『見えない教室』第32章ーー安全な場所は、大人が用意するだけではつくれない
近未来の日本を舞台にした架空の小説『見えない教室』。
16歳以下のSNS利用が禁止された社会で、高校2年生のユイが、学校・家庭・友人関係の中で少しずつ「見えない場所」へ引き寄せられていく物語です。
前回までの記事はこちらのマガジンにまとめています。
『見えない教室』マガジン|mhamadajp
前回、第31章では、レンが佐伯先生に、自分が先生の画像を最初に投稿したことを話しました。
レンの言葉は、きれいな反省だけではありませんでした。
「みんなも笑っていた」
「自分が始めたから止めづらかった」
「俺だけ悪者にされたら、それも違うと思う」
そこには、言い訳も、防衛も、怖さも混ざっていました。
しかし、その生々しいやり取りの中で、教室で起きていたことの輪郭が見えてきます。
画像を作った人がいる。
笑った人がいる。
保存した人がいる。
広げた人がいる。
見ていたけれど止められなかった人がいる。
嫌だと思っても言えなかった人がいる。
責任の重さは同じではありません。
けれど、誰にも考えることがないわけではありません。
佐伯先生は、それぞれの責任を「薄める」のではなく、「分ける」と言いました。
レンがしたことをなかったことにはしない。
しかし、レン一人を叱って終わりにもさせない。
さらに、話はカゲに流れていた文化祭の情報へ移りました。
集合時間。
持ち物。
作業場所。
担当者の名前。
制作途中の画像。
顔や学校の様子が写り込んだ写真。
生徒たちは、危ないことをしたくてカゲを使ったわけではありません。
早かったから。
便利だったから。
みんながいたから。
使わなければ、自分だけが置いていかれたから。
佐伯先生は言いました。
「便利さは悪ではありません。問題は、便利さが何を見えにくくするかです」
そして学校は、生徒同士の連絡方法を見直すことにしました。
すべてを大人が見れば、生徒は息苦しくなります。
しかし、まったく大人から見えない場所では、誰かが困っていても気づけません。
安全だけを優先すると、使われない仕組みになる。
便利さだけを優先すると、危険が見えなくなる。
今回は、第32章。
文化祭委員や各係の代表、生徒会、先生たちが集まり、新しい連絡の場について話し合います。
ところが、会議は簡単には進みません。
先生が見られる場所で、生徒は本音を話せるのか。
誰が投稿を消せるのか。
何を相談してよくて、何を書いてはいけないのか。
問題が起きたとき、誰が責任を負うのか。
「安全な場所をつくる」
その言葉は簡単です。
けれど、本当に使われる場所にするためには、大人の正しさだけでも、生徒の便利さだけでも足りません。
第32章 新しい会話の場
翌日の放課後、視聴覚室には二十人ほどの生徒と、五人の先生が集まっていた。
文化祭委員。
各クラスの係の代表。
生徒会の役員。
情報委員。
そして、ユイ、ミナ、レン。
前方のスクリーンには、大きな文字が表示されていた。
文化祭における連絡方法の見直し
その下に、小さく三つの項目が並んでいる。
安全
使いやすさ
置いていかないこと
ユイは、その三つを見つめた。
どれも正しい。
でも、この三つを同時に実現することが難しいのだと、ここ数日でよくわかっていた。
前の机には、教頭先生、生徒指導の先生、佐伯先生、文化祭担当の先生、担任代表の先生が座っていた。
生徒たちは、その向かいに半円を描くように座っている。
最初に、文化祭担当の先生が口を開いた。
「今日は、文化祭準備に関する連絡方法を見直すために集まってもらいました」
先生はスクリーンを示した。
「最近、学校の管理していない場所で、文化祭に関する連絡や画像がやり取りされていたことがわかりました。そこから、個人情報や安全に関わる問題も起きています」
視聴覚室の空気が少し固くなった。
カゲという名前は出なかった。
でも、多くの生徒が何の話なのかを知っているようだった。
文化祭担当の先生は続けた。
「学校としては、今後、文化祭に関する必要な連絡を、学校が認めた場所に集約したいと考えています」
一人の生徒が手を挙げた。
三年生の文化祭委員だった。
「認めた場所って、先生が全部見るんですか」
文化祭担当の先生は答えた。
「担当の先生が確認できる状態にします」
その瞬間、何人かの生徒が小さく顔を見合わせた。
「それ、使われないと思います」
声を上げたのは、別のクラスの男子生徒だった。
先生が少し眉を寄せた。
「どうしてですか」
「先生が全部見るなら、結局、必要なことしか書けないからです」
「必要なことを書く場所を作ろうとしているんです」
先生の答えはまっすぐだった。
男子生徒は、少し困ったように笑った。
「でも、その“必要なこと”が、先生と生徒で違うんですよ」
視聴覚室に小さなどよめきが起きた。
文化祭担当の先生は言った。
「例えば、どう違う?」
「先生からしたら、集合時間と持ち物が書いてあれば十分かもしれない。でも、実際は『これ誰がやる?』とか、『今どこまで終わった?』とか、『これで大丈夫?』とか、そういう細かい話のほうが多いです」
別の女子生徒も手を挙げた。
「あと、『今日行けないかも』とか、『遅れる』とかもあります」
生徒指導の先生が言った。
「それは、きちんとした連絡として書けばいいのでは?」
女子生徒は少し黙った。
それから言った。
「書ける理由と、書けない理由があります」
「どういうことですか」
「家のこととか、体調のこととか、みんなに見られたくないときもあるので」
生徒指導の先生は答えた。
「それなら、先生に個別に相談してください」
女子生徒は、少し顔をしかめた。
「その“相談してください”が、できないときがあるんです」
部屋が静かになった。
生徒指導の先生はすぐには答えなかった。
女子生徒は続けた。
「先生に言うほどじゃないと思うこともあるし、言ったら大ごとになると思うこともあるし。友達には言えるけど、先生には言えないこともあります」
ユイは、思わずその生徒を見た。
同じだと思った。
困っている。
でも、先生に相談するほどではないと思う。
相談したら、大ごとになる気がする。
だから、友達のいる場所へ行く。
カゲも、最初はそういう場所だった。
佐伯先生が言った。
「今の話は、連絡と相談を一つの場所だけで扱おうとすると難しい、ということだと思います」
スクリーンの前に立ち、ホワイトボードに二つの言葉を書いた。
全員に必要な連絡
一部の人にだけ伝えたい相談
「この二つは、同じ場所で扱わないほうがいいかもしれません」
文化祭担当の先生が言った。
「でも、場所を増やすと、今度は生徒が見なくなるのでは?」
その言葉に、何人かの生徒がうなずいた。
ミナが小さく言った。
「それは、あると思います」
佐伯先生がミナを見た。
「話してくれる?」
突然、視線が集まり、ミナの肩が少し固くなった。
それでも、ミナはゆっくり立ち上がった。
「今の公式アプリって、先生からの連絡も、課題も、学校からのお知らせも、全部同じように来ます」
ミナは、自分のスマホを持つようなしぐさをした。
「だから、通知がたくさん来て、何が今日必要なのか、何があとでいいのか、わからなくなることがあります」
文化祭担当の先生が聞いた。
「表示を確認すればわかるのでは?」
ミナは少し言葉に詰まった。
ユイは、先生の言葉が間違いではないと思った。
確認すればわかる。
でも、生徒側の感覚はそれだけではなかった。
ミナは、少し勇気を出すように言った。
「全部確認しろって言われたら、その通りなんです。でも、通知が多いと、だんだん見なくなります」
一人の先生が小さく息を吐いた。
その音が、ミナにも聞こえたようだった。
ミナは少し顔を赤くした。
「すみません」
佐伯先生がすぐに言った。
「謝る必要はないよ。実際にどう使われているかを聞く場です」
ミナは小さくうなずいた。
「カゲは、係ごとに分かれていて、そこで必要な話だけ見られました。だから、見やすかったです」
生徒指導の先生の表情が固くなった。
「危険なサービスの使いやすさを評価する話ではありません」
ミナはびくっとした。
「そういう意味じゃ……」
「危険なものは、便利でも使ってはいけません」
正しい言葉だった。
でも、空気が一気に閉じた。
ミナはうつむき、座ろうとした。
そのとき、レンが口を開いた。
「そうやって言うから、言えなくなるんですよ」
部屋の視線が、レンに集まった。
生徒指導の先生がレンを見る。
「どういう意味ですか」
レンは少し緊張した表情で言った。
「ミナは、カゲが正しいって言ったんじゃないです。使いやすかった理由を言っただけです」
「危険なものを使った理由を聞くことと、正当化することは違います」
佐伯先生が静かに言った。
生徒指導の先生は少し不満そうに佐伯先生を見た。
レンは続けた。
「危ないから使うなっていうのは、もうわかってます。でも、なんで使ったかを話すたびに『危険だから』って止められたら、こっちは何も言えないです」
視聴覚室の空気が張りつめた。
生徒指導の先生は、机の上で指を組んだ。
「では、はっきり言います。学校は生徒の安全に責任があります。問題が起きたあとで、『便利だったから仕方がなかった』とは言えません」
レンの顔が少し赤くなった。
「仕方なかったって言ってません」
「そう聞こえる言い方になっています」
「じゃあ、なんて言えばいいんですか」
レンの声が大きくなった。
「危ないとわかってました。使ったのは悪かったです。もう使いません。それだけ言えばいいんですか」
誰も答えなかった。
レンは止まらなかった。
「それで、また使いにくい場所ができて、みんなが別のところに行っても、学校はちゃんとルールを作りましたって言えるからいいんですか」
「言い方に気をつけなさい」
生徒指導の先生の声も強くなった。
「今は、責任逃れをする場ではありません」
レンが椅子から立ち上がりかけた。
「責任逃れじゃないです」
「レン」
ユイは思わず名前を呼んだ。
レンはユイを見た。
その目には、怒りだけではなく、怖さもあった。
また自分だけが問題の中心に置かれる。
そう感じているのかもしれなかった。
佐伯先生が、二人の間に入るように言った。
「一度止めましょう」
声は大きくなかった。
でも、部屋は静かになった。
佐伯先生はレンを見た。
「レンくん。言い方が強くなっています。相手を攻撃する形になると、内容が伝わらなくなります」
レンは唇を結んだ。
「はい」
次に、生徒指導の先生を見た。
「先生。レンくんの言葉には防衛もあります。でも、使われない仕組みを作れば、別の場所へ流れるという指摘自体は、考える必要があります」
生徒指導の先生はすぐには答えなかった。
やがて、短く言った。
「そこは否定していません」
しかし、声にはまだ硬さが残っていた。
佐伯先生は、ホワイトボードに書いた。
正しさだけでは使われない
便利さだけでは守れない
「今、私たちが向き合っているのは、この両方です」
ユイは、その二つの言葉を見た。
正しさだけでは使われない。
便利さだけでは守れない。
どちらか一方を選ぶ話ではない。
佐伯先生は言った。
「まず、全員に必要な連絡は、全員が最初から参加している公式の場所に集める。係ごとに分け、先生からの連絡と生徒同士の作業連絡を区別する」
ホワイトボードに書き足していく。
全員が最初から参加
係ごとに分ける
変更点を上に固定する
重要度を表示する
担当の先生も確認できる
生徒会の女子生徒が手を挙げた。
「先生が確認できるって、投稿する前に全部先生の許可が必要なんですか」
文化祭担当の先生が答えた。
「安全を考えると、そのほうがいいかもしれません」
視聴覚室のあちこちから、小さな声が上がった。
「それは無理」
「遅すぎる」
「先生が見ないと進まないじゃん」
文化祭担当の先生の表情が険しくなった。
「無理と決めつける前に、代案を出してください」
レンが何か言おうとした。
ユイは、その前に手を挙げた。
「毎回許可じゃなくて、先生があとから見られる形ではだめですか」
先生たちの視線がユイに向いた。
ユイは緊張した。
でも、続けた。
「集合時間とか持ち物とかは、生徒が書いて、担当の人が確認する。もし間違っていたら先生も直せる。でも、投稿するたびに先生の許可を待つと、また別の場所で先に話すと思います」
文化祭担当の先生が聞いた。
「間違った情報が一時的に広がる可能性は?」
「あります」
ユイは正直に答えた。
先生の眉が少し動いた。
ユイは続けた。
「でも、誰が書いたかわかるようにして、あとから修正した履歴が残るようにすれば、今よりは確認できると思います」
佐伯先生がうなずいた。
「投稿前の承認ではなく、投稿後の確認と修正履歴ですね」
ユイはうなずいた。
「はい」
生徒会の男子生徒が続けた。
「重要な変更だけ先生の確認が必要にすればいいと思います。時間とか場所とか、安全に関わることは先生が確認する。材料の担当とか、作業の進み具合は生徒だけでもいい」
文化祭担当の先生は、少し考える表情になった。
「連絡の種類によって扱いを分けるということですね」
「はい」
少しずつ、会議が「使うか、使わないか」から、「どう使うか」に変わっていった。
別の生徒が手を挙げた。
「でも、先生が見てるなら、雑談は書かないと思います」
生徒指導の先生が言った。
「雑談を書く必要はないでしょう」
その生徒は首をかしげた。
「でも、雑談がないと、みんなそこを開かなくなると思います」
先生たちが少し戸惑った顔をした。
生徒は続けた。
「必要な連絡だけの場所って、連絡があるときしか見ないから。普段ちょっと話す場所だと、みんな開くんです」
文化祭担当の先生は言った。
「だからといって、自由な雑談を認めれば、また今回のような問題が起きる可能性があります」
「全部禁止にしたら、別の場所でやるだけです」
今度は別の女子生徒が言った。
生徒指導の先生が言った。
「では、先生が雑談も確認します」
その瞬間、何人かの生徒が苦笑した。
「それはもっと無理」
誰かが小さく言った。
「何が無理なんですか」
生徒指導の先生が聞いた。
声のした方向は静かになった。
また、空気が閉じかけた。
ユイは、カゲの中で感じた空気を思い出した。
言いたい。
でも、言ったら何かが変わる。
真面目すぎると思われる。
面倒な人になる。
今度は逆だった。
先生に対して本音を言えば、反抗的だと思われるかもしれない。
安全な場所を作る話し合いの中でさえ、言いにくい空気は生まれる。
ユイは思い切って言った。
「先生がいると嫌なんじゃなくて、いつ見られているかわからないのが嫌なんだと思います」
生徒指導の先生がユイを見た。
「どう違うのですか」
「見られる場所なら、最初からそう書いてあればいいです。でも、どこまで先生が見て、何を問題にして、どんなときに保護者に連絡するのかがわからないと、何も書けなくなります」
自分でも、よく言えたと思った。
佐伯先生がホワイトボードに書いた。
誰が見られるかを最初に示す
何のために見るかを示す
どんなときに対応するかを示す
「監視される感覚は、見られることそのものだけではなく、基準がわからないことから生まれる場合があります」
佐伯先生は言った。
生徒指導の先生は少し考えたあと、うなずいた。
「たしかに、基準は必要ですね」
先ほどより、声が少し柔らかくなっていた。
ミナが手を挙げた。
「相談する場所もほしいです」
文化祭担当の先生が聞いた。
「文化祭の相談ですか」
「文化祭だけじゃなくて」
ミナは、手元を見ながら言った。
「誰かの書き込みが嫌だったとか、知らない人から連絡が来たとか、ちょっと怖いけど、先生に直接言うほどかまだわからないことを送れる場所です」
生徒指導の先生が言った。
「相談窓口はすでにあります」
ミナは少し黙った。
また、同じ言葉だった。
すでにある。
だから使えばよい。
でも、ミナは今度は引かなかった。
「あります。でも、使ったらどうなるのかがわからないです」
「どうなるというのは?」
「送ったら、すぐ担任に言われるのか。親に連絡されるのか。相手の生徒に名前を言われるのか。大ごとになるのか。それがわからないから、送れません」
生徒指導の先生は言葉を失ったように見えた。
佐伯先生が聞いた。
「ミナさんは、どうなっていれば相談しやすい?」
ミナは少し考えた。
「最初に、自分がどうしてほしいか選べるといいです」
「例えば?」
「まず話を聞いてほしい。対処してほしい。記録だけしてほしい。緊急だからすぐ助けてほしい。そういうのを選べたら」
佐伯先生はホワイトボードに書いた。
まず聞いてほしい
一緒に考えてほしい
対応してほしい
緊急に助けてほしい
教頭先生が初めて口を開いた。
「ただし、命や安全に関わる場合は、本人が“聞くだけ”を選んでも、学校として動く必要があります」
ミナはうなずいた。
「それは、わかります」
「その場合も、なぜ動くのかを本人に説明する必要がありますね」
佐伯先生が言った。
教頭先生も静かにうなずいた。
会議が始まってから、一時間近くが過ぎていた。
最初にスクリーンに表示されていた三つの言葉。
安全。
使いやすさ。
置いていかないこと。
それぞれが、少しずつ具体的な形になっていた。
係ごとの公式連絡板。
先生からの連絡と、生徒の作業連絡の区別。
重要な変更だけを上部に固定する仕組み。
誰が見られるかを最初に示すこと。
投稿前にすべてを止めるのではなく、履歴を残して修正できること。
相談するとき、自分が求める支援を選べること。
緊急の場合に学校が動く基準を、事前に説明すること。
すべてが決まったわけではない。
技術的にできるかもわからない。
学校の規則や自治体の方針で、実現できないものもあるかもしれない。
それでも、最初の案とは違っていた。
学校が安全のために作り、生徒が従う場所ではない。
生徒が便利だから勝手に使い、大人には見えない場所でもない。
先生と生徒が、何が必要なのかを言い合いながら作る場所。
最後に、教頭先生が言った。
「今日出た意見をもとに、まず文化祭期間中の試行案を作ります」
一人の生徒が聞いた。
「先生たちだけで作るんですか」
教頭先生は、少しだけ笑った。
「今日の話を聞いたあとで、それをしたら意味がないでしょう」
視聴覚室の空気が少し緩んだ。
「生徒側からも、数名に参加してもらいます。先生だけでも、生徒だけでも決めない形にします」
佐伯先生が言った。
「ユイさん、ミナさん、レンくんにも、引き続き参加してほしいと思っています」
ユイは少し驚いた。
自分は、仕組みを考えるのが得意なわけではない。
人前で話すのも苦手だった。
でも、カゲに入っていなかったときの困り方を知っている。
入ったあとの安心も知っている。
その安心が怖さに変わった瞬間も知っている。
その経験は、役に立つのかもしれない。
ユイはうなずいた。
「参加します」
ミナも言った。
「私も」
レンは、少し間を置いて言った。
「俺も出ます」
生徒指導の先生がレンを見た。
「画像の件への対応とは別ですよ」
レンの顔が少し固くなった。
「わかってます」
部屋の空気がまたわずかに緊張した。
でも、今度はレンも声を荒らげなかった。
「俺がやったことは、ちゃんと話します。それとは別に、使いにくいものを作ったら、また別の場所ができると思うから、そこは言いたいです」
生徒指導の先生は少し黙った。
それから、うなずいた。
「わかりました」
完全に納得した顔ではなかった。
レンも、許された顔ではなかった。
でも、それでよいのかもしれない。
一度の話し合いですべてを理解し合うわけではない。
傷つけたことが消えるわけでもない。
大人と生徒の考え方が急に同じになるわけでもない。
それでも、話を切らずに続ける。
それが、新しい場を作ることなのかもしれなかった。
会議が終わり、生徒たちが視聴覚室を出ていった。
廊下には、文化祭の準備を終えた生徒たちの声が響いていた。
ユイとミナとレンは、少し遅れて部屋を出た。
レンが大きく息を吐いた。
「疲れた」
ミナが言った。
「途中、また怒るかと思った」
「怒ってたよ」
「わかってる」
レンは苦笑した。
少しして、ユイが言った。
「でも、言ってることはわかった」
レンがユイを見る。
「どっちの?」
「両方」
レンは、少し嫌そうな顔をした。
「それ、一番ずるいやつじゃん」
「そうかも」
ユイは少し笑った。
でも、本当に両方だと思った。
学校は、生徒の安全に責任がある。
問題が起きたら対応しなければならない。
危険な場所を便利だからと認めることはできない。
一方で、使いにくい仕組みは使われない。
話せない場所では、別の見えない場所が生まれる。
相談したらどうなるかわからなければ、生徒は黙る。
どちらか一方だけが正しいわけではない。
ミナが言った。
「今日、最初はまた何も言えないと思った」
「生徒指導の先生に言われたとき?」
ユイが聞いた。
ミナはうなずいた。
「カゲが使いやすかったって言ったら、肯定してるみたいに言われたから」
レンが言った。
「でも、最後は言えてたじゃん」
「うん」
ミナは少しだけ笑った。
「途中から、言わないとまた同じになると思った」
ユイは、その言葉を聞いてうなずいた。
言わないと、また同じになる。
カゲの中でも言えなかった。
教室でも言えなかった。
家でも言えなかった。
先生にも、最初は言えなかった。
でも、少しずつ言葉にしたことで、何かが動き始めた。
レンが廊下の窓から外を見た。
「でもさ、公式の場所ができたら、カゲなくなるのかな」
ミナは首をかしげた。
「なくならないと思う」
ユイも、同じように思った。
カゲは、便利だったから使われた。
でも、それだけではない。
先生に見られない場所がほしい。
友達だけで話したい。
大人には言えないことを言いたい。
その気持ちがある限り、見えない場所は完全にはなくならない。
「たぶん、なくすことだけ考えてもだめなんだと思う」
ユイは言った。
レンが聞いた。
「じゃあ、どうするの」
ユイは少し考えた。
「見えない場所があるって、わかってること」
「それだけ?」
「それだけじゃない」
ユイは続けた。
「そこに行かなくても困らない場所を作ること。行って困ったとき、戻ってこられる場所を作ること」
ミナが、小さくうなずいた。
レンはしばらく黙った。
それから言った。
「戻ってきても、怒られるだけだったら無理だけどな」
「うん」
ユイは答えた。
「だから、そこも変えないといけないんだと思う」
廊下の先で、佐伯先生が視聴覚室の鍵を閉めていた。
先生も疲れた顔をしていた。
大人だから答えを持っているわけではない。
先生も迷っている。
学校も、まだ決められていない。
生徒も、自分たちが何を求めているのか、すべてわかっているわけではない。
でも、今日の話し合いには、カゲにはなかったものがあった。
反対の意見を言っても、その場から消されないこと。
一度言い方を間違えても、話を続けられること。
困っている理由を、正しさだけで切られずに聞いてもらえること。
大人も、生徒の言葉によって考えを変えること。
安全な場所とは、危険な言葉が一つも出ない場所ではないのかもしれない。
意見がぶつからない場所でもない。
先生がすべて正しく管理している場所でもない。
生徒だけが自由に話せる場所でもない。
言いにくいことを言っても、そこで関係が切れない場所。
それが必要なのだと、ユイは思った。
教室へ戻ると、ポスター班の机には、昨日の続きが残っていた。
青い背景。
白い文字。
まだ貼られていない校舎の写真。
切り取られた星の形。
レンがポスターを持ち上げた。
「これ、今日中に少し進める?」
ミナが時計を見た。
「もう結構遅いよ」
「十分だけ」
レンが言った。
ユイは少し笑った。
「十分で終わる?」
「たぶん終わらない」
「じゃあ、明日の連絡はどうするの」
レンは一瞬黙った。
そして、少し気まずそうに言った。
「今は、学校の公式アプリでいい?」
ミナが笑った。
「ちゃんと全員に送ってね」
「送る」
レンはスマホを出した。
「集合時間、明日の放課後。場所はこの教室。持ち物は、はさみと定規。これでいい?」
ユイは言った。
「先生にも確認したほうがいいんじゃない?」
レンは少し嫌そうな顔をした。
「もう?」
「時間と場所は確認が必要って、さっき言ってた」
「はいはい」
そう言いながら、レンは文化祭担当の先生への確認メッセージも作った。
ミナが横から画面を見た。
「“はいはい”って書いてないよね」
「書くわけないだろ」
三人は、少し笑った。
大きな仕組みは、まだ何も完成していない。
でも、その日の連絡は、全員が見られる場所へ送られた。
小さなことだった。
それでも、ユイには大切な変化に思えた。
安全な場所は、会議で名前を決めただけでは生まれない。
実際に使う。
使いにくければ言う。
誰かが置いていかれていないか確認する。
間違えたら直す。
困ったら戻る。
そういう小さなやり取りの積み重ねで、少しずつできていく。
レンが送信ボタンを押した。
三人のスマホに、ほぼ同時に通知が届いた。
ユイは、その通知を開いた。
文化祭ポスター班
明日、放課後
二年A組教室
持ち物 はさみ、定規
簡単な連絡だった。
そこには、知らない相手はいない。
入っていない人もいない。
運営者のわからない確認要求もない。
もちろん、これだけですべてが安全になるわけではない。
でも、少なくとも今は、誰かを見えない場所に置いていく連絡ではなかった。
ユイは画面を閉じた。
窓の外では、夕方の空が少しずつ暗くなっていた。
見えない教室は、まだどこかにある。
それでも、見える場所に新しい会話を作り始めることはできる。
今日の話し合いは、その最初の一歩だった。
次回へ
第32章では、生徒と先生が、新しい連絡の場について話し合いました。
しかし、会議は最初から穏やかに進んだわけではありません。
先生が見られる場所では、生徒は本音を言いにくい。
一方で、大人からまったく見えない場所では、危険が起きても気づけない。
生徒は「使いにくければ、また別の場所へ行く」と言います。
先生は「安全に責任を持たなければならない」と言います。
どちらも間違いではありません。
だからこそ、話は簡単にはまとまりません。
ミナがカゲの使いやすさを説明したとき、生徒指導の先生は「危険なサービスを評価する話ではない」と止めました。
その瞬間、ミナはまた黙りそうになります。
しかし、レンが言いました。
「そうやって言うから、言えなくなるんですよ」
そこには、レンの防衛もありました。
言い方の強さもありました。
けれど、危険な場所を使った理由を話そうとするたびに、正しさだけで切られれば、生徒は何も言えなくなるという問題もありました。
佐伯先生は、ホワイトボードにこう書きました。
正しさだけでは使われない
便利さだけでは守れない
安全な場所は、大人が正しい規則を用意するだけではつくれません。
生徒が便利な場所を選ぶだけでもつくれません。
誰が見られるのか。
何のために見るのか。
どんなときに学校が動くのか。
どこまで生徒が決めてよいのか。
困ったとき、どのような支援を求められるのか。
それらを最初から明らかにし、生徒と先生が一緒に考える必要があります。
そして、相談の場についても、新しい考えが出ました。
「まず話を聞いてほしい」
「一緒に考えてほしい」
「対応してほしい」
「緊急に助けてほしい」
相談する側が、何を求めているのかを示せる仕組みです。
もちろん、安全に関わるときは、学校が動かなければならない場合もあります。
しかし、そのときも、本人に黙って進めるのではなく、なぜ動くのかを説明する。
それが、「相談すると何が起きるかわからない」という怖さを減らします。
話し合いの最後、ユイは考えます。
安全な場所とは、意見がぶつからない場所ではない。
危険な言葉が一つも出ない場所でもない。
先生がすべてを管理する場所でも、生徒だけが自由に話す場所でもない。
言いにくいことを言っても、そこで関係が切れない場所。
それこそが、カゲにはなかったものです。
次回、物語はいよいよ終盤へ進みます。
学校が作り始めた新しい場は、本当に生徒たちに使われるのでしょうか。
カゲから離れたあとも、ユイは友達とつながっていられるのでしょうか。
そしてユイは、自分なりの「答え」を見つけることができるのでしょうか。
作成日:2026/07/17
