組織開発のショートカットは「組織の器」を広げること
初めまして。
株式会社kubellでBPaaSという事業の組織開発を担当している大槻と申します。
こちらの記事は、#kubellブログリレーの記事の一つとして執筆しております。
はじめに
経営論点として人や組織に関する課題を扱う際、往々にして「綺麗事」や「感情論」といった扱いで片付けられてしまい、その"感覚"自体が資本主義のゲームルールの中において棄却されることも多いと思います。一方で、戦略的、論理的なアプローチを過去から積み上げているはずなのに、実態として組織課題は一向に良くならない、ということも世の中には多いのではないでしょうか。
今回のnoteは、組織のボトルネックを「人と組織の器」に一旦据えてみることで、何か示唆が得られないか、ということを考えてみた内容のシェアです。
人は簡単に変われないとは思うのですが、組織課題の解決を発想する上で、人が変わることが一番手っ取り早いシーンが浮かぶのも事実です。(むしろ、人が変わらない限り、組織は変わらないというケースすらある気がします。)
そんな抽象論に、なるべくロジックを纏わせられるように書いてみました。(具体のHOWについては個社ごとの前提によって最適解が変わると思いますので、今回は踏み込んで書いておりません。)
※こちらの記事では、主に私見や仮説をベースにしています。理論との紐付けをしていなかったり、バイアスや特定の前提に依存する内容も含まれますが、何卒ご理解いただけますと幸いです。
組織開発とは?
「組織開発」の目的については様々な解釈があると思いますが、個人的には、「経営理念やMVV(あるいは事業戦略)の実現に最も寄与するための『組織コンセプト』を定め、実現させていくこと」くらいの位置付けが、今のところしっくりきています。
理念と深く整合し、戦略的合理性のある組織コンセプトを設計できるか。ここが肝になりますが、コンセプトは抽象度が高いので、ややもすると「一見崇高ではあるが、短中期的に実現可能性が極めて低いもの」や「GoodではあるがBestからは程遠いもの(=競争戦略の観点であまり筋がよくないもの)」になりかねません。この点には注意が必要だと感じています。たとえばA社にとって素晴らしい組織コンセプトが、B社にとっては全然良くなかったりもするということです。
私は現在、全社の組織開発ではなく、特定事業における組織開発をメインの役割としています。そのため、「人・組織に纏わる事象や課題を“事業課題”に昇華し、その解決に資することで事業発展に貢献する」と若干ミッションのレイヤーを下げて解釈しながら、日々色々なことに取り組んでいます。
「どこまで深く潜るか」で景色が変わる
組織開発のアプローチには、顕在的な課題に対して解決を図っていく手法もあれば、そもそもその課題が生じている「構造自体」を解きにいく手法もあります。
これまでの経験から痛感したのは、スピード感のある成長が求められる企業にとって、前者のアプローチだけでは「焼け石に水」の域を出ないことも多く、他方で後者のアプローチは「どこまで深く潜るか次第」ではありますが、ものすごく難易度が高いということです。
その上で、組織開発を競争優位性のあるレベルで本質的に生かし、経営に貢献していくには、地道に「組織の器」を広げていくことが結局のところ最もショートカットになるのではないかと感じています。
そう考えるに至った理由を、次章以降で説明します。
組織開発のショートカットは、組織の器を広げること
私が経験したり、見聞きしたりしてきた範囲になりますが、多くの会社では社長からメンバーまで複数の役職レイヤーが連なり、基本的には能力が高いとされる方が上に配置されます。そしてこの「能力の高さ」の順序は、職種による差異や例外ケースはあるものの、「論理的思考力の高さ」の順序とほぼ同一になるケースが多いと思います。
論理的思考力は問題解決力と強く相関するため、この「能力主義による階層構造」自体に違和感はありません。
しかし、ここにある真の危うさは、メンバーが保有する多様な能力やセンスの「目利き」や「活用」までもが、その「外形的な問題解決力のある人」に全面的に依存してしまう点にあります。
「マネジメントとはそういうもの」と言えばそれまでですが、組織として特定の人材に極めてリスクの高い「ベット」をしている状態である、という認識は持っておくべきでしょう。
前提として、あらゆる領域において全方位で万能な人間は存在しません。ゆえに、個々の欠落を互いに補い合いながら、同時に一人ひとりの強みが最大限に出力され、それらが共鳴するように適切に束ねられている状態。それこそが、組織としての「真の強さ」であるはずです。
他方、能力や実績があるのに、上長との相性、事業フェーズ(能力が依存する課題や環境)との相性などによって活躍できずに去っていく。はたまた、入社当時の輝きを失って暗い雰囲気を纏いながら働いてしまっている。そんなケースが世の中には沢山あるのではないでしょうか。
これらをゼロにすることはできなくとも、限りなくゼロに近づけ、ほぼ全ての人が活躍(絶対評価的な意味合いで)できる土壌を整え、器としての組織の質を良くしていく。この概念を、本記事で「組織の器を広げていくこと」と表現しています。
逆に「組織の器」が狭い状態とは、活躍可能な人の幅が狭い組織のことです。当然、採用ハードルや離職率も高くなるので、「活躍する人を創出するコスト」がとても高い状態になります。経営目線で見ても非効率な状態です。
こうした組織はエンゲージメントスコアが低く出る傾向がありますが、厄介なことに組織コンディションの悪化は大抵、複数の要素が複雑に絡まって起きており、サーベイ等の決まった枠組みだけでは適切に課題を立証しづらい性質があります。また、表層的な課題理解を軸に改善施策を打っても、効果が出ないことが多いのです。
では、組織の器を広げていくために何をすればよいのか。
私はメタ認知を高めることが、最もレバレッジが効く施策の一つになり得るのではないかと考えています。
組織の器を広げるための要素①:メタ認知
なぜ、マネジメントに「メタ認知」が必要なのか
初めに、なぜ「メタ認知」が組織の器を広げるために必要なのか。その論理は、先ほど述べた「役職者のレイヤーが連なる意思決定構造」がありながら、「人間は非万能」であり、「外形的な問題解決力だけでは、すべての領域で正しい意思決定はできない」ということに立脚しています。
その上で、この後に説明しますが、マネジメント力の問題以前に、自分自身の「無意識的な意識」がボトルネックになることも多いのです。この領域まで含めたメタ認知ができて初めて、深く物事を見つめ、適切な対話を通じて組織を動かせるようになると考えています。
人は「無意識のフィルター(スキーマ)」で世界を見ている
一定の抽象度をもった課題になると、各個人が積み上げた「経験学習データ」の中身や量が違うため、共通論理が存在する領域でさえ完全なる擦り合わせは困難です。ましてそこに「無意識」の違いが掛け合わさるため、そもそも人間同士が完全に分かり合うことは実質的に不可能なのです。この点を深く理解することが出発点だと思っています。
さて、「無意識的な意識」がボトルネックになるとはどういうことでしょうか。
専門領域ではないですが、心理学における「スキーマ(Schema)」の概念や、 慶應義塾大学名誉教授の前野隆司氏が提唱する「受動意識仮説」の話が、私の体感と一致しています。
これらの意味合いを自分なりに落とし込むと、ベースとなる遺伝子レベルで「世の中の見方」に関する傾向があり、様々な環境や経験の過程であらゆる価値観が「無意識の領域」に蓄積されていきます。物事は基本的に意識ではなく、その無意識下で判断され、「意識の領域」が後からそれを意味付けている、ということです。
こうした考え方に立つと、そもそも「自分の見え方が正しい」という前提に対し、「果たして本当にそうなの?」という矢印が自分自身へ向くようになるはずです。
遺伝子レベルの性格的傾向、環境による変化、成功・失敗体験の学習データ。これらが無意識レベルに落とし込まれ、私たちはその中で判断し、喋っている。この感覚を持つことが、対話の重要性、バイアスの排除、そして「絶対的な正解はない」ということの深い理解に繋がります。

マネジメントレイヤーがこの感覚を持つことで、特定の一人の「無意識的な意識」がボトルネックにならず、組織の器を広げる第一歩になります。このスタンスに立てば、人に対して「コントロールできるもの」という認識がなくなり、テクニック論よりも遥かに重要な「尊敬」と「尊重」というマインドと眼差しが生まれます。結果として、人の感情に派生する問題は、以前よりだいぶするすると解決していくはず(少なくともその糸口が見えるはず)です。同時に、自分がこれまで認識できなかった「正解」を取り入れられるようになるでしょう。
ちなみに補足ですが、メタ認知の考え方自体はあちこちに存在していますが、それを知るだけでは不十分(ときに逆効果)で、むしろそれに関する解釈そのものや、それを踏まえた自己や他者、社会との対話の仕方を磨き続けていくスタンスやプロセスの方が大事であると思います。
「戦略」のカスケードと「価値観」のカスケード
少し抽象的な話が続いたので、これらが合理的な世界においてどう寄与するのか。その根拠として、よくある「戦略がカスケード(浸透)されない」という課題を挙げてみます。
この原因には戦略の質や作り方の問題など様々ありますが、先ほど触れた「他者とは基本的に分かり合えない前提」に立って、「価値観をカスケードする」というプロセスは軽視されがちです。
「価値観」というとMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)、その中でも特にバリューを指すことが組織運営において多いと思いますが、業務における感覚や個人の探求テーマに関する「価値観」も考慮するスコープに入れ、戦略とセットで丁寧にカスケードする。そうすることで、戦略の浸透度や実行時のエンゲージメントはより深くなります。戦略の前提になっている一つ一つのコンポーネントに対する理解や解釈は上長と部下の間で想像以上にズレているものだからです。
既にお分かりの通り、それは上長の方が優秀だからというよりも、そもそも人と人の解釈は、ズレることが常だからです。(もちろん立場による目的の違いや情報量の差もありますね。)

両者のカスケードができていないと、戦略の実現可能性や感情面に「無理」が生じます。逆にこれらが機能していれば、実行側からの質の高いフィードバックによって上位戦略が常にアップデートされ続ける「戦略の逆カスケード」が成立し、短周期で戦略単位にPDCAを回すことが可能になります。この点が事業に与えるインパクトは破壊的に大きいです。
この逆カスケードを成立させるには「現場の意志」が不可欠であり、その起点はやはりメタ認知をベースとした対話にあるのです。
マネジメントの相性 ── センスドリブン vs. 理論ドリブン
もう一つ、メタ認知に関して注意しておきたいケースが「問題解決のアプローチ」の違いによる、マネジメントの相性です。
問題解決の進め方には「センスドリブン」が適した領域と、「理論ドリブン」が適した領域があると考えています。(当然行き来できるのがベストではあるのですが。)基本的には成果創出に関係する変数の多さで決まると思うので、クリエイティブな領域や、HR領域(特に人の感情を扱う組織開発や育成領域、カルチャー形成など)、そして新規探究が必要な領域などは、少なくとも感性を起点にしてロジックを後付けする方が成果が出やすいと思います。一方、経理財務や法務など、基本的なコーポレート職は、クリエイティビティが強みにもなり得るかもしれないですが、どちらかといえば理論的に進める方が適しているのではないでしょうか。

両者のうち、センスを起点に進めるのが適した領域においては、ロジックだけでなくセンスを研ぎ澄ませた「感性」で物事を見つめない限り、適切な課題の認識、問いの設定、打ち手の検討、そして実行と振り返りのすべてにおいて精度を欠くことになります。既存の理論モデルでは処理しきれない膨大な変数(表情、感情、複雑な人間関係、過去の経緯、非言語的な対立など)を、時間軸横断的に、かつ「要素ごとの重み付け」も含めて統合的に解釈する必要があるからです。この領域の問題解決を「理論」を武器に進めた場合、進捗管理や一部のKPI指標こそ改善するかもしれませんが、本質的な最終成果にはなかなか繋がらない、という事態が起こり得ます。理論が成立するための前提と、現実で置かれている前提の隠れた差分をそもそも知覚できないためです。(HR領域で言えば、トップダウンのエンゲージメント系施策が刺さりづらいのはこういうところにも起因してると思います。)
ようやく本題ですが、メタ認知が低い上長が、こうした「センスドリブンで進めるべき領域」でメンバーをマネジメントする際に生じる摩擦には注意が必要です。自分自身の感覚や判断を「絶対的な正解」であると盲信し、自分とは異なるセンスを持つメンバーの視点を、単なる「視座の低さ」「スキルの不足」や「論理の欠如」などとして片付けてしまう傾向があるためです。
仮に上長の判断が戦略的に正しかったとしても、自らの主観を絶対視するあまり、それを押し付けられたメンバーが抱く違和感や、存在を否定されたような喪失感にまで想像力が及びません。その結果、戦略の方向性を見誤るリスクがあるだけでなく、メンバーのモチベーションを破壊し、組織の「器」を急激に萎縮させてしまうことに繋がるのです。(※往々にして、その上長はプレイヤーとして非常に優秀で、評価されており、少なくとも自身の中では誠実に、一生懸命にやっているだけ、というケースが多いことが事態を難しくします。)
上位戦略を達成することへのモチベーションを創出し、そこにメンバーの強みをリンクさせていく作業はマネジメントにおける重要な役割そのものなので、この点においても、まずマネージャーが「自己のスキーマの限界」を認識し、メタ認知できている状態を作ることが重要になります。
学習レベルIIIの境地 ── 今後のリーダーシップに必要な要素
最後に、グレゴリー・ベイトソンの「学習の階層モデル」に触れさせてください。
長くなってしまうため詳細な説明は割愛しますが、学習レベルの段階が進んでいくと、「これまで学んできた学習の枠組み自体を問い直す」ような段階(学習III)が存在することが論じられています。
高度なリーダーシップやマネジメント力の発揮にはもちろんのこと、AIの進化に伴い、これまで蓄積してきたあらゆる前提に対する再解釈が強制的に必要になってくるこれからの世の中では、この「学習III」のレベルが、リーダーシップの要件としてより強く求められると個人的に思っています。メタ認知なくしてその境地に辿り着くことはあり得ないので、この点からもメタ認知の重要性は高いと言えるのではないでしょうか。
ここまで、個人の「メタ認知」の重要性について書いてきましたが、組織開発におけるレバレッジポイントの一つであることは何となく共有できたでしょうか?
次章では、組織の器を広げていくための、もう一つの重要な要素である、「組織OSの整合」というテーマについて、書かせていただきます。
組織の器を広げるための要素②:組織OSの整合
"整合"自体が重要論点
前章では、個人の意識(メタ認知)をアップデートすることで組織の器を広げるアプローチについて書きました。ここからは、組織OS(意識・経営理念・組織文化・マネジメント・その他の仕組みなど)の整合を通じて、会社という「システム」の性質を改善することで、器を広げていくための思考を整理してみたいと思います。
「組織の器を広げるための要素」という見出しからすると、ややズレてしまいますが、私は「組織の器は必ずしも、時間軸とケイパビリティを無視して広げることが正解ではない」と考えています。大切なのは、メタ認知によって現時点の器を正しく認識し、それに見合った「組織コンセプト」を作っていくことです。
組織開発において、MVV浸透やカルチャー形成、人事制度などの各機能単位の施策は常に課題として扱われます。しかし、理念から文化、制度に至るまでの一連の要素について、「組織コンセプトと整合させること」自体を、最重要の論点として深く扱っている会社は、実はあまり多くないのではないでしょうか。
なぜ、整合していること自体が重要なのか。それは、不整合が大きい状態で実施される人事施策は、たとえ施策自体の中身が良くても、その効果が著しく薄まってしまうからです。つまり不整合とは、あらゆる施策のROIを低下させる、いわば「負のレバレッジポイント」なのです。
不整合がもたらすデメリットは多々あります。たとえば、掲げている理念と現実の組織運営があまりにズレていれば、いかに崇高な理念でも、従業員には空虚なものに映り、「掲げているだけで本気で目指していないのでは?」と冷めてしまいます。
ひとたび会社への信頼を失えば、その後に会社がどれほど良いことをしようとしても、この「見えざる負債」によって、あらゆるアクションがネガティブに変換され続けてしまうリスクがあります。重要なのは、常に良いことばかりを発表することではなく、掲げていることが実態とリンクしており、行動に一貫性があることです。そしてそれを従業員に伝わる形でメッセージし切ることだと考えています。
なお、こうした機能の整合については、安斎勇樹さんの著書『冒険する組織のつくりかた』でも非常に分かりやすく解説されていて、とても勉強になりました。
ちなみに本の中では「官僚的文化」を脱出するために目指すべき代表的な方向性として、以下の3つが示されています(その中で、本のタイトルの通り、Cが提唱されています)。
A:軍事的文化(権力で統率する強さを志向する組織)
B:家族的文化(個人の感情に寄り添った安心感重視の組織)
C:冒険的文化(組織による社会ミッションの探究と、個人による自己実現の探究の両立を目指す組織)
個人的にはCのあり方に共感しつつも、その難易度は色んな意味で高く(後述します)、すべての会社が即座に採用できるわけではないと考えます。だからこそ、まずはA〜Cのいずれか(あるいは独自のコンセプト)を決め、その方向性に対し、一貫した文化形成と仕組み構築をすることが、前進するための重要なステップになると思っています。
そうすることで、
効果が薄い戦略や施策への過大なコスト投下を防げる
正しい自己認識に基づいた戦略が打てるようになる
言行不一致による信頼低下を防げる
「整合のさせ方自体」に対する組織的な学習プロセスが回り、全体コンセプトが改善される といったメリットが生まれます。
たとえば、実態として軍事的文化で運営している会社が、家族的文化のアプローチを中途半端に取り入れても、エンゲージメント向上は期待しづらいでしょう。一貫性のなさを感じたり、コントロールされている感が如実に出ると、人は往々にして冷めてしまうからです。
それよりは、たとえば、軍事的文化にアレルギーがない属性の方を見極めて採用し、報酬レベルを高める、あるいはAIを徹底的に組み込むことによって、人を介した「熱量」や「コミュニケーション」に依存しない組織設計を目指すなど、「自社の意識や器に整合した打ち手」を決めていく方が現実的です。
私個人の志向として軍事的文化を強めたいわけではありませんが、自己を正しく認識して「一貫性」のあるモデルを作らない限り、組織は上手くいかないのではないか。それがここで述べたい趣旨です。
いずれのモデルを採るにせよ、最終的に目指すべきは、経営理念に即しながらミッションに向けて前進し、事業と組織と仕組みが整合し、その上で「コンディション」と「生産性」が高いレベルで両立している状態です。ここまでくると、「PMF(プロダクトマーケットフィット)」にちなんで「組織マーケットフィット」と呼べるのではないでしょうか。
実現は非常に難しいですが、組織戦略を「一つの機能単位の改善の積み上げ」ではなく、「全体の整合」として捉え直すことで、打つべき手は自ずと変わってくるはずです。たとえば、組織マーケットフィットしていない状態で採用ブランディングを強化しても、内実が伴わないことで活躍者創出あたりコストが過剰(あるいは従業員LTV [Employee Lifetime Value] の概念で見てもROIが低位)になったり、ブランディングがネガティブに作用したりすることさえリスクとしては考えられます。その場合、まずは全体の整合や本質的な組織改善に集中するため、ブランディングは戦略的に止め、組織の質の改善に予算をアロケーションする、といった発想も浮かんできます。(もちろん、その構造を断ち切るためにこそ採用を強化するという判断もあり得ると思います。)
経営や事業の戦略策定プロセスにおいて「システム思考」の考え方を取り入れる会社も多いですが、HR領域の戦略策定や実態の運用思想においては、要素還元主義的なマネジメントスタイルに留まっているケースが多い気がしています。
軍事的文化からの進化は簡単に実現できる?
「整合」や「一貫性」に気を付けるだけでも前進ができるという話をしました。では、その先に「冒険的文化」などへと進化させることは、簡単にできるのでしょうか?
個人的には、ものすごく難しいと考えています。実績を伴った経験者が少ないという点に加え、戦略やコンセプトを合理的に作れても、実行が難しいからです。なぜなら、「軍事的文化で活躍している方の能力」と「冒険的文化の構築に求められる能力」は違うからです。
難易度が高い理由は、思いつく範囲でこれだけあります。
プロジェクト推進に、経営理解・問題解決力・EQ・メタ認知力・リーダーシップという全方位の能力を要するため
理論の転用ができず、センスや仮説ドリブンで進める要素が大きい上に、既存の成功体験(軍事的世界観)を「アンラーニング」する局面が出てくるため
激しい競争環境下で、成果が見えない「自分の感覚に沿わないもの」に大きくベットする必要があるため
こうしたプロセスをやり切るには、チームとして強い意志とケイパビリティを持ち、社内の最重要アジェンダとしてトップも含めて推進していく必要があります。特定の一人の力でどうにかなる領域ではなく、経営チーム全体が連帯し、「共創するスタンス」を持たない限り、難しいでしょう。
軍事的文化を脱却する際の「EQ」の重要性
「軍事的文化」から脱却しようとする際、その取り組みを推進・管理するのは、往々にして「軍事的文化の中で活躍してきた方」になります。しかし、人間は全能ではありません。軍事的な方法論で成果を出してきた方にとって、それ以外の方法は非合理に映り、深く理解することが難しいケースが多いのです。
ここで不可欠になるのが、前章でも触れた「メタ認知力」と、そして「EQ(心の知能指数)」です。
前章の「センスドリブン」の話でも別角度から触れたように、論理的思考やシステム思考、その他あらゆる思考技術も大切ですが、この領域においては、どれほど思考レベルが高くても「EQに根差した眼差し」が入っていない施策は、たいてい上手くいきません。そもそも何が課題であるかを正しく知覚・認識できず、筋の良い打ち手の実行もできないからです。
資本主義下における一般的な組織構造の中では、経営に近い職種であればあるほど、EQがIQよりも劣位に置かれやすい(場合によっては、ほぼ考慮すらされていない)状態にあるような印象を持っていますが、「誠実で強い組織」を作るには、EQとIQを高次元でハイブリッドさせられる組織が強いと思っています。
なぜ、ハイブリッドが必要なのか。それは、EQだけでも戦略性が弱くなり、IQだけでも「見えない世界」を見落としてしまうからです。 IQが得意とする「合理」を突き詰めるだけでは、人や組織に纏わる「目に見えない変数」を排除してしまい、結果としてスピード感が上がらなかったり、場合によっては戦略が机上の空論に陥るリスクもあります。
逆に、EQが高い組織は、一見ノイズに見える現場の非合理を、戦略を構築するための「外せない制約条件」として正しく認識できます。この「非合理な制約」を土台に置くからこそ、その上に構築される「合理」は、現実の組織を動かす力を持つ強固なものになるのです。
また、「誠実さ」という概念も、自分だけの尺度で決めるものではなく、自己と他者、あるいは自己と社会の間に生じる「葛藤」を通じてしか培われません。EQはまさにこのプロセスを通じて獲得していく能力であり、このケイパビリティがIQ領域と高次元で接合されたとき、初めて組織は「真に良い状態」を維持し続けられるのではないでしょうか。

軍事的なモデルに頼らずに組織を率いるには、戦略性のみならず、高いEQやメタ認知を通じた眼差しが必須です。逆にそのケイパビリティを活かせない状況なのであれば、無理をせず「組織OSの整合」をまずは重視し、現在の軍事的なモデルをベースにチューニングしていった方が成功確率が高いと思います。
おわりに
お忙しい中最後まで目を通していただき、ありがとうございました。
今回は、組織開発に関わらせていただいてから、ちょうど一年が経過したタイミングということもあり、自分自身のリフレクションも兼ねてnoteに整理させていただきました。
テーマとしてはメタ認知について厚めに書いてみましたが、基本的には人の意識や考え方を変えるアプローチは難しいと言われており、悪手とも言えるかもしれません。しかし一方で、レバレッジが効くポイントのわりには、言うほど世の中で(現実への落とし込みと言う観点で)科学されてるか?というと、やり切れている体感が個人的にはなかったりもします。なので、もう少し突き詰めてみてもよい領域なのかなと書き終えて改めて思いました。
また、noteの上ではスパスパと書きましたが、現実では組織開発とは全然関係ないところに首を突っ込むことになったり、やってみたものの上手くいかなかったりすることばかりで、非常に難しい領域であると痛感した一年でした。
何度も、「強大な渦の中であれこれ考えても結局無駄なのでは? 自分の価値ないのでは?」「いや、それでもこうすれば上手くいくはず」といった2つの思考を繰り返し行ったり来たりしながら進んできましたが、それはこれからも変わらないのかもしれません。
それでも、経営理念、戦略、組織OS、
点在するこれらの要素を「整合」という一本の糸で結び直し、温かくて強い組織を作ることにチャレンジできる組織開発という仕事は、とてもやりがいがあると感じてます。
引き続き、彷徨いながらも、向き合い続けていきたいと思います。
この記事が組織の「器」を広げ、良い会社を増やしていくことに対する、何らかのヒントになれば幸いです。
(最後に、ここまでの内容をまとめた図を貼り付けておきます!)

