新門辰五郎①
どうも。
FF16でとりあげられた新門辰五郎のゆかりの地を回
ってきたので書いていこうと思う。
でも事前情報として江戸時代の火消し制度から話していく。
この回のクライマックストークで新門辰五郎がとりあげられている↓
組織体制
火消しと言っても、みんな同じではない
火消は1643年に設けられた大名火消。江戸城と武家屋敷の消火のために幕府が選んだ大名が行っていた。
江戸時代の火消し制度は江戸三大火事の一つ
1658年の明暦の大火をきっかけに発展させた。

火災の被害を防ぐため、幕府直属の常設消防隊として旗本から4家選び
「定火消」という組織を作る。
これが現在の消防署のルーツだ。
江戸城、武家屋敷には火消はいたが、町人はお触れ(法律)に則り自分たちで火事を消し、身を守るしかなかった。
1718年の大岡越前守の時代に町人ための火消し制度が作られた。
それが「町火消組合」鳶職などが中心となり、最終的に江戸の町に総勢1万人い以上の町火消がいたとされる。
隅田川の西側の江戸市街をいろは47組
東側は16組に分けて江戸の町を火災から守った。

江戸時代の消火方法は燃え広がらないよう、土木工事や建築の職人が中心となり「刺又」や「鳶口」などの道具を使用して家を壊する「破壊消火」を行っていた。

水での消火が全く行われていないわけではない。
補助的な役割で龍吐口や水鉄砲など水を使用する道具も使っていた。

火消といえば纏だ。
戦国時代の馬印で大名火消や定火消が火事の現場に持っていたのが始まりと言われている。

大岡越前守が士気高揚のために町火消でも纏を持つことを許した。
纏は組のシンボルであり組一番の力持ちでイケメンが持っていた。

纏がこのかたちになったのは1831年ごろ
このように火消の中にも身分差がある。
新門辰五郎が大名火消と喧嘩になったエピソードは、身分を無視し真っ向から立ち向かったのはとても大胆な行動だったことがわかる。

今回行ってきたところ
火消を調べるにあたって行ってきたのは
四谷にある消防博物館


江戸の火消しから現代の消防まで学べ、紙媒体、電子媒体ともに資料も充実している。
古い緊急車両が見られるのも楽しい。




好きなものは小学校男児とそう変わらない私は、「はたらくのりもの」すなわち「緊急車両」が好きだ。
「出初式とか行きたい」と毎年、思いつつ結局人生で一回も行けてない。

最後に
新門辰五郎達「を組」の管轄内地域を炎天下の中フィールドワークしたので次回お楽しみに

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