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黒沼神社の謎解き 編集後記

こんにちは、黒沼神社の精麻アーティスト、長坂茉乎です。
わたしにとって黒沼神社は、
いまだ、敬愛する祖父のイメージそのものです。
「私だからこそ知り、語ることができる黒沼神社」をお伝えしたく、Instagramの黒沼神社アカウントやこちらnoteに神事や歴史の発信を続けています。

祖父は大変威厳のある人で、
黒沼神社のみならず伊勢神宮や明治神宮にも尽力し、数多くの感謝状をいただいていました。明治神宮には、祖父の名前が刻まれています。当時は、皇室や敏達天皇の御神紋でもある「五三桐」の家紋を付けた正装で祝詞を奏上できるほどの位にあり、もちろん黒袴を穿く宮司でした。それは日本で五本の指に入る神主でした。全国から祖父を訪ねて多くの方がいらっしゃり、私にとって自慢の祖父でした。
厳しく、口数の少ない祖父。戦争には3回行きました。
いつも月峰(つきのみね)の山の杉の木2本を指差しては、「あそこに黒沼神社が元々あったんだ」と、同じ口調で私たち孫に話してくれました。
私はその話が不思議と耳に心地よく、「また言ってる」と思うどころか、「もっと聞きたい」といつも思っていました。
また、後になりカタカムナを知る人だったとわかります。
晩年、認知症になってしまった祖父に、「じいちゃん、黒沼大神様はどんな神様?」と尋ねると、「沼だなぁ〜」とニコニコ笑顔で答えてくれました。
本文にも書きましたが、かつての威厳ある姿から一転して、晩年のいつも笑っている祖父がたまらなく大好きでした。
祖父の姿そのものが、私にとっての神道の教えそのものでした。
楮紙を着物の袖を振りながらサッサと割く横顔、幣串に刺しクルクルパンパン🎵と幣束を一本一本仕上げていく。
宮司家は拝む事だけが仕事ではなく、
毎日、神様と向かう祈りの暮らしです。

わたしは、それを思い、神社の仕事も精麻の仕事もひたすら、祖父の姿を追うように麻をを紡いできました。
わたしは神社の娘ですから!

もう9年ほど前になりますが、精麻で幣宝氣(ヌサホウキ)を創り、弟に持って行ったときのことです。
弟はその匂いを吸い込むように深く嗅ぎ、「俺、この匂いの中で育った!」と一言。
そうなんです。精麻の匂いは、黒沼神社の籠もり殿(社務所)の匂いであり、祖父の匂いそのものです。
何故か?はわかりません。
まるで黒沼神社に麻の匂いが染み付いているみたいです。

実は、私にはずっと昔から鮮明に残っている不思議な記憶があります。
まだわたしが三歳の時、生まれたばかりの弟が着ていた白地に薄黄色の麻の葉模様の産衣を見て、「それ、私が着ていたのに!」と思っていたこと。
そしてわたしが生まれたばかりの頃に、天井いっぱいに麻の葉や、矢、星のようなパターン模様が広がっていて、「そのカタチの展開を不思議だな、面白いな〜」と眺めていた感覚です。

その天井が実際のどこにあったものなのかは、今となっては分かりません。
今思えば、生まれたときから私の世界にはいつも「麻の葉のカタチ」が確かに寄り添っていたのだと感じます。

祖父の振る鈴の音は、宇宙に染み入るかのようでした。
黒沼神社は、鈴で読む祓い祝詞。
特に毎年、年越しの暗闇の中、祖父と一緒に巡った門松詣り
真っ暗な中で、まるで宇宙星々へと響き届く染み入るようなクリアで美しすぎる鈴の音がありました。
今も私の最高の守護です。

わたしの原点です。
拝み祈るこの国の姿をいつまでも

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

もし、歴史から消された東北の地が、かつて「日高見国(ひたかみのくに)」と呼ばれる大きな国であったのだとしたら――。いや、そのずーっと前からか? なにかしらの歴史の闇から、私が、これまで肌で感じてきた黒沼神社の真の役割が、すべて腑に落ちる気がします。
福島のこの地信夫群と呼ばれてきましたか、それより前の話が知りたい!
東北の歴史はどこまで伏せられたのか?
まさに"忍ぶ"場所、元宮の月峰 黒沼神社.隠れ入るような場所なのも本当に不思議な謎に満ちています。

黒沼神社のご神紋が入った3種の大麻守りは、手作業のため制作が追いつかず、いつも数量限定になってしまい申し訳ありません。
お急ぎの方はわたしまで御一報ください。

黒沼神社延喜式内社1100年撰上祭の今年ですが、本番を迎える来年までになんとか、神籬(ひもろぎ)となる大麻布を織り上げたいと思っております。
完成いたしましたら、また皆さまにお知らせいたします。

ありがとうございます。
長坂茉乎精麻ムスヒ

【※「御託宣」について】
黒沼神社に伝わる「御託宣(ごたくせん)」は、国指定重要無形民俗文化財である「金沢の羽山ごもり」をはじめ、当神社の神前にて宮司の奉仕により執り行われる事のみ、唯一無二の神事です。

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