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『見えない教室』第27章〜第28章ーー問題は、カゲの中だけにあったのではなかった

近未来の日本を舞台にした架空の小説『見えない教室』。
16歳以下のSNS利用が禁止された社会で、高校2年生のユイが、学校・家庭・友人関係の中で少しずつ「見えない場所」へ引き寄せられていく物語です。

前回までの記事はこちらのマガジンにまとめています。
『見えない教室』マガジン|mhamadajp

前回、第25章〜第26章では、ユイとミナが佐伯先生に相談する場面を描きました。

相談することは、二人にとって簡単ではありませんでした。

言えば、カゲのことが表に出る。
言えば、友達を巻き込む。
言えば、自分も責められるかもしれない。
言えば、これまで何とか保っていたクラスの空気が壊れてしまうかもしれない。

それでも、知らない相手が近づいてきたことで、二人は「このままでは危ない」と感じ始めます。

佐伯先生は、二人をすぐには責めませんでした。
まず確認したのは、誰かが危険な状態にいるかどうかでした。

知らない相手からの接触。
学校や文化祭や画像の情報を知っている相手。
運営者のわからない非公式な連絡場所。
先生を傷つける画像が作られ、広がったこと。
そして、それを相談しにくい空気。

先生は、それらを一つずつ整理しました。

ここで大切なのは、「誰が悪いか」だけにしないことです。

もちろん、してはいけなかったことはあります。
危険な場所に入ったこと。
見ていたのに止められなかったこと。
相手を傷つける画像を作り、広げたこと。
知らない人に返事をしてしまったこと。

それらは、軽く扱ってよいことではありません。

しかし、それだけで終わらせると、なぜ生徒たちがそこに流れたのかは見えなくなります。

公式の連絡手段では足りなかった。
生徒同士の細かい相談場所がなかった。
友達からの誘いを断りにくかった。
知らない側にいることが孤立につながった。
相談すると大ごとになるという不安があった。

そうした構造を見なければ、同じことはまた起きます。

今回は、第27章と第28章。
ユイとミナの相談をきっかけに、学校側がこの問題に向き合い始めます。

けれど、学校の対応もまた簡単ではありません。

禁止すればいいのか。
カゲを使った生徒を叱ればいいのか。
公式アプリを使えと言えば解決するのか。
それとも、そもそも生徒同士の連絡や相談の場を、学校がどう設計すべきなのか。

問題は、ユイとミナの個人的な失敗から、学校全体の課題へ広がっていきます。


第27章 学校が見落としていたもの

佐伯先生に相談した翌日、ユイはいつもより早く目が覚めた。

カーテンのすき間から、薄い朝の光が入っていた。

スマホは机の上に伏せて置いてある。
昨夜から、カゲは開いていない。

開きたくなかった。
でも、開かないままでいることも怖かった。

自分が見ていない間に、何かが進んでいるかもしれない。
誰かがまた先生の画像について話しているかもしれない。
知らない相手から、またメッセージが来ているかもしれない。
ミナが何か言われているかもしれない。

見なければ安全になるわけではない。

でも、見ればまた巻き込まれる。

ユイは布団の中で、天井を見つめた。

昨日、相談室を出たあと、佐伯先生は「今日はこれ以上、二人だけで動かないように」と言った。

知らない相手には返事をしない。
メッセージは消さない。
新しい登録や確認はしない。
カゲの中で何かあっても、一人で判断しない。

その言葉は、ユイにとって少し安心でもあり、少し怖くもあった。

もう、自分たちだけの問題ではなくなった。

学校が動き始める。

そのことが、何を意味するのか、ユイにはまだわからなかった。

朝食のとき、母はいつもより静かだった。

「今日、学校で話すの?」

ユイは味噌汁の湯気を見ながらうなずいた。

「たぶん」

「佐伯先生に?」

「昨日、少し話した」

母は箸を止めた。

「そう」

少しの沈黙があった。

ユイは身構えた。
叱られるかもしれないと思った。

でも、母は言った。

「一人で行ったの?」

「ミナと」

「そう。ひとりじゃなかったんだね」

ユイは小さくうなずいた。

母は、すぐに次の質問をしなかった。

その沈黙が、昨日までの沈黙とは少し違っていた。

責めるための沈黙ではなく、ユイが次の言葉を選ぶのを待っている沈黙だった。

ユイは、少しだけ話した。

「知らない人から、メッセージが来てた。私にも、ミナにも」

母の顔がこわばった。

「何か送ったの?」

「私は返してない。ミナは最初に少し返したみたい。でも、名前とか写真とかは送ってない」

母は深く息を吐いた。

「そう」

その「そう」には、安心だけではなく、まだ続く不安が混じっていた。

ユイは急いで言った。

「先生には言った。佐伯先生が、学校でも確認するって」

母は少しだけ目を伏せた。

「わかった。必要なら、お母さんにも学校から連絡が来るかもしれないね」

ユイは胸が重くなった。

「怒る?」

母はすぐには答えなかった。

少し考えてから言った。

「危ないことをしたら、注意はする」

ユイはうつむいた。

母は続けた。

「でも、今いちばん大事なのは、あなたが危ない方向に進まないこと。誰かに利用されないこと。ひとりで抱えないこと」

ユイは顔を上げた。

「怒らないってこと?」

母は困ったように少し笑った。

「怒らない、とは言えない。でも、怒るだけでは終わらせない」

その言葉に、ユイは少しだけ救われた気がした。

学校に着くと、教室はいつも通りだった。

誰かが宿題の答えを確認している。
誰かが文化祭の出し物の話をしている。
誰かが眠そうに机に伏せている。

一見、昨日までと何も変わらない。

でも、ユイには、教室のあちこちに見えない線が張られているように感じられた。

誰がカゲを使っているのか。
誰が昨日の画像を見たのか。
誰が保存したのか。
誰が外に出したのか。
誰が知らない相手とつながっているのか。

何もわからない。

わからないのに、みんなが普通に笑っている。

ミナは、ユイより少し遅れて教室に入ってきた。

目が合うと、小さくうなずいた。

「大丈夫?」

ユイが聞くと、ミナは少しだけ首をかしげた。

「大丈夫かは、わからない」

それから、小さく言った。

「でも、昨日よりはまし」

ユイはうなずいた。

自分も同じだった。

一時間目が終わったあと、佐伯先生が教室に来た。

情報の授業ではない時間だったので、教室の空気が少し変わった。

佐伯先生は担任の先生と短く話したあと、ユイとミナのほうを見た。

「相沢さん、三浦さん。少しだけいいかな」

ユイの心臓が強く鳴った。

教室の何人かがこちらを見た。

レンも、顔を上げた。

「何?」

誰かが小さく言った。

ミナの肩が固くなったのがわかった。

佐伯先生は、できるだけ自然な声で言った。

「昨日の授業のワークシートについて、少し確認したいことがあります」

ワークシート。

その言葉で、教室の空気が少し緩んだ。

ユイは、先生が理由を選んでくれたのだと気づいた。

二人は廊下へ出た。

佐伯先生は、小さな声で言った。

「急に呼んでごめん。できるだけ目立たないようにしたつもりだけど、少し負担だったね」

ユイは首を振った。

「大丈夫です」

ミナも小さくうなずいた。

先生は続けた。

「昨日の件、管理職と生徒指導の先生に共有しました。君たちの名前を必要以上に広げることはしていません。ただ、安全に関わる可能性があるので、学校として対応します」

学校として対応する。

その言葉は、やはり重かった。

ユイは聞いた。

「クラスに言うんですか」

「今日すぐに、特定のクラスを責める形では言いません。ただ、全体への注意喚起は必要になります」

ミナが不安そうに言った。

「カゲのこともですか」

先生は少し考えてから言った。

「名前を出すかどうかは、慎重に考えます。名前を出すことで、逆に興味を持つ生徒が出ることもある。だから、具体的な使い方や入り方につながる情報は出さない」

ユイは少しほっとした。

でも、先生の表情は厳しかった。

「ただし、非公式な場所で学校の連絡が回っていること、知らない相手から接触があること、画像が広がっていることは、放置できません」

佐伯先生は、二人を相談室ではなく、職員室の隣にある小さな会議室に連れて行った。

そこには、担任の先生と、生徒指導の先生がいた。

ユイは緊張した。

昨日、佐伯先生と話したときとは違う。
大人が増えるだけで、急に問題が大きくなったように感じた。

担任の先生は、二人を見るとすぐに言った。

「来てくれてありがとう。まず、君たちを責めるために呼んだわけではありません」

その言葉を聞いても、ユイの緊張はすぐには解けなかった。

生徒指導の先生は、少し低い声で言った。

「ただ、安全確認は必要です。知らない相手から連絡が来ているという話なので、そこをまず確認させてください」

ユイとミナはうなずいた。

聞かれたことは、佐伯先生との相談で話した内容とほとんど同じだった。

どんなメッセージが来たのか。
返事をしたのか。
名前や住所や写真を送ったのか。
会う約束をしたのか。
お金や登録を求められたのか。
他にも同じようなメッセージを受け取っている生徒がいるか。

ユイは、できるだけ正直に答えた。

ミナも、ときどき言葉に詰まりながら答えた。

話している途中で、ミナが泣きそうになった。

「私、最初に返事しちゃったから」

生徒指導の先生が何か言おうとしたとき、佐伯先生が先に言った。

「そこは、責める前に確認しましょう。今ここで話してくれたことが大事です」

生徒指導の先生は少し黙り、それからうなずいた。

「そうですね。話してくれてよかった」

ミナは目を伏せたまま、小さくうなずいた。

そのあと、話はカゲそのものに移った。

「なぜ、そこに連絡が集まったのか」

担任の先生がそう言ったとき、ユイは少し驚いた。

怒られると思っていた。
「なぜ使ったのか」と聞かれると思っていた。

でも、先生が言ったのは少し違った。

「なぜ、そこに連絡が集まったのか」

それは、ユイ一人を責める問いではなかった。

ユイは少し迷ってから言った。

「公式の連絡だけだと、遅いというか……」

担任の先生が聞き返した。

「遅い?」

「先生からの連絡は公式アプリに来ます。でも、文化祭の細かい相談とか、集合時間の変更とか、誰が何を持ってくるとか、そういうのは生徒同士で決めることが多くて」

ミナが続けた。

「クラスのチャットみたいなものが使えないから、最初は口頭とか、個別の連絡でやってたんです。でも、全員に回らなくて」

ユイは言った。

「それで、カゲのほうが早いってなりました」

会議室の中が静かになった。

担任の先生は、メモを取りながら言った。

「つまり、公式の連絡手段はあるけれど、生徒同士の細かい調整をする場がなかった」

ユイはうなずいた。

「はい」

生徒指導の先生が言った。

「でも、危険な場所に流れるのは困る」

その言葉は正しい。

けれど、ユイの中に小さな反発も生まれた。

困る。

それは、学校にとっても困ることなのだと思う。
でも、ユイたちも困っていた。

言っていいのかわからなかった。

すると、佐伯先生が静かに言った。

「困っていたのは学校だけではなく、生徒もです」

ユイは先生を見た。

佐伯先生は続けた。

「公式の場が足りないと、非公式の場に流れます。非公式の場が便利だと、危険でも使われます。これは、生徒の判断の問題であると同時に、学校の設計の問題でもあります」

設計。

ユイは、その言葉を初めて自分の生活に近いものとして聞いた気がした。

学校は、教室や時間割だけでできているわけではない。

連絡の仕方。
相談のしやすさ。
誰が知らない側に残されるのか。
何を先生に言ってよくて、何を言うと大ごとになるのか。

そういう見えない仕組みも、学校を作っている。

担任の先生は、少し苦しそうな顔をした。

「たしかに、文化祭の細かい連絡は生徒任せになっていたかもしれません」

生徒指導の先生も、メモを見ながら言った。

「禁止や注意だけでは、抜け道に流れる可能性があるということですね」

佐伯先生はうなずいた。

「はい。もちろん、危険な場を使わないことは重要です。でも同時に、安全に連絡できる場、安全に相談できる場を用意しなければ、同じことが起きます」

ユイは、その話を聞きながら、自分の胸の中にあったものが少し言葉になっていくのを感じた。

自分がカゲに入ったのは、正しかったわけではない。

でも、ただ悪かっただけでもない。

入らざるをえないように感じる空気があった。
入らないと困る仕組みがあった。
入らない人を置いていく流れがあった。

それを、大人たちが初めて見ようとしている。

会議室を出る前に、担任の先生が言った。

「今日のことは、学校として扱います。君たちだけの責任にするつもりはありません。ただ、今後も確認したいことが出てくるかもしれません」

ユイはうなずいた。

「はい」

ミナも小さくうなずいた。

廊下に出ると、ミナが息を吐いた。

「怖かった」

ユイも言った。

「うん。怖かった」

でも、昨日までとは違っていた。

怖さの中に、少しだけ別の感覚が混じっていた。

自分たちが話したことが、ちゃんと届いたかもしれない。

そんな感覚だった。

教室に戻る前、ユイは窓の外を見た。

校庭では、文化祭で使うらしい木材を運んでいる生徒たちがいた。
誰かが笑って、誰かが指示を出して、誰かが少し遅れてついていく。

そこにも、きっと小さな連絡がある。
誰かが知っていて、誰かが知らないことがある。
誰かが言えて、誰かが言えないことがある。

学校が見落としていたものは、画面の中だけにあったのではない。

ユイは、そう思った。


第28章 母に話す日

その日の夕方、ユイが家に帰ると、母はまだ仕事から戻っていなかった。

玄関の鍵を開け、靴をそろえる。
リビングに入り、かばんを椅子に置く。
いつもと同じ動作をしているのに、身体の中だけが落ち着かなかった。

学校で話したことを、母にも話さなければならない。

佐伯先生は言った。

「保護者に伝える必要が出る場合があります。ただ、そのときも、君たちを責めるためではなく、守るために伝える。伝え方も一緒に考えよう」

その言葉はありがたかった。

でも、実際に母に話すのは、やはり怖かった。

ユイは制服のまま、リビングの椅子に座った。

スマホを机の上に置く。

画面は暗いままだった。

開けば、またカゲがある。
通知が来ているかもしれない。
知らない相手からのメッセージが増えているかもしれない。

けれど、今は開かなかった。

佐伯先生に言われた通り、ひとりで判断しない。

その言葉を、ユイは何度も自分に言い聞かせた。

しばらくして、玄関のドアが開く音がした。

「ただいま」

母の声がした。

ユイは立ち上がった。

「おかえり」

母はリビングに入ってくると、ユイの顔を見てすぐに何かを察したようだった。

「学校で話した?」

ユイはうなずいた。

「話した」

母はバッグを置いた。

「ごはんの前に聞いたほうがいい?」

ユイは少し迷った。

先にごはんを食べてしまえば、話すのを後回しにできる。
けれど、後回しにすればするほど、言い出せなくなる気がした。

「今、話したい」

母はうなずいた。

二人は食卓に向かい合って座った。

昨日と同じ場所だった。

でも、昨日よりもユイの胸は少し落ち着いていた。
怖いことに変わりはない。
けれど、今日は言葉を少し準備できていた。

ユイは、まず佐伯先生に相談したことを話した。

相談室で、知らない人からメッセージが来ていることを伝えたこと。
カゲでクラスの連絡が回っていたことを伝えたこと。
先生たちが、すぐに責めるのではなく、安全確認を優先してくれたこと。
学校として対応することになったこと。

母は、途中で口をはさまずに聞いていた。

その沈黙が、昨日よりもやさしく感じられた。

ユイは話しながら、何度か言葉に詰まった。

「私、カゲに入ったのは悪かったと思ってる」

母はうなずいた。

「うん」

「でも、入らないと本当に困った。文化祭の連絡も、集合時間も、細かい相談も、そこに集まってたから」

「うん」

「だからって、入ってよかったとは思ってない。でも、入らないと学校にいるのに、学校の外にいるみたいだった」

母は、少しだけ目を伏せた。

ユイは続けた。

「先生が言ってた。これは、私たちだけの問題じゃなくて、学校の連絡の仕組みの問題でもあるって」

母は顔を上げた。

「学校の仕組み」

「うん。公式の連絡はあるけど、生徒同士の細かい相談場所がない。だから、便利なところに流れる。そこが危険でも、みんながいると使ってしまう」

言いながら、ユイは自分でも整理されていくのを感じた。

昨日までは、ただ怖かった。

カゲに入った自分が悪い。
見ていた自分が悪い。
言えなかった自分が悪い。

もちろん、それもある。

でも、それだけではなかった。

「お母さん」

ユイは言った。

「私、怒られるのが怖かった。でも、それより、全部禁止されるのが怖かった」

母は少し驚いた顔をした。

「全部禁止?」

「うん。スマホも、友達との連絡も、文化祭のことも。危ないから全部だめって言われたら、たぶん私はもっと言えなくなる」

母は黙った。

ユイは、言っていいのか迷いながら続けた。

「大人から見たら、禁止すれば安心かもしれない。でも、子どもからすると、禁止されたあとに困ることがある。そこを言うと、ルールを破りたいだけだと思われそうで、言えなかった」

母の表情が少し変わった。

「ルールを破りたいだけだとは思っていないよ」

ユイは母を見た。

母は続けた。

「でも、お母さんも、禁止されているなら使わなければいい、と思っていたところはある」

ユイは黙って聞いた。

「それであなたが困っているかどうかまでは、ちゃんと見ていなかった」

母の声は静かだった。

「ごめん」

その言葉に、ユイは胸が詰まった。

母に謝ってほしかったわけではない。

でも、その一言で、昨日からこらえていたものが少し崩れそうになった。

「お母さんが悪いわけじゃない」

ユイは言った。

「私も悪い」

「悪いかどうかだけで話すと、たぶん大事なことが見えなくなるんだね」

母がそう言った。

ユイは驚いた。

それは、佐伯先生が言っていたことに似ていた。

「先生も、似たこと言ってた」

「そう」

母は少しだけ苦笑した。

「先生のほうが、ちゃんと考えているかもしれないね」

「そんなことない」

ユイはすぐに言った。

それから、自分で少し笑った。

昨日なら、こんなふうには言えなかった。

母は、机の上のスマホを見た。

「今、そのカゲは開いていないの?」

ユイはうなずいた。

「開いてない。先生に、ひとりで判断しないようにって言われたから」

「それは守って」

「うん」

母は言った。

「お母さんも、全部を取り上げることはしない。でも、危ない相手から連絡が来ているなら、そこは一緒に確認する必要がある」

ユイは少し不安になった。

「見るの?」

「見せてほしいときはあると思う。でも、勝手には見ない。見る必要があるときは、理由を言う」

ユイは母を見た。

「本当に?」

「本当に」

母は、少し考えてから続けた。

「ただし、あなたを守るために、学校や先生と共有しなければならないことはある。そのときは、一緒に決めよう」

一緒に。

その言葉が、ユイには大きかった。

禁止する。
叱る。
取り上げる。
調べる。

そうではなく、一緒に決める。

それだけで、少し息がしやすくなる。

ユイは小さく言った。

「ありがとう」

母は首を横に振った。

「お母さんも、これから勉強しないといけないね」

「何を?」

「子どもを守るって、ただ禁止することだけじゃないんだなって」

ユイは黙った。

母は続けた。

「危ないものから離すことも必要。でも、離したあとに、どこで友達とつながるのか、どこで困ったことを言えるのか、そこを一緒に考えないといけない」

その言葉を聞いて、ユイは少し泣きそうになった。

それは、ユイがずっと言いたかったことだった。

正しいルールが嫌だったわけではない。
守られたくなかったわけでもない。

ただ、守られたあとの自分の居場所が見えなかった。

母は、それを少しわかろうとしてくれている。

「明日、学校から連絡があるかもしれない」

ユイは言った。

「うん」

「私のこと、怒られるかもしれない」

「そのときは、一緒に聞こう」

「ミナのこともある」

「ミナさんにも、ちゃんと大人がついてくれるといいね」

ユイはうなずいた。

「うん」

その日の夕食は、少し遅くなった。

母は冷蔵庫から残りものを出し、簡単な味噌汁を作った。
ユイも手伝った。

台所に立ちながら、母が言った。

「文化祭は、どうなるの?」

ユイは少し考えた。

「わからない。でも、ポスターはまだ作りたい」

母は少し笑った。

「それは、いいことだと思う」

ユイも少し笑った。

「うん」

カゲの問題は終わっていない。
知らない相手のことも、先生の画像のことも、クラスの空気も、まだ何も解決していない。

でも、ユイは初めて、問題を全部失うことと同じようには感じなくなっていた。

話しても、終わらないことがある。
話したからこそ、続けられることもある。

文化祭も。
ミナとの関係も。
学校で過ごす日々も。
母との会話も。

全部が元通りになるわけではない。

でも、少し違う形で続けていくことはできるかもしれない。

その夜、ユイは机に向かい、情報の授業のノートを開いた。

前に書いた言葉が並んでいる。

「便利だと、変だと思う気持ちが弱くなる。」
「変だと思っても、言えないことがある。」
「でも、言えないままだと、誰かが近づいてくる。」

ユイは、その下に新しく書いた。

「言うことは、壊すことだけじゃない。」

鉛筆を置いて、その一文を見つめた。

まだ怖い。

明日、教室で何が起こるかはわからない。
学校がどう動くのかもわからない。
レンたちが何を言うのかもわからない。

でも、少なくともユイは、もう完全に画面の中だけに閉じ込められてはいなかった。

母が台所で皿を洗う音が聞こえる。
家の中の音だった。

小さくて、普通で、少し安心する音。

ユイは、スマホを伏せたまま、ノートを閉じた。


次回へ

第27章と第28章では、ユイとミナの相談をきっかけに、学校と家庭が少しずつ問題に向き合い始める場面を描きました。

学校は、最初から完璧に対応できるわけではありません。
先生たちの中にも、注意すべきだという考えがあります。
カゲを使った生徒を叱るべきだという考えもあります。
危険な場所を使わせないようにしなければならない、という考えもあります。

それは間違いではありません。

けれど、それだけでは足りません。

なぜ、生徒たちはそこに流れたのか。
なぜ、公式の連絡手段では足りなかったのか。
なぜ、相談する前に非公式な場所へ入ってしまったのか。
なぜ、「知らない側」にいることが、学校生活の孤立につながってしまったのか。

佐伯先生は、その構造を見ようとします。

問題は、カゲの中だけにあったのではありません。
学校の中にも、見落とされていたものがありました。

連絡の仕組み。
相談のしにくさ。
生徒同士の細かい調整を支える場の不足。
「困っている」と言う前に、便利な場所へ流れてしまう空気。

そして家庭でも、ユイは母に少しずつ話します。

母は、危険なものをそのまま許すわけではありません。
でも、ただ取り上げるのではなく、一緒に考えようとします。

守るとは、禁止することだけではない。
危ないものから離したあとに、どこでつながり、どこで相談し、どこで安心して過ごせるのかを考えることでもある。

ユイは、そのことを少しずつ感じ始めます。

次回は、学校全体への注意喚起と、クラスの反応に入っていきます。

誰かが悪い。
誰かが告げ口した。
誰かのせいで大ごとになった。

そんな空気が、教室に広がるかもしれません。

ユイとミナは、その中でまた揺れます。
そしてレンもまた、自分が作った空気と向き合わなければならなくなります。

作成日:2026/06/27

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