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生きては出られぬ地

どうも
今回は番外編も番外編。

この三日月小僧、江戸伝馬町に移送中の吉田松陰を逃そうとして、小田原で駕籠を襲撃した男だ。

著作,石井希尚『逢瀬 横浜に咲いた絶世の花魁喜遊』発行所,徳間書店,2019年,P39

この伝馬町にあった牢屋敷跡を見に行った。


伝馬町牢屋敷

現在の十思公園、十思スクエア、大安楽寺を含む土地にあった。

十思公園

伝馬町牢屋敷は幕府が管轄していた巨大な牢屋敷。
約270年も存続した牢であり、全国から十数万人が入牢した。

常時は300人から400人の罪人を収容していて
広さは2618坪でサッカーコート約1.2枚分
縦4.2mx横4.2mの正方形のスペースが1人分。


立って歩ける余裕はあるが、座ったり寝たりするとキツい…と思われる。

しかし

サッカーコート約1.2枚は総面積の話であり
当時は土手と堀と土塀で牢屋敷を囲い脱獄防止があったとされるので実際はもっと狭いだろう。

うひぃ…

もちろん環境は劣悪。
病気や飢餓で亡くなることもあったそう。。。

AIに作ってもらったら、こんな感じ。
もちろん個室じゃないからね。

幕末のあの人が。。。

思想犯、政治犯(キリシタンや尊王攘夷派を含む)収監されていた。
その中には吉田松陰や橋本左内が収監され

吉田松陰終焉の地とも言われる。

余談だが
吉田松陰が伝馬町で処刑された4年後に門下生の高杉晋作、伊藤博文らによって小塚原(南千住)から
東京都世田谷区に吉田松陰の墓が改葬された。
その場所に現在あるのが松陰神社である。

松陰神社
松陰先生のお言葉みくじはPayPay払いでもできる。
中身は自分でひいてみてね!


公園付近の地

話を戻そう。
十思公園の目の前の「大安楽寺」は伝馬町牢屋敷の処刑場跡地。
ここで多くの罪人が処刑された。
明治に伝馬町牢屋敷が閉鎖されたあと、刑場であったこの地は忌み嫌われ大安楽寺になったという。

鈴ヶ森刑場跡も一度行ったことがあるが、
この手の場所はあんまりいい雰囲気じゃない

十思公園の真ん中にある鐘は「銅鐘石町時の鐘」
江戸城下町の人々に時刻を報せていた。
二代将軍秀忠の時代の今の地に置かれたようだ。

刑を執行時刻の正確を期するために時の鐘
になっていた。

また処刑のある日にはわざと数分遅らせて撞く「情けの鐘」も行われていたようだ。
(正確に執行したり、情けをかけて遅らせたりなんなんだ?)

近くに行って撮ろうと思ったけど
雨宿りしてるおっさんが半裸でいて撮れませんでした。

実は…

伝馬町牢屋敷跡を見に急遽予定を組んで、雨の中行った。
現場について

この公園来たことあるかも・・・。

デジャヴか?
夢で見たことある場所かもしれない
ふらふらと公園を歩いていたら、、、

脳に突如、駆け巡る記憶!!!!


あっ!ここきたことあるぞ!!!!!!!

それは学生の時。

遡ること平成29年9月8日。
地方出身の友人と講義の課題のフィールドワークを兼ねて「東京七福神巡り」に行った。

「碁盤の目のような地形は東京にもあるんだなぁ〜」とか言いながら地図を見みて歩いていた。

十思公園は
その時に調べ物をするために立ち寄った公園だった。

↑このベンチに座った。

豪脚コンビの我々は七福神を予定より早く周り終わり、スマホで次の行き先を決めていたのだ。、

当時、日本橋のアクアリウムが話題でインスタ映えしたい女子がこぞって行っていた。

せっかく日本橋の近くにいるんだから…

アクアリウムに行こう!

学生のノリ(※お互いインスタはやってない)

そのまま、歩いて1.5キロ先の日本橋に行きアクアリウムを堪能した。

あの日は、暑くて楽しかったぁ…。

眩し〜い学生の記憶が脳内を駆け巡った。

一度はCMとかで見たことあるのでは?

江戸時代、2二度と出られぬ地といわれていた伝馬町牢屋敷。

私にとって、二度と戻らぬ思い出がそこにあった。

その時のアルバムがLINEに残っていた。

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