新門辰五郎③
どうも
新門辰五郎③始まるよー。
まずは宣伝から

下谷
新門辰五郎が生まれた街とされる「下谷山崎町」
そこに行ってみた。
なにをとち狂ったのか、入谷に途中下車してしまった。

降りて地上に出て「????」
理解するまで時間がかかった。
もう一度日比谷線に乗り、最寄りの上野へ。
ここら辺が正真正銘の入谷山崎町方面。

現在の台東区東上野4丁目、北上野1丁目にあたる場所だ。
上野公園側ではなく浅草方面、入谷までは行かない範囲の街の煙管職人の子として生まれた。


下谷山崎町から浅草まで歩いて行ける距離。
台東区に生まれ台東区で活躍したというわけだ。
馬道
さて晩年の自宅は馬道という場所にいたそうだ。
現在の馬道は、交差点の名前しか残っていない。

横浜にあるのは馬車道
言問橋の通りの交差点に馬道の表記がある。
実際のところ馬道はthe⭐︎浅草のところで、浅草寺などがあるところだと思われる。

江戸時代の浅草も、人はたくさんいただろうが観光客ではないんだろうなぁ…なんて思いながら歩く。
新門
浅草浅草寺の参道を歩いていると伝法院通りがある。

新門辰五郎の新門は
養父である町田仁右衛門が輪王寺宮の衛士だった。その関係から輪王寺宮が浅草寺別院伝法院に隠棲する際に設けられた門を辰五郎が警護したので
新門辰五郎と呼ばれるようになったようだ。

中に入ることはできなかった。

現在の伝法院通りは若者&外国人観光客のインバウンド向けのお店が並んでいる。

被官稲荷神社
浅草寺の敷地内の中にある浅草神社の奥にある
被官稲荷神社。


境内は木造で新門辰五郎らしい?渋い見た目をしている。

安政元年、新門辰五郎の妻が病になった時に京都の稲荷神社に祈願したところ病状が全快した。
お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建した。
それが被官稲荷神社。
名称の由来は不詳で「被官は「出世」と解せば良いという。」と説明の看板に書いてあった。



御朱印は6年前に訪れた際にもらっていた。
被官稲荷神社には社務所はないので浅草神社でもらうことになる。

最後に
浅草界隈にある新門辰五郎のゆかりの地を③で紹介してきたが、次は浅草から少し離れた場所を歩いていく。
といっても東京都内のみになるので静岡県とかではないよ。
浅草に2度足を運んで歩いてきたが、観光地を歩くって結構疲れるものだ…。
というのも観光しにきてる人はゆっくり歩くもんでペースが狂う。でも…ゆっくり観光したいよね。

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