我慢している子どもたち(妄想日記96)
66億円ゲームを続けている。今日は、960万円。使い道として考えたのは、病気の子どもを持つ家庭の、元気な兄弟姉妹――きょうだい児への支援だった。正直に言うと、最初は視界に入っていなかった。病気の子がいる。治療がある。入院がある。命に関わる。そちらが優先されるのは、仕方がないと思っていた。
でも、ふと立ち止まった。元気なきょうだいは、たいてい「大丈夫な側」に回される。自分は健康。手がかからない。泣かない。文句を言わない。そうやって、無意識のうちに「我慢できる役」を引き受けていく。
きょうだい児は、分かっている。今は、言ってはいけないこと。今は、甘えられないこと。今は、親を困らせてはいけないこと。だから、不安も、怒りも、寂しさも、全部しまい込む。我慢しているのは、患者だけじゃない。
960万円があったら、私はここに使いたい。きょうだい児が「話してもいい場所」をつくる。解決しなくていい。前向きじゃなくていい。泣いても、黙ってもいい。ただ、自分の気持ちを置いていける場所、カウンセリングを用意する。専門の人に「それはつらかったね」と言ってもらえる時間、居場所をつくる。病室でも、家でも、学校でもない場所。誰かの顔色をうかがわずに、ぼーっとしてもいい場所。
このお金は、私から直接、家庭や子どもに手渡されるものではない。すでに現場に入り、家族を支えている支援の受け皿に預ける。小児病院で家族支援を担う、医療ソーシャルワーカーや心理職。きょうだい児支援を専門に続けてきたNPO。自治体と連携し、家庭に入っている支援員たち。その人たちが、カウンセリングの時間を確保し、居場所を維持し、必要な家庭に静かに支援を届け続けるための人件費と運営費として使われる。
960万円は、何かを新しく始めるためのお金ではない。もう始まっている支援が、途切れずに続くためのお金や。きょうだい児の支援は、目に見える成果が出にくい。感謝されにくい。数字にもなりにくい。でも、壊れてからでは、遅い。大人になってから、理由の分からない生きづらさとして、姿を変えて現れることもある。
960万円は、特別扱いするためのお金やない。「あなたも大切にされている」という前提を、ちゃんと形にするためのお金。病気の子の命を守ることと、きょうだいの心を守ることは、対立しない。どちらも、同じ家庭の中で起きとることや。
66億円ゲームは、お金をどう使うかという話やなかった。誰かの我慢が、当たり前になっていないかを考える時間やった。960万円を、きょうだい児のために使う。それは、静かやけど、家族の未来を長く支える選択やと思っている。
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