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『見えない教室』第31章ーー学校が見落としていたもの

近未来の日本を舞台にした架空の小説『見えない教室』。
16歳以下のSNS利用が禁止された社会で、高校2年生のユイが、学校・家庭・友人関係の中で少しずつ「見えない場所」へ引き寄せられていく物語です。

前回までの記事はこちらのマガジンにまとめています。
『見えない教室』マガジン|mhamadajp

前回、第29章〜第30章では、学校全体への注意喚起と、それを受けたクラスの反応を描きました。

学校は、カゲの具体的な入り方や名前を広げないようにしながら、非公式な場所で学校の連絡や画像が流れることの危険を伝えました。

閉じた場所だと思っていても、画面の外へ出ることがある。
冗談のつもりでも、相手を傷つけるものは冗談では済まない。
相談した人を探したり、責めたりする空気は、問題をさらに見えにくくする。

佐伯先生は、教室に三つの言葉を書きました。

見えない場所
言えない空気
置いていかれる不安

この三つは、ユイたちがカゲに引き寄せられていった理由そのものでした。

問題は、単に「危険な場所を使ったから悪い」という話だけではありません。
そこに入らないと連絡が届かない。
入らないと仲間外れのように感じる。
おかしいと思っても止められない。
相談した人が責められる。

そうした空気がある限り、別の見えない場所はまた生まれます。

教室では最初、「誰が相談したのか」という空気が広がりました。

しかし、レンが自分で「最初に画像を投稿したのは俺」と話したことで、空気は少し変わります。
ユイとミナも、知らない人からメッセージが来ていたことを少しだけ話しました。

クラスはようやく、「誰が言ったのか」ではなく、「自分たちは何を流していたのか」を考え始めます。

今回は、第31章。
レンが佐伯先生に話したことをきっかけに、学校がさらに具体的な対応へ進みます。

画像を作ったこと。
文化祭の情報が流れていたこと。
知らない相手が近づいていたこと。
そして、生徒同士の連絡の場をどう作り直すのか。

問題は、いよいよ「個人の反省」から「学校の仕組みの見直し」へ向かっていきます。


第31章 学校が見落としていたもの

レンが佐伯先生に声をかけたあと、ユイとミナも一緒に小さな会議室へ入った。

前にも入った部屋だった。

机が一つ。
椅子がいくつか。
壁には、文化祭までの日程表が貼られている。
窓の外には、夕方の校庭が見えた。

けれど、前に入ったときとは空気が違っていた。

あのときは、ユイとミナが「相談する側」だった。
知らない人からメッセージが来ていることを、どうにか伝えようとしていた。

今日は、レンがいる。

画像を最初に投稿したレン。
ポスター班の連絡を、当たり前のようにカゲに集めていたレン。
「カゲに上げといて」と、何度も言っていたレン。

レンは椅子に座ったあとも、なかなか顔を上げなかった。

いつものレンではなかった。

いつもなら、少し雑に笑って、強めの言葉で場を動かす。
でも今は、足元だけを見ていた。

佐伯先生は、レンの向かいに座った。

「話しに来てくれてありがとう」

その言葉に、レンは少しだけ顔をしかめた。

「いや、ありがとうって言われることじゃないと思います」

佐伯先生は、すぐには返さなかった。

「そう思っているんだね」

「だって、俺が上げたんで」

レンの声は低かった。

ユイは、息をのんだ。

レンは、机の端を指でこすりながら続けた。

「昨日の画像、最初に上げたの、俺です」

会議室の空気が重くなった。

ミナが、膝の上で手を握りしめた。

佐伯先生は静かに聞いた。

「どんなつもりで上げたのか、話せる?」

レンは少しだけ笑った。

でも、その笑いはいつもの笑いではなかった。

「ふざけただけです」

短い答えだった。

佐伯先生はうなずいた。

「うん」

「佐伯先生、よく『問いを持て』って言うじゃないですか。それをいじっただけで。最初は、別に悪口っていうか、そこまでのつもりじゃなくて」

レンは、そこで一度言葉を切った。

「みんなも笑ってたし」

その言葉に、ユイの胸が少し痛んだ。

みんなも笑ってた。

それは、言い訳のようにも聞こえた。
でも、完全な嘘でもなかった。

実際、みんな笑っていた。
反応をつけた。
別の言葉を足した。
保存した人もいた。

ユイは笑っていない。
でも、見ていた。

止めなかった。

佐伯先生は、レンを責めるような声ではなく、確認するように言った。

「みんなが笑っていたから、大丈夫だと思った?」

レンは少し黙った。

それから、小さく言った。

「大丈夫っていうか……止まれなかったです」

「止まれなかった」

「はい」

レンは顔を上げた。

その目は、少し赤かった。

「最初に俺が上げて、みんなが笑って、誰かがもっと変な言葉足して。そこで俺が『やめよう』って言ったら、お前が始めたんだろってなるじゃないですか」

ミナが小さく言った。

「それは……そうかもしれない」

レンは、ミナを見た。

「だろ」

少し強い言い方だった。

ミナは肩をすくめた。

ユイは思わず言った。

「でも、やっぱり途中からおかしかったよ」

レンの視線がユイに向いた。

「それはわかってる」

「わかってたのに、止めなかった」

言った瞬間、ユイは自分でも少し驚いた。

責めたいわけではなかった。

でも、言葉が出てしまった。

レンの表情が固くなった。

「じゃあ、ユイは止めたの?」

その一言で、部屋の空気が凍った。

ユイは何も言えなくなった。

レンはすぐに目をそらした。

「ごめん」

でも、その謝り方は、半分だけだった。

怒りと後悔が混ざっているような声だった。

ユイの胸が苦しくなった。

たしかに、自分も止めなかった。
嫌だと思った。
ミナにも「私も嫌だった」と返した。
でも、グループには何も書かなかった。

レンだけを責める資格が、自分にあるのだろうか。

佐伯先生が静かに言った。

「今のやりとりは、とても大事です」

レンも、ユイも、先生を見た。

佐伯先生は紙に短く書いた。

始めた人
見ていた人
笑った人
止められなかった人

「責任の重さは同じではありません。最初に画像を作って投稿した人には、その責任があります」

レンが小さくうなずいた。

「はい」

佐伯先生は続けた。

「でも、問題はそこで終わりません。見ていた人、笑った人、止められなかった人、保存した人、広げた人。それぞれに考えることがあります」

ユイは、机の下で手を握った。

その言葉は、自分にも向けられていた。

ミナが小さく言った。

「私、見てました」

佐伯先生は、ミナのほうを見た。

ミナは続けた。

「嫌だと思ったけど、何も言えませんでした。ユイには個別で『嫌だった』って送ったけど、みんなのところには書けなかった」

佐伯先生はうなずいた。

「どうして書けなかった?」

ミナは、少し困ったように笑った。

「怖かったです」

「何が?」

「空気が」

それだけ言って、ミナは黙った。

その言葉は短かった。
でも、ユイにはよくわかった。

空気が怖い。

それは、誰かが怒鳴る怖さではない。
無視されるかもしれない怖さ。
「何こいつ」と思われる怖さ。
グループの流れから外れる怖さ。
明日、教室で微妙な顔をされる怖さ。

佐伯先生は紙にもう一つ書いた。

空気が怖い

レンは、その文字を見て、ぼそっと言った。

「先生って、すぐそうやって整理しますよね」

その声には、少し刺があった。

佐伯先生はレンを見た。

「そう見える?」

「見えます」

レンは、少し早口になった。

「先生たちからしたら、整理できるんだと思います。画像を上げた人。見てた人。危ない場所。知らない人。連絡の仕組み。そうやって分ければいいんですよね」

レンは、少し息を吸った。

「でも、こっちはその場なんです。昨日の夜、その場で、みんなが笑ってて、誰かがどんどん足してて、そこで急に『これはよくないです』とか言えないんです」

会議室が静かになった。

レンは続けた。

「正しいことは、あとからなら言えます。でも、その場では言えないんです」

ユイは、レンの言葉を聞きながら、胸の奥が熱くなった。

それは、本当にそうだった。

あとからなら、いくらでも言える。
あれはよくなかった。
止めるべきだった。
相談すべきだった。

でも、その場では言えなかった。

佐伯先生は、少し間を置いて言った。

「その通りだと思う」

レンは驚いたように顔を上げた。

佐伯先生は続けた。

「正しいことを言える場でなければ、正しいことは機能しません」

ユイは、その言葉をゆっくり聞いた。

正しいことを言える場。

それがなかった。

少なくとも、あの夜のカゲにはなかった。

佐伯先生は言った。

「だから、レンくんのしたことをなかったことにはしません。でも、レンくん一人を叱って終わらせても、たぶん変わらない」

レンは黙った。

「次に別の誰かが同じことをするかもしれない。別の誰かがまた止められないかもしれない。別の場所に、同じような空気ができるかもしれない」

佐伯先生は、紙にさらに書いた。

個人の責任
場の空気
学校の仕組み

「この三つを分けて考える必要があります」

そのとき、会議室の扉がノックされた。

担任の先生と、生徒指導の先生が入ってきた。

レンの身体が一瞬固まった。

担任の先生は、レンを見ると少し厳しい表情になった。

「レンくん。画像のことを話しに来たと聞きました」

レンはうなずいた。

「はい」

生徒指導の先生は、椅子に座る前に言った。

「まず確認します。先生の写真を加工して、からかうような画像を投稿したのは君ですね」

かなり直接的な言い方だった。

レンの顔がこわばった。

「はい」

「それが人を傷つけるものだとは思わなかった?」

レンは唇を噛んだ。

「最初は、そこまで思ってませんでした」

「最初は?」

「途中からは、ちょっとやばいと思いました」

「思ったのに止めなかった?」

「……はい」

生徒指導の先生は、少し息を吐いた。

「これは重大です。本人が見ているかどうかに関係なく、教員を侮辱する画像を作って広げたことになります」

レンの顔が赤くなった。

「でも、俺だけじゃないです」

言った瞬間、レン自身も「しまった」という顔をした。

会議室の空気が一気に張りつめた。

生徒指導の先生の眉が動いた。

「今、それを言う場面ですか」

レンは黙った。

担任の先生も厳しい声で言った。

「自分のしたことを、他の人のせいにしてはいけません」

レンは、膝の上で拳を握った。

「わかってます」

声が震えていた。

「でも、俺だけ悪者にされたら、それも違うと思います」

ユイは、思わずレンを見た。

その言い方は危うかった。
でも、レンの気持ちもわかってしまった。

レンは悪い。
でも、レンだけではない。

その二つを同時に言うのは、とても難しい。

佐伯先生が静かに口を開いた。

「レンくんが言い逃れをしている部分と、構造として見なければならない部分は、分けたほうがいいと思います」

生徒指導の先生が佐伯先生を見た。

「どういう意味ですか」

佐伯先生は落ち着いた声で言った。

「画像を作って投稿したことについて、レンくんに責任があります。そこは曖昧にしてはいけません」

レンはうつむいた。

「一方で、画像が広がった背景には、非公式な場所に生徒の連絡や雑談が集まり、止めにくい空気があり、さらに学校生活の情報まで流れていたという問題があります。ここをレンくん一人の指導で終わらせると、再発防止にはなりません」

生徒指導の先生は少し黙った。

担任の先生も、メモを見ながら言った。

「たしかに、文化祭の連絡が生徒任せになっていた部分はあります」

生徒指導の先生は腕を組んだ。

「ただ、仕組みの問題にしすぎると、本人の責任が薄まる危険があります」

佐伯先生はすぐにうなずいた。

「その通りです。だから、薄めるのではなく、分けます」

その言葉が、部屋に残った。

薄めるのではなく、分ける。

ユイは、その言葉を心の中で繰り返した。

レンの責任を消すのではない。
でも、レンだけで終わらせない。

それは、簡単そうで、とても難しいことだった。

生徒指導の先生は、レンに向き直った。

「レンくん。君には、画像の件について、何をしたのかを正確に書いてもらいます。誰かの名前を無理に出す必要はありません。まず、自分が作ったもの、自分が投稿したもの、自分が覚えている流れを書いてください」

レンはうなずいた。

「はい」

「それから、佐伯先生に対しての謝罪も必要になります。ただし、今この場で形式的に謝って終わり、ではありません。何が問題だったのかを理解した上で、後日、場を設けます」

レンの顔がさらにこわばった。

「佐伯先生に、直接ですか」

「そうです」

レンは一瞬、佐伯先生を見た。

佐伯先生は、いつものように静かに座っていた。

レンは小さく言った。

「すみません」

佐伯先生は、すぐに「いいよ」とは言わなかった。

その沈黙に、ユイは少し驚いた。

佐伯先生なら、すぐにやさしく受け止めると思っていた。

でも、先生は違った。

「その言葉は、あとでちゃんと聞きます」

佐伯先生は言った。

「今は、何が起きたのかを一緒に確認しましょう」

レンは、ゆっくりうなずいた。

「はい」

そのやりとりを見て、ユイは思った。

許すことと、なかったことにすることは違う。

佐伯先生は、レンを責めつぶそうとはしていない。
でも、簡単に許してもいない。

それが、ユイにはとても現実的に見えた。

そのあと、話はカゲに流れていた情報へ移った。

担任の先生が確認した。

「文化祭の集合時間は、どこで共有していましたか」

レンが答えた。

「カゲです」

「公式アプリには?」

「先生からの大きい連絡はありました。でも、細かい変更はカゲで」

「細かい変更というのは?」

「集合時間を十五分早めるとか、ポスターの材料を誰が持ってくるとか、下描きの写真とか、教室に集まるか美術室に集まるかとか」

ミナが付け加えた。

「私も、そこで確認してました」

ユイも言った。

「私は最初入ってなくて、それで連絡を知らないことがありました」

担任の先生がユイを見た。

「そのとき、先生には言わなかった?」

ユイは言葉に詰まった。

「言えませんでした」

「なぜ?」

ユイは少し黙った。

言いにくかった。

でも、ここで言わなければ、また何も伝わらない気がした。

「先生に言ったら、みんなが怒られると思いました」

担任の先生の表情が少し変わった。

ユイは続けた。

「それに、私がちゃんと見てないから悪い、みたいな空気もあって」

レンが小さく顔を伏せた。

ユイは、声を震わせながら言った。

「だから、言ったら自分が面倒な人になると思いました」

部屋が静かになった。

担任の先生は、ゆっくり息を吐いた。

「そう感じさせていたんですね」

その言い方は、少し苦しそうだった。

生徒指導の先生も、先ほどより少し声を落として言った。

「公式の連絡手段があるから大丈夫、とは言えなかったということですね」

佐伯先生がうなずいた。

「はい。先生から生徒への連絡はあっても、生徒同士の細かい調整や相談の場が不足していた可能性があります」

レンが言った。

「公式のやつ、正直使いにくいです」

担任の先生が聞いた。

「どう使いにくい?」

レンは少し迷ったあとで言った。

「先生に見られる前提だと、ちょっとした相談がしづらいです。でも、見られない場所だと、今回みたいに変な方向にいく。だから、どっちも嫌です」

その言葉に、ユイは思わずうなずいた。

まさにそれだった。

全部見られるのは息苦しい。
でも、まったく見えない場所は危ない。

ミナも言った。

「あと、公式のほうは通知が多すぎて、何が大事かわからないです。先生からの連絡も、クラスの連絡も、課題の連絡も混ざってて」

ユイも続けた。

「生徒同士で決めていいことと、先生に確認しないといけないことの境目もわからないです」

担任の先生は、メモを取りながら何度もうなずいた。

「それは、こちらが整理できていなかったかもしれません」

生徒指導の先生は、少し難しい顔をしていた。

「ただ、生徒同士の連絡場所を作るとしても、トラブルが起きたら結局学校の責任になります」

レンが少しむっとした顔をした。

「じゃあ、何もできないじゃないですか」

「そうは言っていません」

「でも、そう聞こえます」

空気がまた少し張りつめた。

佐伯先生が間に入った。

「ここが難しいところです。学校が責任を恐れて何も場を作らなければ、生徒は別の見えない場所へ行く。生徒だけで便利さを優先すれば、危険が見えにくくなる。だから、一緒に設計する必要があります」

「設計って、何をですか」

レンが聞いた。

佐伯先生は、紙の中央に線を引いた。

左側に、こう書いた。

全部見える

右側に、こう書いた。

まったく見えない

「全部見える場所は、安全に見えるかもしれません。でも、生徒が本音を言いにくくなります。先生に見られるなら、別の場所で話そうとなるかもしれません」

次に右側を指した。

「まったく見えない場所は、生徒同士では楽です。でも、危険が起きても大人が気づけません。誰かが困っていても、外からは見えません」

先生は、真ん中に丸をつけた。

「必要なのは、目的に合った見え方です」

ミナが聞いた。

「目的に合った見え方?」

「例えば、文化祭の集合時間や持ち物の連絡は、係の全員と担当の先生に見える必要があります。でも、個人的な悩みや友達との関係の相談は、全員に見える場所では話せません」

ユイはうなずいた。

たしかに、全部同じ場所に置くから混ざってしまう。

連絡。
雑談。
相談。
悪口。
画像。
知らない人からの接触。

全部が同じ場所に流れていた。

だから、便利だった。
でも、危なかった。

佐伯先生は続けた。

「だから、学校が考えるべきなのは、単に『SNSを使うな』ではなく、何のための連絡なのか、誰に見えるべきなのか、困ったときにどこへ逃げられるのかを分けることです」

担任の先生が言った。

「文化祭については、まず係ごとの公式連絡板を作る案があります。集合時間、持ち物、作業場所、変更点はそこに集約する。担当の先生も見られるようにする」

生徒指導の先生が続けた。

「一方で、雑談や個人的なやりとりをそこに持ち込まないルールも必要です。画像を投稿する場合は、顔や名前、場所が写り込んでいないかを確認する」

レンは少し顔をしかめた。

「それ、面倒くさいですね」

担任の先生が言った。

「面倒でも必要です」

レンは黙った。

でも、完全に反発しているわけではないようだった。

少しして、レンは言った。

「でも、面倒だと、みんなまた別のところ使うと思います」

生徒指導の先生が眉を寄せた。

「だからといって、危険な場所を認めるわけにはいきません」

「認めろって言ってないです」

レンの声が少し強くなった。

「でも、使いにくかったら、結局使われないって言ってるんです」

会議室に緊張が走った。

ユイは、レンの言い方にひやっとした。
でも、内容は間違っていないと思った。

佐伯先生は、レンに聞いた。

「では、どうすれば使われると思う?」

レンは少し黙った。

急に聞かれて、戸惑っているようだった。

「え……」

「文句だけでなく、案を出してほしい」

佐伯先生の声は穏やかだったが、逃がさない強さがあった。

レンは頭をかいた。

「通知が多すぎないこと。係ごとに分かれてること。先生からの連絡と、生徒同士の作業連絡が混ざらないこと。あと、既読だけじゃなくて、確認したかどうかわかるやつ」

ミナも続けた。

「変更点だけ見えるようにしてほしいです。全部流れていくと、あとから探せないので」

ユイは少し考えて言った。

「あと、入っていない人が出ないようにしてほしいです。公式の場なら、クラス全員が最初から入っている状態にしてほしい」

担任の先生は、三人の言葉をメモしていた。

「なるほど」

生徒指導の先生も、少し表情を変えた。

「実際に困っていた人の話を聞かないと、わからない部分がありますね」

レンは小さく言った。

「俺ら、別に危ないことしたかったわけじゃないんです」

その声は、さっきよりも弱かった。

「ただ、早かったから。楽だったから。みんながいたから」

ユイは、胸がきゅっとなった。

それは、本当にそうだった。

悪いことをしたいからではない。
危ない場所に行きたいからではない。

便利だった。
そこにみんながいた。
そこに行かないと困った。

それが、いちばん怖い。

佐伯先生は静かに言った。

「便利さは悪ではありません。問題は、便利さが何を見えにくくするかです」

ユイは、その言葉をじっと聞いた。

便利さが見えにくくしたもの。

誰が運営しているのか。
誰が見ているのか。
何が保存されているのか。
誰が置いていかれているのか。
誰が言えずに困っているのか。

レンは、ぽつりと言った。

「カゲ、最初はただ便利な連絡場所だと思ってました」

ミナもうなずいた。

「私も」

ユイは少し遅れて言った。

「私も、入ったあと少し安心しました。置いていかれなくなったから」

佐伯先生は三人を見た。

「その安心が、危険とつながっていた。そこを見直す必要があります」

会議室の時計が、静かに時を刻んでいた。

話し合いは、一時間近く続いた。

レンは、画像の投稿について後日あらためて佐伯先生に謝罪することになった。
カゲで流れていた文化祭の情報についても、覚えている範囲で整理することになった。
ユイとミナも、知らない相手からのメッセージについて、先生と一緒に確認することになった。

そして学校は、文化祭の連絡方法を急いで見直すことになった。

会議室を出るころには、外はすっかり夕方になっていた。

廊下の窓から、オレンジ色の光が差し込んでいる。
文化祭準備の声が、遠くから聞こえる。

レンは、廊下で立ち止まった。

「ユイ」

名前を呼ばれて、ユイは振り向いた。

レンは、少し言いにくそうにしたあとで言った。

「前、カゲに入ってないとき、いろいろ言って悪かった」

ユイはすぐには答えられなかった。

「また?」
「カゲ見てないの?」
「入らないと困るよ」

その言葉を思い出した。

レンは続けた。

「俺、ユイが困ってるって、あんまり考えてなかった。見てないほうが悪い、みたいに思ってた」

ユイは、少しだけ胸が痛くなった。

たしかに、そういう空気はあった。

カゲを見ていないほうが悪い。
知らないほうが悪い。
遅れるほうが悪い。

でも、本当は違った。

届くべき連絡が、届かない場所に流れていた。

ユイは小さく言った。

「私も、何も言えなかった」

レンは首を横に振った。

「いや、それは言いにくいよな」

その言葉を聞いて、ユイは少し驚いた。

レンが、言いにくさをわかろうとしている。

それだけで、何かが少し変わった気がした。

ミナが横から言った。

「これから、どうなるんだろうね」

レンは、廊下の先を見た。

「わかんない。でも、カゲだけでやるのは、もう無理だと思う」

ユイもうなずいた。

「うん」

佐伯先生が少し離れた場所から言った。

「明日、文化祭委員と各係の代表で、連絡方法について話し合います。君たちにも、できれば参加してほしい」

ユイは驚いた。

「私たちがですか」

「実際に困った人、使っていた人、使わざるをえなかった人の声がないと、また使いにくい仕組みになります」

先生は言った。

「大人だけで決めると、安全だけを考えて、使われない仕組みになることがあります。生徒だけで決めると、便利さだけを優先して、危険が見えにくくなることがあります。だから、一緒に考えたい」

一緒に考える。

その言葉は、母が言った言葉にも似ていた。

ユイは少し迷ってからうなずいた。

「参加します」

ミナも、レンも、少し遅れてうなずいた。

「出ます」

「俺も」

佐伯先生は、静かにうなずいた。

「ありがとう」

廊下の向こうで、文化祭の看板を運ぶ生徒たちが通り過ぎた。

楽しそうな声だった。

学校は、問題があっても、止まらない。
文化祭も、授業も、友達との会話も続いていく。

だからこそ、危ないものをただ遠ざけるだけでは足りない。

続いていく日常の中に、安全な道を作らなければいけない。

ユイはそう思った。

見えない教室を、完全になくすことはできないのかもしれない。

でも、見えないままにしないことはできる。

そこに誰かが置いていかれていないか。
誰かが言えずに困っていないか。
便利さの裏側で、誰かが危険に近づいていないか。

見ようとすることはできる。

ユイは、廊下の窓に映った自分の顔を見た。

少し疲れていた。
でも、数日前の自分とは違っていた。

カゲに入る前、何も知らずに校門で待っていた自分。
カゲに入ったあと、便利さに安心しながらも怖くなっていた自分。
冗談が広がっていくのを見ているだけだった自分。
相談室の前で立ち止まっていた自分。

その全部が、自分だった。

でも、今の自分は、少しだけ言葉を持っている。

「困っていた」
「怖かった」
「言えなかった」
「でも、このままではいけないと思った」

それを言葉にできたから、少しずつ現実が動き始めた。

ユイは、ミナとレンと並んで教室へ戻った。

夕方の教室には、まだポスターが広がっていた。

青い背景の上に、白い文字が入る予定だった。

文化祭のポスター。

それは、まだ完成していない。

でも、未完成だからこそ、これから変えられる。

ユイは、ポスターの青い部分を見つめながら思った。

学校も、きっと同じなのだ。

まだ完成していない。

だから、見直すことができる。


次回へ

第31章では、レンが佐伯先生に自分のしたことを話し、学校が具体的な見直しへ進み始めました。

レンは、先生の画像を最初に投稿したことを認めました。
しかし、それはきれいな反省の言葉だけではありませんでした。

「みんなも笑っていた」
「自分が始めたから止めづらかった」
「俺だけ悪者にされたら、それも違うと思う」

その言葉には、言い訳も、防衛も、怖さも混ざっていました。

でも、その生々しさの中にこそ、教室で起きていたことの本質があります。

誰か一人だけが悪かったわけではありません。
けれど、誰の責任もないわけでもありません。

画像を作った人がいる。
笑った人がいる。
保存した人がいる。
広げた人がいる。
見ていたけれど止められなかった人がいる。
嫌だと思っても言えなかった人がいる。

責任の重さは同じではありません。
でも、それぞれに考えることがあります。

佐伯先生は、それを「薄める」のではなく、「分ける」と言いました。

レンの責任を消すのではない。
でも、レンだけを責めて終わらせない。

その両方を同時に見ることが、学校に求められていました。

さらに、話はカゲに流れていた文化祭の情報へ移ります。

集合時間。
持ち物。
作業場所。
係の担当。
途中の画像。
顔や名前が写り込んだ写真。

それらが、運営者も見えない非公式な場所に流れていました。

生徒たちは、危ないことをしたかったわけではありません。
便利だったから使った。
早かったから使った。
みんながいたから使った。
そこに行かないと困ったから使った。

その便利さが、危険を見えにくくしていました。

次回は、生徒と先生が一緒に新しい連絡のあり方を考える場面に入ります。

全部を大人が見ると、生徒は息苦しくなる。
まったく大人から見えないと、危険が起きても気づけない。

安全だけを優先すると、使われない仕組みになる。
便利さだけを優先すると、危険が見えなくなる。

その間で、学校はどんな答えを見つけられるのでしょうか。

作成日:2026/07/11

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