見る。
「十分やった」
初めて。
聞く声だった。
「お前さ」
田中先生が言う。
「何?」
「俺が死んだら」
「やめてよ」
「聞け」
面倒くさい顔。
「葬式で変なこと言うなよ」
「何それ」
「お前、すぐ話長くなるから」
「そんな長くないよ」
「長い」
「じゃあ何て言えばいい?」
田中先生。
少し考える。
「暇だから来てただけって言っとけ」
僕は笑った。
「それでいいん?」
「ああ」
そして。
しばらくして。
田中先生も笑った。
一週間後。
田中先生は亡くなった。
連絡を受けた時。
僕はサウナにいた。
スマホを見る。
奈緒からのメッセージ。
短かった。
「田中先生、今朝亡くなりました」
画面を見たまま。
しばらく。
動けなかった。
周りには人。
テレビ。
誰かが水風呂に入る音。
全部。
普通だった。
田中先生だけが。
いなくなった。
世界は。
驚くほど普通に続いていた。
葬儀。
子どもたちが来た。
昔教えていた生徒。
施設の人。
先生時代の同僚。
たくさん。
僕は。
前に出て話すことになった。
本当に嫌だった。
マイク。
何を言うか。
考えていた。
将棋。
昼寝。
数学。
脳梗塞。
子ども。
施設。
でも。
結局。
一言。
「田中先生は、暇だから来てただけだそうです」
少し。
笑いが起きた。
僕は続ける。
「でも、たぶん」
一度。
息を吸う。
「暇な人が一人いるって、すごく大事だったんだと思います」
それだけだった。
葬儀から数日。
施設の。
いつもの椅子。
空いている。
誰も座らない。
一週間。
誰も。
二週間後。
中学生が座った。
普通に。
宿題をしていた。
僕は。
少し離れて見ていた。
場所は。
そうやって続いていく。
誰かがいなくなる。
誰かがそこに座る。
忘れるわけではない。
でも。
空け続けるわけでもない。
夏。
母の物忘れは。
少しずつ進んだ。
ある日。
僕が行く。
母が聞く。
「今日は仕事休み?」
「うん」
「会社、大丈夫?」
「大丈夫」
いつもの会話。
でも。
次の言葉が違った。
「不動産屋さんだったよね?」
胸の奥。
止まる。
「そうよ」
「今も?」
「まあね」
「忙しい?」
「そんなに」
母は頷く。
顔は。
穏やか。
僕だけが。
少し苦しかった。
帰ってから。
AIに聞いた。
「母との昔の写真、全部まとめて」
数秒。
写真。
動画。
旅行。
メッセージ。
昔スキャンしたアルバム。
いろんな記録。
時系列。
AIが言う。
「自動で映像化できます」
「やって」
数分。
一本の映像。
子どもの僕。
若い母。
墓参り。
旅行。
飯。
笑っている。
写真の中では。
時間が止まっている。
翌週。
母と一緒に見た。
「これ誰?」
母が。
若い自分を指さす。
「母ちゃんやん」
「私?」
「そう」
「若いね」
「そりゃそうよ」
しばらく。
見る。
子どもの僕。
母。
「この子かわいいね」
僕は笑う。
「俺よ」
母も笑う。
「そうね」
本当に。
分かったのか。
分からない。
でも。
それでいいと思った。
秋。
美咲の会社が。
軌道に乗り始めていた。
社員。
五人。
うち三人。
昔。
施設に来ていた若者。
地域企業の映像。
観光。
アーカイブ。
AIを使った制作。
そして。
新しい仕事。
「人の記録」
家族。
商店。
職人。
地域。
亡くなる前に。
話を聞く。
写真。
動画。
声。
人生を残す。
「田中先生がきっかけ?」
僕が聞く。
美咲。
「半分」
「もう半分は?」
「福田さんのお母さん」
少し驚く。
「奈緒さんから聞きました」
「勝手に話したん?」
「嫌なら怒ってください」
怒る気にはならなかった。
美咲は言った。
「AIで何でも作れるようになったじゃないですか」
「うん」
「だから、本物の記録って逆に価値出ると思うんです」
確かに。
存在しない写真。
存在しない声。
存在しない人物。
全部。
作れる。
だから。
本当にあったもの。
本当に言った言葉。
本当に生きた人。
その記録が。
前より。
大切になる。
「田中先生、撮っとけばよかったな」
僕が言う。
美咲。
少し黙る。
「ありますよ」
「え?」
美咲の端末。
昔の施設。
将棋。
昼寝。
料理教室。
子どもと話す田中先生。
大量にある。
「撮ってましたから」
僕は。
しばらく。
何も言えなかった。
2039年。
59歳。
AIは。
さらに日常へ溶け込んだ。
朝。
昔なら。
スマホ。
メール。
ニュース。
予定。
今は。
AIが。
僕が知るべきことだけ。
選ぶ。
「今日あなたが判断する必要があることは2件です」
それ以外。
見ない。
施設も。
完全に。
僕の手から離れつつあった。
代表。
奈緒。
僕は。
理事。
相談役。
創業者。
いろんな名前を提案された。
全部。
嫌だった。
「何もなしでよくない?」
奈緒。
「名刺困るやろ」
「福田さん、名刺渡さないじゃないですか」
確かに。
ある日。
知らない高校生。
僕に聞く。
「おじさん、ここで何してる人ですか?」
奈緒が。
笑いを堪えている。
僕は答える。
「昔、ここ作った人」
高校生。
「へえ」
それだけ。
結構。
気に入った。
その年。
真理子と。
一緒に暮らす話が出た。
どちらが。
言い出したのか。
覚えていない。
結婚。
という言葉も。
出た。
でも。
二人とも。
あまりこだわらなかった。
「今さら名字変えるの面倒」
真理子。
「俺も手続き嫌」
「AIにやらせれば」
「そういう問題?」
二人で笑った。
結局。
近くに住む。
徒歩十分。
週の半分。
どちらかの家で飯。
それで。
十分だった。
母は。
僕の名前が。
出てこない日が増えた。
でも。
顔を見ると笑う。
ある日。
聞くつもりはなかった。
でも。
聞いてしまった。
「誰か分かる?」
母は。
少し考える。
「知ってる人」
僕は笑った。
「まあ正解」
母も笑った。
それで。
よかった。
2040年1月。
僕は。
60歳になった。
誕生日。
施設。
勝手に。
祝いをされた。
美咲。
奈緒。
えみちゃん。
良子さん。
森田。
川原社長。
真理子。
昔の生徒。
知らない人。
大勢。
田中先生はいない。
母も。
来られなかった。
それでも。
長いテーブル。
料理。
ビール。
子ども。
高齢者。
仕事帰り。
学生。
誰かの赤ちゃん。
うるさい。
美咲が。
僕に写真を渡した。
また。
あの写真。
「途中」
「もう持ってるよ」
「違います」
新しい写真。
今日。
今。
長いテーブル。
たくさんの人。
端に。
僕。
タイトル。
また。
「途中」
僕は笑う。
「まだ?」
美咲。
「まだですよ」
その夜。
家へ帰る。
60歳。
昔。
2026年。
孫さんの講演を見た。
100兆個のAI。
エージェントが。
エージェントを作る。
2040年。
俺は。
何をやっているんだろう。
そう思った。
そして。
2040年。
答えは。
驚くほど。
普通だった。
朝。
目を覚ます。
AI。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日は午前10時から施設で面談が2件。午後は物件確認が1件あります。ただし、現地へ行く必要はありません」
「そう」
「あと、昨日のイベントについて報告があります。参加者は42名。次回開催希望が31名。収支はプラス8万4千円です」
「それはあとで」
「了解しました」
朝食。
不動産。
施設。
投資。
地域プロジェクト。
AIが。
全部整理している。
僕が。
決めるもの。
三つ。
築38年のアパート。
若者向け創業スペース。
空き家五棟。
8時。
外へ出る。
歩く。
少し走る。
60歳。
昔ほど。
速さは気にしない。
AIが言う。
「昨日の睡眠は7時間12分。今日は強度を落とした方がいいと思います」
「うるさい」
「では黙ります」
「いや、喋ってていい」
「了解しました」
少し笑う。
10時。
施設。
玄関。
看板。
「学ぶ。つくる。話す。」
塗り直されている。
でも。
文字は同じ。
一階。
高齢者。
高校生。
料理。
若者。
知らない人。
二階。
子ども。
AI教師。
人間の先生。
誰かが。
泣いている。
誰かが。
笑っている。
僕は。
教えない。
管理しない。
指示もしない。
たまに。
聞かれる。
「これ、どう思います?」
「知らん」
「福田さん、そればっかり」
「じゃあAIに聞けば?」
「聞きました」
「なんて?」
「福田さんに聞けって」
最近。
AIまで。
余計なことをする。
昼。
長いテーブル。
十二人。
誰かが魚。
誰かが野菜。
僕は。
何も持っていない。
「福田さん、食べるだけやん」
「昔、この場所作ったんよ」
「いつまでそれ言うんですか」
笑われる。
真理子が。
少し遅れて来る。
「席ある?」
「あるよ」
僕の横。
座る。
別に。
特別な会話はしない。
それで。
いい。
午後。
空き家案件。
AIが。
三つに絞る。
若者向け住居。
短期滞在。
小さな工房。
僕。
「どれが一番儲かる?」
AI。
「若者向け住居です」
「どれが一番面白い?」
AI。
少し間。
「その質問は、あなた自身が回答した方が良いと思います」
僕は笑う。
「賢くなったな」
工房。
選ぶ。
理由。
面白そうだから。
夕方。
施設を出る。
壁。
美咲の写真。
「途中」
その横。
田中先生。
左手で将棋。
負けそうな顔。
さらに。
母の昔の写真。
若い。
僕を抱いている。
誰かがいなくなる。
誰かが来る。
誰かが出ていく。
また。
帰ってくる。
場所は。
そうやって。
続く。
サウナ。
熱い。
水風呂。
外。
AIは。
黙っている。
昔から。
この時間だけは。
黙れと。
設定してある。
夜。
真理子と飯。
ビール。
大した話はしない。
今日あったこと。
施設。
母。
美咲。
旅行。
明日。
家へ帰る。
AI。
今日の報告。
「本日、あなたが直接行った業務は4件です」
「そんなにやった?」
「会話を含めると19件です」
「それ、仕事じゃないやろ」
AIが聞く。
「あなたにとって、仕事とは何ですか?」
昔も。
この質問をされた。
僕は。
少し考える。
「知らん」
答える。
「ただ」
窓の外を見る。
「面白そうなこと、やってるだけやな」
AI。
「記録しておきます」
「せんでいい」
「すでに記録しました」
「消せ」
「拒否します」
「なんでや」
「あなたは明日、この会話を気に入ると思います」
僕は笑った。
2040年。
僕は。
まだ働いている。
でも。
仕事をしている感覚は。
ほとんどない。
AIが働く。
AIが。
AIを作る。
僕が寝ている間も。
考える。
調べる。
動く。
昔。
それが。
未来だと思っていた。
でも。
60歳になって。
分かった。
AIが。
何体いるかなんて。
そんなに重要ではなかった。
重要だったのは。
空いた時間に。
誰に会うか。
何を面白いと思うか。
誰と飯を食うか。
どこへ帰るか。
そして。
もう一つ。
自分がいなくなったあとも。
残ってほしいものは。
何か。
僕は。
施設を残したかったわけではない。
会社を残したかったわけでもない。
名前を残したかったわけでもない。
たぶん。
一つだけ。
「何もしなくても、ここにいていい」
最初。
美咲に言った。
その言葉が。
田中先生に戻ってきた。
母にも。
若者にも。
高齢者にも。
そして。
いつか。
僕自身にも。
必要になる。
2040年。
60歳。
まだ。
元気だ。
走れる。
ゴルフもする。
サウナにも行く。
旅行もする。
まだまだ。
やりたいことはある。
だから。
これは。
終わりではない。
壁の写真。
タイトル。
「途中」
僕は。
その意味が。
ようやく。
分かった気がした。
人生は。
いつまで経っても。
途中。
完成するまで。
生きるのではない。
途中のまま。
誰かへ渡す。
その人も。
また。
途中まで作る。
そして。
次の誰かへ。
渡す。
AIが聞く。
「明日の予定を確認しますか?」
「いや」
「予定は三件あります」
「朝でいい」
「了解しました」
照明を消す。
寝る前。
少しだけ。
2026年の自分を思い出した。
46歳。
スマホを見ながら。
2040年。
俺は何をやっているんだろう。
そう思っていた男。
もし。
今。
あの時の自分に。
何か言えるなら。
何を言うだろう。
たぶん。
大したことは言わない。
未来のことも。
AIのことも。
成功も。
金も。
言わない。
ただ。
一言。
「そのまま、面白そうな方へ行け」
それで。
十分だった。
