お金では埋められなかった。産後、私が夫と本当に分かち合いたかったもの
生活に困っていたわけじゃない。
必要なものは買えた。
産後、身体がつらければ家事代行をお願いすることもできたし、誰かに子どもを見てもらうという選択肢もあった。
夫も、私が疲れていると、
「無理しなくていいよ」
「大変ならシッター頼めばいいよ」
そうも言ってくれた。
夫なりに、私を助けようとしていたのだと思う。
だからこそ、言えなかった。
違う。
私が欲しかったのは、それじゃない。
って。
お金で解決できることは、たくさんあった
掃除はお願いできる。
食事だって頼める。
子どもを見てもらって、その間に眠ることもできる。
お金があれば、産後の身体的な負担を減らす選択肢は増える。
それは、とてもありがたいことだった。
でも。
誰かが赤ちゃんを抱いてくれることと、
夫がこの子を抱いて「かわいいね」と笑ってくれることは、私にとって同じではなかった。
家事を代わってもらうことと、
夫が私の隣に座って、
「今日も大変だったね」
と言ってくれることも、同じではなかった。
私はずっと、
「もっと育児をしてほしかった」
「もっと私を助けてほしかった」
と思っていた。
でも今になって考えると、
本当に欲しかったものは、もう少し違ったのかもしれない。
私は、あなたと一緒に親になりたかった
二人で赤ちゃんの顔をのぞき込んで、
「かわいいね」
って言いたかった。
「幸せだね」
って笑いたかった。
小さな手を握りながら、
「こんなに小さいんだね」
って一緒に驚きたかった。
初めて笑った日も。
寝返りをした日も。
夜中、何をしても泣き止まなくて途方に暮れた日も。
全部、あなたと一緒に味わいたかった。
私が欲しかったのは、
育児を代わってくれる人ではなかった。
この子を真ん中にして、
あなたと私が顔を見合わせて、
「私たち、親になったんだね」
って感じられる時間だった。
本当は、あなたに「ありがとう」と言ってほしかった
出産したあと。
本当は夫から、
「頑張ったね」
「産んでくれてありがとう」
って言ってほしかった。
でも、それだけじゃなかった。
私も言いたかった。
この子を抱きながら、
夫に、
「私を母にしてくれて、ありがとう」
って。
そして二人で、この子に、
「私たちのところに生まれてきてくれて、ありがとう」
って言いたかった。
誰か一人が感謝されるんじゃなくて。
どちらか一人だけが親になるんじゃなくて。
この子が私たちの間に生まれてきたことを、
二人で喜びたかった。
きっと私は、
「手伝ってほしかった」だけじゃなかった。
この子が生まれた幸せを、あなたと分かち合いたかった。
それが、ずっと言えなかった。
だから、お金では埋まらなかった
産後の負担を減らすことはできた。
欲しいものも買えた。
子どもに必要なものを我慢することもなかった。
周りから見れば、
何不自由ない生活だったと思う。
だから私自身も、
「私は恵まれている」
と思っていた。
いや、
そう思わなければいけない気がしていた。
夫は家族のために働いている。
十分なお金を稼いでくれている。
いい家に住めている。
子どもにも十分なことをしてあげられる。
それなのに不満を言ったら、
贅沢なんじゃないか。
もっと大変な人はいる。
これくらい我慢しなきゃ。
そうやって、
自分の中に出てくる寂しさを、
何度も押し戻してきた。
「恵まれているのに、どうして私は許せないんだろう」
子どもが大きくなっても、
なぜか産後のことだけは忘れられない。
夫のちょっとした言葉に、
あの頃の記憶が突然よみがえる。
「あのときだって、そうだった」
「一番大変なときに、あなたはいなかった」
「私がどれだけ大変だったか、あなたは知らない」
そして、また腹が立つ。
そんな自分を見て、
「いつまで昔のことを言ってるんだろう」
「私って執念深いのかな」
「今はこんなに恵まれているのに」
と、自分を責める。
でも、
もしかすると、
何年も残っているその怒りは、
単純に「育児をしてくれなかったこと」だけへの怒りではないのかもしれない。
怒りの奥に、叶わなかった幸せが残っていることがある
「もっと手伝ってほしかった」
そう思っていた。
でも、その奥には、
「一緒に育ててほしかった」
があったのかもしれない。
さらにその奥には、
「二人で親になりたかった」
があったのかもしれない。
そして、もっと奥には、
「この子が生まれてきた幸せを、あなたと一緒に味わいたかった」
という気持ちが残っていたのかもしれない。
だから、
家事を代わってもらっても埋まらなかった。
シッターさんに助けてもらっても埋まらなかった。
欲しいものを買っても埋まらなかった。
夫がその後、子どもに優しい父親になっても、
なぜかあの頃の寂しさだけは消えなかった。
私が失ったと感じていたのは、
「助けてもらえなかった時間」だけではなく、
二人で親になった喜びを分かち合うはずだった時間
だったのかもしれないから。
恵まれていた。でも、寂しかった。
この二つは、同時にあっていい。
夫が家族のために一生懸命働いてくれた。
それも事実。
経済的に恵まれた生活ができた。
それも事実。
夫に感謝していることもある。
それも本当。
そして、
産後、私は寂しかった。
これもまた、自分にとっては大切な気持ちだった。
どちらかを否定しなくていい。
「夫に感謝しているんだから、怒ってはいけない」
でもない。
「産後に傷ついたんだから、夫のすべてを否定しなければならない」
でもない。
「感謝している。でも、あのときは寂しかった」
その両方があってもいい。
一人では、ここまで言葉にならないこともある
産後のことを思い出したとき、
最初に出てくる言葉は、
「許せない」
「もっと手伝ってほしかった」
「私ばっかりだった」
かもしれません。
それは、そのとき確かに感じたことなのでしょう。
でも、その言葉だけでは、
なぜ何年経ってもこんなに苦しいのか、
自分でも分からないことがあります。
「もっと手伝ってほしかった」
その奥に何があったのか。
「一緒に育ててほしかった」
その奥で、本当は何を感じたかったのか。
そこまで一人でたどっていくのは、簡単ではないこともあります。
だから、無理に答えを出そうとしなくていい。
ただ、一つだけ自分に聞いてみてください。
「産後の私は、本当は夫と何を分かち合いたかったんだろう?」
怒りではなく、
その奥にある言葉を探してみる。
もしかしたら、
「大変だったね、って言ってほしかった」
かもしれない。
「一人にしないでほしかった」
かもしれない。
「私のことも見てほしかった」
かもしれない。
そして、もしかしたら、
二人で子どもを囲んで、
「かわいいね」
「幸せだね」
「ありがとう」
って、
ただ笑い合いたかっただけなのかもしれない。
手放したいのは、産後の記憶ではない
産後の恨みをなくそうとすると、
「許さなきゃ」
「忘れなきゃ」
「もう昔のことなんだから」
と、自分の気持ちを押し込めてしまうことがあります。
でも、
本当に必要なのは、
あの頃の自分を説得することではないのかもしれません。
まずは、
あの頃、言えなかった言葉を見つけること。
「私は寂しかった」
「一緒にいてほしかった」
「二人で親になりたかった」
「この子が生まれた幸せを、あなたと一緒に味わいたかった」
そして、
「母にしてくれて、ありがとうって、私も言いたかった」
そこまで言葉になったとき、
ずっと「恨み」だと思っていたものの見え方が、
少し変わることがあります。
産後の怒りの奥に残っていたのは、
夫を責め続けたい気持ちだけではなく、
夫と一緒に味わいたかった、叶わなかった幸せへの心残り
だったのかもしれません。
お金では埋められなかったもの。
誰かに代わってもらうこともできなかったもの。
それは、
この子を真ん中にして、
あなたと私で、
「私たち、幸せだね」
と確認し合う時間だった。
もし今も産後のことが心に残っているなら、
無理に許そうとする前に、
まずはその気持ちに、
あなた自身が言葉を与えてみてください。
あなたが本当に夫へ伝えたかった言葉は、
「許せない」の、もう少し奥にあるのかもしれません。
産後のあの日から、夫を信じられなくなった。
本当はこのままでは嫌。でも、自分から素直になるのも、もう一度傷つくのも怖い——。
その怒りを無理に消すのではなく、怒りの奥に何があるのかを知ることで、自分一人から見つけられる突破口があります。
▼「どうして、あの時支えてくれなかったの?」
産後の恨みの奥にある、あなたの「最初の焦点」を見つける
詳細記事はこちら
https://editor.note.com/notes/n1ab31a8948c9/edit/
