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私も「日記の練習」をはじめます|『日記の練習』を読んで

くどうれいんさんの『日記の練習』を読んだ影響で、日記を書き始めた。
れいんさんが綴る日記は、とっても自由。
その日の気分によって、一文だけの日もあれば、長文の日もある。
書かない日もある。

その「ゆるさ」がとても良くて、まだ読み終わっていないのに、私はもう日記を書き始めてしまった。

こんな風に「自分もやってみよう!」と思わせる作品って、とても素晴らしいと思うし、広めたくなる。
だから今日は、この本を読んで感じたことを、つらつらと書いてみようと思う。


「書いているからおもしろくなる」

『日記の練習』の中で、特に心に残った一節がある。

おもしろいから書くのではない、書いているからどんどんおもしろいことが増えるのだ。

日記を書き続けるようになると、「大事ではないこと」から書き残されていく。
どこに行ったとか、何を食べたとか、誰かに聞かれたら答えるような出来事は、意外と日記に残らない。

覚えていられることは、書かなくていい。だって、覚えているのだから。

代わりに残るのは、「あ、これは日記だ」と思った一瞬や、言葉にしないと消えてしまいそうな感覚。

「たくさん書けていいですね」と言われることが悲しかった、というれいんさんの言葉にも、強くうなずいた。
書いているから、見つかる。
見つかるから、書ける。
その循環が、日記なのだと思う。


毎日書かなくていい、という救い

れいんさんは、「毎日欠かさず日記を書こう」と思ったことがないと言う。

数週間まったく書かないこともあれば、連日四千字書くこともある。
ブログだったり、Wordだったり、ツイッターの下書きだったり。
一本化されていないから、消えてしまった日記も、たくさんあるそうだ。

それでも、「日記を書きたい気持ち」を持ち続けている。

わたしにとって日記は「日々の記録」ではない。
「日々を記録しようと思った自分の記録」だ。
できる日とできない日があり、その緩急がわたしらしいと思う。

この考え方に、とても救われた。

書ける日と、書けない日がある。
その緩急こそが、自分らしさなのだと思えるようになる。


日常の些細なことが、行き場を失っていた

思い返すと、「日常で起こった些細なこと」は、noteの記事になりにくかった。
面白いな〜!と思ったけれど、下書きで終わってしまう。それがずっと寂しいなぁと思っていた。

「そうか!こんな風に「ゆるい日記」という形なら、書けるかもしれない!残せるかもしれない!」
そう思った瞬間、少しワクワクした。

きっとそのうち、下書きで終わっていたものたちを、「過去の日記」として書くと思う。


私もずっと、日記を書きたい気持ちだけは持っていた

わたしは「十代から日記をつけたりやめたりを繰り返しているが、日記を書きたいと思うきもちは持ち続けています」と言うべきなのかもしれない。
最初こそ書けない日が続くと「さぼってしまった」と思ったものだが、次第に「わたしのような人間の日記が毎日律儀に同じように続くわけがないだろう」と思うようになって楽になった。

そういえば、と気づいた。

私もずっと、日記を書きたい気持ちだけは持っていた。
手書きで書いていた時期もあるし、Notionに書いていた時期もある。
はてなブログで片思い日記を書いていた時期もあった。これは完全に黒歴史。
大学時代のmixi全盛期には、mixiで文章を書いていた。

日記以外でも、私はずっと文字と一緒に生きてきた。
本とは一生の付き合いだし、コミュニケーションも文字が多かった。
田舎だったしね。コアな趣味は、ネットの世界になるわけです。
夜な夜なパソコンでチャットとか!してたな!懐かしい!

作文が好きで、国語が好きで、教科書を自分から読む子どもだった。
読書感想文も、わりと得意だった。

ああ、私はずっと、書く人だったんだな。
そんなことを思い出すことができました。


ゆるくて、愛おしい日常のかけら

『日記の練習』の中で、特に好きな日記がある。

4月6日:「そうこなくっちゃ!」と送信。
4月16日:この世の終わりのように泣いている赤ちゃん。一周回って爆笑しているように聞こえることがある。
4月27日:すれ違ったおじさんのくしゃみが完全に「action!!」だったので(監督……)とこころの中で呼んだ。

ね?
ゆるくて、いいでしょう。
もっと長い日記もあるけれど、この辺りに特に笑ってしまった。
こんなふうに日常を楽しんで過ごしたいなぁ。


高熱のときに見る、同じ夢の話

もうひとつ、気になった箇所がある。

日記の本番11月:8歳から成人するまでの間、わたしは同じ夢を見ることがあった。それは決まって高熱のときで、わたしは大きな風邪やインフルエンザになるたびに同じ夢を見た。 黒い球にひたすら追いかけられる夢。言葉にするとあまりにも単純な悪夢だが、それは映像としても本当にシンプルなものだった。

高熱のときに、いつも同じ夢を見る、という話。

実は私も、高熱を出すと同じ夢を見ていた。
父が呪怨ばりに「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」とうなり声を上げながら追いかけてきて、母がやまんばになって追いかけてくる夢。
すごく怖い。

現実の両親は、いつもニコニコで優しいからからこそ、余計に怖かった。
とにかく怖くて、高熱に怯えていた。

高熱のときに見る夢って、人それぞれに「定番」がある気がする。


というわけで、 「日記の練習」をはじめます

というわけで、私も『日記の練習』をはじめてみようと思う。

続くかどうかは分からないけれど、とりあえず1ヶ月間試したいな。

書けない日があってもいい。
一文だけの日があってもいい。
「書きたい気持ち」を、持ち続けることから。

気が向いたら、みなさんもぜひ!

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