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【第5回】一筋の糸に命を宿す〜大麻布を「績み、織る」という究極の祈り〜

皆さま、こんにちは。黒沼神社精麻アーティストの長坂茉乎(maco)ですᵕ̈*
前回の記事には、本当にたくさんの温かい反響をいただき、中には「よくぞ書いてくれた!」という深く心に響くお言葉もいただきました。覚悟を持ってお伝えして良かったと、私自身、大きな勇気をいただいています。本当にありがとうございます。
前回は、水引の芯にまで精麻を仕込んできた神事の「執念」についてお話ししましたが、かつて日本人が精麻を使って生み出していた最高峰のものが、実はもう一つあります。
それが、神様に捧げる究極の織物、**「大麻布(たいまふ)」**です。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡からは、かつて麻布を掛けた絹の袋が見つかっており、古代の日本人は、麻布や布帛(ふはく)を掛けて神様をお迎えしていたのではないかと考えられています。
これこそが、神様が宿る「神籬(ひもろぎ)」であり、現在神社で使われている「大麻(おおぬさ)」の原型。
つまり、大麻布とは単なる生活の布ではなく、**「神様をお迎えするための、究極の聖なる道具」**だったのです。
私は、この「究極」をやりたい。今回は、私が実際に経験している「麻を織る」という世界についてお話しさせてください。
🧵 「紡ぐ」のではなく「績(う)む」ということ
皆さまは、麻の布がどうやって作られるかご存知でしょうか。
現代の綿やウールのように、機械でクルクルと糸を「紡ぐ(スピニング)」のとは、全く異なる世界がそこにはあります。
大麻の糸作りは、**「手績(てう)み」**と呼ばれます。
精麻の繊維を、自分の指や爪などを使って、信じられないほど細く、細く割いていく。環境によって変化する麻の状態を見極めながら、その細い繊維の端と端を、指先で一本ずつ、丁寧に、丁寧によよって繋ぎ合わせていくのです。気の遠くなるような、途方もない手作業。
少しでも気を抜けば糸は切れてしまいますし、油断をすれば太さが均一ではなくなってしまいます。紡錘車(ぼうすいしゃ)にかけるにしても、少しでも毛羽立ちあれば絡んでしまうため、私なりの工夫とやり方を試行錯誤しながらの挑戦でした。
この手績み糸から、漠然と決意したのは8年前〜

糸を水に通して縒りをかける
手で回す最も古いやり方です

そこから手織りで大麻布を織り上げていく時間は、
織り機に向かい、自分が績んだ糸が少しずつ「布」になっていくとき、頭の中は完全に静まり返り、ただただ無心になります。
それは、技術というよりも、まさに**「一筋の糸に、自分の呼吸と祈りを込めていくような、祝詞(のりと)を唱えるような時間」**なのです。

古代からの日本人が持っていた、祈りへの凄まじい深さは、自分自身で実際にやってみて、はじめて身を以て分かりました。
今や、この本物の「日本の大麻布」はほとんど存在しません。
でも、「日本にないなら、自分で織るしかない!!」
そう考えてから早や八年が経過しました。その時からわたしの祈りが始まっています。
私はここからある「2つの夢」へと向かって動き始めました。その大きなお話は、次回の記事で詳しくお伝えさせてください。

手績み糸から
わたしの仕事の全ては始まっている

(第6回に続く)

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