私にも知恵を 奈良・桜井を歩く①
■「横大路の次」を歩く
1月9日(金)、振り替えの休みを利用して、奈良県・桜井市を歩きました。難波・河内から大和へと通じる竹内街道・横大路を、大阪府太子町から桜井市まで、数回に分けて踏破したのは昨年歩いたのは昨年11月30日。その続きとして、桜井市内を回ってみようと思い立ちました。
この2年ほど実践している「おおよその行き先だけ決めて、あとは出たとこ勝負のでたらめ日帰り旅」の一環です。近鉄桜井駅で下車。駅前の観光案内図で概略を確認した後は、とくに地図も持たずに歩き始めました。とりあえず目指したのは、安倍文珠院。初めて訪れます。

■桜井駅を起点に
近鉄・JR桜井駅前から南下。11月に歩いてきた横大路を西に臨みます。

上の写真の反対側、東へと続く「伊勢街道/忍坂街道/多武峰街道」と、南へ「磐余の道/大和長寿道」の表示があります。

南へ歩いていくと、「芸能発祥の地/土舞台 →500m」の表示。右手の道に入ってみましたが、すぐ、どの分かれ道を進んでよいのか判然としないので、引き返して、また南へ。

■土舞台はどこに?
市立桜井小学校(丘陵の上にある)を過ぎると、「安倍文珠院」への表示。坂を上がります。

奥池辨天宗の敷地に突き当たると、「こちらは土舞台ではありません」の注意書き。私のように、道に迷う人が多かったためでしょうか。

ここから先、曲がり角などにある案内板を頼りに、丘陵地の上にたどり着きました。


『日本書紀』推古天皇20年の記述に、百済人味摩之(みまし)が桜井の地に少年を集め、伎楽舞を習わしめたとあります。土舞台はその伝習の地として顕彰され、「日本芸能発祥の地」とも言われているとのこと。
引き返して、安倍文珠院に向かう途中に「不審者に注意!」の看板あり。

一帯は静かな住宅地で、人影はありません。私は史跡散策をしているだけで、決して怪しいものではありません・・・。
■安倍文珠院へ
ほどなく、「日本三大文珠第一霊場 安倍文珠院」と刻む石柱の前に出ました。書家・榊獏山さんの揮毫です。これより先は参道というよりも、駐車場の出入り口のようです。

安倍文珠院の境内に着きました。創建は大化元(645)年で、本尊は文殊菩薩。「三人寄れば文殊の知恵」の、あの文殊菩薩です。「日本三文殊」とは第一霊場である当山と、京都府・天橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊。拝観手続きをして、まずは本堂へ。

日本最大(約7メートル)の本樹菩薩(快慶作)を中心に、4人の脇士を伴う「渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)」(いずれも国宝)を拝観。ちょうど僧侶による読経が行われておりまして、心の中で「私に、もう少し智恵を・・・」と。
本堂の東にあるのが西古墳(国指定特別史跡)。境内にはもう一カ所、「東古墳」もありますが、こちらは石室内に入ることができます。

石室の最奥部に「願かけ不動尊」が祀られています。

ろうそくを一本、献じました。

西古墳の反対側、池に浮かぶ「金閣浮御堂・霊宝館」。安倍文珠院の創建は安倍一族の氏寺として。池のほとりに安倍仲麻呂の歌碑があります。遣唐留学生として学ぶも、帰国を果たせず中国で没した仲麻呂。刻まれた和歌は「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(榊獏山さんの揮毫)です。

■七難を避ける
昨年末に還暦を迎えた私。係の方の説明を聞いて、魔除け・方位災難除けを祈願する「七まいり」をやってみました。

参拝の方法は、御堂の周りを時計回りに1周するごとに、札を一枚切り離して納める。これを7回繰り返すことで「七難」を避け、しかる後に御堂内に入って「福」を得るというものです。
御堂内には、弁財天(大和七福神)、安倍仲麻呂、安倍晴明の尊像などの宝物が祀られています。
下は参拝手続きの際にいただいた安倍文珠院の解説しおりと、2枚のポストカード(文殊菩薩と善財童子)

(桜井の旅、つづく)
