母に似る
夫が、私が作り置きしておいた食材を冷蔵庫から出して食べようとしていたので、「温めるよ」「卵焼きも作るよ」「みそ汁は?」などと声をかけると、「うるさいからいい」と言われた。。。。。。
→これって、私の母が私にやってきたこと。食べたいもの食べるのに、いちいちうるさいってずっと思っていた。
小さいころから、あんなにも嫌だと思っていたことを、今度は自分もするなんて・・・・・!!
似る!んだね。
嫌だと思っているものほど、似る!
夫に言った、その心は私なりの愛情表現の形。昼外食なんだから、うちにいるうちは野菜多めとか、脂っぽくないもの、暖かいものを・・・という愛情からの構い。
それを「うるさい」とはなんじゃ~~~!
でも、それは私が母に思ってきたこと。
あれこれ、押しつけうざい!!と思ってきたけれど、あれは母なりの愛情だったのだ!!
私は、ずっとずっとそれをうるさい、押しつけ、もういや~と思っていたけれど、あれは紛れもなく愛情だったのだ。私が夫にそうしているように。。。
ずっと、「自由にさせてくれる方が愛情がある」と思い込んでいた。
幼少期からの喘息。
ルイーズヘイの本によると、喘息とは「息苦しい愛」なのだそう。
まさにそれ!!
今まで、本読んでも、フーンくらいしか思わなかった。愛情なんてないと思っていたから。。。。
愛情はあった。それもかなり濃い目の。
だから、息苦しい愛なのだ!
愛がなかったわけではない。
っていうか逆。息苦しいほどの愛。
それから逃れるための、幼少期~思春期の苦しさ。
愛を受け取ってもらえなくて、悲しかっただろうね。うちの母。
ごめんね。いつも愛情を拒否してきて。
器が小さくて受け取れない。
こぼれ落とす方が多かった母からの愛。
母をヒーリングすると、私を産んだ時の母の様子が見える。感じる。
疲れ切って病室にいる母。
その母からは、やっと初めての女の子を産んだという嬉しさが伝わってくる。。。。。
だから、
初めての女の子だから、母手造りの服をたくさん着せてもらっていた。ずっと、私はその手造りの服たちが嫌いだったけど。。。
幼稚園のお遊戯会の時も、背の高い私には幼稚園でドレスを準備できずに、母が作ることになった。文句言いながら作っていたけど、あれも嬉しかったのだ。愛の表現の一つ。
ひどいことされたとばかり覚えていて、愛情は見えていなかった。いや、見たくなかったのだろう。痛かったから。。。
当たり前と思っていたし、
逆に全然愛情が足りない!と思っていたけれど、
私にはできないほどの、大きな濃い愛情を注いでくれていた!
ああ。
ああ。。ああ。。
感謝しかない。
この感謝を表す言葉がない。
足りない。あらわせきれない。。
愛だね。。。。
