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時事落語「ぶんめい」

八五郎(以下、八)「ご隠居、ちょっと聞いてくだせえ!最近、SNSで話題になっている海外の動画で、家族も子供も持たず、借金もゼロ、毎日筋トレばっかりして自由を満喫してるって自慢してる男を見たんですがね。」

ご隠居(以下、隠居)「ああ、あの動画だな。周りから未熟だ無責任だと言われても、嫌いな元妻や仕事がない今の生活が自分を幸せにするんだと強調して、伝統的な責任を突っぱねてるっていうあれだろう?」

八「ええ、それです!でもね、正直ちょっと羨ましい気もするんですよ。昔みたいに生活のために無理して結婚を維持しなきゃいけない、みたいな時代じゃないでしょう?女の人だって自分で稼げるようになったわけですし。」

隠居「確かにそうだ。無理して不幸な結婚を続けるくらいなら、離婚して自由になった方が健康にも良いというデータもあるくらいだからな。それに、嫌な仕事や関係から抜け出して筋トレで自己管理するってのは、現代のストレス社会からの解放として、彼なりの正当な自己防衛と言えるわけだ。だから、彼の生き方を肯定する意見があるのも頷ける。」

八「でしょう?だったら別に、好きに生きたっていいじゃないですか。」

隠居「だがな八っつぁん、少し視野を広げてみろ。あの男のやってることは、自分の肉体と自由な時間だけをひたすら追い求める『100%快楽主義』の極みだ。」

八「快楽主義?いいじゃないですか、楽しいのが一番!」

隠居「旧約聖書のソロモン王も同じように全ての快楽を試したんだが、結局残ったのは虚無感だったそうだよ。『快楽のランニングマシーン』に乗っちまって、満足の上限にぶつかってしまうんだな。それに、もっと恐ろしいのは、あの生き方が社会全体に広がると『100%快楽主義で文明の死』を招くって激しく批判されていることだ。」

八「文明の死?そりゃまた大きく出ましたね。なにを大げさな!」

隠居「大げさじゃないさ。文明ってのは、都市や技術、社会の仕組みで成り立ってる。彼は山奥で自給自足してるわけじゃないだろう?舗装された道を歩き、最新の空調が効いたジムに通い、動画を世界中に配信して、文明の恩恵をたっぷり受けてるじゃないか。」

八「そりゃそうです。電気も水道も使ってますよ。」

隠居「その文明を維持するインフラや、次世代の若者を育てる責任から逃げて、タダ乗りしてるってことさ。家族っていうのはな、ただ人がでっち上げたランダムなものなんかじゃないんだ。彼が暮らす文明自体が、それに依存してるんだよ。社会の最小単位として、ずっと人間を育ててきたんだから。」

八「でもご隠居、家族が文明を支えてるってのは、理屈としてはわかるんですが、なんだかピンとこないって人も多いんじゃないですかね。」

隠居「そりゃあ、今の世の中が豊かで便利になりすぎちまったからさ。だが、歴史や社会学の恐ろしい理論を知れば、背筋が凍るぜ。例えば、ハーバード大学の著名な社会学者カール・ジンマーマンが1947年に著した『家族と文明』という大著がある。彼は西洋の歴史を紐解き、家族という制度と文明の興亡には、極めて密接な因果関係があることを証明したんだ。」


八「へえ、どんな因果関係があるんです?」

隠居「ジンマーマンは家族の歴史的な構造を三つに分類した。第一が『トラスティー(信託)家族』だ。これは強力な一族郎党の集まりで、それぞれが小さな国家のように振る舞い、血統や伝統を守るための掟がすべてという原始的な形態だ。第二が『ドメスティック(家内)家族』。夫婦を中心としながらも宗教や道徳という神聖な絆に支えられた形態で、個人の責任と家族の紐帯が最高のバランスを保っている。古代ギリシャやローマ、そして近代ヨーロッパの文明を飛躍的に発展させた原動力は、まさにこのドメスティック家族だったんだ。」

八「へえ、そのドメスティックってやつが一番いいんですね。」

隠居「ところが、文明が豊かになり成熟すると、第三の形態である『アトミスティック(原子化)家族』へと変質してしまうんだ。この形態には神聖さなど微塵もなく、ただ『機能的で便利だから』という個人的な選択だけで結びついている。まさにバラバラの家族ってことさ。子供はうるさくて金がかかるお荷物と見なされ、夫婦は自分たちのキャリアや快楽のために、いかに身軽になるかばかりを追求するようになる。家はどんどん狭くなり、誰も子供の泣き声を我慢しなくなるんだよ。」

八「なんだか、今の世の中そのまんまじゃないですか。」

隠居「そうだろう?ジンマーマンは、歴史が直線的に進むんじゃなく、循環すると考えた。ギリシャもローマも、同じようにこの『原子化家族』へと堕落して滅びていった。社会の秩序が崩れると、国家が強引に家族の役割を奪い取るようになる。教育や道徳のしつけまで国がやるようになると、家族の存在意義はますます薄れちまう。彼は現代の若者の暴力やうつ病、中絶の増加、そして西洋世界の人口崩壊までも、1947年の時点で見事に予言していたんだよ。」

八「ほほう」

隠居「あの動画の男が自慢している生活は、この歴史のサイクルにおける『衰退期の最終形態』そのものだ。自己中心的な快楽主義が蔓延し、誰も次の世代のために自己犠牲を払わなくなる。そして、強い家族の絆を持つ他の文化圏に飲み込まれて、内部から文明が腐って崩壊していくのさ。」


八「うへえ、そんな歴史の法則があったなんて…。」

隠居「そしてもう一つ、これに輪をかけて恐ろしい研究がある。イギリスの社会人類学者J・D・アンウィンが1934年に著した『性と文化』という研究だ。彼はフロイトの『文明は欲求の抑圧によって生まれる』という理論を証明するために、なんと80もの未開部族と、5000年にわたる6つの巨大文明の歴史を徹底的に調査したんだ。」

八「5000年!そいつはまたとんでもないスケールですね。」

隠居「その結論は、一切の例外を許さないほど明確だった。文明が高度に発展し、文化的に飛躍を遂げる時期には、必ずといっていいほど個人的な欲求や自由が厳しく制限され、生涯続く一夫一婦制のような絶対的な家族の絆が守られていたんだよ。」

八「自由を我慢していたってことですか?」

隠居「そうさ。人間は自己の欲求を抑え込むことで、その余った膨大なエネルギーを文化の創造や社会の建設へと向けるんだな。逆に言えば、強固な家族制度が解体され、誰もが束縛を嫌って完全な自由と快楽だけを追求するようになると、社会を前進させるエネルギーは四散してしまう。アンウィンによれば、欲求や個人的な自由が最大化された社会は、歴史上例外なく、わずかな世代のうちに崩壊への道を歩んだというんだ。」

八「例外なく、ですか…。」

隠居「ああ。あの男は『借金もなく、誰にも縛られず、毎日筋トレして最高だ』と豪語しているが、それは過去の『ドメスティック家族』たちが抑圧に耐えながら築き上げてきた文明の遺産を、ただ一人で食い潰しているに過ぎない。彼自身は社会の未来に向けて、何一つエネルギーを還元していないんだからな。それが『100%快楽主義で文明の死』と呼ばれる本当の理由であり、歴史が証明している揺るぎない事実なのさ。」

八「なるほど、みんなが彼みたいに『面倒なことはご免だ、自分の快楽だけが大事』ってなったら、道路を直す奴も、次の世代の子供を育てる奴もいなくなっちまって、世の中回らなくなっちまう。」

隠居「そういうことだ。エリクソンという偉い学者が言ってるんだが、人間は中年期になると『世代性』、つまり次の世代を育てたり、社会に何かを残すことに向き合う必要があるんだ。生物学的な子供を持つことだけじゃなく、文化や技術を伝えることも含まれる。それをしないと『停滞』して、自分の殻に閉じこもっちまう。」

八「遺産を残すってことですね。自分一人だけが楽しければいいってもんじゃないんだな。」

隠居「その通りだ。個人の自由は大事だが、社会全体が次世代への遺産継承を放棄したら、それこそ文明の死だ。だからあの男に対しては、『個人的な不幸から逃れたのは生存戦略として理解できる。だが、それを完璧な人生だと自慢して、伝統的な責任を一方的にバカにするのは間違っている。お前のその自由な生活は、誰かが家族という重責を引き受けて社会のインフラを維持し、次世代を育てているという自己犠牲の上に成り立っているんだぞ』と言ってやらなきゃいけねえ。」

八「なるほど!ご隠居の話を聞いて、なんだか腹の底にストンと落ちましたよ。俺も自分の快楽ばかり追い求めてないで、少しは世の中のためになること考えなきゃいけませんね。さっそく、長屋の子供たちに独楽の回し方でも教えてきますよ!」

隠居「おっ、それがお前さんなりの『世代性』ってやつだな。まあ、お前さんの独楽回しで文明が救えるかは怪しいがね。」

お後がよろしいようで。


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