4月1日、嘘の日か夢の日か。
明日は4月1日、エイプリルフールです。
でも今年、ちょっと気になる動きを知りました。April Dreamという取り組みです。PR TIMESが2020年から続けているもので、4月1日を「嘘をつく日」じゃなく「夢を語る日」にしようという文化づくりの運動なんだそう。2020年からやっていたとは、まったく知りませんでした。
そもそも、エイプリルフールの「嘘」って、センスが問われますよね。
うまい嘘は「あ、やられた!」と笑えて、ちゃんと着地点がある。でも一歩ズレると「それ笑えなくない…?」になる。最近は社会的な文脈への感度も上がってきているので、昔なら許されていたタイプのネタが普通に炎上することもあります。企業のSNS担当さん、毎年ヒヤヒヤしているんじゃないかなあ。
なぜそんなに難しいかというと、嘘って本質的に毒のある笑いだと思うんです。
風刺画しかり、政治コントしかり。対象があって、そこに向けて刃を立てる。だからこそ権力者や社会の歪みに対して機能する。「笑い」というオブラートで包んで、本音を言える。歴史的に見ても、宮廷の道化師とか、庶民の落首とか、弱い側が強い側に対抗するための武器だったわけです。
ただ、その刃って、向ける方向を間違えると弱い側を傷つける凶器になる。だからこそ、プロの倫理観と技術が必要なんですよね。毒は、ちゃんと使える人が使わないといけない。
対して、「夢を語る」って、傷つける相手がそもそもいないんです。
自分が語った夢が誰かを傷つけることって、基本ない。夢は内側から外へ向かうものだから、刃の向きがそもそもない。「私はこうなりたい」「こんな世界にしたい」は、攻撃のベクトルじゃなくて希求のベクトルなんですよね。
もうひとつ気づいたことがあって。
エイプリルフールって、嘘をつく側と見抜く側のゲームじゃないですか。でもApril Dreamは、語る側と応援する側になれる。構造がまるで違う。
嘘は受け取る側にジャッジされます。「面白いかどうか」を他者が決める。でも夢は、語った瞬間からもう自分のもので、誰かに採点されるものじゃない。
毒のある笑いには、使い手が要る。 夢には、受け手がいる。
4月1日が新年度のスタートと重なるこのタイミングに「夢を語る」文化を持ってきたApril Dream、なかなか粋だなと思いました。
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